shin-1さんの日記

○その名も網走番外地

若松進一ブログ(橋を渡るとそこは刑務所、見返橋は受刑者の人生の悲喜こもごもを幾つ記憶しているのでしょうか)

 昔映画で高倉健さんが「網走番外地」という歌を歌って、網走はすっかり有名になりました。しかしよくよく考えれば網走番外地というのは網走刑務所のことなのです。私たちはそんなことも余り知らずに、ただ網走観光地の一つくらいにしか考えていませんでした。でも今回古い網走刑務所を保存目的で移築した網走監獄というミュージアムを見学して、そんな甘い考えを払しょくしたのです。

 流氷見学の予約時間までの寸暇を惜しんで、松本所長さんと小池さんの二人に案内してもらった監獄ミュージアムは驚きの連続でした。

若松進一ブログ (本物の刑務所入口を移築再現していました。顔つきの悪い私ですから、本物の受刑者と間違われそうです)

 橋を渡り、網走刑務所という看板のかかった門をくぐると、広い園内には順路に沿ってそこここ監獄といわれる昔の過酷で厳しい時代の姿が垣間見えるように配置されていました。昔はムシロの上に囚人服一枚で毛布をかぶって寝るという劣悪な生活環境があったようで、家の中へ入ると蝋人形が幾つも横たわっていて、当時の姿を再現していました。いやあそのリアルな表現に驚きました。外の寒さが堪えるこの時期ゆえの疑似体験のようでした。

若松進一ブログ (昔の寝室の様子を再現したリアルな蝋人形)
若松進一ブログ (移築された監獄は看守室から一望できるよう放射状に5つの牢獄が整然と並んでいました)

若松進一ブログ (牢獄や独房も昔のまま再現されていました。今は犯罪を犯したといえども人権を尊重しなければならないので、こんな劣悪な環境ではないそうです)

若松進一ブログ (当時の共同浴場の様子も再現されていました。わずか15分の間に看守付きで入浴する刺青姿の蝋人形の後ろ姿に、寂しさとホッとしている様子がうかがえるようでした)
若松進一ブログ (仏式祭檀を祀った講堂は洋風の立派な建物でした。ここで受刑者たちは束の間の娯楽を楽しんだしことでしょう)

 私たちは不幸にも過ちを犯して塀の向こうで暮らしている人のことは、映画やテレビで擬似的にしか見聞きすることはできません。故にあの有名な網走刑務所もそこにあるという事実だけで番外なのです。最近は昔と違って受刑者の犯罪も多岐におよび、刑務所は満杯だと聞きました。また受刑者の権利も私たちと同様に認められ、更生自立に向けた様々な訓練が行われていると聞きました。また最近は刑務所そのものの運営を民間に託する動きもあるようですが、いずれも法務行政という厚いベールに覆われて私たちは知る由もないのです。でも安心安全な日々の暮らしをかく乱したりするような行為を、この世の中からなくしていかなければならないことも事実です。更生保護女性部の活動が身近に存在したり、私の従弟も刑務官であったり、またわが息子も警察官であったりするするため、今回の網走監獄ミュージアムの見学は大きなインパクトを与えてくれました。


  「刑務所が ミュージアムになる 時代です 本質見つめ まざまざ見入る」

  「人権を 無視した時代 寒かろう ムシロの上に 毛布一枚」

  「強がって 入れた刺青 風呂場でも やはり顔効く 道具のひとつ」

  「番外地 ここは今でも 別世界 何を思って 冬を越すのか」

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shin-1さんの日記

○念願の流氷に出会って感激

 今回北海道での講演依頼がサロマの親友船木さんを仲介して舞い込んだとき、私の日程表のその日は既に別の予定が入っていました。しかし冬のこのチャンスを逃せば、兼ねて念願の流氷に巡り合うことはないだろうと、予約相手に懇願して日程をずらしてもらった経緯があるので、美幌町での講演が決まってからはその楽しみが日増しに募っていました。しかし今年は流氷接岸という朗報は中々入らず、小池さんから一報が届いたのは2日前でした。今年は北風が吹かず、ロシアのアムール川から流れ出た流氷が、オホーツクの海を約1000キロも旅して網走沿岸に接岸したのは観測史上2番目に遅かったと報じられていました。でも途中のプロセスがどうであれ、やっと念願の流氷に巡り合えるのですから、その日は多少興奮して朝を迎えたのです。

