shin-1さんの日記

投稿者: | 2009年12月7日

○千町の棚田の里を訪ねる

 講演会会場の中ほどに見覚えのある高橋啓一さんの顔姿を見つけたのは講演が始まってほどなくでした。90分の講演期間中ずっと話しながら、高橋啓一さんのことを時々考える余裕があるのですから、私もええ加減な男なのです。やがて講演や質問タイムが終わると高橋さんは私の傍にやって来て、「今日これからのご予定は?」と聞くのです。頭に入っている今日の予定だとこの後アトラクションを観て懇親会が5時ころからあることを告げると、時計を観た高橋さんは「急げば間に合うかもしれませんね」と言って、日ごろから熱望していた千町の棚田見学へ連れて行ってくれるというのです。善は急げとばかり高橋さんの車に乗せてもらい片道20分の道を走りだしました。やがて車は加茂川を見下ろす離合が難しいようなつづら折れの道を進んで行きました。「山道は登り優先」とばかりに進んで行くと古びた石垣が幾つも見えてきました。高橋さんはこの地域の出身ではありませんが、蕎麦を栽培する場所を求めてこの地域に行き着いたらしく熟知していて、見せたい風景の場所になるとゆっくり走りながら車窓の風景を説明してくれました。

 かつては3千人も住んでいて小学校も中学校もあった千町地区も今では28戸程度になり、しかも子どもゼロゆえ小学校も中学校も廃校になって久しいそうで、棚田の見事な石垣も殆どは既に草に埋もれていました。送電線の鉄塔の下に「あそこが私たちが蕎麦を育てている畑です」と指差す方向を見ましたが、既に蕎麦は刈り取られそのあとに生えた青草がどこか新鮮に見えました。

 「この石積みは長曾我部元親の四国征伐で入った元侍が積んだためお城の石積みに似ていると言われるだけあって、草むしているものの立派な石垣が何処までも続いていました。目を閉じても当時の姿を思い出すことは出来ませんが、高橋さんの説明を聞きながら一つ一つの石を積んだであろう血と汗の思いを容易に垣間見ることができました。

 地区の入口には木をくり抜いて出来た常夜灯がまるで宮崎駿の世界を思い出すように建っていました。

若松進一ブログ

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 行き止まりまではまだ道は続いていましたが、途中で引き返し小学校跡地へと向かいました。跡地の入口には往時を示す門柱に学校のな名前が苔むして見えました。敷地は綺麗に耕され野菜が植えられていましたが、その横の二宮金次郎と像は草に埋もれていました。高橋さんは委細構わず藪に分け入り踏みつけ、私のために道を作ってくれたものの、私の背広やズボンには無数の泥棒雑草が付着し、まあお見事な姿になりました。

 思い出しましたが、かつて西条市加茂公民館の女性館長だった上野さんが「私の地域には畑の真ん中に二宮金次郎の像が建っている」と話していたのです。その像は凛々しい姿ながら焼き物で台座と像は風雪で傷み今にも崩れ落ちそうでしたが、像を壊さないように気をつけながらこの日「人に言わないように」と約束して講演で述べた、二宮金次郎の読んでいる本の撮影を試みました。陽が西に傾きかけて逆光でよく判読できませんでしたが、確かに中国の古書大学の「一家仁」の文字がかすかに見えました。本当は炊く本を取りたかったのですが、時間的余裕も許可もなく残念ながら金次郎の像に再開を約束しお暇を願いました。

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(千町小学校の門標)
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 ついでにと加茂中学校跡地も見学し山を下りました。途中行きも帰りも猿の群れに遭遇し、イノシシや猿の被害に悩む農家の苦悩も聞きましたが、棚田百選にも匹敵するこの農業遺構はまさに産業遺産ではないかと、日本の農村がすたれて行く姿に日本政治の貧困を垣間見ながら胸が熱くなるのを覚えました。

 とっさの出来事だったので何の予備知識も持たないまま高橋さんに迷惑をかけてしまいましたが、降ってわいた千町棚田の見学は、私にとってとてもいい思い出となりました。出来ることなら早い機会にもう一度千町を訪ねじっくりと地区内を歩いて見たいと思っています。高橋さんに感謝しつつ山を下りました。

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(加茂中学校跡地)
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(案内していただいた高橋啓一さん、蕎麦の名人です)

  「じゃあ行くか 急思いつき 山登る 猿友だちと 間違がったのか」

  「驚いた 高台続く 石垣は 棚田百選 どころじゃないな」

  「三千を 数えた人も 今はなく ただひっそりと 石垣のみが」

  「雑草に 埋もれし里に 金次郎 よくぞ生き延び すっくと立って」