shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年6月29日

○埼玉県北本市からのお客さん・ルポ①

 松山着13時35分の全日空機で松山空港に降り立ったのは埼玉県北本市の7人です。このご一行と私をつなぐキーワードは「無人島」という3文字なのです。

 私が代表を務める「21世紀えひめニューフロンティアグループ」は20年間にわたって、無人島キャンプや大野ヶ原モゥーモゥー塾などの青少年キャンプを毎年実施してきました。中でも全国に先駆けて実践した無人島キャンプは参加した多くの青少年に夢と感動を与えてきたのです。平成2年からは埼玉県北本市青少年育成市民会議との共催事業として10年間、愛媛と埼玉の交流を無人島をフィールドに実施してきたのです。しかしメンバーの寄る年並みには勝てず目標通り20回を最後にその幕を閉じたのですが、今でもその成果を評価し終息を惜しむ声があるようです。

 そもそもこの交流のきっかけは私が北本に住む友人の工藤日出男さんの紹介で北本で講演したことから始まりました。私は既に始まっていた無人島キャンプを熱っぽく語りましたが、海のない街に住む人たちにとって無人島や瀬戸内海といった海への憧れもあって大きな反響を呼び、当時の市長さんをも動かし予算化され、市民会議主導による交流事業が誕生したのです。それからは市民会議とフロンティアグループの熱意ある行動によって新しい展開を見せ、多くの成果を上げてきたのです。

 今回の交流は旧交を温めることもさることながら、「夢よ再び」の心境で懐かしい無人島へ渡ることなのです。梅雨の真っ最中なので渡船で渡る今回のプログラムは多少の不安が残るものの、私たちフロンティアグループの仲間である中島町の豊田渉さんによって既に準備が進められており、明日が楽しみなのです。

(シーサイド公園にて記念撮影)

 今日は松山空港から伊予市双海町へ直行しました。私が深く関わった夕日へのこだわりと立派に整備されたシーサイド公園を

見学するためです。私の活動情報は工藤さんを通じて逐一埼玉には伝わっていますが、昔の双海町を知っている工藤さんにとっても埼玉のメンバーにとっても久しぶりに訪ねた双海町の変貌は大きな驚きだったようです。シーサイド公園の魅力ある物語を見学しながら話しました。またおばちゃんの作ったじゃこ天を食べたりしました。次にわが家へ立ち寄りました。妻も午後の休診時間だったので家にいて懐かしい顔々に出会い嬉しそうでした。北本のメンバーの中には私設公民館煙会所で酒を飲みわが家に逗留した人たちもいて、思い出をかみ締めていたようです。

 一行は私とこの春学校を退職した内海の北原さんの車に分乗して人間牧場へ向かいました。今日の交流会は人間牧場です。あいにくフロンティアグループのメンバーは仕事の都合で私と北原さんのみの参加となりましたが、運良く雨もあがって刻々と変わる人間牧場の眺望にすっかり魅了されていました。都会に住む人にとって人間牧場は大きな憧れのようです。ましてや青少年教育やアウトドア活動を経験している人たちにとってはよだれの出そうな施設なのです。

(ロケ風呂からの下灘豊田漁港風景)

(刻々と変化する海と空の間の水平線に浮かぶ由利島界隈)
 妻が用意してくれた心づくしの料理に舌鼓を打ちながら呑むほどに酔うほどに当時の思い出が蘇り熱のこもった3時間の交流会となりました。無人島を通じて知っている私の生き方に更にグレードアップして加わった人間牧場構想に感嘆しながら余韻を残して山を下り、松山のホテルへ送りました。その途中双海町の国道で幻想的な夕日を見ました。雨模様の空を押し上げて夕日が見えたのです。車の中から何気なく外を見ていた工藤さんの息子さんが「あっ夕日だ」と叫んで見た沖合い青島の辺りに夕日が見えました。あきらめていた夕日なので驚き一入といった所で、路側帯に車を止めしばしの間見学をしました。

(幻想的な暗闇の夕日)

 今宵の宿は明日のプログラムもあって松山での宿泊です。早朝に豊田さん~大野さん~私へと無人島への旅が可能かどうかの判断第一報が入る予定です。天気の回復を祈っています。

  「思い出の 顔々既に 年を経て それでも若い つもりで語る」

  「過ぎ去りし 日々の間に 人もまた あれやこれやの 消息変化」

  「普通だと 俺の生き方 思ったが 目を見張られて そうかうなずく」

  「過ぎ去れば 夢のようだが あの時は 燃えに燃えたな 若かりしころ」 

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