〇一番風呂の思い出
私が子どもの頃のわが家では、家の中で一番偉いのは戸長である父親でした。ゆえに暮らしの中心は親父で、私たち家族は何の疑いもなく親父の言うことに従って暮らしていました。食事で座る親父の場所には、いつも少し分厚い座布団が敷かれ、家族みんながちゃぶ台を囲む食事時、母親はご飯をよそう時も、まず神様や仏様に備えた後、晩酌を終えてご飯を食べる父親の茶碗にほんの少しだけよそい、それから家族の分をつぎ分けていました。子ども心に「親父は偉い」と思いました。
風呂も当然親父が一番風呂で、その後家族が順番に入り、終い風呂は母親で、風呂から出るとそのままふろの残り湯で洗濯をしていました。いつかは「一番風呂に入れるようになりたい」何て、馬鹿なことを考えていましたが、長男夫婦と二人の孫、それに私たち夫婦の今時珍しい6人の大家族のわが家での風呂に入る順番は、先ず早く寝る小6と中2の孫たちが一番風呂で、その次が息子、若嫁、そして偉いはず?の戸長である私が入り、最後の終い風呂は今も昔も変わらず戸長妻の順となっています。
時折野良仕事や魚の粗調理をした時などは、早目に風呂をためてもらい私が一番風呂に入りますが、五番目に風呂の順番が落ちても、私に対する家族の敬愛心は変わらず、良き家族関係を保っています。私は子どもの頃親父から「風呂焚き大将」に任命されました。薪を焚いて沸かす五右衛門風呂でしたが、野良作業や漁を終えて帰った親父が、私の沸かした風呂に浸かりながら歌う、浪花節のような曲を窓越しに何度も聞きました。風呂から上がった親父が「お前が沸かしてくれたお湯はいい湯だった」と頭を撫でてくれました。その親父も7年前97歳で亡くなりました。よき時代の一番風呂の思い出です。
「子ども頃 何でも親父 一番で 暮らしていたが 今は違って」
「わが家では 昔は親父 今は孫 一番風呂の 順番変る」
「いつの間に 私の順番 5番目に 変ったけれど それもまたよし」
「変わらずは 妻の終い湯 すまないと 思いながらも 黙認の日々」