shin-1さんの日記

○ミツバチ蜂蜜採集③

 巣箱から蜂蜜の詰まった巣を取り出す作業をしたり、ミツバチが途中で巣箱から出たのを捕まえたり、また蜂に刺されたりと、昨日は蜂蜜採集にまつわる色々な出来事で一日を費やしました。その名残で今日は採集した巣を細かく切って、私専用の蜂蜜を取るための道具を持ち出して採蜜を始めました。

 今年は天候不順が災いしているのか蜜の量がかなり少なく、重箱型3号巣箱と馬路村型2号巣箱で、残念ながら1章にも届かないようで少しがっかりしました。昨年は1つの巣箱で4升も採れたこともあって、期待が大きかっただけに落胆は蜂に刺された右手にもずしりと響き、パンパンに腫れ上がった腕をさすりながら炎天下の作業は少々堪えました。

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(右手首下が赤く腫れています)

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(馬路村の木下さんから教えてもらって作った蜂蜜を採る道具)

 幸いなことに今年はまだ1号巣箱と4号巣箱、それに家の直ぐ裏に設置した5号巣箱が健在なので、お盆ごろまで様子を見て採蜜の判断をしたいと思っています。また昨日採蜜した2号巣箱も、3号巣箱も今のところ昨日から営巣活動を始めたようなので、越冬させて来年に備えたいと思っています。

 そのため、松山から夏休みで遊びに来ている孫朋樹と二人で、昨日に続き井上さんの助言どおり50パーセントの砂糖水を昨日と今日巣箱に入れてやりました。昨日入れた砂糖水は完全に飲まれて空だったので、効果があったものと思われます。

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(重箱型から馬路型に変わった3号巣箱にも砂糖水を与えました)

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(孫朋樹は蜂の巣の様子を不思議そうに観察していました)

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(家の裏山の巣箱も沢山のミツバチがたむろしていました)
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(裏山の巣箱の中も順調のようです)

 何はともあれ第一回の採蜜作業は井上登さんのご指導を得て終わりました。昨年より少しだけ進化して、採蜜作業中に逃亡を企てた蜂の大群も古巣へ連れ戻すことが出来てホッとしています。そして既に越冬する予定のミツバチも確保して、来年への期待が膨らんでいるところです。

 掃除の時巣箱の中をデジカメで撮影して様子を伺う度に、数え切れないほどのミツバチが昼も夜も休まず働いている姿に深い感動を覚えるのです。これまで働き者と自負していた私の働きなど、ミツバチに比べたら月とスッポンなのです。これからもミツバチを見習い精進したいと思いました。


  「手が腫れて それでも作業 続けたり 働き者の ハチにあやかり」

  「蜂の巣は どうして六角 なのだろう 孫の質問 答えられずに」

  「いい人に めぐり合いたる お陰にて 蜂の飼育も 順調進む」

  「蜂世界 不思議なことが 多過ぎる 蜂蜜だけが 目的でなし」

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○日本ミツバチ蜂蜜採集作業②

 昨日は風もなく少し曇り空で蜂蜜採集作業には最適な天候だと思われましたが、湿度が高く頭から黒頭巾を被っての作業は蒸し暑く、私も井上さんも冷や汗ならぬ大汗をかいての作業となりました。私の井上さんもそれ相応の歳なので、今流行りの熱中症にならないよう気をつけてはいたものの、好きなことは夢中になる性格で、滴る汗をぬぐいながらミツバチと格闘しました。

 昨年は一つの巣箱で4升取れた代償として、ミツバチの群れに逃げられてしまいましたが、今年は蜂蜜採集もさることながら、どうすれば群れが逃げないかを考えて井上さんと作戦を練りました。その結果ねじ釘で止めてある巣箱の天板をドリルで丁寧に外し、天井にくっついている蜂の巣を井上さんとっておきの飛び道具テグスで切り取る方法を試しました。

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(重箱型巣箱の窓から巣落ちの状態が観察できました)
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(五列に営巣した巣箱)

