shin-1さんの日記

○久しぶりの大家族

 昨日今日は長女の家族4人、長男の家族3人、それに次男がわが家にやって来て、大賑わいの一日となりました。ありったけの布団を出し、どの部屋もまるでタコ部屋のように蒲団が敷きつめられ、この家の主たる私たち夫婦は隅の方で寝ているような感じです。子どもたちは朝が早く、私が起床する午前4時にはさすがにまだ起きてはいないのですが、午前6時前に起きては動きだし、朝から泣いたりわめいたりの1歳半の孫二人が殆ど主役の座を占めて、食事も孫二人を中心に行うのです。このブログでこれまで主役だった孫朋樹は早いもので6歳になり、4月からはいよいよピカピカの一年生なのですが、残念ながら二人の孫にお株を奪われてしまっているようです。

 それでも子どもの鳴き声が聞こえる家とはいいもので、どこか活気があって、私たちが若い頃はこんな風だったと、妻と二人で過ぎし日を述懐しました。それでも私はまだ孫を遊んでやる程度ですからまだしも、妻は4~5日前から布団を干したり掃除をしたり、また食料を調達したりと、土曜日や日曜日で休むはずの休日が骨が折れて、今晩も少し肩が凝ったといいながら二階のマッサージ器で揉んでいたようです。まあ今日はこれから風呂に入った後、マッサージのサービスでもしてやろうかと思っているのです。

 わが家の長男は設計の仕事をしています。ゆえに今は松山に住んでいますが、そろそろ同居をと昨年真剣に親子で話し、家の増改築まで考えていました。ところが長男の嫁に二人目の赤ちゃんが生まれることが分かり、その話は当分お預けといった感じになってしまいました。両方とを忘れたわけではありませんが、ことその5月に赤ちゃんが生まれれば、当分子育てのために、今のマンションに住むことになるのでしょう。

 妻の心配は、二世代同居になった時の住み分けです。お互いが不可侵の原則を貫きながらも、孫の面倒も見なければならず、嫁に来た時の気苦労を思うと手放しでは喜べず、年齢とともに衰えを感じている気力と体力がどこまで維持できるかということです。

 91歳になる親父は孫にあたる長男家族が帰る日を、折に触れ楽しみにしていることを口にして、「わしが元気なうちに帰って欲しい」というのです。どっちの言い分ももっともな話で、中に入った私と長男がそろそろ覚悟を決めて話さなければならないと思っているのです。幸い長男の嫁は同居に賛成をしていて、子育ての方針さえ決まれば問題は解決するのです。

 久しぶりに帰ってきた次男に「もうそろそろ」と結婚のことを投げかけてみました。次男は今年34歳になります。日赤の看護師をしていますが、女性の職場の真っただ中にいるだけに、女性に対して恐れをなしているのではないかと思ったりもしていますが、警察官をしている三男も30歳の大台に乗ったことでもあるので、親の気持ちとしては早く身を固めてほしいと願っています。

 世の中は中々思ったように順風漫歩で進むものではありません。心配の種は幾つになってもあるもので、退職して早4年が来ようとしているのに一向に悩みは尽きないのです。それでも世の中不景気だといいながら、家族みんな息災で元気に働いているようなので、ひとまず安心をしているところです。

 老いの道が少し気になり始める年ごろとなりました。同年代の人に出会う度に、年金のこと、孫のこと、自分の老後のこと、働く場所がないこと、病気のことなどなど、呑み会でも風呂屋でも、また同級会でもそんな話しか話題に上らなくなりつつあります。ふと気がつくとその端の方に自分の姿が垣間見えるのです。これが世の中、人生かと思う今日この頃です。


  「会う度に 年金病気 孫のこと 耳にするから 俺も歳かな」

  「孫が来た 孫が帰った 二日間 鳴き声聞こえ 疲労困憊」

  「大好きと キッスサービス 孫二人 ハナとヨダレが べっとりついて」

  「疲れたね 妻の言葉に 俺同調 マッサージする 妻のやわ肌」 

  

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shin-1さんの日記

○大和ミュージアムを訪ねて

 昨日は広島県呉市大和ミュージアムで広島広域都市圏形成懇談会主催のフォーラムがあり、早朝より出かけました。立春を過ぎたとはいえ、まだ冬真っただ中のはずなのに、昨日はポカポカ陽気で瀬戸内の海も穏やかに凪いで、松山観光港から約1時間の高速船の船旅は、眠気を催すほど快適でした。

