shin-1さんの日記

投稿者: | 2007年6月1日

○九州佐賀県嬉野への旅

 九州も北九州から南九州まで、さらに南九州も本土から離島まで足を伸ばして行く度に、狭い日本といわれながらも遠くて広いなあとしみじみ思うのです。それでも博多の急激な発展に誘導されてか、鹿児島から熊本八代まで新幹線が延びたり高速道路が整備されて段々便利になってきて、訪ねる方としては嬉しい限りです。車窓に広がる佐賀平野は丁度今頃が麦秋なのか何処までも何処までも黄金色の裸麦の畑が延びていました。遠くには麦畑に火を放つ野焼きをやっているのでしょうか白い煙幾つも見られ、既に焼かれた畑は黒々とした大地の色をしていました。

(黄金の麦の穂が波打つ麦秋の田園風景が見事でした)

(嬉野温泉の玄関口は肥前鹿島駅です)

 昨日は日本観光協会九州支部の総会が佐賀県嬉野温泉で開催され、記念講演を頼まれて出かけました。博多から特急かもめに乗って肥前鹿島まで行き、そこからタクシーに乗ること20分余りで嬉野に到着しました。嬉野といえば日本三大美肌の湯でその名を知らしめた温泉の街なのですが、佐賀県という人口僅か80万人の小さな地方の県だからか意外と知名度がないようです。はなわさんやがばいばあちゃんですっかり有名になりましたが、肥前鍋島藩ゆかりの地は吉野ヶ里遺跡などがあるものの、決定的な知名度ではそのまんま東国原知事の宮崎や、一村一品村おこしの大分に一歩遅れをとっているのは事実のようです。

 かつて繁栄した温泉地は旅行から旅へと国民の志向が大きく変化したこともあって、嬉野温泉もかなり苦戦しているように見えました。今回の会場となった和多屋別荘は規模の大きな、そして気配りの行き届いたホテルでしたが、少し早めに到着したので、お願いして風呂に入れてもらいました。日帰りの旅なので宿泊してゆっくり温泉に浸かることも出来ず沈んだ面持ちでしたが、これで今回の旅の目的である温泉三昧はゲットし、昼食にはこれまた温泉湯豆腐のフルコースを注文、これで女性のサービスでもつけばいうことないのですが、部屋付きの仲居さんがこれまた気のつく人で、まあ3拍子揃った経験が出来た事にしておきましょう。

(商工会の研修旅行に同行した時はもっと賑わっていた小さな歴史テーマパク肥前夢街道)

(中身は忍者屋敷や大道芸もある中々手の込んだ仕掛けがあるようでした)
 朝風呂上りに周辺を散歩してみました。嬉野温泉へは3度目の旅でしたので、そこそこ知ってるつもりで歩いてみました。ホテルの向かい側の小高い丘の上ににある肥前夢海道という古い歴史を再現した小さなテーマパークも営業はしていましたが、散閑としていましたし、12時前だというの嬉野温泉の商店街も人の気配が余り感じられないようでした。

(立派な嬉野温泉随一の規模を誇る和多屋別荘の本館)

(嬉野温泉の商店街)

 商店街を歩きながら嬉野温泉唯一の造り酒屋の店先で珍しい物を見つけました。こうした古い温泉地は必ず有名人や文豪などが長逗留をして作家活動を続けるものなのですが、放浪の俳人種田山頭火もここに立ち寄ったそうで、酒屋さんらしく石で作った酒徳利に山頭火の句が刻まれて思わず足を止めてしまいました。山頭火といえば山口県湯田や愛媛県松山に縁の深い俳人です。自由律詩などという、破天荒な作風で知られていますが、時を越えてこそ山頭火は評価を受けているものの、存命中は乞食のような暮らしをして決して恵まれた人生ではなかったようです。わが家の入口に友人が書いて贈ってくれた「何を求める風の中行く」も山頭火だし、「分け入っても分け入っても青い空」などが代表作として有名です。一見誰にでも出来そうなシンプルな句だからこそ、その句の持つ意味が心に響くのでしょう。

(句碑に刻まれている「湯壷から桜ふくらんだ」も山頭火らしい句のようです)

(この地はシーボルトもゆかりの人らしく、シーボルト足湯なんてスポットも整備され、川沿いの道も整備されぶらり散策できる中々の観光地とお見受けしましたが、若い女性客が沢山やってくる湯布院温泉や黒川温泉とは少し趣きを異にしていました)

 嬉野は真ん中を大きな川が流れていますが、田植えの始まるこの頃は上流で田ごしらえしているせいでしょうか、川の水は完全に濁って、「この川は夜に見るべし田植え時」とこれも山頭火を真似た私の一句を添えてみました。

(まるで近代化遺産にでもなりそうな鉄鋼造りの橋)

(古い時代の温泉神社というのを見つけました。お湯が出る恵みに感謝するために造ったものと思われますが、見忘れるような場所にありました)

(真赤な嬉野温泉橋、まるで夢の世界にでも足を踏み入れるような細くて中央が盛り上がった綺麗な橋でした)


(総会のステージはホテルらしく立派な花が飾られ素晴らしいシチュエーションで、マイクの通りも申し分のない話しやすい会場でした)

 さて嬉野温泉の和多屋別荘での記念講演は3時から始まりました。私の持ち時間は総会記念なので僅か1時間、肥前鹿島16時57分発の特急かもめに乗る予定でタクシーを呼んでいるので、前段で話す佐賀県庁職員の方の話が15分もオーバーしてしまい、メモを入れて終わるハプニングとなりました。困ったと思いつつ2時間番組を1時間に短縮した私の話流暢な日本語で会場の参加者を煙に巻きました。来月の7月5日には再び佐賀県観光連盟の招きで佐賀入りする予定です。

(九州各県からお集まりの参加者、中には今年1月26日博多で開かれた福岡県観光連盟の観光ホスピタリティ研修で出会った顔見知りの方々もいました)

 帰りの列車の中から北九州の夕日夕やけを見ました。美しさでは双海の夕日の方が一枚上ですが、少し寂しげな、それでいて余韻の残る旅の心を癒すにはやはり夕日は最高で、満員の電車の中から一枚撮りました。多分橋の感じが戸畑辺りの若戸大橋ではないかと眠気眼で思いました。

  「終わりそう 終わらないのは 下手話 も少し聞きたい 上手な話」

  「俺にでも 出来そう山頭 火の歌を 真似て作るが やはり凡人」

  「四四を 嫌う人あり 死死と読む 縁起担いで 良い良い思え」

  「夕日見つ 感傷ふけり 旅路にて 今頃わが家 妻は元気か」 


 

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