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(巣箱に群がって中へ入るのを嫌がるミツバチの群れ)

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(空いた巣箱を天板を外した巣箱の上に乗せて追い込む井上さん)

 そして自宅横に置きながら空き家になっている空箱を天板を取った巣箱に乗せ、ミツバチの大群を追い込みました。ミツバチたちは中に入るのを嫌がって巣箱の外でたむろしていましたが、ゴム手袋をはめた両手で何度も掬い取って巣箱の入り口に運んでやりました。結果的にはどうにか巣箱の中に納まってくれましたが、井上さんの話によるとミツバチは気ままなので、ひょっとしたら重箱巣箱から群れが目の前で飛び出したように、出てゆくかも知れないので、少し心配をしながら今日の朝を迎えました。少し手が空いたら覗いてみようと思っています。

 取り外したミツバチの巣は用意した蜂蜜専用のプラスチック樽に入れましたが、蜂蜜の甘い香りが一面に漂い、巣を人間の勝手で横取りされたミツバチたちが口惜しそうに巣に群れて、払っても払っても逃げようとしないのです。


 昨年の苦い経験を生かして巣箱の中から蜂蜜の入った巣だけを採集し、ミツバチには元の古巣で頑張ってもらうという虫のいい作業は無事終わりましたが、今年は天候の関係なのか蜂蜜はそれほどの量は確保できませんでした。仕方ないことと諦めて、ツリーハウス横の巣箱はもう少し様子を見ることにしました。また柿の木に分蜂したミツバチを米袋で捕まえ入れた1号巣箱も井上さんの協力で掃除をして、様子を伺うことにしました。

 今年も右腕2ヶ所を刺される代償で手負いとなり、今朝は右手がかなり腫れているようですが、この教訓を今後の蜂蜜採集作業に生かしたいと思っています。

 今日は蜂蜜を採る作業をしたいと思っています。


 追伸

 井上さんの助言で、巣に戻ったミツバチたちに砂糖水を与えるため、地元のお店へ砂糖を買いに走り、プラスチックの容器に入れて、溺れないように割り箸を入れて置きました。


  「作戦は ずばり的中 したものの 蜂蜜少なく 少々落胆」

  「ミツバチは 思うようには ならぬもの もっと勉強 せねばなるまい」

  「とりあえず 二箱だけは 採蜜し 後は様子見 もっと励めと」

  「蜂蜜を 取ったお礼に 砂糖水 作って巣箱 感謝の気持ち」 

 

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○日本ミツバチ蜂蜜採集作業①

 何が原因か分からないもののつい最近、ミツバチの数が激減したというニュースを3年前に聞きました。その話で多いに盛り上がった挙句、こともあろうか人間牧場でミツバチを飼うことにしました。高知県馬路村へ講演に出かけた折、立ち寄った農家のおじさんにミツバチの飼育箱を二つ貰い受け、その気運は益々高くなったのです。しかし肝心の種蜂も、ミツバチ飼育の知識もなく、まるで手探り状態でした。幸運にも地域づくり人養成講座でミツバチに詳しい野村町山奥組の井上登さんと出会い、種蜂の嫁入りや分蜂準備まで全てご指導いただいて、初年度の昨年は1つの巣箱から4升もの蜂蜜を採集したのです。

 初めてにしては上出来の成果に甘い味を占めた私は、今年さらに2個も巣箱を増やし、計6個でスタートしました。幸いにも人間牧場は4個とも、自宅の裏山では2個のうち1個に分蜂して、毎日観察が楽しみになり俄然張り切りました。私のそんな姿に呼応して蜂たちも巣箱の入り口で集団でたむろするなど、期待は嫌が応にも高まって、そろそろ採蜜をと目論んだのです。

 ミツバチ師匠の井上登さんとあらし山山荘で開いた年輪塾で決起の日を7月30日と定め、昨日の夕方打ち合わせをして、今日の10時から作業を開始することにしました。

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(昨年から越冬していた重箱型巣箱は巣落ちしていました)

