shin-1さんの日記

〇今日は父の日

 私たち夫婦には4人の子どもがいて4人の孫がます。したがって毎年それぞれの子どもや孫の誕生日、孫の子どもの日やクリスマスには妻が忘れないようにプレゼントをしています。そんなこともあって、最近は私たち夫婦の誕生日と妻の母の日、私の父の日にはプレゼントが届くのです。最近は娘が仕切るような形で私の要望を聞き、プリンターやデジカメをプレゼントしてくれるのですが、その要望も今のところ見当たらないため、それぞれがささやかなプレゼントをしてくれるのです。

 昨日の昼看護師をしている次男が前触れもなくわが家へ帰ってきて、「父の日おめでとう」といいながら三越の包み紙で、おしゃれにラッピングしたプレゼントを手渡してくれました。「開けてみたら」というので妻が私に代わって開けてくれました。私の好みにあったほんの少しだけお洒落な半袖のシャツが入っていました。

 夕方外出先から帰った長男の嫁が包み紙で包装したプレゼントを、「お父さんこれ少しで悪いんですが」といって書斎で手渡ししてくれました。父の日は明くる日だったのでそのまま机の上においています。

 夕方娘の家族が孫たちを連れてやってきました。娘が妻に言うのには近々母の日と父の日を合わせて買い物に行くからと、冷めた会話をしていました。もう一人わが家には三男の息子がいます。警察官をしていますが、父の日のプレゼントは例年のことながら、仕事の忙しさにかまけて何の音沙汰もありません。車の車検が近づいているので手配を頼むと電話がかかったのに、父の日の話題等これっぽっちもありませんでした。

 まあプレゼントを貰うために子どもを育てた訳ではないので、これもまたよしです。


 父の日は子どもについて考える日でもあります。4人の子どもはそれぞれに成長しそれぞれの道を歩んでいますが、父親と子どもの関係はすこぶるよく、何でも話せ何でも相談してくれます。それは多分妻の教育のお陰だと思うのですが、これからも子どもにとっていい父親であり続けるために、頑張らなければならないと思うのです。ひょっとしたら父の日は父親である私自身の、自立を誓う日なのかも知れません。もう一踏ん張り、頑張ってせめて子どもに迷惑をかけない父親になろうと思いました。


  「父の日を 覚えて子等が プレゼント 届かぬ息子 それもまたよし」

  「息子嫁 同居気疲れ 妻同じ 実篤色紙 仲良き説いて」

  「二人から 始めた暮らし 今十人 何事もなく 今を迎える」

  「父の日は 父の自立を 誓う日だ もう少しだけ 頑張ってみるか」

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〇一年かけて36枚の自画像を撮る予定です

 自分が自分自身の顔や姿を絵画や写真で表現することを「自画像」といいます。一番有名なのは耳を殺ぎ落として包帯を巻いたゴッホの自画像でしょうが、私たち凡人は人にとって貰ったスナップ写真に自分の姿を見ることはあっても、あえて自分で自分の絵を描いたり写真を撮る人は、自分の顔や容姿に余程自信がない限り、自画像をつくろうとは思わないのです。

 昨日は雨でした。初夏とはいいながら入梅しているため少し肌寒く感じたので長袖のシャツを着て雨傘に長靴という出で立ちで散歩に出かけました。毎日三枚のハガキを書いている私は、その散歩コースとして郵便局を目的津にしたり迂回することがよくあるのです。ポケットに書いたばかりのハガキを雨にぬれないように忍ばせて歩き、5分ほど歩いて郵便局のポストへ無事投函して帰宅しました。

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(2001自画像1号)

 何を思ったのか、ふとポケットに持っているデジカメを取り出し、遊び半分庭先でデジカメをいじり、自動シャッターにして板塀の上に置いて自分自身の写真を撮りました。自顔像ならぬ自姿像の自画像に写った自分の姿を見て内心ハッとしました。まあ全体的にはそれなりに写っているものの、七三に構えているためでしょうか、バンドの位置が水平でなくかなり曲がっているのです。

 年に何回かぎっくり腰を患う私としては、この曲がったバンドの位置が気になり、居間に置いた妻の姿見鏡に写してみましたが、写真のように曲がってはいませんでしたが、それでも歳のせいでしょうか、背中が心持少し猫背になっているようでした。まずいと思い背筋を伸ばしたり腹を引っ込めて顎を引いたりして全体像をチェックしました。

