shin-1さんの日記

○「講演料はいかほど」とよく聞かれます

 私の所へ講演の依頼がある人の中には、講演の打ち合わせが終わってから言いにくそうに、「所で若松さん」と話しが続くのです。「実はお金がないので誠に申し訳ありませんが~」と講演料を口に出すのです。その度に私は「そちらの都合もおありでしょうからいいですよ」と提示した意見に耳を傾けるのです。だって講演の内容を詰めてから「そんない安いのだったら駄目です」なんて言ったら、それこそ破談になって両方が気まずい思いをするからです。私は社会教育や福祉、それに地域づくりに関する団体やグループの台所事情をよく知っているので、こちらの主張などできないのです。「私の話でも聞いてやろうという人たちがいる」と思うと、銭金でなくボランティアの心が頭を持ち上げるのです。「お米一俵で講演してほしい」という現物支給や、旅費の足しにもならないような場所へでも喜んで馳せ参じる心は、リタイアしてからこの4年間、しっかりと心に生きづいているのです。

 よく聞かれる質問に、「講演料はいかほどでしょうか」と聞かれます。講演をする人たちの世界ではコンサルが介入して講師と講演を聞く側の間に入って講演料や講演条件などを全てマネジメントする場合が増えてきました。そんな場合はこちらの条件を求められるのでビジネスとして対応し、驚くことに時には見積書の提示まで求められるのです。

 私の友人たちで名前の売れている人の中には、一回の講演を50万とか10万とか決めている人がいます。教育や福祉、地域づくりの現場でそんな大金額を提示されるともうお手上げで、むしろその金額を提示した人に対して「あいつは金儲けでやっている」という悪評がはびこるのを何度も見たり聞いたりしてきました。確かに日本という国は講演などという形のないものに対して価値を測ることが下手で、お互い暗黙になり過ぎてトラブルの原因になることがしばしばです。私のような専門家でもない雑学な人間の話など値の付けようがないのです。私の話はむしろ講演をする私自身が「聞いてもらう」という、へりくだった感謝の気持ちで対応しているのです。

 さて私の話の値打ちはいかほどか、自分自身としてはこれまで社会教育や地域づくりの現場で得た論理を様々な場所で話し、それ相応の訓練をしてきたので、90分や2時間といった与えられた時間を飽きさせないようにする話芸は持っているつもりですが、それは話す私の値打ち感で、本当は聞いた人が値打ち感を感じなければ何の意味も値打もないのです。先日のように100人の学生たちに40歳も歳の離れた私が講演をした時などは、果たして私の話を受け入れてくれたかどうか、車を運転しながら帰り際に反省したり、多少不安になったりします。でも帰るなり感動のメールが幾つも届いたり、後日ハガキや来訪が相次ぐと、それこそ冥利に尽きて、世代を超えた付き合いへと交流の輪が広がるのです。

 青年団活動から身を起こし、社会教育やまちづくりの世界で腕をならぬ舌や話芸を磨いてきた私ですが、これからもしっかりと訓練して人々や地域の活性化にいささかなりとお役に立てるよう精進したいと思っています。


  「重さなく 長さ測れぬ 話芸にて なんぼと聞かれ そちら次第と」

  「俺値打ち 人様決める ものだから 良いと思えば それで良しとす」

  「金がない お米一俵 どうですか 言われ嬉しい 現物支給」

  「秘書もなく 自分で決める スケジュール 故に楽しい 講演旅行」 

 

 

 

 

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