shin-1さんの日記

〇やきそばで街おこし

 昨日の午後、えひめ地域政策研究センターの主催する第28回政策研究セミナーが県立美術館講堂であり出かけました。28回と書かれたチラシを見てはてさて私は、毎回ご案内をいただきながらこの28回のうちの何回参加したのだろうと思うと、少し恥ずかしい気持ちになりました。私がこのセミナーに参加できない主な理由はスケジュールがバッティングしただけなのだと思いつつも、折角与えてもらう勉強に今後も積極的に参加したいと思いました。

 ステージの垂れ幕には「B級ご当地グルメで街おこし」「~富士宮やきそばに見る地域ブランド戦略~」「富士宮やきそば学会会長渡辺英彦氏」と書いてありました。少し早目の会場入りだったので後ろの席を確保して座っていると、講師の渡辺さんが打ち合わせを兼ねてグリルでコーヒーを飲んでいるので名刺交換でもと誘われました。1959年生まれというから50歳前後の若い講師です。名刺も透き通るような綺麗な名刺でした。「夕日でまちづくりをしている話は知っています」切り出され、私と共通する部分と異質な部分の整理コンピューター私の頭の中で回り始めました。

 私がこうした研修会に参加するのは、何をしてどんな成果があったかよりも、着眼点のアイディアを生かしどのようにしてステップアップしたか、プラスどんな失敗をしたかです。もうひとつの視点はそれを自分の実践に応用できないか考えるのです。さらに参加した皆さんと違う点は講師の話術です。私は講演などによく出かけるので、客席から見た90分間の話の組み立てや飽きさせないように話す話芸は人以上参考になるのです。


 私は話を聞きながら話の内容よりも、新しいアイデアをチラシの裏側や封筒の裏側に絵に書いていました。やきそばから何を連想したのか、それは魚肉つみれ団子の絵でした。シーサイド公園で漁協婦人部が販売しているじゃこ天は串にさして食べるという私のアイディアでスターダムに乗りましたし、ラヴじゃこ天も話題をさらいました。今度はおでん種としてつみれの団子を作って団子三姉妹人魚の涙なんてネーミングすれば面白いと思いました。この季節のシーサイド公園は寒い季節を迎えます。温かいものを欲しがるのですから、練炭火鉢を用意しておでんの鍋を置き、その鍋の中に海の幸タコやおでん種としてじゃこ天のすり身で団子を作ってぐつぐつ煮込むと美味しい匂いが漂って客を集めるのです。一見ファーストフードのような感覚でやったら冬限定の風物になるのではと思うのです。

 近日中に試作をしてみたいし、おでん種として新発売できるかどうか研究したいと思っています。はてさてやきそばの話を聞きながら自分の町の商品を開発しようとする私はやはり風変りな男なのでしょうか。もしこんな商品ができるとしたらやきそばの講演を聞いたことが活かせる訳ですから、これ以上の効果はないでしょう。


  「講演を 聞きつつチラシ 裏に書く これが本当の 裏をかくかも」

  「絵を描けば 次第に夢が 広がって 今からできる 実践進化」

  「街なのか 町・まち使う 間違い?を メモに書きつつ 話し聞き入る」

  「面白い 閃くアイディア 急がねば 居ても立っても いられず立って」 

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shin-1さんの日記

〇ああ「高校三年生」

最近、作曲家の遠藤実さんが亡くなりました。有名人の訃報など私たち庶民には関係ないのですが、作曲家遠藤実さんは別で、作曲された「高校三年生」や「星影ののワルツ」「先生」「北国の春」など、思い出に残る青春歌が際立って多いのです。特に自分が高校三年生頃に流行った「高校三年生」という歌は一生忘れられない思い出の曲なのです。

 

 高校三年生

 1、赤い夕陽が 校舎をそめて

   ニレの木陰に はずむ声

   ああ 高校三年生 ぼくら

   離れ離れに なろうとも

   クラス仲間は いつまでも

 2、泣いた日もある 怨んだことも

   思い出すだろ なつかしく

   ああ 高校三年生 ぼくら

   フォークダンスの 手をとれば

   甘く匂うよ 黒髪が

 3、残り少ない 日数を胸に

   夢ははばたく 遠い空

   ああ 高校三年生 ぼくら

   道はそれぞれ 別れても

   越えて歌おう この歌を


 歌は作曲と作詞、それに歌手が合体して始めて口ずさめるのですが、この歌が遠藤実さんによって作られた曲であることはよく知られているのに、名だたる作詞家にもかかわらず、作詞が丘灯至夫さんであることは余り知られていません。でも二人のコンビがなかったらこの曲はこれほど多くの人の共感を得ることはなかったのです。さらにこの曲を学生服姿で歌った舟木一夫さんの伸びのある歌声は心に染みるのです。


 当時は舟木一夫さん、三田明さん、西郷輝彦さんを称して歌謡界の御三家などと呼ばれていましたが、その舟木一夫さんも60歳の還暦を過ぎて赤い学生服で歌っており、昭和は遠くなりにけりの感じがします。

 昨晩、友人から届いたハガキを読んでいると、その文面に「高校三年生」という歌の思い出が書かれていました。「-前略-、遠藤実さんが亡くなりました。PTAの二次会はシーホースというスナックでした。飲んだ後最後はみんなが肩を組み高校三年生を歌いましたね。あの時は自分が高校生になったような錯覚で、自分がいい歳になったのも忘れて歌いました。懐かしい思い出です。-後略-」と書かれていました。早速一日三枚のハガキの一枚にしたためましたが、まさに歌に秘められた思い出なのです。


 私はそっと自分の木になるカバンからハーモニカを取り出し、「高校三年生」「星影のワルツ」「北国の春」「先生」を全て吹いてみました。時ならぬハーモニカの音色に居間でテレビを見ていた妻も書斎にやってきて、私の下手くそなハーモニカの音色をしみじみと聞いてくれました。ひとつ年下の妻にとっても遠藤実さんの歌は青春の思い出なのでしょう。秘められた恋の思い出などは聞き出せませんでしたが、思い出に浸った冬至をまじかに控えた夜長な夜のひと時でした。

  「この歌は 遠藤実の 曲だけど 作詞はえーと 誰だったのか?」

  「ああそんな こともあったと 思い出を 思い出させる 嬉しいハガキ」

  「青年団 フォークダンスの 手を取って 踊ったあの子 今頃どこに?」

  「高校は 男子の生徒 だけなので 黒髪匂う 思い出もなく」 


 

 

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