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〇第2回サイコーダイガク

 最初は冷やかしではないにしても、市役所の松本さんからの声がかりでもあるので、軽い気持ちで参加していたサイコーダイガクでしたが、研修は一年間続くらしく、いつの間にかその輪の中に自分がいることに今頃になって気付いています。その第2回目の研修会が昨晩ありました。昨日は間近に迫った講演会の打ち合わせで人に会ったり、秋に予定されているシンポジウムの企画書の件で、パソコンでのやり取りが予定されていたので、研修終了は2時間後の午後8時30分で終るだろうと予測し、長引けば途中退席をしなければならないかも知れない覚悟して出かけました。開会時に終了の時間を聞けば9時30分までの長丁場らしく、時計を気にしながら研修に参加しました。

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 昨日は第一回のおさらいと全国の事例紹介、そして自己紹介などが1時間弱もあって、本題の地域資源発見のためのワークショップに入るのに時間がかかってしまいました。ゲームで30人ほどのメンバーが3班に別れ、自分が地域資源だと思っているものを5つずつ出し合って分類作業をしました。コーディネーター役の前田眞さんとは旧知の間柄なので、彼の作業手順を学ぶのも今回の研修会の目的なので、私と随分違う手法に感心しながら聞き入りました。

 最近の研修会は聞くことよりも参加させる、ワークショップという手法が積極的に取り入れられて、初参加の人は飛び込み易いのですが、経験者にとっては回りくどい難点もあるようです。

 私は5枚与えられたポストカードに、地域資源として夕日(シーサイド公園)・ホタル(翠小学校)・花(水仙、菜の花、桜、つわぶき)、下灘駅・未利用資源(海藻類、海産物、林産物)の5つを書きました。これらはグループのみんなが多かれ少なかれ考えたものと沢山ダブっていました。これらのものは私たちが初期的に手掛けてそれなりに成果を得ているものなのですが、今後はこれらの地域資源を結んで観光資源にして経済に発展させる作業をしなければならないのです。夕日もホタルも花も駅もそれなりに仕上がっていますが、未利用資源と組み合わせることでいっそう輝きを増すものと思われます。まさに5W1Hの世界でしょう。


 who(誰が)、what(何を)、when(いつ)、where(どこで)、why(なぜ)、how(どのように)を5W1Hというのですが、最近はwhom(誰に)とhow much(どれだけ)の1W1Hを加えて6W2Hにする必要があるようです。いい資源をいい企画に仕上げる、そしていい効果を生む、まさにサイコーダイガクはその手順に沿って成果を上げようとしているのです。

 中間報告や採集発表が楽しみになってきました。私のスケジュール予定と上手くかみ合って欲しいと願っています。

 

  「研修会 いつの間にやら 輪の中に これもまたよし 棹差し生きる」

  「何もない 小さな町も 二十年 やったお陰で ほらこの通り」

  「ダイガクと いう名ついてる 研修会 まるでガクセイ みんな真剣)

  「昨日より 少し知識が 増えました 智恵に置換し 実践生かす」


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〇踏んだり蹴ったり

 ブンコ(蜂の巣箱のこと)の異変に気付いたのは大雨の降った一週間前でした。巣の入り口付近に大量の糞のようなものが積もり始めていました。早速雨合羽とゴム手袋、それに麦藁帽子の上から黒い防虫ネットをスッポリ被り、引き出し式の底板を引き出してみると、底には沢山のスムシが発生していました。ミツバチの群がる中へ手を突っ込んで調べてみましたが、硬いはずの巣はフニャフニャになっていました。やばいと思いましたがひとまずステンレスのヘラで糞を取り除き様子を見ることにしました。

 昨日の朝ブンコを観察すると、あれほど大量にいた蜂がまったく文庫付近に見えなくなっていたのです。昨日は夏の高気圧から吹き出す南風が強く、気温はうなぎ上りの中を、ミツバチ作業の出で立ちに変身もせずにブンコを裏返ししてみると、ミツバチは一匹も確認できず、巣はスムシにやられ完全に破壊されていました。悪い予感が的中して落胆この上ない中を、憤りを感じながらも、巣を全部取り出して掃除をしました。最後には水洗いをして夏の太陽で天日乾燥しました。

