shin-1さんの日記

○世界一のホタテ貝を食べる

 昨晩わが家は凄いご馳走でした。外出先から帰ってみると一個の宅配便が届いていました。送り主の住所と名前を見て納得というよりは有難いと思いました。先日まで4日間北海道に出かけていましたが、講演の行く先々で親しい人がどんどん増えて、色々なお土産をいただきました。ワカサギの佃煮やサケの加工品、中には自分が作詞をしたというカセットテープなどその中身は様々で、あらためて女性の人のきめ細やかな配慮に感心しているのです。

 講演が終わって佐呂間町の方々を交えたお茶会が開かれました。講演二日目は夜の集会だったためホテルへ帰ったのは午後9時です。それからのお茶会なので①時間余りの短い時間でしたが、私の本の注文などの取りまとめなどをして集合写真を撮り握手をして、雪道をそれぞれの家路に急いだようです。

 帰り際佐呂間町の船木さんがいつも送ってくれる立派なホタテ貝の話になりました。今の佐呂間町はオホーツク海も佐呂間湖も氷に閉ざされているためホタテは氷の下なのです。その時同席した一人の女性が「少しだったらあるから送ってあげる」と名乗り出ました。いくら船木さんを知っているからといってもほ耐えを送ってもらう訳にはいかないと思いながら帰ってきました。そして昨日思いもかけないホタテ貝が宅配便で送られてきたのです。


 その人の名前は井田貴子さんでした。宅配便の荷物の中には綺麗な字のお手紙が添えられていました。

 「時季はずれということもあって、わずかなホタテです申し訳ありませんがご賞味ください」と書かれたその後に「私の愛する夫の養殖ホタテは世界一と思っています」と書かれているのです。いやあ驚きました世界一だと胸を張るのですから・・・・・。そして「一緒に入れたホタテガイの稚貝の佃煮は私たち佐呂間漁協女性部のオリジナル手作りのものです。合わせて召し上がってみてください」と書き添えられていました。

 さあそれからが大変です。妻と二人で焼いたり刺身にしたり、バター炒めにしたりと、香ばしい香りに食欲をそそがれながら妻の料理を手伝ったのです。

 さあ食べようと口に入れて食事を始めていると、期せずして井田さんから電話がかかってきました。私が夕方お礼の電話をかけた時は貴子さんはあいにく留守でした。電話に出た息子さんに伝言していましたが、帰るのは8時過ぎだと伺っていたのです。

 世界一のホタテ貝を食べながらその模様をまるで実況放送のように伝えましたが、さすが本場のホタテ貝です。ご飯のお代りをして少々食べ過ぎてしまいました。妻いわく「お父さんは幸せ者だね」です。「違う違う、私のお陰でこんな美味しいものが食べれるお前が幸せ者だ」と笑いながら楽しい食卓は9時過ぎまで続きました。

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shin-1さんの日記

○ある若いお医者さんからのメール

 私のパソコンにはインターネットで毎日たくさんのEメールが送られてきます。先日のように北海道へ出かけていて4日間も家を留守にすると、帰宅後メールを開けるのが何だか憂鬱になるほど未読のメールが軒を連ねて出てくるのです。それでも最近は迷惑メールと必要メールに大まか分けられてフォルダボックスに入るので、迷惑メールは日の目を見ないまま消去され随分助かります。それでも年輪塾をネットや燃える人ネットなど、身近な全員配信メールも多くその分類作業も時間的にはかなりの量のようです。でもネット時代に生きているのですからこれぐらいな作業は当然と考えると、我慢術より楽しむ術の方に軍配が上がるのです。しかし時には大切なメールが迷惑メールに交じって消されてみたりの小さなトラブルは絶えないのです。

 先日年輪塾ネットの書き込みについて、立ち上げからかかわって運営している清水さんから、少し辛口なご指導があって、みんな何気なくやっていたメールのやり取りを立ち止まって考える良い機会となったようです。パソコンのイロハを知らない私は、まるでいいとこ取りのような形のメール利用をしていますが、デジタルといえどアナログなハガキのように大切に扱うことを君に命じました。

 

 そんなメールに交じって心温まる一通のメールが届きました。先日の夜、ある病院の顔見知りの看護師長さんから頼まれて病院の職員さんにお話しに行きました。会場には沢山の参加者がいましたが、同じような看護服を着ているので、どの人がお医者さんでどの人が看護師なのか分からず、一ぱからげた話をしました。会場の雰囲気は最初「どんな人がどんな話をするのかな?」という不安がよぎって少し硬めでした。しかしその硬さもいつの間にか取れて、最後は質問まで出る賑やかな講演会となりました。講演が終わって帰り際には看護師長さんに加え女性の病院長までもが玄関まで送っていただき、恐縮しつつもほのぼのとした気持で夜の道を帰郷しました。明くる日その病院から3通のメールが届きました。看護師長さんからのお礼のメールと後の2通は若い女性職員と若いお医者さんからでした。