 ふと、「そうだ。これから一年、概ね10日に一回くらいのペースで自分の自画像をデジカメを使って作ろう、と思い立ちました。「なんて馬鹿なことを」とも思いましたが、短いようで長い一年間には四季の巡りもあるし、自分の容姿だって衣によって大分違うだろうと思うので、とりあえず遊び半分でとり続け、一年後に36枚の写真を羅列するのも悪くはないと思い始めました。さしずめ上の写真は2011自画像1号と記号をつけました。

 人は嫌でも知らず知らずの間に歳をとります。私も今年66歳の初夏を迎えていますが、10月の誕生日が来れば一つ歳をとって67歳となるのですが、まあサンデー毎日の暇人ですから、これくらいな遊び心を楽しむのも悪くはないと、心の中でニヤニヤしながら、自分の予定表の端に、自画像を撮る予定日として概ね10日間隔で印をつけました。またまたドキドキするような面白い企画がスタートしました。楽しみです。


  「自画像を 撮ってどうする 馬鹿だねえ 遊び半分 楽しまなくっちゃ」

  「写ってる 自分の写真 気になって 姿見写し 容姿をチェック」

  「一年後 三十六枚 自画像を 揃えて比較 今からワクワク」

  「この次は 三十日に 記しつく 待ち遠しいな これも生きがい」 

 

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〇田舎はただ今梅雨の真っ最中

 別に田舎だから梅雨だとはいいませんが、雨が降ると洗濯物が乾かなかったり、雨に濡れて活動が制限されるので、ついつい梅雨時はうっとうしく感じるものです。でも田舎には田舎の楽しみ方があって、見方を変えれば梅雨時期は結構楽しいものです。特にデジカメを持ってからやブログを書くようになってからは、雨ゆえの話題があり、また孫たちと同居するようになって少し違った視点が芽生えているようです。

 昨日の朝もすっかり日課になった保育園へ送る途中、「おじいちゃん僕、鳥の鳴き声ができるようになった」と口を尖らせて口笛を吹いたり、舌で鳥の鳴き声をしてくれました。単なる舌打ちなのですが、それでも孫は自分でできることの新しい発見に得意顔だったので、「凄いなあ」とおついしょで褒めてやりました。保育園でもそのことを先生に褒めてもらったと話してくれました。先月までは保育園へ行くのが嫌だと鳴いてぐずった孫とは思えない晴れやかな顔に一安心しながら、昨日も田圃の中の道を手をつないで登園しました。


 田圃の早苗はいつの間にか青々と伸びて、水の中のおたまじゃくしも随分大きくなって元気に泳いでいるし、夜ともなると田圃からはかえるの大合唱が聞こえるのです。初老期を向かえ今まで気付かなかった周りの風景や音が、見聞きできるようになったのも心のゆとりなのでしょうか。

 庭のくちなしの白い花が甘い香りを漂わせて咲き始めました。そっと顔と鼻を近づけると何ともいえない香りが漂ってきます。畑の隅にはジュウヤクの白い花が咲いて豆に濡れています。カタバミのピンクの花も見つけました。

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 「雨は楽しい」と思えば雨は楽しいものです。日ごろは鳥の目で過ごしていますが、雨の日には虫の目になって足元を見ると沢山の動植物に出会います。カエルやイモリ、チョウチョ、薮蚊までが何思うこともなく生きているのです。いつの間にかすっかり上達したウグイスの声も長閑に聞こえます。移り行く田舎の雨の季節ももう暫く続きます。やがて暑い暑い夏を迎えますが、梅雨は季節のオアシスですから、存分に休養を取ってのんびり過ごしたいと思っています。

 

  「足元に ジュウヤクカタバミ 花々が 控え目咲いて 梅雨も楽しい」

  「いつの間に 一列綺麗 並んでる 早苗元気に 夏に向かって」

  「口笛と いえるかどうか 分からぬが 褒めてやったら 得意になって」

  「鳥の目で 過ごしているが 雨の日は 虫の目なって 辺り見渡す」 

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〇ビワが届く

 田舎に住んでいると春先には筍が、またこの季節になるとビワと、物々交換のような形で色々な物が届きます。それらは全て季節の旬のものばかりなので、ついつい食べ過ぎてしまうほど美味しいのです。