 このブンコは昨年の4月に設置し、5月の連休に分蜂が確認された、裏山第1号なのです。その後も順調な営巣が見られ、去年の夏には採蜜するかどうか迷いましたが、結局種蜂の確保のために越冬させていたのです。今年の採蜜の一番の楽しみだったブンコが破壊されたので、私の落胆は相当なものでした。

 ところが昨日の夕方書斎から外を見ていると何やら柿の木に黒い蜂球のようなものが見えました。とっさに裏山に登って確認すると小さいながら紛れもなく分蜂の蜂球でした。

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(スムシに破壊されたミツバチの巣)
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(ミツバチの巣の残骸)
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(蜂球を捕まえた直後の様子)


 急いで雨合羽に着替え防虫ネットやゴム手袋をして、いつも使う米袋が見当たらないのでとりあえず、透明のナイロンのゴミ袋を持って捕まえる作戦に出ました。少し慣れたとはいいながらブンブンうなる蜂球の中へ手を突っ込むのは今でも腰が引けます。それでも目をつぶるような気持ちで袋の中へ掻き込みました。その袋を持って掃除したばかりの巣箱の中へドサッと放り込みました。その時ゴム手袋をしているにもかかわらず、チクリと中指の先を蜂に刺されてしまいました。泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったりとはこのことだと、妻の差し出すアロエの葉を挿された指に押し当てました。

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(ミツバチに刺され腫れ上がった痛々しい中指)

 昨日の夜はサイコーダイガクのある日なので、汗をかいていたため早めに風呂に入りましたが、挿された指先をお湯に漬けたのが悪かったのか、昨晩は眠れないほどではありませんでしたが、ズキンズキンと痛みを感じて朝を迎えました。日ごろは指先が何処にあるか、どの指でパソコン操作をしているかも分からず、無意識に使っている手先ですが、どうやら私は中指でパソコン操作をしていたようなのです。今朝パソコンでブログを書いていますが、今朝は人差し指を使って慣れない手つきでやるとミスが多く、やたらと時間がかかるようで困っています。2~3日は腫れが引きそうにもなく、昨日夕日徒然草の原稿を書き上げたことのラッキーさを喜びました。


  「一番の 楽しみだった 巣をやられ 早くも落胆 今年の養蜂」

  「蜂球の 中に手を入れ ミツバチを 捕まえたものの 指先刺され」

  「泣きっ面 蜂とは上手く いったもの 感心しつつ 腫れた指見る」

  「失敗を 今年も懲りず してしまい まだまだ修行 足らぬ反省」

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〇暑い夏がやって来ました

 たった一日のことなのに、昨日からすっかり夏らしくなって、昨日は全国各地で気温がグングン上がり、真夏日になったり熱中症で死亡事故があるなど、この先が思いやられるような雲行きです。今年は原発事故の影響等もあって節電が謳い文句ですが、川沿いの高台にあるわが家では去年のような異常な暑さでも、冷房をかけることもなく過ごせた省エネ優良家庭なのです。

 ところがこの春から同居を始めた息子家族はこれまで冷房に慣れた暮らしをしていたので、早速冷房の点検をして異常が見つかったため早々と業者さんに修理に来てもらう周到さで、わが家の無冷房神話も去年で終わりのような雲行きです。

 昨日は全国各地で冷房を使ったため電力消費量は今年の最高を記録したそうですが、ブルサーマルによるい方原子力発電所も、愛媛県知事や伊方町長の福島原発事故を意識した慎重発言でこの先どうなるのか、その行方が注目されています。定期点検のためストップさせている四国電力では燃料棒を注入し、暗に電力不足を理由の運転をしようと動いているようです。

 遠い隣町だと思っていた伊方原発も直線距離では下灘地区が30キロ県内にギリギリ位置していて、他人事ではないと、日常会話の中にも事故を危ぶむ声が見え隠れするのです。庶民がこんな状態ですから運転を許可する愛媛県や伊方町のトップも、これまでの鵜呑み行政では済まされないと、様々なパフォーマンスをマスコミを通じてやっているようです。