 メールを使えるようになって何年かが経ちましたが、これまでお医者さんからメールが届いたことはないので、一瞬驚きました。と同時に嬉しい出来事なので返信メールを送り、昨晩ハガキをしたため今日投函する予定です。

 そのメールによると私の印象を、「会場に入って来られた時は小柄だな~という印象でした」と述べています。そして「講演が終わった後はなんて大きな人だろうという印象に変っておりました」と書いてくれました。それはお世辞だと分かっていても、一方で決してお世辞ではないと思いつつ、メールの持つ意味を考えました。講演などで人の前に立つ機会が多い私ですが、このお医者さんが書かれた講演前と講演後の印象の違いこそ私が目指している講演の姿なのです。

 多分私は他の講師のように「○○大学を優秀な成績でご卒業され」という学歴もないため、普通の田舎のおじさんに見られることが多いのです。でも私には学習歴や実践歴は沢山あって話のネタは心のポケットにたくさん詰まっているのです。フィーリングが合えば私の話も医療現場にだって応用できるのです。

 「にこ・ぴん・ころの話、潜在能力の話、幸せの話、変えていいもの、いけないものの話、どれをとっても印象深い話でした」と批評してくれました。始めてお医者さんから頂いたメールは、ひょっとしたら私をレントゲンされたのかも知れないと思うのです。人間の心の動きはレントゲンでも名医でも中々見抜くことはできませんが、せめて医療現場に生きる人たちは、患者さんに対して役職や名刺などでその人の偉さを判断せず、一人の人間として向き合って欲しいと思いました。メールをいただいた若い医師のいるこの病院は少なくともそのことができる病院だと思いました。

  「第一の 印象小さく 見えた言う 講演終わり 大きく見えた」

  「人を知り 人から話 頼まれて 人に話すが 人は変わらぬ」

  「お医者さん 相手に話す 度胸持ち 呼ばれた先で 今日も講演」

  「若い医者 メールいただく 嬉しさに 涙出るほど 嬉しくなって」

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shin-1さんの日記

美幌町去り難し②(四国から春色の風の便り)

 四国から春色の風の便りを北国の皆さんに心をこめて送ります。

若松進一ブログ (黄色く染まって満開が近いことを告げるように咲き誇るJR予讃線沿いの菜の花畑)
若松進一ブログ (中学校の校庭には一足早い桜がピンクの色も艶やかに咲いています)

 「美幌町去り難し②」とテーマを書いたのに、いきなり二枚の花の写真が登場しました。一枚目の写真は、一昨日わが町へ視察研修にやってきた筑波大学大学院生加藤つむぎさんを案内した折撮影した、町内閏住の菜の花畑です。二枚目の写真はこれも一昨日夜地元上灘中学校の評価委員会に出席した際帰りに気がついて撮った校庭の彼岸さくらです。

 雪に閉ざされたモノクロ写真のような風景の美幌町の皆さんにささやかながら一足早い春の足音をお届けしようと用意しました。下の写真は白鳥公園で撮った雪国ならではの動きのある写真です。「狭い日本」というけれど、やはり日本も北と南西ではこんなに差があるのです。

若松進一ブログ (白鳥公園の野鳥はやがて雪解けとともに更に北を目指すのでしょう)

 全ての日程を終え、私は美幌を後にしました。飛行場には女性の集いに参加した方々や教育講演会に参加した方々、またわざわざサロマから船木さんたちも駆けつけて盛大な見送りをしていただきました。船木さんたちは前回紋別での管内社会教育研究大会の折にもオホーツク空港へ見送りに来てもらい、飛行場の屋上から盛んに手を振って見送る姿がとても印象的な光景として今も目に焼き付いているのです。空港で写真を撮りましたが何故か私の木になるカバンを松本所長さんが持っていて驚きました。

若松進一ブログ(写真を撮っていただいた小池さんを復縁ると9人もの人が見送ってくれたのです。大感激でした)

 今回は主催者側で航空券のチケットを手配してくれたため、帰りは羽田ではなく中部空港経由でした。晴れの北国から雨の四国へと乗り継いだ飛行機は、夕日に照らされ、プロめら木ということもあってとても印象的でした。夕日に照らされて舞うプロペラを窓越しに眺めながら4日間の思い出に浸りました。訪ねた場所、出会った人々、そして懐かしい人との再会などなどが浮かんでは消えて行きました。

若松進一ブログ(私が乗ったプロペラの飛行機)
若松進一ブログ(プロペラを照らす2月24日の夕日)

