shin-1さんの日記

美幌町去り難し②(四国から春色の風の便り)

 四国から春色の風の便りを北国の皆さんに心をこめて送ります。

若松進一ブログ (黄色く染まって満開が近いことを告げるように咲き誇るJR予讃線沿いの菜の花畑)
若松進一ブログ (中学校の校庭には一足早い桜がピンクの色も艶やかに咲いています)

 「美幌町去り難し②」とテーマを書いたのに、いきなり二枚の花の写真が登場しました。一枚目の写真は、一昨日わが町へ視察研修にやってきた筑波大学大学院生加藤つむぎさんを案内した折撮影した、町内閏住の菜の花畑です。二枚目の写真はこれも一昨日夜地元上灘中学校の評価委員会に出席した際帰りに気がついて撮った校庭の彼岸さくらです。

 雪に閉ざされたモノクロ写真のような風景の美幌町の皆さんにささやかながら一足早い春の足音をお届けしようと用意しました。下の写真は白鳥公園で撮った雪国ならではの動きのある写真です。「狭い日本」というけれど、やはり日本も北と南西ではこんなに差があるのです。

若松進一ブログ (白鳥公園の野鳥はやがて雪解けとともに更に北を目指すのでしょう)

 全ての日程を終え、私は美幌を後にしました。飛行場には女性の集いに参加した方々や教育講演会に参加した方々、またわざわざサロマから船木さんたちも駆けつけて盛大な見送りをしていただきました。船木さんたちは前回紋別での管内社会教育研究大会の折にもオホーツク空港へ見送りに来てもらい、飛行場の屋上から盛んに手を振って見送る姿がとても印象的な光景として今も目に焼き付いているのです。空港で写真を撮りましたが何故か私の木になるカバンを松本所長さんが持っていて驚きました。

若松進一ブログ(写真を撮っていただいた小池さんを復縁ると9人もの人が見送ってくれたのです。大感激でした)

 今回は主催者側で航空券のチケットを手配してくれたため、帰りは羽田ではなく中部空港経由でした。晴れの北国から雨の四国へと乗り継いだ飛行機は、夕日に照らされ、プロめら木ということもあってとても印象的でした。夕日に照らされて舞うプロペラを窓越しに眺めながら4日間の思い出に浸りました。訪ねた場所、出会った人々、そして懐かしい人との再会などなどが浮かんでは消えて行きました。

若松進一ブログ(私が乗ったプロペラの飛行機)
若松進一ブログ(プロペラを照らす2月24日の夕日)

 飛行機は約10分遅れで松山空港に到着しました。普通は機内に持ち込むはずの荷物ですが、この日は女満別で預けました。地方空港なので荷物は直ぐに出てきました。到着ロビーには妻が迎えに来てくれていました。「お父さん寒かったでしょう」「流氷が見えて良かったね」と矢継ぎ早の質問が家へ帰るまで延々続きましたが、普通は無口な私も久しぶりに饒舌になって北海道の思い出を話してやりました。妻は過去2度も流氷観光にアタックしながら涙を飲んだ苦い経験を持っているのです。毎日家を留守にする私ですが、最近は長くても殆ど一泊二日程度です。今回は4日間という長旅だったので久しぶりに帰ったという実感です。

 旅の思い出はメモをしておかないと忘れてしまい忘却の彼方に消えてしまうものです。幸いブログという優れ物を持っているので、デジカメの100枚を超える写真の中から何点かを選んでブログに載せました。美幌町での思い出は電子文字としてパソコンに記憶させ、プリントアウトして人間牧場の書棚の片隅に置枯れる予定です。

  「双発の プロペラ夕日 染め沈む 雲の上から 印象的に」

  「飛行場 見送る友を 見送りて 飛行機雲間 ふる里目指す」

  「二十度も 差のある気温 迎えたり 妻の笑顔に 疲れ忘れて」

  「四日間 留守したわが家 懐かしく あれこれ話す 土産の替わり」

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shin-1さんの日記

○美幌町去り難し①(北海道の自然と人情に大感激)