 私は冷房嫌いで、役場在職中私の教育長室は夏の間窓を全開して、余程のことがない限り冷房はかけませんでした。そのため大汗もかきましたが体はすこぶる元気で在職2年間の夏を乗り切りました。電力が不足するので省エネで冷房をつけないよういわれていますが、冷暖房に馴れた人たちが冷暖房を止めると、熱中症になりやすいのは当然で、むしろそのことのほうが危険であることは昨年の熱中症事故の多発を見ても明らかです。

 わが家は今年の5月から同居した息子たちがわが家全家庭の電気料を全て払う約束が成立していますが、節電する癖をつけさせる意味で始めたこの取り組みが吉と出るか凶と出るか、今から興味深々です。何はともあれ今年もまた暑い夏がやって来ました。夏至を境に太陽は早くも秋冬に向かい、西に向かって動いているのです。


  「凄いなあ たった一日 過ぎただけ 夏の暑さが 列島襲う」

  「省エネの 大合唱で 熱中症 ならぬようにと 注意促す」

  「わが家では 今年春から 電気料 息子口座で 痛み分けする」

  「冷房が 嫌いな俺には うってつけ 今年の夏も とにかく元気に」

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〇「進」という珍しい姓の人に出会いました

 その人にとっては当たり前ながら、世の中には珍しい姓の人がいるもので、県庁に姓が「進」さんという人がいるのです。私は地元では「進ちゃん」と呼ばれているため、姓にしろ名前にしろ同じ「進」なので、この人の存在を知ってから、早い機会にお会いしたいものだと密かに思っていました。

 先日開かれた夢工房という仲間内の呑み会に、「進」さんをゲストとしてお招きする予定が、先方の都合でできず出会いの機会を逸していました。

 残念な思いをしていた矢先、煙仲間の仲間にその機会をつくってもらい、昨夕松山の居酒屋でやっとお会いすることができました。進さんは東京霞ヶ関のお役人で、若いながら愛媛県庁市町振興課の課長としてこの春赴任して来られた人で、私たちから見れば雲の上の人なのです。でも同じ霞ヶ関のお役人で、つい最近出会うことの多い県警本部長の岸本さんと同じく、謙虚で好感の持てる人でホッと一安心しました。姓に「進」、名前に「進」という偶然も重なり、今後も出会いを重ねたいご縁を感じました。

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 「吉亀」という居酒屋へ入るなり、店の大将が「若松さんでしょう」と私の名前を覚えていてビックリいました。私は初めてでしたがどうやら中村砥部町長さんがらみで、私の話を聞いたことがあるそうなのです。客商売とはいえ双海町という片田舎に住む私の名前を覚えていることも驚きでした。聞けば今回の出会いを取り持ってくれ同席した旧友高岡さんと大将は、母校宇和島東高校の同級生だそうで、同席の北川さんや八十島さんと母校が一緒のようで、宇和島というだけで私も懐かしさを覚えました。

 昨日は年輪塾の小番頭である松本さんも同席してくれ、短い時間ながら終始楽しくも充実したひと時を過ごしました。私は10年前から体の都合で酒を止めていて、お茶一辺倒で2時間半も付き合いましたが、最近は酒宴席でお茶を飲むだけでも、酔ったような気分になるのですから不思議です。

 昨日は少し早めに出て愛媛新聞へ浅野和子さんを訪ねました。愛媛新聞社も暫く行かない間にすっかり綺麗に様変わりしていましたが、家安さんや安井さん、食談会担当の瀧宮さんなど懐かしい人に出会いました。

 久しぶりにえひめ地域政策研究センターや、時間調整で5~6年ぶりにチョイ寄りした美杉という居酒屋などなど、昨日は各地で30度を越える真夏日に加え、一年中で昼が一番長い夏至の日ながら、とても充実した一日となりました。呑み会を終え進課長さんとお別れし、例の如く途中で高岡さん、松本さんを自宅近くまで送り、10時過ぎ自宅へ帰りました。昨日は私が不在中沢山の電話がかかっていたようで、妻のメモをもとに11時まで電話処理をしました。昨日は一気に季節が進んで寝苦しい夜でした。