 飛行機は約10分遅れで松山空港に到着しました。普通は機内に持ち込むはずの荷物ですが、この日は女満別で預けました。地方空港なので荷物は直ぐに出てきました。到着ロビーには妻が迎えに来てくれていました。「お父さん寒かったでしょう」「流氷が見えて良かったね」と矢継ぎ早の質問が家へ帰るまで延々続きましたが、普通は無口な私も久しぶりに饒舌になって北海道の思い出を話してやりました。妻は過去2度も流氷観光にアタックしながら涙を飲んだ苦い経験を持っているのです。毎日家を留守にする私ですが、最近は長くても殆ど一泊二日程度です。今回は4日間という長旅だったので久しぶりに帰ったという実感です。

 旅の思い出はメモをしておかないと忘れてしまい忘却の彼方に消えてしまうものです。幸いブログという優れ物を持っているので、デジカメの100枚を超える写真の中から何点かを選んでブログに載せました。美幌町での思い出は電子文字としてパソコンに記憶させ、プリントアウトして人間牧場の書棚の片隅に置枯れる予定です。

  「双発の プロペラ夕日 染め沈む 雲の上から 印象的に」

  「飛行場 見送る友を 見送りて 飛行機雲間 ふる里目指す」

  「二十度も 差のある気温 迎えたり 妻の笑顔に 疲れ忘れて」

  「四日間 留守したわが家 懐かしく あれこれ話す 土産の替わり」

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shin-1さんの日記

○美幌町去り難し①(北海道の自然と人情に大感激)

 北海道4日間の旅は飛行機便欠航というアクシデントに見舞われ結局3日間となりましたが、私にとってはこれまでのどの北海道訪問にも勝るとも劣らない、忘れられない思い出の一ページとなりました。マイナス10度という外気温体験と流氷体験はその最たるものでしたが、それと同時に美幌町で出会った北国の人の温かい人情と、美幌町の冬の飾らない光景でした。

若松進一ブログ

 この写真の風景は北海道を観光した人なら見覚えのあるアングルだと思うのですが、美幌峠から見える完全結氷間近な屈斜路湖の姿です。全ての仕事を終って北海道を去る日の午前中、松本所長さんと小池さんは私をこの絶景スポットへ案内してくれました。弟子屈町との境に位置する美幌峠までは町内移動といってもさすが北海道だけあって、中心地から25キロ以上もあるのです。この日は風もなくマイナス10度の冷え切った外気で降り積もったパウダーのようなきめの細かい雪が太陽の光にあたってキラキラと輝いていました。美幌峠からは360度の視界が雄大に開け、どこを切り取っても絵になるほどの光景で、遥か遠く大雪山の山並みまでも遠望できました。松本所長さんは指さしながらあれは摩周岳、あれは蝦夷富士などと説明してくれるのですが、美幌峠から見える景色の余りの美しさに見とれて上の空といった感じでした。

若松進一ブログ

 美幌峠のスポットにはご存じ美空ひばりが歌った「美幌峠」という歌の歌碑が建っていました。傍に置かれている小さなスピーカーからは美空ひばりの歌う歌が控え目に流されて、知らない歌ながら歌碑に刻まれた歌詞を目でなぞりながら口ずさんでみました。松本所長さんが「今度来る時はこの歌をハーモニカで吹けるようにして下さい」と依頼されましたが、はてできるかどうか楽しみです。

若松進一ブログ (松本所長さんと歌碑の前で記念撮影しました)

 美幌峠のレストハウスの中で一服休憩をしました。小池さんがジャガイモの塩ゆでにしたものに衣をつけて揚げている小型爆弾のようなものを買ってきました。串に刺した2個を一個ずつにして食べましたが、「北あかり」という品種らしく、とても美味しい味でした。ふと40年も前に尋ねた弟子屈青年の家での地元せ因縁との交流会で食べた塩茹でジャガイモを思い出しました。あの頃の私は若さに燃えていて、北海道を巡る国内研修団の班長として他の仲間とともにオンネトー青年の家や大雪山青年の家を渡り歩いて武者修行をしていました。当時弟子屈青年の家は麦ごはんだったことを覚えています。


 「若松さん珍しい所へお連れしましょう」と向かったのは山の中でした。夏の間に牛を放牧するという放牧場でした。道沿いは深い雪に覆われ、除雪車が除雪した道は1メートルを超すような雪の壁ができていました。

若松進一ブログ

 大平原の向こうに見たこともないような大型のサイロが3基雪の中に立っていました。サイロの向こうに人の気配を感じながらUターンして引き返しましたが、若草燃える初夏のころの雄大な姿を連想しながら車から降りて写真を撮ってもらいました。観光で来ればこんな場所へ踏み入れることは絶対にないと思いつつ、案内してもらったお二人に感謝しました。

若松進一ブログ

 松本所長さんは来年一年で退職と伺いました。社会教育でもうひと花咲かせたいという思いが強く、商店街の店舗を利用した展示や学習成果物の即売などについても一案があるようで、是非実現して欲しいものです。

 最近は社会教育にかかわるやる気のある人に中々出会わなくなりましたが、社会教育もまちづくりも何よりも優先するのは夢を持ったやる気と行動力です。お二人のこれからの活躍を遠い四国から見守りたいと思っています。


