shin-1さんの日記

投稿者: | 2008年3月30日

○ああ定年退職

 私の最も親しい友人が今年の春三月で4人定年退職します。大分県佐賀関町の渡部さん、三崎町の塩崎さん、明浜町の原田さん、宇和町の薬師寺さんです。四人はそれぞれの町の役場職員として採用されましたが、渡部さんは大分市に、塩崎さんは伊方町に、原田さんと薬師寺さんは出身役場こそ違え、西予市という合併した役所にそれぞれ移籍して、課長職を最後にしての退職です。

 佐賀関の渡部さんとは海を挟んだ遠隔の土地柄もあって、会った回数は数階程度ですが、講演依頼やデジタルでのメールのやり取りなどを含めると、最近では最も心を許した友人と言うべき人なのです。ダンディボーイの彼は全てに一流で、カメラはアマチュアの域を超えていますし、私のブログをデータ処理化するなど熱烈な愛読者の一人なのです。関サバですっかり有名になった佐賀関ですが、半島ゆえの閉塞感もあって大分市という県庁所在地との合併は九州ならぬ吸収合併で、合併協議の事務局長として奔走しました。

 三崎の塩崎さんは青年団時代からですから多分私の最も古い友人です。私が愛媛県の青年団連合会の会長をしていた時、彼は西宇和郡の連合青年団長でした。その後交遊が途絶えた時もありましたが、今は夢工房やお互いが地域づくり研究会議の代表運営委員としてまちづくりに深く関わっています。彼の凄さは地元井ノ浦の人たちと青石文化を守る地道な活動を続けたり、ツーリズムの仕事を通して、半島の地域活性化に心血を注いだことです。多分今までも今も、これからも佐田岬を最も愛している人だと思います。

 明浜の原田さんは、小説や絵を描く等飄々とした性格ですが、役場人生の殆どが企画の仕事と長く、そのご縁で知り合いました。夢工房のメンバーとして酒を愛しながらともに語らいました。明浜は革新的な風土が強く、県内のどこにもない独特の文化と新しい発想は随分参考にさせてもらいました。最後は丘に上がった河童の如く、最も遠い高知県境の野村町に異動して福祉の仕事をこなしましたが、辞める直前まで若い職員と限界集落の勉強会を主宰するなどして、自分の想いを人々に伝えようと努力した人なのです。

 宇和の薬師寺さんは、公民館主事だった頃からの知り合いで、当時は宇和といえば公民館活動のメッカで、酒を飲み何度か自宅にも泊めていただきましたが、仕事をしながら通信教育で大学を卒業した頑張り屋の変わり者です。お母さんが自宅で焼く栗饅頭は絶品で何度かいただき賞味させてもらいましたし、観音水の佐藤さんなどと出会うきっかけとなった人です。晩年は福祉の仕事が多く、出会いの数は少なくなっていましたが、それでも南予へ行く途中には三好誠子女史と同じようにに必ず彼を訪ねたものです。

 この四人に共通するのは①ふるさとを愛したこと、②自分の独特の生き方を持っていること、③情熱家で実践家だったこと、④世渡りが不器用なこと、⑤家族思いなことなどです。④の世渡りが不器用なこと以外は私と殆ど同じですが、この④については私を見習って欲しかった思いです。世渡りとは上や周りにおへつをかくことと勘違いされそうですが、決してそうではなく、自分の存在と時代の流れをしっかりと見つめて生きることです。多分私以上に広い知識を持っている四人なのですが、知識を知恵に変えて生きる術は私の方がしたたかなのではないかと思うのです。ただし世渡りが不器用なのも裏を返せば四人の共通した魅力であり、見習わなければならないと思います。

 私は常々彼ら四人に「定年退職してから退職後を考えるな、退職前に何をしたいか、何ができるか考えて生きて欲しい」とゲキを飛ばしていました。残念ながら世渡りが不器用なため、大した近い将来への豊富も未だ聞こえて来ないようです。でもこれからは不自由な自由の中で交友を温めながら、ともに短くも長い人生を楽しみながら生きて欲しいと願っています。

  「相次いで 四人リタイア 自由人 仲間が増えて 俺は楽しい」

  「不器用な 四人リタイア 何するの 答えは未だ 解読不能」

  「リタイアを しても首輪が 残る人 給料権限 潜水艦だ(並以下)」

  「羨まし 誰もが俺の 生き方を 言うてくれるが 真似る人なし」

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