  「姓と名が 同じ縁の 人に会う 月とすっぽん 違っているが」

  「近頃は 霞ヶ関も 威張らずに 謙虚な姿 こちら恐縮」

  「居酒屋の 大将俺の 名を覚え 気安く声を さすが商売」

  「懐かしい 多分相手も 懐かしい お相子どうし 記憶辿りて」

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〇共栄網加工場(その2)

 先日友人の市原実さんが千葉県からはるばるやってきた折、偶然にもチリメンジャコの生産をするであろう湯気が上がっているのを共栄網の加工場で見ました。市役所の松本さんを介して見学を申し入れ快く承諾をいただいたので、三人で見学しました。

 竣工してからまだ一度も見学をしていなかったし、一度は見学したいと思っていた矢先のことだったたためラッキーでした。運よく中積み船がチリメンジャコを積んで帰って来たため、ポンプと長いホースでチリメンジャコを水揚げする様子や煮釜で茹でて釜揚げされるまでの行程の一部始終を見学することができました。

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(沖合いで2艘船引き網で漁獲されたチリメンは中積み船で加工場突堤まで運ばれてきます)

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(中積み船の活け間にポンプの吸い口が入れられ、蛇腹ホースで加工場へ運ばれます)

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(加工場の水槽に運ばれたチリメンジャコ)

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(水槽からコンベアーに乗って煮釜に入れられボイルされます)

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(工場内のプラントは全てオートメーション化されています)

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(ボイルされたチリメンジャコが発泡スチロールのトロ箱に落ちてくる仕組みになっています。)

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(製品は例風雨で冷やされ、目視と手作業で異物を取り除き、冷蔵庫へと運ばれ製造工程を終ります)

 始めて見るチリメンジャコの製造工程は、2階の工場見学窓からも見ることができますが、機械と人間、それに魚の息遣いがじかに見れる機会は余りないのでいい同行した市原実さんも喜んでいました。先日息子の同級生で共栄網で働いている和田さんからチリメンジャコの釜揚げが一箱届きましたが、いやあ新鮮な釜揚げのチリメンジャコは美味しかったです。乾燥したチリメンジャコも釜揚げのチリメンジャコも、双海町の特産物としてもう一工夫したいものです。特に釜揚げは余り出回らないため希少価値があるようです。


 高齢化による漁業後継者不足を一般公募して乗り切り、近代化した加工場も出来上がりました。難点は漁獲時期が周年でないため、加工場の稼働率が悪いし、労働力を集中できない難点も未だ解決されていません。特産品の開発に取り組んでいるものの、ヒットやホームランを打つまでには至っていないのも実情です。幸い冷凍技術が普及しているこの時期なので、何とか新しい智恵を生み出したいと思うのですが、猟師の頭もまだまだ柔らかくないようです。


  「チリメンが 釜揚げされて トロ箱に まるで水晶 高級品だ」

  「この工場 何とか周年 執念で 動かすような 智恵を出したい」

  「おらが町 自慢のものが また一つ できたのだから 生かす方策」

  「竹かごで 各々家へ 運んでた 昔懐かし 今は隔世」



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〇共栄網の共同加工場(その1)

 わが双海町に一口株主制度として100年以上の歴史を持つ、共栄網という漁業団体があります。形式的には漁協の内部組織となっていますが、れっきとした独立団体なのです。昭和30年代まで伊予灘には上灘小網、下灘、中島、長浜などに、カタクチイワシを漁獲して煮干に加工する巾着網がありましたが、加工技術が漁獲したカタクチイワシを個人に分配して各々にまかせていたため、その重労働に耐え切れず次々と姿を消していったのです。坂の集落でイワシを各々の家庭まで運ぶ作業がきつかった上灘小網も例外ではなく、「小網だけには嫁にやるな」と言われるほど煮干を生産する労働がきつかったようです。

 そんな重労働から開放されたいと願う漁師たちは、隣の集落の空き地を求め、共同加工場を国や県の補助を得て造りました。当時の白石県知事が同じ郡内出身ということもあり、田中角栄のような選挙応援の見返りもあって、深い信頼関係の財力支援があったようです。

 最盛期には2統の巾着網が沢山のカタクチイワシを水揚げし、品質のよい丸共印の煮干として、時には天皇陛下お買い上げ等を自慢に全国に出荷されていました。

 しかし巾着網が大勢の労働力的人力を要するため、魚網自動巻き取り機導入やFRP船導入等度重なる近代化を図ったものの、漁民の高齢化もあって追々細りの感じが否めませんでした。