  「町内の 雪道走り あれこれと 夢を聞きつつ やる気感じて」

  「ジャガイモを 食べつつ昔 思い出す 青年の家 今はいずこに」

  「色黒が さらに雪焼け 色黒く 写真に写りし わが顔黒く」

  「雪魅力 南国人は 言うけれど 雪国荷物 除雪費かさむ」

 

 

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shin-1さんの日記

○その名も網走番外地

若松進一ブログ(橋を渡るとそこは刑務所、見返橋は受刑者の人生の悲喜こもごもを幾つ記憶しているのでしょうか)

 昔映画で高倉健さんが「網走番外地」という歌を歌って、網走はすっかり有名になりました。しかしよくよく考えれば網走番外地というのは網走刑務所のことなのです。私たちはそんなことも余り知らずに、ただ網走観光地の一つくらいにしか考えていませんでした。でも今回古い網走刑務所を保存目的で移築した網走監獄というミュージアムを見学して、そんな甘い考えを払しょくしたのです。

 流氷見学の予約時間までの寸暇を惜しんで、松本所長さんと小池さんの二人に案内してもらった監獄ミュージアムは驚きの連続でした。

若松進一ブログ (本物の刑務所入口を移築再現していました。顔つきの悪い私ですから、本物の受刑者と間違われそうです)

 橋を渡り、網走刑務所という看板のかかった門をくぐると、広い園内には順路に沿ってそこここ監獄といわれる昔の過酷で厳しい時代の姿が垣間見えるように配置されていました。昔はムシロの上に囚人服一枚で毛布をかぶって寝るという劣悪な生活環境があったようで、家の中へ入ると蝋人形が幾つも横たわっていて、当時の姿を再現していました。いやあそのリアルな表現に驚きました。外の寒さが堪えるこの時期ゆえの疑似体験のようでした。

若松進一ブログ (昔の寝室の様子を再現したリアルな蝋人形)
若松進一ブログ (移築された監獄は看守室から一望できるよう放射状に5つの牢獄が整然と並んでいました)

若松進一ブログ (牢獄や独房も昔のまま再現されていました。今は犯罪を犯したといえども人権を尊重しなければならないので、こんな劣悪な環境ではないそうです)

若松進一ブログ (当時の共同浴場の様子も再現されていました。わずか15分の間に看守付きで入浴する刺青姿の蝋人形の後ろ姿に、寂しさとホッとしている様子がうかがえるようでした)
若松進一ブログ (仏式祭檀を祀った講堂は洋風の立派な建物でした。ここで受刑者たちは束の間の娯楽を楽しんだしことでしょう)

 私たちは不幸にも過ちを犯して塀の向こうで暮らしている人のことは、映画やテレビで擬似的にしか見聞きすることはできません。故にあの有名な網走刑務所もそこにあるという事実だけで番外なのです。最近は昔と違って受刑者の犯罪も多岐におよび、刑務所は満杯だと聞きました。また受刑者の権利も私たちと同様に認められ、更生自立に向けた様々な訓練が行われていると聞きました。また最近は刑務所そのものの運営を民間に託する動きもあるようですが、いずれも法務行政という厚いベールに覆われて私たちは知る由もないのです。でも安心安全な日々の暮らしをかく乱したりするような行為を、この世の中からなくしていかなければならないことも事実です。更生保護女性部の活動が身近に存在したり、私の従弟も刑務官であったり、またわが息子も警察官であったりするするため、今回の網走監獄ミュージアムの見学は大きなインパクトを与えてくれました。


  「刑務所が ミュージアムになる 時代です 本質見つめ まざまざ見入る」

  「人権を 無視した時代 寒かろう ムシロの上に 毛布一枚」

  「強がって 入れた刺青 風呂場でも やはり顔効く 道具のひとつ」

  「番外地 ここは今でも 別世界 何を思って 冬を越すのか」

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shin-1さんの日記

○念願の流氷に出会って感激

 今回北海道での講演依頼がサロマの親友船木さんを仲介して舞い込んだとき、私の日程表のその日は既に別の予定が入っていました。しかし冬のこのチャンスを逃せば、兼ねて念願の流氷に巡り合うことはないだろうと、予約相手に懇願して日程をずらしてもらった経緯があるので、美幌町での講演が決まってからはその楽しみが日増しに募っていました。しかし今年は流氷接岸という朗報は中々入らず、小池さんから一報が届いたのは2日前でした。今年は北風が吹かず、ロシアのアムール川から流れ出た流氷が、オホーツクの海を約1000キロも旅して網走沿岸に接岸したのは観測史上2番目に遅かったと報じられていました。でも途中のプロセスがどうであれ、やっと念願の流氷に巡り合えるのですから、その日は多少興奮して朝を迎えたのです。