 一昨日外出先から自宅に帰ってみると玄関先に沢山のビワが置かれていました。今は息子の嫁が孫の守をしながら殆んど家にいるため、「〇〇さんから届いた」などと荷主の情報を教えてくれるのです。先日走りのビワを届けてくれたのか私の旧友から、今回は妻の友人からでした。そんな矢先の昨日の夕方、今度は別の妻の友人から、ビワの餞別で手が放せないがビワを取りにに来ないかと電話が入り、あいにく妻が仕事で留守だったので、ノコノコ出かけ、いただいて帰りました。

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 ビワは柑橘類と違い繊細な果物で、完熟したビワはほおっておくと直に傷んでしまうのです。そうかといって貰ったものを全て食べるほど元気な胃袋があるわけではなく、親類や縁者にお裾分けをして喜ばれる有様です。妻の友人たちはみかん農家ですが、みかん価格の低迷が続いているため、最近は色々な果物を作っていて、今では双海町もビワのちょっとした産地になっているようです。

 ビワは種が多いことと、食べる時に手が汚れることが難点です。カニやエビも食べる時手が汚れるという理由だけで嫌いな私ですが、ビワは別で、昨日も一昨日も5~6個平らげましたし、ビワをよく食べる妻が、食後に剥いでくれて3個ばかり口に入れてくれました。


 ビワを食べる度に毎回思うのですが、ビワは種と皮が多く、種無しビワを発明できないかいつも思いながら食べます。また灰汁があるのか川を剥いた指先が黒くなるようで、近所の歯科医院に勤めている妻は、指先が黒くなるのを気にしながら、美味しい美味しいと体重のことを気にせず食べていいますが、今にその報いが来るのではと内心思っています。

 まあ種が多いとか手が汚れるとか要らぬ詮索をしないで、季節の果物ですから大いに楽しんで食べたいと思っています。ビワは喪五たちも大好きでよく食べますが、自分で剥く能力は二人ともまだ備わってなく、ブジュブジュにしてしまうので、結局私や妻がむいで食べさせてやるのです。これも同居しているじいちゃんやばあちゃんの大事な孫へのサービスなのです。


  「もしかして 種無しビワが できないか 他愛ないこと 思いつつ食べる」

  「初夏だねえ ビワが届いて 今年また 元気でビワを 食べれる幸せ」

  「孫アーン 剥いだ果肉を 口の中 満面笑顔 同居嬉しく」

  「次々と ビワが届いて このところ 毎日過食 少し気になる」 

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〇久しぶりの「夢工房」

 私はこれまで沢山の団体やグループに所属して、団体やグループに関わる人たちから様々な教えをいただき今日に至っています。一番最初に所属した青年団では①仲間、②主張、③ふるさと、④感動、⑤夢という5つの道具を手に入れ、その後の自分の人生に大きく役立ちました。また青年活動を終えてからは仲間と21世紀えひめニューフロンティアグループを組織して、家庭や職場や地域でできない様々な活動にチャレンジして、無人島に挑む少年のつどいや丸木舟瀬戸内海航海、竪穴式住居造り、ふるさとを空から見る運動、フロンティア塾などなど、楽しくも充実した活動を行ない、その活動は今も続いています。


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 公民館主事集団「煙仲間」を立ち上げたりもしましたが、つい最近は私の50代の夢であった人間牧場を開設、そこを拠点に年輪塾を開き、パソコンネットで結ばれるという今までにない手法で年輪塾グループで、宮本常一や二宮尊徳等先人の遺徳を深く掘り下げて学習しています。

 そんな私の経歴の中で忘れられないグループがもう一つあります。それは「夢工房」という小さなグループです。県庁職員と市町村職員の交流とレベルアップを目的に、当時役場職員であった私と県庁職員の高岡さんが相談して始めました。当時は二人とも血気盛んで夢も多く、グループの名前「夢工房」もすんなり決まったように思います。その後二人の人脈を中心に輪を広げ今では20人ほどの集団になっていますが、以前はその都度ゲストを招いて卓話を聞き、呑み会セットの楽しい学習会をしていました。

 「夢工房」の拠点はJR駅前の路地裏にある縄暖簾のかかった「四十雀」という小さな居酒屋です。毎回5千円の会費で美味しい料理を食べながら飲み放題というのが自慢で、時には「夢工房」の分派で何度も暖簾をくぐりました。