 折りしも郡中や松前では鶏が先か卵が先かのゴタゴタが続いていました。長い歴史を持つ巾着網から2艘フナ引き網に変身することは容易ではありませんでしたが、県の指導や許可制付与もあって、煮干と季節によってチリメンを導入することにしたものの、既に加工場や機械器具は老朽化し、衛生的な工場建設と加工機械の導入が急務となっていました。この事業には多額の資金が必要で、補助金で造った施設や設備ゆえ耐用年数が残っていたこともあり困難を極めましたが、多くの人の智恵と汗によって昨年見事に復活を遂げたのです。

 かつて双海町役場で水産を4年間担当し、加工場や漁船の近代化に紛争したことのある私なので、加工場の竣工はわがことのように嬉しい出来事でした。私の家もかつては煮干を製造していたので実情をこの目この肌で覚えているので、ことさらな気持ちです。


  「共栄網 歴史辿れば 江戸時代 一口株主 今に続いて」

  「あの村に 嫁にやるな 殺される そんな悪口 昔話に」

  「農村に 比べ漁村は 遅れてる 一周遅れ 今は先頭」

  「いつの日か 漁村の歴史 書き残し 記録しないと 記憶の外に」

 

 

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〇アイテムえひめでコープえひめの総代会総会

今日はコープえひめの総代会総会があるので、少し早めに身支度を済ませました。今日は毎月21日わが家が行っているお地蔵さんの縁日でもあります。妻は少し早めに起きて昨晩から用意していたガス釜にスイッチを入れ、赤飯を炊いていました。ご飯が蒸しあがると早速透明のプラスチック容器に20個ばかり注ぎ分け、湯気を取るため団扇で扇いでいました。私は冷めたものをひとつひとつゴムバンドで止めて手提げ籠に7個入れて車に積み込み、下灘の親類へ配って回りました。

 今朝家を出るときは強い雨脚でしたが、そのうち小降りになった雨の中を「今日はお地蔵さんの縁日です。お一つどうぞ」と手渡しました。雨で早朝だったためどの家も在宅で助かりました。

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 一通り赤飯を配り終わり、さあ総代会総会の会場であるアイテムえひめを目指して、裏道を走りました。あいにく通勤時間と雨が重なり空港通りは車の長い列が続いていました。こんなこともあろうかと予想して早めに出たためアイテムえひめに到着したのは8時10分でした。役員は遅くとも8時50分までに集合とのことでしたので、私は一番早い部類でした。

 何するでももなく事務局や役割分担されている人たちが忙しく振舞う姿を遠目で眺めながら過ごしました。やがて役員さんが、そして総代さんが集まり始め、開会予定の10時前にはあの広い会場の席がほぼ埋まりました。私も役員席の末席を汚しましたが、この会場はステージと客席がワンフロアーになっているため、昨年までの文化会館のような姿とは少し様子が違っていました。

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 学識理事になって早5年目となりました。会場のあちこちには軽く会釈をしたり手を挙げてくれる人もいて、久しぶりに懐かしい人にも会いました。総会は10時から12時30分の予定でしたが、運営が上手く行って少し早めに終りました。総会の運営の仕方も年々向上していて、完璧に近い仕上がりでした。ただ地区の集会に出席せず総会だけに出席した人の中には、発言の機会がまったくないことから、口封じではないかと不満の声も聞こえましたが、それはそれとして大事な意見なので次の機会にでも代弁したいと思っています。

 今日は総代さんに混じって友人であるギノー味噌の田中社長さんが麦味噌文化について意見発表を行なってもらいました。「裏が味噌」のPR名刺のスポンサーでありパトロンでもあるので嬉しい限りです。

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 総会の後は別の会場で出入りの業者さんによる屋台風の料理が並ぶ中、試食会が行なわれました。質素ながら肉あり魚あり、乳製品やスイーツ、ご飯物、うどんなど40業者を越える試食品に目移りがするほどでした。1時間半ほどの短い時間ながらみんな満足のご様子でした。男性の私たちは女性理事のように赤い揃いのエプロンをして手伝うこともなく、総代さんや来賓に混じって試食をして歩きました。昼時を少し越えた昼食は小腹も空いて、程よいご馳走だったように思います。

