shin-1さんの日記

〇焼鳥が少々腹に堪えました

 私は菜食主義ではないのですが、数年前に胆のう摘出手術をしたため毎日の食事から油ものが極端に減りました。特に肉類は元々余り好きではなかったので、魚はよく食べますが肉類は殆ど食べません。ところが昨日は愛媛大学法文学部で講義を終え、同じ大学でも学部の違う農学部での打ち合わせ会に出席するため農学部キャンバスへ夕方立ち寄りました。

 学部長室では既に打ち合わせが始まっていて、関係者や先生方が難しい話をしていました。途中で入ったためチンプンカンプンでしたが、先日事前打ち合わせをしていたので、何となく分かったような顔をして座っていました。芳之内さんや森賀さん、森本さんなどかつての仲間も、今回のプロジェクトに参加するべく顔をそろえていて幾分安心しました。何よりも嬉しかったのは泉学部長さんの元気な姿に出会ったことです。やがて会合も終わり午後6時に閉会しました。

 この日は大学の前の焼鳥屋でちょいと一杯という算段が出来ていたらしく、誘われるままに店の暖簾をくぐりました。愛媛大学農学部といえば郊外です。夜は人通りもないような場所なのに、やはり大学があるコバンザメ商法とでもいうのでしょうか、こんな田舎に2~3軒の飲食店がありました。

 途中から総務課長さんや担当の女性職員も加わって賑やかな小宴会となりました。当然出されてくる料理は焼鳥です。肉といっても鳥ですがそれでもやき鳥は脂身が多く、私はもっぱら酢醤油のかかったキャベツをお替りして2皿も食べてしまいました。そういえば昨日は「忙し過ぎて昼御飯を食べなかった」ことを思い出し、急に腹が空いていることを思い出しました。そうすると不思議なもので次々出てくる熱々の焼鳥に手が出て5~6本を平らげました。それにして森賀さんたちの会話には圧倒されてしまいました。明くる日は朝から香川県高松市で開かれる会合に出席する予定があるので、早々にお暇して店を出て帰宅の途につきました。

 家に帰ると、妻が食事をせずに待っていてくれました。ご飯を食べていなかったので軽くお茶ずけ程度の夕食を食べたので満腹です。明くる日の準備をして風呂に入り12時ころ床につきましたが、焼鳥が腹につかえて寝付けない夜を過ごしました。やはり私の体はいつの間にか菜食になっていたようです。

 今日は列車で松山~高松間を往復するので、列車の中で寝不足分を補ってゆっくりのんびりしたいと思っていますが、高松での会合は約2時間、会合が終わると引き返し、今晩は先日開かれた全国地域づくり団体交流研修大会の地元反省会があるので遅くなるようです。

 行く機会、行く場所もよくあるものよと自分自身を納得させながら、今日も元気にこれから家を出るところです。


  「肉を食べ 腹の調子が 少し変 寝れない夜で 少し眠たい」

  「今日もまた 旅に出ますと 書きこんで 列車の旅を 居眠りしつつ」

  「酒飲みの 前に座って ウーロン茶 飲むほど変わる 人を観察」

  「これからは この道沿いが 懐かしく なるかも知れぬ 大学の前」


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shin-1さんの日記

〇学生はいい話が聞けました

 愛媛大学法文学部総合政策学科の非常勤講師を務めるようになって6年目を迎えていますが、一年が経つのは早いもので、今年も来週1回の講義と年明けの発表会で私の仕事も終わるのです。後は学生たちのレポートが送られてくるのを待って成績表を作成すればいいのですが、これがまた19人分をいちいち読まなければならないので大仕事なのです。

 昨日は部外講師を呼んで「まちづくり人の主張」というのをやりました。えひめ地域政策研究センターの清水研究員さんと谷本研究員さんに大学へ来てもらい卓話を聞くのです。僅か90分の短い講義時間を小刻みに割り振り、卓話は1人25分にしました。谷本さんは以前に勤めていた公民館の体験をもとに公の在り方を分かり易く話してくれました。清水さんは清水学とでもいうべき人間の生き方について、持論を未来へのメッセージも含めて少し深く話してくれました。お二人とも研究センターで長年研究に携わっているだけあって、まちづくりを相当掘り下げて勉強していて、学生もいい話を聞けて参考になったのか、その後私がコーディネーターになって40分間質問のやり取りをしましたが、まあまあいい質問が飛び交いました。学内の先生から様々な講義を毎日のように詰め込み形式で受けている学生にとって、学外のしかも現場の人から生の話を聞く機会はそんなに多くはありません。私の話もある意味では学内になっているのですから、いい企画だったと思ったことでしょう。

若松進一ブログ

 二人はこの日の講義のために沢山の資料を用意してくれました。電子情報や紙ごみの中に暮らしている学生たちにとって、これらの資料の持つ意味や重みを全て感じることはできないと思いますが、谷本さんが手に入れてくれた宇和島の「仕事人情報誌ViewU」も、清水さんが自作した「風は土をつくり、風土は人をつくる」という資料も凄い価値があるのです。これらの資料をただ漫然と捨て去るか熟読して自分のものに出来るかがやはり学びの深さになって、潜在知識として蓄積していくのでしょう。


若松進一ブログ

 清水さんの資料の中に「豊かさと幸福を問い直す」というスティーグ・クレッソンの言葉が載っていたので紹介しておきます。

 第二次大戦後、わが国は豊かな国となり、人々が「繁栄」と呼ぶ状況を生みだした。

 私たちは、余りに簡単に幸福になり過ぎた。

 人々は、それは公正であるか否かを議論した。

 私たちは戦争を回避し、工場を建設し、そこへ農民の子どもが働きに行った。

 農業社会が解体され、私たちの国は新しい国になったが、人々が本当にわが家にいるといった感覚を持てたか 

 どうかは確かではない。

 1950年から60年に至る10年間に、毎日300戸の小農家が閉業するというスピードで、わが国の農業が終焉

 した。

 人々は大きな単位、大きなコミューン(市町村)を信じ、都市には遠い将来にわたって労働が存在すると信じた。

 私たちは当然のことながら物質的に豊かになったが、簡単な言葉でいえば、平安というべきものを使い果たし

 た。

 私たちは新しい国で、お互い他人同士となった。

 小農民が消滅するとともに、小職人や小商店が、そして、病気のおばさんが横になっていたあの小部屋、あの    

 小さな学校、あの子豚たち、あの小さなダンスホールなども姿を消した。

 そういう小さな世界はもう残っていない。

 小さいものは何であれ、儲けが少ないというのが理由だった。

 なぜなら、幸福への呪文は〈儲かる社会〉だったからだ。

                                    (Stig Claesson)


若松進一ブログ

  「まちづくり 人の話は 味がある 学生たちは 心開いて」

  「巻末に したため書きし メッセージ 小さな社会 風前ともしび」

  「歯車が 狂った社会 恐ろしい 儲かる社会 今はガタガタ」

  「幸せか? 聞かれて首を 横に振る 本当はみんな 幸せでない」

 

 

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