 小池さんにお願いして北国にはなくてはならない滑り止めのついた長靴をはいて松本所長さんと小池さんの案内で約1時間の道のりを網走市内まで行きました。途中ホテルでオホーツクカレーという白い色をした話題のカレーを御馳走になりましたが、中々面白いアイデアに感心しました。

若松進一ブログ(砕氷船おーろら号)

 船着場には流氷見学を待ちわびたように次々と流氷見学のバスがやってきて、特に韓国からのお客さんが多くて、大きな声で話し合うものですから船の中はまるで蜂の巣をつついたようなにぎやかさでした。私たちもその人たちに交じっておーろら号に乗船しました。港の中の水面には流氷のできる過程が分かるハス状の氷の赤ちゃんが幾つも浮かんでいました。やがて船が港の灯台辺りに近付くと埋め尽くされた流氷に行く手を阻まれましたが、さすが自慢の砕氷船だけあって、鈍い音を立てながら氷を砕いて沖合へと進んで行きました。

 乗客はこの模様を近くで見ようとデッキに出て盛んにシャッターを押していました。

若松進一ブログ(厚さ1メートルもあるこんな大きな氷を割って進むのです)

 船内の放送で船のすぐ近くにオジロワシがいることを教えてくれました。残念ながらアザラシなどは見えませんでしたが、オジロワシを間近に見えてラッキーでした。

若松進一ブログ(すぐ近くの流氷の上にとまって様子をうかがうオジロワシ)

若松進一ブログ(所長さんと寒いデッキでのツーショット)

若松進一ブログ(おーろら号は2隻で運航していて、沖合いには先発のおーろら2号流氷の中を静かに進んでいました)

 おーろら号による流氷体験は僅か1時間程度でしたが、大きなうねりの中で揺れ動く流氷は圧巻で、妻からかかってきた携帯電話を使い、まるで実況中継のような形で興奮冷めやらぬ声を聞かせてやりました。妻は流氷体験のツアーに2度もきているのに2度とも陸地から離れた流氷を見た程度だったので残念がっていました。

 下船後流氷の上に直接乗るため車で沿岸を走りました。列車で流氷を見学するノロッコ号が並んで走っていましたが、人の姿はまばらでした。

若松進一ブログ(オホーツクの海を埋め尽くした真っ白な流氷)
若松進一ブログ(大きな流氷の塊の上で所長さんと記念写真です)
若松進一ブログ(私も感動の余りにこんなポーズをとってしまいました)

 その後近くの川の河口付近にある白鳥公園へ白鳥を見に行きました。白鳥に交じってカモやカモメが観光客が与えるパンくず餌をもらおうと沢山集まっていましたが、動作の鈍い大型の白鳥は、カモやカモメにちゃっかり奪われて中々餌にありつけないようで、まるで人間の世界を垣間見るようでした。

若松進一ブログ(野鳥が群がっていました)
若松進一ブログ(白い雪原の上で餌をついばむ白鳥)

 やっと長年の夢がかなって流氷体験ができました。私はこの日まで流氷は海の水が凍ってできるものとばかり
思っていましたが、流氷は食べてみましたが真水でできているのです。少し塩味がするのは海を流れてくる間に空気の気泡の中に海水が閉じ込められるからだと所長さんに教わりました。子どものころ流氷のことを教科書で習いました。ロシアのアムール川が何処にあるのか世界地図で調べた思い出ももう彼方に消えて行きましたが、それにしても不思議な自然現象です。

 前回紋別にあるオホーツク空港に降り立った時は初秋でした。紋別には流氷博物館があって流氷が一年中見えるようになっていて保存している流氷を見たりマイナス15度の世界も体験しましたが、これはあくまでも疑似体験でしたから、今回の本物体験には残念ながらかなわないのです。紋別で見たガリンコ号も今頃はわが意を得たりと活躍していることでしょう。

  「念願の 流氷体験 感動し 思わず写真 ポーズとる俺」

  「流氷を ガイドがついて 見学す 知らないことを 沢山学ぶ」

  「カモ・カモメ お株奪って 白鳥の 餌を横取り 誰かに似てる?」

  「千キロの 長い旅路を 経た流氷 お疲れさまと 声をかけやる」 

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