 終了後簡単な後片付けを女性理事さんが手助けし、余ったものを並べた机に並べ遅い昼食となりましたが、私などはもう既に満腹で、草々にお暇する羽目になってしまいました。

 一年をかけて準備をしてきた人たちにとっては、やっと肩の荷が下りた感じの一日でしたが、上手く事が運んだので満足な気分に浸っていることでしょう。間もなく夏がやって来ます。理事さんの中には人間牧場を是非訪ねたいという人もいて、これから1年の任期中に皆さんと深いご縁を重ねたいものです。


  「五回目の 総会迎え 矢の如く 過ぎた五年を 懐かしみつつ」

  「立食は 余計入ると 思いきや さほど入らず 直に満腹」

  「元気かい 元気ですよと 返事する パーティ会場 賑やかなりて」

  「来年は 退任します この会を 残り一年 悔いなく過ごす」  

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〇市原実先生が双海町へやって来ました。

 「今松山駅にいますが、松山以西ではどうやら列車が大雨のため動いてないようです」と、9時44分いよ上灘駅へ着く予定だった市原実さんから電話が入りました。その時間には私の町でもかなり激しい大雨に見舞われ土砂降り状態だったので、「とりあえず伊予市までは来れる」という言葉に、「とりあえず伊予市まで来てください。直に迎えに行きますので」と対応し、雨の中を車を走らせました。

 伊予市の駅に着くと市原さんは駅前の町家をさっと散歩され、人懐っこい笑顔で出てきました。助手席に乗ってもらい、とりあえず一緒に会おうと約束していた市役所支所の松本さんに車の中から電話を入れました。ふと市原さんを迎えに行く途中共栄網の加工場から白い湯煙が立っているのが見えたので、「加工場の見学ができないか聞いて欲しい」と頼んでみました。さすが市役所の現職だけあって、顔が利くのかOKの返事を貰いました。

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 市原さんと会った頃には雨が小ぶりになっていました。とっさの判断で昼までの短い時間に何処へ連れて行こうかと迷いましたが、観光カリスマの本を出版するような地域づくりのスペシャリストなので、とりあえず共栄網の加工場とわが家のゲストハウス煙会所を案内することにしました。加工場の紹介は別立てでブログに書こうと思っているので、煙会所での語らいの写真を紹介しておきます。

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市原さんは大学の先生でした。最初に出会った記憶は定かではありませんが、多分長崎県香焼町の武次さんに招かれて香焼町で講演をした際出会いたいと会場に見えられたものの、とんぼ返りだった私とすれ違ってしまいましたが、先生から感想のお手紙をいただき、以来筆まめな先生からお便りが頻繁に届くようになって付き合いが始まりました。えひめ地域政策研究センターに出向していた松本さんは、その後東京等で何度か先生とお会いしていたようで、何年か前に私が実行委員長を務めた全国地域づくり団体交流全国大会愛媛大会の折、分科会は双海町を選んでもらい再会しましたが、この時も私は別の分科会会場視察のためあちらこちらしていたので、明くる日メンバーが人間牧場をエクスカーションで訪ねた折も、先生とご一緒することはなく、ここでもすれ違いでした。

 昨日は松本さんと私と先生と三人で久しぶりに、家をりフォーム工事中でこのところすっかりゲストハウスとなった私設公民館縁会所で短い時間ながら話し込みました。予定ではこの後宇和島の谷本さんを訪問する予定だと聞いていたので、松本さんに次の列車の時間帯をネットで調べてもらい、11時34分の特急に乗せるべく、急いで伊予駅まで引き返し見送りました。私も松本さんも午後の予定が立て込んでいて、残念ながらお別れとなりました。先生も煙会所や海舟館は始めたらしく、加えて珍しい共栄網のチリメンジャコの加工風景を見てもらい、良かったと思いました。

 この文章は、今日の早朝2時から午前8時までアメーバーブログがメンテナンスのため、書き込みストップとなるので、加えて今日はコープえひめの総代会のため早朝に出発するので、とりあえず午前2時までにブログの記事を1本書こうと思い、誤字脱字も確認しないまま書き終えて、はずれ腰の午前1時50分に書き終え登録完了としました。おやすみなさい。