 準備をして人間牧場へ行くと井上さんは既に到着して待っていました。はやる気持ちを抑えるように井上さんはまず手始めとして、「練習のつもりで重箱方巣箱から始めることにして、観察しながら上の一段目、2段目とテグスで巣を切ったりしましたが、井上さんが心配していた通りこの巣箱は既に巣落ちしていて、採蜜は殆ど出来ませんでした。最初から出鼻をくじかれた感じがしました。

 次のターゲットは水平線の家入り口付近の巣箱です。ここのミツバチは柿の木に分蜂したものを、私が米袋に入れて定着させたものなのですが、巣箱の重さも今一で余り期待が持てませんでした。今回は家の裏山に設置しながら空き家となっている巣箱を持参して、その巣箱にミツバチを移動しようとの作戦でした。思わぬ抵抗にあって難儀をしましたが、まあそこそこ移転は成功したようです。去年は蜜を採集した巣箱はその後空き家となっただけにひとまず安心でした。

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(巣から飛び出しヤマモモの大木に群れているミツバチ)

 採蜜をしている最中に教育委員会の松原さんと近所の西嶋さんが見学にやって来ました。すると間もなく重箱方巣箱のミツバチが突然空中を飛び始め、やがて裏山のヤマモモの木に群れをなして止まりました。高さ4メートル以上もある場所なので、捕まえることは容易でないと諦めていましたが、みすみす逃がすことも出来ず、私は井上さんが下から見守る中米袋を持って木に登り、足場の悪い中必死でミツバチを袋の中に落とし込みました。それまでは対抗しなかったミツバチが袖口から4~5匹進入し、右腕を2ヶ所刺されてしまいました。幸いなことに腕だったので少し腫れた程度の災難でした。米袋のミツバチは先に蜂の巣を落としたものに入れ替え、中へミツバチを誘導しましたが、何とか営巣しそうな雲行きでした。


  「二年目の 自信過剰が 裏目出て 二箇所刺されて 泣きっ面」

  「二年目の ジンクスどおり 散々な 結果終わりて 高見山関」

  「分蜂の 群れを平気で 米袋 捕まえ入れる 猿のようだと」

  「師匠いて しっかりサポート してくれる お陰安心 一人じゃとても」 

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○4、巧言令色鮮矣仁

 論語日めぐりカレンダーの4に「巧言令色鮮矣仁」(学而第一・陽貨第十七)というのがあります。論語読みの論語知らずという言葉の通り、私のような浅学なものでも子どもの頃からこの言葉はよく知っていましたが、はてさて言葉の意味はそんなに教わることもなく今日まで過ごしてきました。「こうげんれいしょく すくなしじん」と読み、「心にもないお世辞を言ったり、お世辞笑いをする人は人徳が少ない」との教えです。

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 はてさて私たち人間には、お世辞を言って相手に媚を売る甘口人間と、絶えず相手に反論する辛口人間の二つのタイプがあるようです。強いて言えばその中間的な甘口と辛口を使い分ける人間もいるようですが、格好よく言えば私は甘辛併用、悪く言えばどちらつかずかもも知れないと一人苦笑するのです。相手に対して自分の考えを述べることは生きていく上でとても大切なことなのですが、相手に気に入ってもらおうと思い、殊更にお世辞を言ったりすることは厳に慎まなければならないことだと思うのです。

 私のようにまちづくりに深くかかわり、私設公民館煙会所や人間牧場を自費で造って来る人拒まずの暮らしをもう40年近くやっていると、沢山の人が訪ねてやって来ます。その度に相手と意見を戦わせ、時には大多数の人をも相手にしてきましたが、心の病の淵をさまよって救いを求めてやって来る人や、大きな人生の壁にぶち当たって失望し、その壁やトンネルを越えたり抜け出す手立てを求めてやって来る人には、時として甘口、時として辛口を使い分けながら対応してきました。