 北海道4日間の旅は飛行機便欠航というアクシデントに見舞われ結局3日間となりましたが、私にとってはこれまでのどの北海道訪問にも勝るとも劣らない、忘れられない思い出の一ページとなりました。マイナス10度という外気温体験と流氷体験はその最たるものでしたが、それと同時に美幌町で出会った北国の人の温かい人情と、美幌町の冬の飾らない光景でした。

若松進一ブログ

 この写真の風景は北海道を観光した人なら見覚えのあるアングルだと思うのですが、美幌峠から見える完全結氷間近な屈斜路湖の姿です。全ての仕事を終って北海道を去る日の午前中、松本所長さんと小池さんは私をこの絶景スポットへ案内してくれました。弟子屈町との境に位置する美幌峠までは町内移動といってもさすが北海道だけあって、中心地から25キロ以上もあるのです。この日は風もなくマイナス10度の冷え切った外気で降り積もったパウダーのようなきめの細かい雪が太陽の光にあたってキラキラと輝いていました。美幌峠からは360度の視界が雄大に開け、どこを切り取っても絵になるほどの光景で、遥か遠く大雪山の山並みまでも遠望できました。松本所長さんは指さしながらあれは摩周岳、あれは蝦夷富士などと説明してくれるのですが、美幌峠から見える景色の余りの美しさに見とれて上の空といった感じでした。

若松進一ブログ

 美幌峠のスポットにはご存じ美空ひばりが歌った「美幌峠」という歌の歌碑が建っていました。傍に置かれている小さなスピーカーからは美空ひばりの歌う歌が控え目に流されて、知らない歌ながら歌碑に刻まれた歌詞を目でなぞりながら口ずさんでみました。松本所長さんが「今度来る時はこの歌をハーモニカで吹けるようにして下さい」と依頼されましたが、はてできるかどうか楽しみです。

若松進一ブログ (松本所長さんと歌碑の前で記念撮影しました)

 美幌峠のレストハウスの中で一服休憩をしました。小池さんがジャガイモの塩ゆでにしたものに衣をつけて揚げている小型爆弾のようなものを買ってきました。串に刺した2個を一個ずつにして食べましたが、「北あかり」という品種らしく、とても美味しい味でした。ふと40年も前に尋ねた弟子屈青年の家での地元せ因縁との交流会で食べた塩茹でジャガイモを思い出しました。あの頃の私は若さに燃えていて、北海道を巡る国内研修団の班長として他の仲間とともにオンネトー青年の家や大雪山青年の家を渡り歩いて武者修行をしていました。当時弟子屈青年の家は麦ごはんだったことを覚えています。


 「若松さん珍しい所へお連れしましょう」と向かったのは山の中でした。夏の間に牛を放牧するという放牧場でした。道沿いは深い雪に覆われ、除雪車が除雪した道は1メートルを超すような雪の壁ができていました。

若松進一ブログ

 大平原の向こうに見たこともないような大型のサイロが3基雪の中に立っていました。サイロの向こうに人の気配を感じながらUターンして引き返しましたが、若草燃える初夏のころの雄大な姿を連想しながら車から降りて写真を撮ってもらいました。観光で来ればこんな場所へ踏み入れることは絶対にないと思いつつ、案内してもらったお二人に感謝しました。

若松進一ブログ

 松本所長さんは来年一年で退職と伺いました。社会教育でもうひと花咲かせたいという思いが強く、商店街の店舗を利用した展示や学習成果物の即売などについても一案があるようで、是非実現して欲しいものです。

 最近は社会教育にかかわるやる気のある人に中々出会わなくなりましたが、社会教育もまちづくりも何よりも優先するのは夢を持ったやる気と行動力です。お二人のこれからの活躍を遠い四国から見守りたいと思っています。


  「町内の 雪道走り あれこれと 夢を聞きつつ やる気感じて」

  「ジャガイモを 食べつつ昔 思い出す 青年の家 今はいずこに」

  「色黒が さらに雪焼け 色黒く 写真に写りし わが顔黒く」

  「雪魅力 南国人は 言うけれど 雪国荷物 除雪費かさむ」

 

 

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