 市町村と県は私たちが交流するまでは、どちらかというと県が上、市町村が下という風潮がありました。その重圧と垣根をとってくれたのは盟友高岡さんであり、高岡さんに続く「夢工房」の仲間なのです。年齢的には私が一番高く、私が一番先にリタイアして自由人になりました。ところが最近「夢工房」の仲間も次々にリタイアして自由人の数がどんどん増えているのです。来年の春には中山の上田さんも自由人の仲間に加わるようですが、そんな仲間ですからいつの間にか、それぞれにそれぞれのポジションを得て、それなりに活躍しているのです。

 「夢工房」を高岡さんと二人で発足させた20年前とは随分世の中が変わってきました。合併が進み70が20市町となり、5つの地方局も3つに統合され、財政難で人件費は削られ新規事業も中々できないようで、深夜まで盃を傾けて夢を語り合った昔が懐かしく思い出されるのです。

 それでも集まる回数が滅法減った「夢工房」ですが、出会うと夢の扉が開かれるのです。私は常々「夢はドリームではなくターゲットである」といっています。また「夢には賞味期限がない」ともいっていますが、私たちに続く人たちが上司に理解がないとか、金がないとかいう理由をつけて、やらないことをやれないといっていることに警鐘を鳴らしています。いい人と出会っていい夢を見ながらいい夢の実現に向けて語り合う、「夢工房」の必要性をしみじみ思うのです。早速先日の「夢工房」が縁で、高岡さんから新しい出会いの提案がありました。楽しみです。


  「夢工房 名前の如く 夢語る 懐かしきかな わが人生は」

  「二十年 経てば世の中 様変わり 俺は古いが 夢はまだまだ」

  「一つずつ また一つずつ 積み重ね 夢の工房 さらに上積み」

  「金なくば 汗や智恵出せ 言ってきた これから先も 智恵をどんどん」

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〇雨の日の過ごし方

 北海道を除いた日本中が梅雨に入り、梅雨前線の活動が活発になってきました。特に九州では降り始めからの雨量が300ミリを越え、各地で土砂崩れ等の被害が出ているようです。過去二回裏山が崩れて大雨の被害に遭っているわが家では、大雨という言葉を聞く度に過去の忌まわしい記憶が蘇り、妻は懐中電灯や雨合羽、長靴等を用意して災害に備えたり、私も裏山の見回りをするなど、防災に余念がないのです。

 そんな意味もあって、家にいる時は殆んど毎日夜が明けると雨だというのに、長靴にこうもり傘という出で立ちで裏山散歩に出かけるのです。裏山に通じる農道は途中までコアスファルトやンクリートで舗装されているものの、かなり急な坂道で足腰を鍛える体力づくりにはうってつけの道なのです。今の時期はじっとしていても汗をかくような季節なので、終点で少し腰痛体操を加えて坂を下り、自宅まで引き返せばじっとり汗が滲んで清々しい気分になるのです。

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 長靴にこうもり傘で散歩を楽しむ人は、特に大雨の日等いませんので、早朝出会う隣近所の人は「何処へ行くのだろう?」というような目線でやり過ごしています。昨日は大雨の影響で農道は承水路のようになって、山から流れ出た水がまるで小川のように水を流していました。この農道は近くに農地があるものの殆んど管理も行き届かず、農地が土木業者の持ち物ということもあって、時々残土の仮置き場に使うので、小さなブルドーザーで道全体をさらうようですが、杉や桧の小枝が落ちていて、時には水路を塞いでいるのです。そのため私は散歩の途中でこれらの小枝を拾い集めて杉林へ移動させたりもしています。

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 昨日は県下全域に大雨注意報が発令され、かなりの量の雨が降ったので、近くの水路から溢れた雨水が瀧のようになって流れ落ちていました。元々この水路の水は私の家の裏を通って田圃に引かれていました。そのころはわが家の敷地の境辺りに小さな滝があったのですが、田圃の水路が農道工事で整備されて別のルートを通るようになってからは、滝の水も落ちなくなってこうして雨が降る時のみの小さな滝がお目見えするのです。

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 今朝は昨夜までの大雨も峠を越し小康状態のようなので、これから着替えて長靴とこうもり傘の出で立ちで、昨日の朝と同じように見回りがてらの散歩に出かけようと思っています。昨日までの大雨で上灘川の水かさも増していて、地盤が緩んでいるようなので、願わくばもうあめは欲しくないと身勝手なことを思っています。雨は恵みなれど「過ぎたるは及ばざるが如し」です。そろそろ梅雨の中休みの太陽の顔を見たいと思っています。