 小池さんにお願いして北国にはなくてはならない滑り止めのついた長靴をはいて松本所長さんと小池さんの案内で約1時間の道のりを網走市内まで行きました。途中ホテルでオホーツクカレーという白い色をした話題のカレーを御馳走になりましたが、中々面白いアイデアに感心しました。

若松進一ブログ(砕氷船おーろら号)

 船着場には流氷見学を待ちわびたように次々と流氷見学のバスがやってきて、特に韓国からのお客さんが多くて、大きな声で話し合うものですから船の中はまるで蜂の巣をつついたようなにぎやかさでした。私たちもその人たちに交じっておーろら号に乗船しました。港の中の水面には流氷のできる過程が分かるハス状の氷の赤ちゃんが幾つも浮かんでいました。やがて船が港の灯台辺りに近付くと埋め尽くされた流氷に行く手を阻まれましたが、さすが自慢の砕氷船だけあって、鈍い音を立てながら氷を砕いて沖合へと進んで行きました。

 乗客はこの模様を近くで見ようとデッキに出て盛んにシャッターを押していました。

若松進一ブログ(厚さ1メートルもあるこんな大きな氷を割って進むのです)

 船内の放送で船のすぐ近くにオジロワシがいることを教えてくれました。残念ながらアザラシなどは見えませんでしたが、オジロワシを間近に見えてラッキーでした。

若松進一ブログ(すぐ近くの流氷の上にとまって様子をうかがうオジロワシ)

若松進一ブログ(所長さんと寒いデッキでのツーショット)

若松進一ブログ(おーろら号は2隻で運航していて、沖合いには先発のおーろら2号流氷の中を静かに進んでいました)

 おーろら号による流氷体験は僅か1時間程度でしたが、大きなうねりの中で揺れ動く流氷は圧巻で、妻からかかってきた携帯電話を使い、まるで実況中継のような形で興奮冷めやらぬ声を聞かせてやりました。妻は流氷体験のツアーに2度もきているのに2度とも陸地から離れた流氷を見た程度だったので残念がっていました。

 下船後流氷の上に直接乗るため車で沿岸を走りました。列車で流氷を見学するノロッコ号が並んで走っていましたが、人の姿はまばらでした。

若松進一ブログ(オホーツクの海を埋め尽くした真っ白な流氷)
若松進一ブログ(大きな流氷の塊の上で所長さんと記念写真です)
若松進一ブログ(私も感動の余りにこんなポーズをとってしまいました)

 その後近くの川の河口付近にある白鳥公園へ白鳥を見に行きました。白鳥に交じってカモやカモメが観光客が与えるパンくず餌をもらおうと沢山集まっていましたが、動作の鈍い大型の白鳥は、カモやカモメにちゃっかり奪われて中々餌にありつけないようで、まるで人間の世界を垣間見るようでした。

若松進一ブログ(野鳥が群がっていました)
若松進一ブログ(白い雪原の上で餌をついばむ白鳥)

 やっと長年の夢がかなって流氷体験ができました。私はこの日まで流氷は海の水が凍ってできるものとばかり
思っていましたが、流氷は食べてみましたが真水でできているのです。少し塩味がするのは海を流れてくる間に空気の気泡の中に海水が閉じ込められるからだと所長さんに教わりました。子どものころ流氷のことを教科書で習いました。ロシアのアムール川が何処にあるのか世界地図で調べた思い出ももう彼方に消えて行きましたが、それにしても不思議な自然現象です。

 前回紋別にあるオホーツク空港に降り立った時は初秋でした。紋別には流氷博物館があって流氷が一年中見えるようになっていて保存している流氷を見たりマイナス15度の世界も体験しましたが、これはあくまでも疑似体験でしたから、今回の本物体験には残念ながらかなわないのです。紋別で見たガリンコ号も今頃はわが意を得たりと活躍していることでしょう。

  「念願の 流氷体験 感動し 思わず写真 ポーズとる俺」

  「流氷を ガイドがついて 見学す 知らないことを 沢山学ぶ」

  「カモ・カモメ お株奪って 白鳥の 餌を横取り 誰かに似てる?」

  「千キロの 長い旅路を 経た流氷 お疲れさまと 声をかけやる」 

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shin-1さんの日記

○二回目の講演会

 今回の北海道美幌町では、前日に引き続き夜の7時から美幌町マナビティーセンター大研修室において美幌町教育講演会を開いていただきました。50人ほどのこじんまりした会だと伺っていましたが、雪の中にもかかわらず80人近くの人が集まってくれました。急な思いつきで最初に講演に来た人に私の持参したDVDを見せて会場を和ませました。参加者に手を挙げてもらったところ、10人近くが前日、女性の集いに参加して私の話を聞いていたようなので、これは大変とばかりに、内容をそっくり入れ替えることにしました。とっさのことなので果たして私の話は皆さんに通じたかどうかは不明です。でもシリーズのように二日間の話を聞かれた方々にとっては良かったのではないかと思うのです。