 普通は二便に一便の割合で広島宇品港までの途中寄港地ながら、殆ど降りることもなく通過する呉港ですが、昨日は数少ない昇降客と一緒に呉の港に降り立ちました。港には恐縮ながら主催者の皆さんがお出迎えをしていただき、早速DVDの入力状況や出力タイミングなど簡単な打ち合わせを行い、念願の大和ミュージアムを見学させていただきました。

若松進一ブログ (カメラを忘れたため、いただいたパンフレットより展示されてる戦艦大和の雄姿を転載)

 一度は訪ねたいと思っていた施設なのに、中々機会に恵まれていませんでしたが、念願かなっての見学です。しかし残念なことにデジカメを忘れて出かけたため、その全容と感想は紹介できず終いになりそうです。大和ミュージアムは開館以来大変な人気で、年間100万人を超える入場者があるそうす。昨日は土曜日といいながらかなりの人が見学に訪れていました。ボランティアガイドさんの案内でそれぞれのブースを見学しましたが、圧巻は一階に展示している2億円をかけて製作したという戦艦大和の10分の1の模型です。これはド迫力で度肝を抜かれました。戦争という比較的近代の、しかも日本中が巻き込まれた多くの悲劇を、平和への願いを込めて展示している内容は、いつまで見ても、いつまで聞いても飽きないほどの充実ぶりで、もう一度ゆっくりと見学したいと思いながら、駆け足で話を聞きました。

 フォーラムは講演・発表・対話の三本立てで、私の仕事は「すすめよう 協働のまちづくり」というテーマでの講演と、発表に対しるコメントそれに対話への対応でした。午後の5時までびっちり集会に絡みましたが、協働のまちづくりを①ローカルコミュニティ(住んでいる地域を住んでいる人が協働で自立的に守る)⇒求心力のまちづくり⇒虫の目的なまちづくり、②テーマコミュニティ(住んでいる地域と住んでいる地域が共通のテーマのもと協働でネットワーク的に守る)⇒遠心力的まちづくり⇒鳥の目的なまちづくりとの視点で、主にテーマコミュニティについて話しました。

 地域振興、産業振興、観光振興、森林・河川・海の保全、福祉に充実、教育文化の振興などなど、人々の暮らしの広域化の中で、広域行政と協働のまちづくりはこれから益々大切なテーマになって来るものと思われます。平成の大合併で市町村域が拡大し、市町村の中でのネットワーク、近隣市町村とのネットワークなどテーマコミュニティにおける協働のまちづくりは、どこかがしっかりとシグナルを出ししかけてゆかねば他人事となってしまう恐れがあるのです。そのためには何といってもそれぞれが地域が個性を発揮して輝かなければならないのです。

 ①フォレストサポートクラブ、②田舎暮らしを楽しむ会、③くれシェンドの発表は中々のものでした。また対話集会も1時間の時間が短すぎるほど参加者から沢山の意見が出ました。私にとっては初めて聞くような話もあってとてもいい活動が広域圏の水面下で行われているようで頼もしく思いました。

 どの町でも港周辺は何となくさびれを感じるものですが、呉は港周辺に大和ミュージアムという拠点施設ができたお陰で、随分活性化しているように見えます。過去には戦争という歴史の中心地だっただけに、イデオロギーの問題もあってどちらかというと沈黙を続けなければならない運命にあったようです。でも今こそ平和の祈りをこめて戦争の愚かさを後世に伝える大切な役割を果たして行かなければならないと思うのです。

 「広島広域都市圏まちづくりフォーラムin呉」に参加して、これからの協働によるづくりを考えさせられたことに加え、昨日は64歳という私の歳がそうするのか、戦争や戦後について考えさせられた充実した1日でした。


  「訪ねたい 念願かない ミュージアム 戦艦大和 さすがにでかい」

  「戦争は 愚かなことと 語り継ぐ ガイドの声が あちこち交差」  

  「目頭を 押さえたたずむ 老婆あり 人生重ね 感極まりて」

  「名を聞けば 大和魂 浮かぶ俺 戦争語る こともできずに」


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