  「長靴に こうもり傘の 出で立ちで 今朝も裏山 散歩出かける」

  「見回りと 体力づくり 兼ねている 一石二鳥 足せば三つに」

  「雨が降る 度に備えを する妻の 脳裏かすめる 過去の災害」

  「一滴の 雨を集めて 海注ぐ 水は上から 必ず下へ」

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〇ホタルブクロの花の咲くころ

 里山にはその気になって見れば色々な季節の花が咲いています。白い野バラも白いウツギの可憐な花も、もうそろそろ花を散らして終わりに近づいていますが、昨日畑の隅でホタルブクロの花が、沢山咲いているのを見つけました。畑の周辺は草刈機で草を刈る時草刈機の餌食になってしまうのですが、ツワブキやホタルブクロは遊び心でほんの少し残しておいたものが花を付けたのです。

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 ホタルブクロの花はその名前が示すとおり、釣鐘状の袋になっていて蜜を吸うため蜂等が袋の中に入るので、まるで食虫植物のようです。この袋状の花の中に花の名前のように、ホタルが入るかどうかは見たことがないので分かりませんが、ホタルが飛び交うころに咲くのでその名前がついたのかも知れません。

 私たちが子どものころ、この花の名前がホタルブクロだとは知らず、この花を摘んで手のひらを丸めた中に入れ、上から思い切って叩くと、空気圧で袋状の花が破れ、「ポーン」と音がすることから、ぽんぽん花と勝手に名前を付けて遊んでいました。子どものころ蜜を吸うため中に入った蜂を袋ごと捕まえて遊んでいて、蜂に刺されて痛い目に遭ったことを思い出しました。昔の子どもたちは花を摘んで首飾りにしたり、ホタルブクロを鳴らしたりと色々な遊びを工夫していました。


 この花を一輪摘んで書斎の机の上に透明なコップに水を入れ、花を挿して飾りました。雑然とした殺風景な書斎に初夏の香りがするようでした。季節の楽しみ方は自然だけではなく、自然を部屋に取り込むことだってできるのです。この時期は「梅雨に三日の日和なし」といわれるように、ジメジメして蒸し暑く、雨で戸外に出て体を動かすこともままならず、気分が滅入ってしまいがちすが、少し工夫をすればいくらでも気分転換ができ、快適に過ごすことができるのです。今日も朝から雨です。今日も人間牧場へお客さんがやって来る予定です。こんな日は四輪駆動のトラックが大活躍しそうです。「天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」、これは私のけだし名言です。


  「夏が来た ホタルブクロの 花を見て 毎年思う のどけ気里山」

  「手を丸め 花の袋を 中に入れ 上から叩く ポーンと音する」

  「一匹の 蜂が袋に 出入りする まるでこの花 食虫植物」 

  「梅雨嘆く 梅雨を楽しむ 人もある どちらを取るか 人それぞれ」

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〇ジャガイモの収穫

 「もうそろそろかな」とか、「今年は冬の寒さが厳しくて作物の生育が遅れているからもう少し待とう」とか、作付けや収穫では素人百姓ゆえに毎年悩みます。結果的に先日やっと収穫して漬け込んだ梅の実の収穫も一週間遅らせました。タマネギにいたっては心持遅らせたばかりに雨の洗礼を受け、軒先に吊るす作業で随分手間取り、親父はその疲れが未だに抜けないと苦言を呈しているようです。

 そんなこともあって、わが家の梅雨時期の三大収穫と思っている梅・タマネギ・ジャガイモですが、ジャガイモだけがまだ未収穫でした。ジャガイモは2月に作付けしたのに早くも収穫です。タマネギは昨年11月に作付けしたのに今頃収穫ですからジャガイモの効率は相当いいようです。

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 ジャガイモは茎に花が咲き終わり、茎についた葉っぱが黄色く枯れ始めると地下芋の生育が終るので掘ってもよいと教わりましたが、ジャガイモを掘る時期は毎年梅雨に入っているので、天気と私の空いた日程が合わないと時機を逸してしまうのです。

 天気の長期予報とスケジュール表を見ながら梅雨の晴れ間の昨日を適期と定め、親父と二人で午前中ジャガイモ堀をしました。畑の土は前日の大雨で少し水分を多く含んでいましたが、三つ鍬で茎の少し離れた部分を掘って行くのです。メークイン、男爵、北あかりの順に11列のジャガイモを掘りました。私が掘りながらジャガイモを細長いキャリーに入れて行き、親父が小芋をむしり取ってバケツの中へいれ、茎を雑草置き場まで運ぶという役割分担手順に沿ってやりました。

