○心の原点に帰った思い
昨日は地元で開かれた菜の花ウォークというイベントに参加しました。最近は県内外に出る機会が多く、自分の町に居ながらいつも自分の町を疎かにしているような、後ろめたさが心の隅に引っかかっているのです。勿論役場職員だった昔のように給料を貰い仕事でまちづくりをしている訳ではないので、税金さえ納めれば私が何をしようと勝手なのです。しかし少なくとも双海町という地域をまちづくりのフィールドにして、ある時代を必死になって生きてきた私にとって、まちづくりの世界から目をそむけて生きることは意思に反すると思っているのです。多分自費で造った人間牧場もそうしたふるさとに対する想いと、ふるさとと自分をつなぎとめる心の鎖にしたいと思う現われだったに違いないのです。
夕やけコンサートにしろ、菜の花ウォークにしろ、サンセットロマンチッククリスマスにしろ、今あるイベントの数々は殆ど私が発案し始めました。あり難い事にまちづくりの仲間によってその殆どが内容を変えても継続されているのですが、彼らの人集めの苦労を思うと、もう少し私にできる協力をしなければとならないと思っての参加した。
イベントの良し悪しは量と質がありますが、中でも参加する人の量は大切な用件です。「一人でも多くの人を集めたい」と思う主催者の意思に反して、役所の職員は部署が変われば殆ど見向きもしません。ましてや何年か前まちづくりの部署でまちづくりの担当をした経験のある人でさえ参加しないのですから、役所の職員の冷たさにはほとほと参ります。「じゃあお前はどうなんだ」と言われそうですが、確かに役所を辞めた私たちも知ったかぶりでそれなりの知識で役所や職員を批判しますが、参加してものを言うような人間にならなければならないと思うです。その意味で次の三つは特に大事な心がけだと今も肝に銘じて生きています。
「自分たちの歴史に思いを馳せられなくなった時」、人は「良心」をなくします。たった35年間の役場生活、その中でも20年ほどの短い間、無我夢中でやったまちづくりの仕事は自分の歴史でもあります。リタイアしてその一線から身を引きましたが、真摯な態度でまちづくりという世界に向かい合いたいと思っています。
「利益を考え過ぎた時」、人は「良心」をなくします。かつて私は第三セクターをつくり、「赤字にならない」ことを至上命題にして無我夢中で儲けに走った時代がありました。それは「赤字になったらどうするのか」と議会から文句をつけられた時、「赤字になったら黒いボールペンで書く」と大見得を切った私自身に対する挑戦でもありました。その結果第三セクターは13年間、一回も赤字になることなく黒字経営を続けていることは承知の通りですが、儲けに走り過ぎてお客様本意を忘れて失敗した苦い経験ももっています。
「仲間の顔を忘れた時」、人は「良心」をなくします。私の周りにはいつの時代も常に沢山の仲間が集まり、今も多くの仲間とともに生きています。その仲間も時代とともに顔ぶれが変わるのですが、かつての仲間の顔を忘れてはならないと、まちづくりの素人である妻が口癖のように私に言うのです。妻は古い私の仲間に対して、去年一年間だけでも50箱ものふるさとの味を仲間に宅配便で送り続けてくれているのです。そのことは仲間の顔を忘れないで欲しいという妻の願いかも知れないと日々感謝しています。
人には様々な心がけがあります。朝早く起きようとか、毎日はがきを三枚書こうとか(いずれも私の心がけ)、何気ないことですが考え行動に移します。その行動がいつの間にか習慣になり、自分の規範となって生き方を確立して行くのです。
もう少しだけ気張って、もう少しだけいい人間になれるよう努力したいと思います。
「過去見るな 未来に向えと いうけれど 生きた歴史も これまた大事」
「利益上げ 成果誇示する 時もある でも本当は 相手思って」
「あの顔も この顔もまた 忘れえぬ 思いで彼方 仲間沢山」
「過ぎてなお 初心忘れず 暮らしたい これから先も 肝に銘じて」