 私の話は今回も本当なら2時間以上の話をまるで早送りのビデオのように、できるだけ早い口調で話しました。直感として学習歴を積んでいる方々の参加だからと思ったからです。その場のインスピレーションで直感的に、レジメも用意せず話す私ですから、どんな話を話したのかはもう過去のことなので忘れましたが、社会教育関係者、青少年健全育成関係者の集まりなので、それなりの話をしたように思うのです。

若松進一ブログ

 研修会には近隣市町村からも参加者があって、船木さん率いる寒気団も何人か参加していただき、講演終了後ホテルでお茶会が持たれました。遠方から来たり、飲酒運転もできないことからお菓子とお茶だけの交流で、少し不満な人もいたかもしれませんが、酒を飲まない私にとっては楽しいものでした。かつては「酒も飲まずに社会教育やまちづくりは語れない」と言っていたのに、酒を飲まなくなった今は「酒を飲まないと語れないような社会教育やまちづくりはおかしい」などと、勝手な言い分をつけている私なのです。(笑い)

 北の国の人々にとって氷点下10度を下回る冬の厳しい自然の中での暮らしや活動は、もうすでに菜の花が満開の私たち南西国の人間にとっては理解し難い部分がいっぱいあります。でも私たち以上に春を待つ気持ちや人をいつくしむ心は旺盛で、今回の美幌での多くの人との出会いでも随分と温かい心に触れさせていただき、人間が人間として生きる意味を教えられたような気がするのです。


 この日わが家に鹿児島県奄美大島瀬戸内町の重村さんから電話がかかり、対応に出た妻が「主人は北海道に出かけています」と答えると様々な思い出話をしたそうです。ひょんなことで彼ら青年と知り合い、私は寅さんシリーズの舞台となったリリーの島(浅丘ルリ子出演)といわれる加ヶ呂間島に講演に招かれました。10数人の瀬戸内町の青年は私の話に刺激を受けて双海町へ視察研修にやってきました。勿論わが家でもお酒を大いに飲み、出産のために帰郷していた娘の出産と重なったため気をもみましたが、今は懐かしい思い出です。

 重村さんは全国アマチュア相撲選手権で横綱となった立派な体格の持ち主で、現在は瀬戸内町の役場で観光の仕事をしているそうです。妻から私の電話番号を聞き出し北海道の自分の所までわざわざ電話をかけてくれましたが、夕日の美しいことを観光の目玉にしようと夕陽百選を狙っているそうですが、その選定作業を進める全国夕陽の会というNPOの理事長もしている私にどうしても一肌脱いでほしいといういう話のようです。

 北の北海道と南の奄美大島とはこれまた凄い距離的開きがあって、思わず縁の深さに唸ってしまいました。縁を結ぶのも私の仕事ですから、美幌をキーにして様々な出会いの場を作りたいと思っています。


  「北国へ かかった電話 奄美から 便利世の中 大したものだ」

  「二度目人 前に話を すり替える 果たして上手く 話せたどうか」

  「小池さん 重村さんも ゼロ一トン 二人重ねて 奇遇楽しむ」

  「厳しさが 故に春待つ 夢太く 見習うことの 大きい旅路」  


 

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shin-1さんの日記

○グランドホテル界隈で楽しい交流

 主催者kら宿舎に用意していただいたのは美幌唯一のグランドホテルでした。ボーリング場も併設している立派なホテルで、2泊もさせてもらうのですから嬉しい限りでした。

若松進一ブログ (ホテルの玄関)
若松進一ブログ (玄関先には除雪した雪がうず高く積まれていました)

 講演と余興鑑賞が終わってホテルへ戻り、ご配慮で一服しました。長旅の疲れもなくホテルの外に出て、余り経験したことのない氷点下の街中を少し歩きました。北海道の家の中は暖房が完備しているため、飛行機、車、ホテルと暖房された場所だけを移動していたので、それほど寒さを感じませんでしたが、やはり外気温の冷たさは体に染みるようでした。明日の朝は早く起きて、氷点下10度を経験してみたいと思いながら早々と引き上げてきましたが、大通りの道沿いには除雪作業でうず高く積まれた雪が山のようになっていて、車道と歩道を分離していました。時折行き交う車は北国らしくアイスバーンもなんのその、雪のないわたしたちの町と何ら変わらないスピードで走っており、見ている方がひやひやです。

若松進一ブログ (ホテルの窓から見える雪に覆われた美幌の街並み)
若松進一ブログ (若者たちと一緒に雪上サッカーをしました)

 ホテル自室の窓から見える光景も白一色でまるで白黒の写真を見ているようでした。ホテルの裏の空き地では若者たちが雪の上でサッカーに講じていましたが、楽しい歓声ににつられて私も再び戸外へ出てその若者の輪の中に入ってボールをけらせていただきましたが、突如として目の前に現れた革靴姿の奇妙な四国の珍客に、みんな目を丸くして見守ってくれました。

