○男時と女時
昨日は夏至でした。一年中で夜が一番短く昼の長ーい一日でした。このところ娘のお産後の実家での休暇による新生児の世話の疲労が蓄積している妻は、肩こりと睡眠不足の重なりで少々お疲れモードのようですが、特に夜の短い睡眠不足は私から見ると寝ている方なのに、なかなか解決はしないようです。冬至なら灯火親しむのでしょうが、夏至は朝が早く夜が何時までも明るいのでお天道様を親しみ、外明かりで本を思う存分読みたい心境です。
昨日ある本を読んでいると「男時」という言葉を見つけました。はて「おじ」と読むのか何と読むのか分らず、ましてや意味さえも分らないので、広辞苑で調べてみました。残念ながら私の広辞苑には載っていません。しからばとヤフーの辞書で調べると「おじ」と読む、意味は「何でも上手くいく時」だそうです。ちなみに反対用語は「女時」で「めじ」と読みます。「上手くいかない時」です。
しかし驚きました。男が上手くいって女が何故上手くいかないのか、語源を辿るほどに男女の差別が見えてくるのです。日本はその歴史を見ても明らかなように、今でこそ男女同権の世の中に見かけはなっていますが、つい最近まで男尊女卑の国でした。「女性は子どもを産む機械」などと大臣が言って世間の批判集中砲火を浴びたことは記憶に新しいことですが、言葉の世界ではこうした差別が沢山現存しているのです。
「男時」「女時」の語源は能の世阿弥であることに行き着きました。世阿弥といえば風流を楽しむ詫び寂びの世界で名を成した歴史上の人物ですが、もし世阿弥が今の時代に生きてこんな言葉を言ったなら、世の女性たちはどんな叱責を浴びせるのかと思うと、人の世の華やかさに比べ、裏側に陰湿めいた感じを覚え、少し世阿弥の評価を下げねばなるまいと思ったものです。
昨日は一日中雨模様の天気でした。松山で開かれる金融広報員の研修会があったので車で出かけました。梅雨の季節、夏至の寝不足などが重なり気分を高めるような条件ではありませんでしたが、何故か信号が殆ど青で、出勤時だというのにスイスイと
僅か30分で松山へ到着してしまいました。このことを「男時」というのだろうと納得して、仲間に「今日は男時でしたと言ったら「剃れ何ですか?」と聞き返されきょとんとしていました。しかし私のようにラッキーだった人だけではなく、昨日は朝からアンラッキーな人が沢山いた事をテレビのニュースで知りました。東京や埼玉では電車の架線が切れて4時間以上にわたって列車が止ったそうです。線路を歩く長い列や、列車に閉じ込められ気分を悪くした人の怒号や体調を崩した人の姿を見ながら、女性には悪いのですがこれこそ「女時」だと思いました。
上手くいく時を「男時」、上手く行かない時を「女時」という言葉に、62年間生きてて昨日始めて出会いました。「ああ私はまだまだ知らない言葉がたくさんある」とも感じました。人間は様々な時と場所と方法を得て言葉を覚えます。そして様々な時と場所と方法で相手にその言葉を伝えて暮らしているのです。言葉の豊かな人であっても、使う相手がその意味を知らないと「何ですかそれは?」なんて調子で相手に伝わらない言葉も沢山あるのです。別に難しい言葉を使わなくても日々の暮しは出来るのですが、せめて人間に生まれた以上豊かな言葉を持ち、豊かな言葉を持った相手と豊かな会話をしたいものです。
昨日の研修会には東京から来た講師がお話しをされ、発表や発言、司会や好評など様々な役割を果たされました。「いい話だった」と思う人、少し的が外れた話だったと思う人もいましたが、それは自分という物差しでの話での尺度ですが、少しだけ満足度が足りないような感じで、一日の最初は「男時」、一日の最後は「女時」のようでした。
「この言葉 何という意味 知らなんだ 六十二年も 生きてて未だ」
「昔人は 男女の差別 知る由も ないよな言葉 残せど風流」
「男時だと 知ってウキウキ 全て青 信号だって 青は男時」
「わが妻に 女時話して 目くじらを 立てられしもた 話すじゃなかった」