〇山茶花の花が咲き始めました
昨日から一年収めの大相撲九州場所が始まりました。遠い少年の頃の記憶では、この時期になると立冬の暦どおり、北西の季節風が吹き荒れ、子ども心に寒さが見に染みた思い出がありますが、昨日はどうしたことか九州博多では27度の夏日となり、力士も観客席のお客さんも、汗をかくほどの陽気だったようで、異常気象?を予感させました。それでも季節は確実に冬に向かって動き出していて、野辺に咲いている黄色いツワブキや白い野菊の花々も、そろそろ見納めといったところです。
わが家の庭には何本か山茶花の木がありますが、その木々に赤というより少しピンクがかった山茶花の花が咲き始めました。山茶花は初冬の花なので、夏の花のような派手さはありませんが、茶花らしく控え目清楚で、人知れず咲き人知れず花びらを落すため、趣のある大好きな花の一つです。私たち夫婦がダイニングとして使っている南向きの部屋は、急峻な山と杉木立が迫っていますが、この時期は杉木立の中からこぼれ日が差し込んで、何ともいえない風情を醸しています。
ダイニングの透明で大きなガラス戸からは、親父が長年丹精を込めて育ててきた、かなり大きな山茶花の木があって、この山茶花の木にも数日前から花が咲き始め、食事をしながら時折やって来る野鳥の可愛らし仕草に一喜一憂しながら、夫婦二人で食事を楽しんでいます。私たち現代人は何故か毎日忙しげに暮らしています。室内は防音や冷暖房によって気温が保たれ、外気を感じないよう造られていて、ゆえに季節の移ろいに鈍感で、気がつけばいつの間にか一年が過ぎ、一生を終えるような感じですが、私たちに限ってはそうあってはならないと、時には窓を開けて外気を取り込んだり、緑や花々を楽しんでいます。
昨日も妻と朝食を取りながら、裏庭の風景を眺めて「幸せとは何か?」を議論しました。例えば夫婦がこうして何げない風景を眺め、日常会話をしながら食事ができること、食卓に私の作った無農薬の野菜が並ぶこと、病気にならず健康なこと、遠くで孫たちの泣き笑いの声が聞こえること、これらはありふれているので気付かない、ささやかな幸せなのです。「幸せとは幸せと感じる心」ですから、もっともっとありふれた幸せを感じて生きて行きたいと思いました。山茶花の花がそのことを教えてくれました。
「ダイニング 窓から見える 何げない 風景これも 幸せですね」
「山茶花の 花見て立冬 暦知る 一年収め 九州場所も」
「幸せは 遠いどこかに あるような 錯覚するが 手元にあった」
「山茶花の 花は控え目 葉に隠れ ひっそり咲いて ひっそり散って」