shin-1さんの日記

〇共栄網の共同加工場(その1)

 わが双海町に一口株主制度として100年以上の歴史を持つ、共栄網という漁業団体があります。形式的には漁協の内部組織となっていますが、れっきとした独立団体なのです。昭和30年代まで伊予灘には上灘小網、下灘、中島、長浜などに、カタクチイワシを漁獲して煮干に加工する巾着網がありましたが、加工技術が漁獲したカタクチイワシを個人に分配して各々にまかせていたため、その重労働に耐え切れず次々と姿を消していったのです。坂の集落でイワシを各々の家庭まで運ぶ作業がきつかった上灘小網も例外ではなく、「小網だけには嫁にやるな」と言われるほど煮干を生産する労働がきつかったようです。

 そんな重労働から開放されたいと願う漁師たちは、隣の集落の空き地を求め、共同加工場を国や県の補助を得て造りました。当時の白石県知事が同じ郡内出身ということもあり、田中角栄のような選挙応援の見返りもあって、深い信頼関係の財力支援があったようです。

 最盛期には2統の巾着網が沢山のカタクチイワシを水揚げし、品質のよい丸共印の煮干として、時には天皇陛下お買い上げ等を自慢に全国に出荷されていました。

 しかし巾着網が大勢の労働力的人力を要するため、魚網自動巻き取り機導入やFRP船導入等度重なる近代化を図ったものの、漁民の高齢化もあって追々細りの感じが否めませんでした。


 折りしも郡中や松前では鶏が先か卵が先かのゴタゴタが続いていました。長い歴史を持つ巾着網から2艘フナ引き網に変身することは容易ではありませんでしたが、県の指導や許可制付与もあって、煮干と季節によってチリメンを導入することにしたものの、既に加工場や機械器具は老朽化し、衛生的な工場建設と加工機械の導入が急務となっていました。この事業には多額の資金が必要で、補助金で造った施設や設備ゆえ耐用年数が残っていたこともあり困難を極めましたが、多くの人の智恵と汗によって昨年見事に復活を遂げたのです。

 かつて双海町役場で水産を4年間担当し、加工場や漁船の近代化に紛争したことのある私なので、加工場の竣工はわがことのように嬉しい出来事でした。私の家もかつては煮干を製造していたので実情をこの目この肌で覚えているので、ことさらな気持ちです。


  「共栄網 歴史辿れば 江戸時代 一口株主 今に続いて」

  「あの村に 嫁にやるな 殺される そんな悪口 昔話に」

  「農村に 比べ漁村は 遅れてる 一周遅れ 今は先頭」

  「いつの日か 漁村の歴史 書き残し 記録しないと 記憶の外に」

 

 

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