  「旧友が 列車も止まる 雨の中 訪問するも 案内叶わず」

  「この人と どこで会ったか 思い出す 確か香焼 すれ違いだった」

  「わが家では リフォーム中で 応接は 煙会所にて 嫁の茶すすり」

  「宇和島へ 行くというので とりあえず 歓待もせず 友を送りぬ」

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〇インターアクトクラブ研修会に出かけました

 昨日は四国中央市にある愛媛県産業技術センター(紙産業技術センター)で高校生インターアクトの研修会が行なわれ、講演を頼まれて出かけました。

 日ごろ聞きなれないインターアクトクラブとは、ロータリークラブにより提唱された、14歳から18歳までの青少年または高校生のための社会奉仕クラブです。昨日の研修会には四国の高校生インターアクト部員百人余りに加え、引率の先生や国際ロータリー第2670地区の会長・幹事会を兼ねているため、ロータリクラブの皆さんも沢山集まり、会場は満員の盛況でした。

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 講演依頼を受けてからロータリークラブの役員さんが打ち合わせのため人間牧場へ訪ねてきてくれたり、事務局を務める愛媛県立今治工業高校の森川教頭先生から資料に掲載する原稿執筆を頼まれる等、FAXや電話でののやりとりを重ねました。

 私が講演要旨として書いた原稿は次の通りでした。


 私は若い頃、青年団活動で①仲間、②ふるさと、③主張、④感動、⑤夢という5つの道具を手に入れました。その結果仲間が沢山でき、ふるさとへの想いが高まりました。自分の主張が述べられるようになり、感動することの大切さも学びました。そして数々の夢を手に入れることができたのです。あっという間に過ぎ去った青春時代に、これら数多くの道具を手に入れ、様々な場と機会という砥石でそれらの道具を研いた結果、自分の人生が豊かなものになったのですから、青春時代はうかうかと過ごすことはできません。

 人間は概ね30歳くらいまでに①読む、②聞く、③見るという3つの方法によって知識をインプットし、潜在能力を大きくしなければなりません。30歳を過ぎるとインプット曲線は下降し始めますが、①書く、②喋る、③実践するという概ね3つの方法で潜在能力を顕在化させ智恵をアウトプットするのです。それは氷山の一角に似ています。氷は小さくても大きくても沈んだ部分と浮いた部分の不文律は9:1ですが、人間は生まれた時9:1であった不文律が、生き方によっては8:2、5:5、時には3:7と潜在能力が顕在化するのです。読むことよりも書くことは、聞くことよりも喋ることは、見ることよりも実践することは難しいものですが、せめて9:1から8:2以上に進化して人生を過ごして欲しいと思うのです。

 青年の船で建国200年のアメリカへ行ったことも、無人島キャンプや丸木舟で瀬戸内海航海したをしたことも、また人間牧場を造り子どもたちや仲間とともに活動していることも、夕日でまちづくりしたことなど全てが青春時代に描いたシナリオなのです。これまでの生き方がこれからの人生を決めるのではなく、これからの生き方がこれまでの人生を決めるのです。

 まあこんなことをおぼろげながら考え、こんなことを話そうとかと思いながら壇上に立ち、90分ばかりお話をさせてもらいました。寝る人もなく熱心に聴いてもらった講演後は、いろいろな質問もあってとても充実した研修会でした。

 今朝参加した高校生からメールで感想が寄せられました。こんな嬉しいことはありません。早速これから森川教頭先生にお礼の電話を入れたいと思っています。


  「知らなんだ インターアクトと いうクラブ 奉仕の心 大きく育つ」

  「講演の 趣旨を送った 事さえも 忘れ講演 望む愚かさ」

  「高校生 手上げ質問 する勇気 講演成果 直に現る」

  「金比羅さん お参り汗を かいた後 ご利益ありて 役割終える」

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〇事のついでに孫たちと金比羅さん参り

 昨日は急な思いつきで孫たちを連れて香川県の金比羅さんへお参りに行きました。本当は々香川県にあるテーマパークレオマワールドへ行く予定でしたが、私の予定がつかず金比羅さんには悪いのですが少し近くの金比羅さんでお茶を濁すことにしたのです。12時から四国中央市で私の講演が予定されていたため、早起きして午前6時40分に自宅を出発したものの、高野川付近まで走った所で私が携帯を忘れていることに気付いて引き返したため、結局は午前7時の出発となってしまいました。

