shin-1さんの日記

○ハガキ千客万来

 数日前新聞に載った私の講演要旨は反響があってかなりの方々からお電話やお便りをいただきました。中でもハガキは50枚にものぼり、ハガキの千客万来といったところです。葉外を貰うということはそれなりに嬉しいのですが、返事を書くことは20年も一日三枚のハガキを書いている私でも大変で、毎日せっせとハガキを書き綴っている今日この頃です。その点メールは簡単で多分送信には1回10円くらいはいるのでしょうが、新聞を読んだ感想のかなりのメールはその都度処理をしたもののハガキはまだ未処理のまま机の上に置かれ、今日も朝から早起きをして書いているのです。ブログやメールをやり始めてからハガキは1日に10枚が限度ということが分りました。昨日はその10枚を書き上げ投函しましたが、やはり最後は字が乱雑になって申し訳ないことをしたと投函しつつ深く反省するのです。

 数日前に届いたハガキに懐かしい一枚がありましたので紹介します。

 「こんにちは。突然のお便り失礼します。松山に住む母が若松さんの講演会の新聞の切抜きを送ってくれまして、懐かしくてお便りさせてもらいました。下灘満野に住んでいた時、私は小学生でした。今は広島に住み、大学生と高校生の息子がいます。若松さんもお元気そうで何よりです。『変えてはならないもの』の言葉に感銘を受けました。ありがとうございました。これからもお元気で。広島市安佐南区・・・・・・・・T。  絵は母が書いた梅です。

 Tさんのご家族のことはよく覚えています。下灘満野を家族で離れられた折、広報のコラムにも書いた覚えがあるのです。地元の人からは中々届かないハガキですが、こうして異郷の地で暮らすと望郷の念に駆られるものなのか、改めてふるさととへの思いの深さに驚いた次第です。

 「そうかはやTさんの子どもが大学生と高校生か」と自分の年齢の高さを振り返り納得しながら、早速私も返事のハガキを書きました。双海町のその後の様子、私のその後や近況など夕日をあしらった絵葉書に少し小文字で少し多めの文章を・・・・・・。そして広島へもちょくちょく行くので会いたいとも追伸しました。

 新聞記事を送ってくれたお母さんのことも気になって、早速松山市の電話番号をくって見ました。記憶の彼方にあるY・Yの名前を見つけました。見つけたのが早朝4時なので8時頃ににでも電話してみようと思っています。何はともあれ嬉しい知らせに一昨日は一日中ほのぼのとした一日でした。

  「覚えてる? 覚えているよと 返事書く 海を渡りて 懐かし人の」

  「電話帳 目細め探す 彼の人の 名前見つけて 胸が躍りぬ」

  「新聞の 切り抜き送る 母の知恵 赤糸手繰る 望郷心」

  「二人子も 早そんなにと 納得し 自分の歳を 重ね合わせて」 

 

 

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