shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年6月15日

○郷土に錦

 旧双海町奥東出身で東京で活躍されている人に清野茂次さんという人がいます。ふるさと大学「伊予塾」の講師として2006年6月9日に来県されリジェール松山で開かれた講演会には300人もの人が集まりました。私は出席できなかったのですが愛媛新聞で特集が組まれその一部始終が報告されました。

 その清野さんが母校である下灘小学校と下灘中学校でそれぞれ1時間ずつ児童生徒の前で講演するというので、市の上田教育長や地元出身の三徳電機社長の三井新太郎さんたちとともにお世話をさせてもらいました。私が役所在職中に一度お会いしている方だし、実家の清野家の皆さんとはご実懇にさせてもらっているので肩肘張らない同行となりました。

 シーサイド公園で待ち合わせ昼食を取った後まず下灘小学校に向かいました。校長室に案内されましたが、久しぶりに訪ねた母校の姿に感慨一入のようでした。

 池田校長先生の案内で会場となった体育館に入りましたが、50人ほどの児童数に驚いたようでしたが、児童の暖かい拍手に迎えられ、清野さんの講演が始まりました。清野さんが褒めるほど児童の聞く態度は立派で、パワーポイントを使って分り易く話すものですから、子どもたちも納得の感じでした。特に日本の国家的プロジェクトといわれる明石海峡大橋や瀬戸大橋の設計に深く関わられているため、子どもたちは講演会終了後の質問の時間も、殆どの子どもが手を挙げる盛況ぶりでした。

 また最後は望郷の思いを歌に託され、ピアノの伴奏に合わせて「みかんの花咲く丘」を児童とともに大合唱しました。

 続いて下灘中学校へ会場を移してのお話です。

 新しく赴任してこられた二宮校長先生の案内でこちらも体育館での講演となりました。清野さんは戦後の学制改革以前に小学校を卒業しているため、中学校は松山工業高校、松山南高校へ進んでいるため、残念ながら下灘中学校の卒業生ではありませんが、それでも中学生には中学生なりの少し難しい話を「おじいさんから孫たちへおくることば」と題してしてもらいました。

 文系でなく理系の人なので最も得意とする専門分野の話は聞いても分らないものなのですが、技術士らしく理路整然と分り易く話されました。
 清野さんは1933年生まれ、52年松山南高校卒、56年日本大学工学部工学科卒、58年オリエンタルコンサルタンツ入社、86年に社長、会長を経て2005年から相談役・名誉会長を務めています。建設コンサルタント業振興への貢献で97年に建設大臣表彰、04年に黄綬褒章を受けています。建設コンサルタンツ協会、日本技術士会顧問なども努めておられます。

 小さな田舎町から飛び出し、日本や世界を股にかけて活躍する郷土の生んだ逸材なのですが、やはりふるさとへの思いは相当なもので、いつも頭から離れないと述懐されていました。そのことばを裏打ちするように心がけてきた次の5つを話されました。

 心がけてきたこと

 1、自分のふるさとに誇りを持つ

 2、両親や兄弟、仲間に感謝する

 3、毎日の仕事を大切に知る

 4、日本人としての誇りを持つ

 5、いつも感謝の気持ちを忘れない

 「郷土に錦を飾る」という言葉があります。清野さんや私たちを含めて戦後の混乱した世相の中で221世紀は誰もが都会に憧れ、都会の雑踏の中に消えて行きました。一旗揚げる気持ちで出かけてものの殆どの人は挫折や失敗を繰り返しましたが、清野さんの場合は夢をたゆまぬ努力で勝ち取り大成功を収めたのです。まさに一旗揚げ、郷土に錦を飾りました。今は亡きご両親もさぞかし自慢の息子であったに違いありません。清野さんの偉さはやはり原点であるふるさとを忘れないことだと思うのです。

 この日清野さんは小学校と中学校に目的ご芳志として図書を寄付されました。やがてこの本を読んだ子どもたちが第二・第三の清野さんを目指してくれることを期待したいものです。


 講演会終了後、わが人間牧場や翠小学校を案内しふるさとささやかにを満喫していただきました。

 その夜、三井さんの肝いりで交流食談会が持たれました。

  「ふるさとに 錦を飾る 人ありて 話すことばに 苦難感じる」

  「熱心に 聞き入る児童 それぞれに 今に自分も 夢が芽生える」

  「学校に ありし銅像 金次郎 幼き頃の 思い出ダブらせ」

  「美味いね 郷土の料理 堪能し 思い出話に 花を咲かせて」


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