shin-1さんの日記

投稿者: | 2009年5月20日

○自分の生き方を見つけることが第一

 限界集落だの田舎の嫁不足だの、はたまた少子化だのといって色々とその対策に頭を悩まされています。私も地域づくりの世界で生きてきたため、それらに対し妙案はないかよく聞かれたりします。行政が金を出せたり住民の方を向いていた時代なら私のような凡人でも解決策のひとつや二つは思いつくのですが、今の行政は金もなく職員も住民に向くような気配は一部を除いて感じられず、お手上げの状態です。

 先日島根県のある集落へ講演に招かれ出かけた折、何人もの人から力強い話を聞きました。その集落では「長男が糞をひらねばその家は潰れる」という言い伝えをしっかりと守って、長男を残す運動を長年にわたって実践してきたそうです。最初は長男に反対・反感・半黙され、自分も半信半疑だったそうですが、それでもその言い伝えを守り、圃場整備や新品種の導入など農業経営の足腰を強くして、飯の食える農業と集落コミュニティの維持に努めてきたのです。その結果は火を見るより明らかで、風前のともし火の限界集落をしり目に持続可能な集落を作っていました。そして今後も「その集落にいい子どもを残す」ために色々なことを考えて実践していて、もっとさらなる良き集落を作りたいが妙案はないかと、私の出番となったのです。

 私は人づくりの必要性と生活環境の近代化について話をしました。私たちの育った20世紀という時代は田舎がネオン輝く都会に憧れて生きてきました。田舎をさげすみながら生きるほど田舎の暮らしは都会から比べると遅れていたのです。便所も風呂も台所も、襖で仕切られたプライバシーの保てない部屋も、若者の私たちにはどうにもならなかったのです。ましてや隣に蔵が建つと腹が立つ陰湿な田舎のコミュニティも致命傷でした。また3K産業といわれる仕事も、外に出たことのない親たちはそれが当り前の暮らしだと我慢して暮らしていたのです。

 テレビの導入は田舎に都会の便利さや快適さをリアルに伝えました。その結果若者は都会を目指し、私たちの住んでいる田舎から人が減り、今のような田舎の姿になったのです。

 しかし最近になって都会のひずみやほころびが目立ち始め、田舎暮らしも捨てたものではないという考えが芽生え始めてきました。私は自分が幸せ者だと思うのは、水が美味く、食べ物が美味しく安心安全で、空気や原風景までも長閑で、心許せる仲間や近所の人間関係に満足して暮らせ、たまに都会へ遊びに行けるからです。特にインターネットの普及で情報化が進んでとてつもなく便利になり、都会に住むことの意味がなくなりつつあるのです。

 自分の生き方をしっかり持って生きている人はキラキラ輝いて見えます。多分私もキラキラほどの輝きはないにしても多少の輝きだけはあると自負して生きているのです。親が自信を持って生きると子どもは自信を持って生きてくれます。そんな親をたくさん作ることが地域づくりなのです。人にはそれぞれの思いや生き方があって当然で、その個性とも思える生き方を批判することはできません。親は子どもに背中を見せて生きることしかできない悲しい運命の持ち主かも知れません。

 私は幸せなことに4人の子宝に恵まれました。しかも4人とも私が理想とした県内の2時間圏内に職場を持って暮らしています。将来のことは分かりませんが、親が子、それに孫と出会おうと思えばいつでも行ったり来たりできるのも嬉しいことです。そしてリタイアした今は少しばかりの余力を出して地元の子どもたちにボランティア活動としてふるさと運動に取り組み、役立ち感も持てているのです。健康に留意し自分らしく生きることを今後も続けたいと思っています。


  「自分とは いかなるものか 自分さえ 分からず生きる この歳なりて」

  「ある村の 生き方理想 長男が 糞をひらねば 家は潰れる」

  「人生の 仕上げの歳に なりました いい生き方と 思えるように」

  「俺も歳 回顧の話 多くなり 未来語った 昔懐かし」

 

 

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