 私のようにある程度の年齢を重ねて、少しばかり色々な人の心を読みと取れるようになってくると、相手が殊更に心にもないお世辞を言ったり、お世辞笑いをする人の言動をある程度見抜くことが出来るのです。

 昨日人間牧場で座談をしていると、「若松さんは何故政治を目指さないのですか?」と唐突な質問がありました。勿論それは私の力を過信した巧言令色なのでしょうが、私は「政治家は巧言令色の人が多いように思うので、そんな人にはなりたくない」と、少しだけ強がって見せました。

 確かに私には政治家になるほどの実力はありません。しかも政治家のように言葉巧みに巧言令色を使い分ける便利な生き方が出来ないのです。私はこれまでにも選挙の度に田舎の政治ながら、「政治家にならないか」と誘われてきました。断る言葉が見つからず、「選挙に出るのだったら離婚すると妻に言われているので・・・」とお茶を濁してその道への誘いをすり抜けて来ました。結果的には正解で、私のある友人のように一度二度当選してヒーローになってもその後の落選で全てを失い凋落の日々を過ごしているのです。

 私には子どもが4人います。子育ての最中には子育ての手法として、時には優しく抱きかかえるように、時には厳しく突き放すように巧言令色的な言や態度を使ってきましたがこれは許される範囲で、どうにか人並みな普通の社会人に育った子どもたちを見て反省はせず、むしろ良かったような気もするのです。

 これからも「巧言令色鮮なし仁」を心の戒めとして、人に接したいと思いました。


  「日めぐりに 巧言令色 鮮なし仁 今日の言葉と 拳拳服膺」

  「人徳は 日々の精進 積み重ね 今日より明日 いい人目指す」

  「また一つ 自分戒め 今日言葉 論語読みにて 論語も知らず」

  「論語から 学びて時に 之習う わが子無理でも 孫に教える」

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○鳥取県琴浦町からのお客様

 今月も様々な人が人間牧場へやって来ました。今日やって来たのは鳥取県琴浦町琴ノ浦まちおこしの会の方々です。琴浦町といってもぴんと来ない人がいるかも知れませんが、鳥取米子の東側に位置し、平成16年9月1日に東伯町と赤碕町が合併して出来た新しい町なのです。背後に伯耆富士大山、目の前に日本海を眺める風光明媚な町なのです。

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 昔は私たちの町からするとかなり遠かったのですが、中国縦貫自動車道、別名米子道ができてからは時間的に随分近くなりました。私が青年の船に乗船した時、旧赤碕町出身の中井孝行さんも班長として乗船し、その後も一番気心の知れた友人としてお付き合いしてきました。また旧東伯町に住む四門隆さんともまちづくりの世界で随分親しく、二人の勧めもあって、鳥取には若い頃から足繁く通っているのです。


 先日琴浦町観光協会の招きで講演に出かけましたが、松岡事務局長さんから視察に行きたいという申し出がありました。快い返事をしたもののこの日は私が学識理事をしているコープえひめの、月に一度の定例理事会の日なので、多少気を揉みましたが、当初到着の時刻が内子町見学もあわせていたこともあって、午後1時が午後3時となり、結局は午後3時30分と遅延して、十分間に合ってホッとしました。


 今日は昨日からの雨模様で心配しましたが、皆さんが来られる頃には雨も上がり、見せてあげたい自慢の瀬戸内海の眺望も回復して、少々蒸し暑かったもののいい状態での見学となりました。鉄本さんの足が多少気になったので、マイクロバスの前を私のトラックで先導し、市道からは私のトラックに乗ってもらいました。

 気心の知れた人ばかりなので、今日はゆっくりとまちづくりについて話し合いました。

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(日本海に面した琴浦町の海岸)