 夜6時過ぎから主だった社会教育関係者がホテルの一室に集まり、交歓交流会を持っていただきました。僅か3時間前に私の講演を聞いた人たちは、私の講演について、残念ながら聞かなかった人に楽しく解説をしてくれました。今は私も僅かな社会教育関係者(愛媛県公民館連合会専門委員)程度ですが、長年社会教育に携わってきたので、気心や想いの高さも分かっていて直ぐに打ち解け深い話をさせてもらいました。

 飲むほどに士気も高まった頃、熊本に行っての帰りにわざわざ立ち寄ってくれた船木さんご一行が到着しました。船木さんは網走支庁管内では知らない人はいないくらい著名な寒気団という集団のリーダーなのです。今回の講演依頼も船木さんの仲立ちで実現しました。船木さんはこのホテルから1時間以上もかかるサロマで漁師をしている方なのですが、その縁もあるのでしょうか、まだ高知県馬路村での全国大会、紋別での社会教育研究大会と今回の三度しか会っていないのに、もう何十年も前から出会っているような不思議な魅力を持った方なのです。


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 社会教育も市町村合併が進み、あちらこちらで公民館や生涯学習センター、図書館、文化センターなどの施設の管理を、指定管理者制度を導入して、委託管理するなどこれまでの社会教育に逆行するような情勢があちらこちらで目に付きます。また財政難という理由で団体補助金が削減されたり、専任職員から嘱託職員になったり、行政が地域自治という名のもとに公民館を廃止して自治センターに改組する動きがあちらこちらで行われており、関係者の一人として危険な時代だと危惧しています。

 でもここに集まった人たちは全員ボランティア精神で社会教育を長年支えてきた心の温かい方々ばかりなのです。たぶんこの方々はこれからも社会教育ボランティアとしてそれぞれの団体や市町村で活躍することでしょうが、同じ穴のムジナとして頑張りたいものです。


  「キュッキュッと 鳴る足元の 雪踏んで 見知らぬ街を 少し散策」

  「サッカーの 輪の中入り 交歓す 革靴で蹴り 思わずスッテン」

  「志 同じ人ゆえ 打ち解けて あれやこれやと 自慢話を」

  「凍りつく 道など平気 びゅんびゅんと スピードあげて 車行き交う」

  

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shin-1さんの日記

○雪に埋もれた美幌町で講演をしました。

 日曜日の朝は羽田発時45分発の飛行機に乗るため、宿舎を早めに出て6時過ぎのモノレールで羽田に向かいました。天気予報では北海道の天気も回復し、青森や北海道では昨日の大荒れの天気で機体のやりくりがつかず欠航の便があるようでしたが、女満別へ向かう私の乗る予定の飛行機は予定通り定刻にしかも満席で羽田を飛び立ちました。途中仙台上空から岩手県上空を経て会場に出た飛行機は、不安定な気象条件なのか幾分揺れながら順調に飛行しました。幸い窓際の席を確保していたものですから、眼下には北上するにつれて雪の景色が広がり、どちらかというと南国育ちの私には雪の世界がとてつもなく新鮮で、胸の高鳴りを覚えました。

若松進一ブログ(上空から蝦夷富士を望む)
若松進一ブログ(上空から見える雪に覆われた北国)
若松進一ブログ(遥か彼方に流氷接岸のオホーツク海が見えました)

若松進一ブログ(女満別空港へ着陸寸前の飛行機の窓から見えた雪の平原)

 上空からは見覚えのある雄阿寒岳など雄大な北海道の大地がはっきりと見えて、苦労の末に来ただけあって嬉しさも格別です。着陸前に飛行機はオホーツク海側に出て大きく旋回しましたが、視界の彼方に接岸した流氷の姿を見て感激ました。やがて飛行機は女満別空港に到着し、マナビティセンターの松本所長さんと小池さんの出迎えを受けました。美幌峠で有名な美幌町は女満別空港の近くにあって便利な町です。この日から3日間を過ごすのですが、まずホテルにチェックインして休憩をとらせてもらい身支度を整えました。本当は午前中の講演の予定でしたが、前日の吹雪で準備が間に合わず、私の講演は予定を変更して12時45分からとなったそうです。お迎えが来て会場に入った時は町長さんのあいさつの途中で、私の紹介を織り交ぜて挨拶をしていただいていました。町長さんや皆さんと名刺交換しながら昼食弁当をご馳走になりましたが、参加者はこの悪天候で町中に雪の塊が幾つもできるほどの大雪にもかかわらず350人近くもいるということにまずびっくりしました。

若松進一ブログ
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 美幌町自治会連合会女性部会の手によって朝のうちに準備の整った美幌町コミュニティセンター大集会室での講演は、予定時間通りピッタリに行われました。「女性が輝くときまちが輝く」という演題で90分間の話をさせてもらいました。まあ凄い迫力で私の話を飲み込んでくれるものですから、私もその気になって思いきり話をさせてもらいました。これを阿吽の呼吸とでもいうのでしょうか。私の言葉は伊予の国の方言があるのですが、北国の人には聞きづらい点も多かったのに、反響抜群でした。その模様は明くる日の北海道新聞に私の顔写真入りで掲載されていて赤面の至りです。