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 孫を近くの保育所へ連れて行って帰ってから作業を始めましたが、ジャガイモ掘り作業は延々12時過ぎまでかかりました。それもそのはず慣れない鍬打ち作業は腰に負担がかかり、時々背筋や腰を伸ばさなければならないのです。それでもまあ順調にジャガイモを掘り、やっとの思いで全てを掘り終わりました。

 今朝は朝からかなり雨音の強い雨が降っています。今思うとこの雨は2~3日はぐずつくそうなので、よくぞ収穫したと安堵の胸を撫でるのです。

 今年のジャガイモは例年にない豊作でした。玉太りも良くキャリー8箱も収穫できました。これから少しの期間雨に当てないよう陰干しして泥を落とし、倉庫に入れて保管し、一年間のわが家の食料となるのです。


 昨日わが家では新ジャガイモを魚と一緒に煮付けました。息子嫁は半端物の小さなジャガイモをバターで転がして味付けをしていました。今日妻は新ジャガイモでコロッケを作るのだそうです。息子嫁は肉じゃがとジャガイモサラダを作ると張り切っています。新ジャガイモの掘りだちはホクホクとして、茹でたり蒸したりしてバターを付けて食べるのも格別です。ジャガイモに限っては食欲の初夏といった感じです。くれぐれも食べ過ぎにはご用心と、妻と息子嫁は美容自生の言葉をかけあっていました。これも初夏の長閑な田舎の風物でしょうか。


  「私掘る 親父は茎を 片付ける 今年も老々 元気に作業」

  「四ヶ月 土の中では ジャガイモが 子ども増やして 大きくなって」

  「ジャガイモが 今年豊作 タマネギも 肉さえ買えば 肉じゃがOK」

  「掘りだちの ジャガイモホクホク 妻味見 箸でつまんで わが口入れる」 

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〇でっかいヤナギダイをいただく

 昨日の朝6時ころ、わが家に一本の電話がかかってきました。漁師をしている伯母から「ヤナギダイが獲れたので取りに来ない」というのです。昨日は高知県へ講演に行く予定もあって余り乗り気ではありませんでしたが、それでもありがたい申し出に軽四トラックで8キロ向こうの下灘下浜まで取りに行きました。

 さっきまで漁船の活け間で泳いでいたというヤナギダイはまだ〆て間もないためピクピクしていました。その大きさは度肝を抜くほど大きく、えらに手を突っ込んで持ち上げるとずっしりくるほどでした。軽四の荷台に積み込み急いで引き返し、調理用の割烹着を妻に着せてもらい、出刃包丁を取り出して早速格闘です。まずウロコをとる作業をしましたが、このウロコがとても硬いのがヤナギダイの大きな特徴で、ウロコ取りの道具も歯が立たないほどで、そこら辺に大きく硬いうろこが沢山飛び散りました。

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(私の手にかかって料理された10キログラムを越えたヤナギダイ)

 やがて出刃包丁で頭と胴体を切り分け、頭は二つに割ってえらを取り出しましたが、これが一番力の要る作業で包丁をまるでなたのように振りかざして何とか怪我もせず処理しました。内臓には沢山の白子があってこれは美味しいので壊さないようにそっと取り出しました。

 三枚に下ろした身はとても大きくて分厚く、刺身にすれば30人分は有にあるほどでした。下調理した魚をそれぞれパレットやボールに小分けしてラップで包み、冷蔵庫へ収納するのですが、これが冷蔵庫の場を取るため、妻もその気になって冷蔵庫を片付けていました。わが家の台所はただ今リフォーム工事の真っ最中で、一昨日息子と二人で台所から私たちの台所へ冷蔵庫を引っ越したばかりなので、妻も勝手が違うので多少戸惑っていたようです。


 昨日は高知県へ主張して帰宅してみると、食卓に刺身と刺身を使った妻特製のにぎり寿司が並んでいました。いやあ美味しかったです。10キロ以上もある大きなヤナギダイなので脂の乗りも抜群で、少し食べ過ぎてしまいました。

