shin-1さんの日記

投稿者: | 2009年2月12日

○年輪塾始まる

 月日の経つのは早いもので、人間牧場がオープンして3年余りが過ぎました。その間施設設備の充実に主眼をいて活動してきましたが、今年計画している釜戸小屋が完成すれば施設的には活動に支障がないほどになりました。しかしこの施設は利活用してしてこそ人間牧場という名の通り生かされるものですから、ソフト面も並行して充実しなければならないのです。プログラムについては、既に子どもたちを対象にした農場体験や逆手塾の開催、宮本常一を語るなどなど、実験的に行った活動が早くもそれなりの評価を受けるようになってきました。

 私が一番欲しかったのは現代にマッチしたネットワークの整備でしたが、これも塾頭である清水さんの努力で年輪塾ネットを立ち上げることができて、いよいよ念願の年輪塾を立ち上げる機運が高まったのです。この機を逃すまいと昨日年輪塾オープンを記念して、第一回公開セミナーを開きました。

若松進一ブログ(正座して高座で話す星さん)
若松進一ブログ(熱心に聞き入る受講生)

 昨日は山形県高畠町の農民詩人星寛治さんをメーンゲストに招きました。星さんは前日えひめ地域政策研究センター主催による「耕す教育の時代」と題したまちづくりトークサロン出演のため来県されていて、快く講師を引き受けていただきました。

 星さんの話は1935年生まれのため戦前や戦中の思想が深く、特に農民詩人といわれる人ですから宮沢賢治に傾注していて、また戦後の青年団活動や有機農業に取り組んで来られた実績を惜しげもなく話されました。人間牧場最高のステージは樹令150年という高知県馬路村産魚梁瀬杉の切り株です。宇和島の山本さんから送られた座布団を敷いてその上で正座をして話すのです。約90分熱のこもった話を拝聴しましたが、高座の直ぐ傍で拝聴した私は時折、松下村塾で話す吉田松陰の姿をダブらせながら身ぶるいするような気持でした。

 その後塾長である私もこのほど出版した自著本「夕やけ徒然草・水の書)を元に30分間小噺をやりました。星寛治さんの話に比べたら月とスッポンで、私の話など取るに足らないものですが、それでも参加者を爆笑の渦に巻き込んで、いい雰囲気となったのです。星さんの話が三ツ星レストランなら、さしずめ私の話は梅干し屋体のようなものですが、おでんやコップ酒もおつな庶民の味なのです。

 私の話が終わると食談と称した交流会です。松本小番頭が奥さんまで手伝わせておでんをメイン料理にして用意してくれました。また今治の大河内さんはいなり寿司とイギス豆腐、大洲の亀本さんはイノシシの角煮などなど差し入れも沢山あって、星さんからいただいた山形の銘酒を味わいながら楽しいお喋りとなりました。途中今ではすっかり一芸に秀でた高知県馬路村の塾生木下さんのマジックで一同大爆笑でした。

 最後は全員が少しだけ肌寒いウッドデッキに出て、大河内さんからリクエストのあった「ふるさと」「みかんの花咲く丘」「しあわせのうた」を、私の下手くそなハーモニカに合わせ大合唱しました。かつて若かったころの青年団活動そのままに腕を組み、思わずジーンときました。


若松進一ブログ(酒もまたよし交流会)

 年輪塾は塾長の私と、清水塾頭、米湊大番頭、松本小番頭の4人でとりあえず運営する予定です。この日は塾生の脇田さんが記録係としてビデオカメラを回してくれました。この映像はCDにして今後の活動に利用したいと思っています。そして近い将来この年輪塾をモデルとして県内各地で私塾を開いてほしいと願っています。塾とはそういうものなのです。

 塾生浜田さんの宮本常一論を聞いた集会を第一回とするなら、本格的に年輪塾がスタートした今回は第2回目となります。当面は10回を目指して様々な試行錯誤が行われるものと思われますが、折しも山の端に沈み始めた夕日に顔を赤く染め、別れを惜しみながら下山する参加者に再開を誓いました

  「念願の 年輪塾が 始まった 人を育てる 気概を持って」

  「腕を組み 歌を歌った 若き頃 想い重ねて ハーモニカ吹く」

  「星さんの 姿松陰 ダブらせて 教え心に 深く染み込む」

  「もう歳と 思っていたが まだ若い これからですと 心の紐を」