shin-1さんの日記

○シノブの緑

 わが家のわが書斎にははき出しの大きな窓があって、裏庭を見られるように工夫を凝らしています。そのはき出し窓には靴脱ぎのための平らな石が置いているため、朝な夕なの出入りは靴脱ぎ石に置いたスリッパでここを出入り口にしているのです。何年か前このスリッパの盗難騒ぎがあり、夜な夜な出没するハクビシンか狸の仕業ではないかというわが家のちょっとした騒動が持ち上がったことがありましたが、今はスリッパがなくなるでもなくこの出入り口を重宝して活用しているのです。最近は顔見知りの来客などはここに招いてはき出し窓に腰掛けて話すものですから、すっかり書斎兼居間兼応接室って感じで重宝しています。

 わが家の庭にも初夏の季節がやって来て、あちらこちらに草が生えだしそれはそれとして草引きが大変なのです。冷房などの設備もなく、僅かに厳寒の頃ストーブを入れる程度で季節を感じるようにしているため、窓越しに見える風景は私の暮しにゆとりと創造をかきたててくれるのです。

 秋の頃一度その見事な紅葉風景をブログで紹介した岩に張り付いたシノブは今、目にも鮮やかな緑の新芽を出して深山の風景を演出してくれています。このシノブは私がまだ公民館に勤めていた頃、わが町の背後に聳える黒山に入って採取してきたものの一部です。当時は職場で盆栽の趣味が盛んで、私も家の周りに所狭しと300鉢以上の盆栽を置いて楽しんでいました。朝夕の水やりや春先の植え替えなど、多忙な日々の合間を縫ってまるで流行り病のように盆栽に熱中しました。しかしその熱もまちづくりやボランティア活動に悩殺されていつの間にか一つまた一つと姿を消して、今では末の盆栽が僅かに残り、家の横にうず高く積まれた植木鉢に往時を偲ぶことが出来るのです。

 30歳の時アメリカへ行きましたが、妻へのハガキに「子ども三人元気に育てよ。庭の盆栽に朝晩水をやって枯らすな」と、「一筆啓上火の用心、お仙泣かすな馬肥やせ」と同じ?名文短文を送って失笑をかった記憶があるほどです。

 30年余りの時を越えて小さな一鉢がこんなに増殖したのですから驚きです。一部は友人に株分けし、切り取ってはそこここに植えているので、シノブはわが家の庭の代表選手のようにも見えます。殺風景だった庭石も春から夏にかけては緑の衣をまとい、秋には錦織なす衣に着替え、冬は鎧のような網目に変身するのです。通称軒シノブと呼んでいるこの植物は水をやる必要はなく木や石に縛り付けて置くだけで蔦のように岩にしっかりとしがみついて生きてゆくのです。その様子は耐え忍ぶようなのでシノブといわれるのかも知れないと勝手に解釈して、飽きることなく毎日眺めるのです。

 わが家にはもう一つこのシノブの親株があります。酒蔵の軒先に新酒が出来る頃吊り下げる杉玉とよく似た形状をしていますが、木炭をシュロの皮で包みその植えにシノブを這わせる要領でもう30年も前に作りました。あの頃と大きさも変らず杉玉ならぬシノブ玉として、夏の涼風を受け軒先で夏を演出してくれています。今年も私にとって62回目の夏がやって来ました。来年も元気でシノブの夏姿を見たいものです。

  「拳ほど 小さきシノブ 株分けし そこここ軒で 夏を演じる 」

  「裏庭に 緑の衣 まとい石 お見事ですね 褒めて帰りぬ」

  「雨もよし 晴れた日もよし 軒シノブ 深山幽景 細めた目には」

  「窓越しに 見える夕暮れ 夏景色 零れ灯少し 緑薄くし」 

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