 昨日は新聞やテレビ、パソコン画面のどれをとっても天気予報は雨のようなので、5人分の雨傘を用意しました。伊予インターから高速道路に乗って、途中の小松サービスエリアで軽い朝食をとり善通寺まで走りましたが、昨日の24時で休日千円の割引や無料化実験が廃止されるとあって、雨模様なのに普通の朝よりははるかに多い交通量でサービスエリアも高速道路も、朝からかなり込み合っていたようです。

 金比羅さんの入り口近くの500円有料駐車場に車を預け、それぞれが過疎を片手に歩き始めました。神様のお陰でしょうか、歩き始めて参拝を済ませ下山するまで雨は幸運にも上がりました。小学三年生の孫朋樹は軽快に前へ進むのですが、5歳の孫尚樹と4歳の孫希心は階段の歩幅が大人用で合わないため多少苦労していたようですが、それでも階段の石段を数えたり競争したりしながら、私たちより早く歩を進めていました。梅雨の雨上がりはまとわりつくような蒸し暑さで、私など講演のためにワイシャツ革靴の出で立ちだったため、ワイシャツは汗びっしょりに濡れてしまいました。

 孫たちも大汗をかいたようで、途中妻が何度もタオルで汗を拭いてやりました。30分ほどで本殿に到着しました。孫朋樹が「おじいちゃん、何てお祈りをしたの?」と聞くので、「人に言ったら願いが通じないので内緒」と話すと、「僕も内緒」と答えました。

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 下りの道沿いには沢山の土産物屋が並んでいて、店員さんの呼び込みに孫たちは目敏く反応し、途中でアイスクリームを食べました。また綿菓子ができる不思議な様子が目に留まり、二つを買い求め歩きながら食べながら下山しました。

 途中大洲市田処の皆さんとばったり出会いました。先日田処のホタル祭りに出かけて出会ったばかりなので、偶然な出会いにお互いが驚き立ち話をしました。足が不自由な西田和子さんは参道入り口の付近のベンチに座って待っていたようで、少しの間お話をしました。

 少し時間を押していたようなので、再び高速道路を講演会場となっている四国中央市まで引き返しました。カーナビのお陰で川之江インター近くの会場までは迷うことなく到着しました。そこで妻たち一行と別れましたが、妻たちは近所で昼食をしてイオンで2時間ばかりショッピングを楽しんだようでした。


 講演を終えた私と午後2時30分に再び合流しましたが、孫たちは買い物一個の約束を守って買ってもらった玩具に大満足の様子でした。孫三人は金比羅さんの長い参道を歩いて疲れたのか、往路の大はしゃぎがまったく?のように復路は漠睡していました。

 途中のハイウェーオアシス小松には温泉があるので、そこに立ち寄り温泉を楽しました。孫三人は男同士なおで私が男風呂に連れて入りましたが、まあ賑やかなことで他の客さんに迷惑がかからぬよう気を配ったため私は風呂に入った気がしませんでした。

 孫たちの希望で夕食はお寿司と決まり、良く行く回転寿司店に入りましたが、込んでいて30分近くも待ちました。三年生の孫朋樹は卓上のタッチパネルをいとも簡単に使いこなして、みんなの注文を次々と入力してくれ大助かりです。孫たち二人を娘のマンションに送り届け、再び孫ひとりを連れて無料化実験路線の松山~伊予間を走り無事8時過ぎに自宅へ帰って着ました。目出度し目出度しの一日でした。


  「傘五本 天気予報じゃ 雨が降る 神様お陰 傘恥かいた」

  「奇遇にも 人混みの中 顔見知り 立ち話する 金比羅参道」

  「いらっしゃい 声に吊られて その度に 土産気になる 孫右往左往」

  「孫朋樹 タッチパネルで 寿司注文 妻は感心 しつつ頬張る」



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