 私も親父も魚が大好きで、そのことを知っている妻は毎日魚料理をしてくれます。親類に漁師さんがいるため時々魚をくれるため、きちんと下ごしらえをして大き目の冷凍庫に保存しています。肉は殆んど食べない私ですが、この歳になると魚がやはり体調管理にはいいようで、家庭菜園で取れた野菜と魚を使って美味しい料理を毎日作ってくれるのです。ここ一週間は刺身にしたり、煮付けにしたり、焼いたりとヤナギダイのフルコースが食卓を賑わせることでしょう。


  「最近は 魚の料理 するように なって妻から 感謝をされる」

  「ヤナギダイ 三枚降ろし 食卓に 刺身や寿司と なりて舌打つ」

  「肉嫌い 魚大好き お陰様 病気もせずに すこぶる元気」

  「もし酒が 飲めたらいいと ふと思う 酒の肴で ご飯を食べる」

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〇久しぶりに高知へ

 人のご縁とは不思議なもので、最近まで国立大洲青少年交流の家に勤務していた橋田さんが3年間の勤務を終えて、古巣の高知県へ帰られましたが、その後の勤務地が高知県教育委員会の生涯学習課だそうで、先日メールや電話が届き、社会教育主事等研修会の講師として講演をして欲しいと頼まれました。

 私は駆け出しのころ地元双海町の教育委員会で、13年間社会教育を担当しましたが、その後も県公連の専門委員や月刊公民館に執筆したり、依頼があれば生涯教育とまちづくりについて講演活動を行っているものの、社会教育の現場から退いてもうかれこれ30年にもなるというのに、こうして社会教育に関する引き合いがあるとは、何とも息の長い話です。

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(仁淀川町にある茶業試験場の美しい風景)

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(満々と水をたたえて太平洋へ流れる仁淀川の流れ)

 昨日はその講演日で高知へ出かけましたが、間近に迫った仁淀川町での講演の打ち合わせや、久万高原町での所用を済ませるため、本来なら高速道路を走って川之江ジャンクション経由で高知県入りするのですが、少し早めに出て久しぶりに国道33号線を走りました。

 高速道路の開通以来国道33号線は交通量が激減していて、昨日も平日とあって交通量も少なく、時折地元の高齢者マークをつけた軽四トラックがノロノロ運転で前道を塞ぎましたが、それでも所要時間は所用を含めても3時間弱で、会場となっていた伊野町にある高知県青少年の家へ1時間も早めに到着しました。

 県境から仁淀川沿いを走る国道33号線沿線は緑も濃くなっていて清々しく、先日の大雨で増水した仁淀川が大河となって流れていました。

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(背景写真パネルを前に講演する私)

 現地で背景写真パネルを持参したミミックの十亀さんや加藤さんと合流しました。背景写真パネルの設置は東広島マツダ会と人間牧場あいネットワークの研修会に続いて3度目ですが、講演前に大掛かりな背景写真パネルを設置する私たち3人の姿を見て、高知県内から集まった50人ほどの参加者たちは目をパチクリしていました。昨日の私の持ち時間は2時から1時間余り講演し、10分間の休憩の後4時半まで分散会への助言を行ないました。参加者の中には西部教育事務所の松下先生や、10年も前に愛大で行なわれた社会教育主事講習で私の講義を聞いた人もいて、嬉しい再会となりました。大川村や土佐町から参加した人と名刺を交換したりして、新しい出会いも予感しました。

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(活発な議論が行なわれた分散会)

 仕事を終え夕闇迫る中を復路は高速道路を使って、明るいうちに自宅へ帰ることができました。高速道路や車のお陰で昨日も350キロ近くの四国の道を駆け抜けましたが、わが住む四国も広いと実感しました。私は海の傍で生まれ育ち今も海の傍の町に住んでいます。子どものころから常に海の向こうを意識していて、ジョン万次郎にに憧れて、水産高校の実習船愛媛丸でオーストラリアまで遠洋航海に出かけたり、青年の船でアメリカ・メキシコへ渡ったりして、太平洋と縁が深く、そのためでしょうかおおらかな高知県の風土や高知県民の気質が大好きで、何かにつけて高知と深いつながりを持ち続けているのです。そんな心の高ぶりを久しぶりに感じる一日となりました。


  「おおらかな 高知県人 気質好き ゆえに仲間も 沢山おりて」

  「行き地道 帰り高速 それぞれに 趣きありて 一人旅する」

  「背景の 写真のパネル 今回も 度肝を抜いて 効果抜群」

  「広いなあ 一人つぶやき 四国路を 二百五十キロ アクセル踏んで」

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