 講演の後はそれぞれの地区や団体からの20組もの出し物が名を連ね、日本舞踊ありフラダンスあり、歌謡ショーあり、寸劇ありの楽しいひと時を過ごしました。その中に村田さんという人がハーモニカを披露しました。凄いテクニシャンでカセットテープに合わせて吹く技術は私など比ではありませんでした。それでもご指名されて私もハーモニカを団中で吹かせてもらいましたが汗顔の至りでした。

若松進一ブログ(フラダンスも素敵でした。
若松進一ブログ(ハーモニカを吹く村田さん、その技に驚きました)

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shin-1さんの日記

○北海道行き飛行機欠航足止め利用の東京散策

 2月21日土曜日、北海道を目指し4日間の旅に出ました。前の晩の天気予報や今回の旅を企画してくれた美幌町教育委員会社会教育主事小池さんとのやりとりで、北の大地は発達した低気圧の影響で大荒れに天気を予測していて、ひょっとしたら飛行機が欠航するかも知れないと思って、とりあえず送ってもらったチケットの指示通り、松山空港を出発したのです。松山空港では昨夜来の春の一日にし風もすっかりおさまり、好天気の中での出発でした。羽田に到着し乗継便の指示されたゲートへ行ってみましたが、担当者は気象調査中というだけで何の指示もないのです。やがて搭乗手続きの時間ころになって欠航という文字が表示されました。青森以北の空港は全て欠航ということなので仕方がないと思いつつどうしたものかと思案しましたが、小池さんと連絡を取りながらとりあえず不乗証明書の交付を受けること、明日の朝の一便の航空券を確保ること、宿泊場所を探す作業を始めました。ご存じのとおり羽田空港は第一ターミナルが日航、第二ターミナルが全日空とかなりの距離があるため、その都度地下道を行ったり来たりしながら足が棒になるほど歩きました。北海道へ行くのだからと妻の用意した少し厚着のためか緊張のためか、真冬で北の大地は猛吹雪だというのに、私は汗をだらだらかいてしまいました。それでも小池さんの機転でインターネットによるJAL1便の手配が出来、チケット発券場でとりあえずチケットだけは確保できてホッとしたのです。

 羽田は欠航の影響やキャンセル待ちの客でかなり混雑して、チケットも1時間半以上長蛇の列の中に身をゆだねて苦労の末のチケット確保でした。さあ次は宿の確保です。電車で品川まで行き駅周辺のホテルを探しましたが、土曜日と重なったため何処へ行っても満室で断られ、思い切って浜松町の駅周辺の宿を探しました。結局は6件目にしてやっと安住の宿を見つけることができました。普通だと思いきって別の場所へ移動するのですが、明くる日の飛行機が早朝7時45分出発のJAL便なのでモノレールに近い所に取れてここでもホッとしました。

 昔なら、また平日なら友人を誘って飲みに繰り出すところでしょうがあいにく土曜休日、また酒を飲めない私としてはそれもできず、夕暮れも迫ってきたので、ぶらり散歩を楽しみました。

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 最初に行ったのは芝の増上寺と東京タワーです。特に東京タワーは完成以来50年半世紀ということで、かなり宣伝されているようなので歩いて行きました。そんなことを反映してか多くの人がチケットを求めて並んでいました。さっきまでチケットを求めて並んだ悪夢頭にあって、登ことを諦め、猿の大道芸などや似顔絵描き、土産物などを見やりながら増上寺界隈を散歩しました。

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 私は海人なので海が大好きです。そこから東京湾の初芝桟橋まで歩きました。港はとても穏やかで、少し肌寒いものの客船が停泊し、遠くには東京湾にかかるブリッジも見えて長閑な雰囲気を味わうことができました。何年か前三宅島へ講演を頼まれて出かけた折はここから船に乗り込みました。あのとき出会った皆さんはその後元気で過ごしているのだろうかとふと思い出しながら物思いにふけりました。

 帰り際、いつも気になっていた恩賜公園が開門していたので、5時までで閉門を確認してチケットを買い求め中に入りました。この公園は島しょ部センターに泊まった折窓越しに見える公園で、いつかは訪ねたいと思っていたのでラッキーでした。園内は東京都心とは思えない静かさで別世界のようでした。梅の花も満開で公園の中の池には沢山の野鳥が羽根を休めていました。

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 飛行機欠航という思わぬハプニングに見舞われながらも災い転じて福となすような至福の時を過ごすことができました。明日は早立ちなので食事をした後早々宿に入り、風呂に入って久しぶりにに旅先でのんびりした時を過ごしました。

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