 日本海と瀬戸内海では気候風土も違いますが、前は海後ろは山の特徴は比較的似ているようです。農業と漁業が主産業であることや、鳥取第二の地方都市米子に隣接していることもどこか似ています。観光で地域を活性化することはかなり苦しいようですが、地域の誇りとして自然資源を生かしてゆけばいい地域作りが出来るものと思われます。日本海に沈む夕日も綺麗だと自慢していました。

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  「海と山 農業漁業 夕日など 意外と似てる 意見交換」

  「夕日見て 今日は松山 泊まるそう 今頃一杯 思い出語る」

  「雲があり 諦め帰る その後に 雲の下から 綺麗な夕日」

  「そこここを 訪ねて知恵の 盗み取り 失敗成功 色々語る」 

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○「今よろしいですか」と断る携帯マナー

 最近携帯電話がかかると相手が必ずといっていいくらい、「この電話、今お話してもよろしいですか?」と断ってから通話してくれます。それもそのはず道路交通法が改正されて、運転中に携帯電話をすると法律で罰せられるからなのです。恥ずべきことなので人に話すことではありませんが、何年か前運転中にかかってきた携帯電話を取って耳に当てた瞬間、交差点から出てきたパトカーにサイレンを鳴らされ、違反切符を切られ罰金を払う羽目になった経験があるのです。それ以来運転中に電話がかかっても無視したり、厳密にはいけない行為ながらチョイ取りして「運転中なので」と断るのです。

 昨日高速道路を走っていて、高速道路の止めてはいけない路側帯に車を止めて、携帯電話をしている車を何台も見ました。この行為は駐車して携帯電話しているのですから携帯電話は違反にはならないのでしょうが、高速で走る大型車などは窮屈そうにその横を追い抜いて走っていて、路側帯駐車の方が危ない危険行為だと思いました。

 高速道路で車が故障して駐車している所に後続の車が追突して、大参事を招いた事故は後を絶ちません。人の振り見てわが振りなおせの諺どおり、私は絶対すまいと心に誓いましたが、昨日北宇和高校で講演を終えて帰る時走った三間~宇和間の歯長峠で、私の前を走る車の兄ちゃんは九十九折の急な坂道を、パトカーや警察官がいないことをいい事に、携帯電話を耳に当て片手運転していました。その車は時折カーブで大きくはみ出し、とても危ない感じがしました。やがて私もこの車の後追いをするように、無料化実験ルートに入っている宇和~伊予間へ入りましたが、今度は追い越し2斜線を猛スピードで追い抜いて行きました。間もなく内子の市街が見えてくるころ、見覚えのあるあの車は路側帯で止まっていました。覆面パトカーに捕まったようでした。人の不幸を笑うことは出来ませんが、昨日の高速道路は雨も降っていて、大事故を未然に防いだと覆面パトカーの英断に感謝した次第です。

 昨日家に帰って携帯電話の着信履歴を見ると、高速道路を走った僅か1時間余りの間に、何と10本近くの着信が記録されていました。覆面パトカーに捕まった車のことを思い出しながら、帰宅後その対応に追われましたが、便利よりも危険回避を教えてくれたあの車のお兄さんは今頃どうしているのでしょうか。

 昨日は帰宅途中大洲に立ち寄って所用をしていたため高校野球愛媛県大会の決勝戦を終え、甲子園行きを決めた宇和島東高校の応援団を乗せたバスと何台もすれ違いました。あの車のどれかに年輪塾のメンバーである近藤先生も乗っているかも知れないと、思ったりしながらバックミラーの向うに消えて行くバスを見送りました。


  「携帯を しながら走る 前車 挙句の果てに パトカー捕まる」

  「人のこと 言えた柄では ありません 私も前に 罰金払う」

  「路側帯 止めて電話の 高速は 大事故招く 用心せねば」

  「無料なら 走ってみたいと 思う人 人間心理 俺も片棒」

 

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○夢はドリームではなくターゲットである

 昨晩というより今朝早くという方が正しいのかも知れません。午前2時に寝たため、久しぶりに日常より1時間も遅れて午前5時に親父の声で目を覚ましました。「雨が降りそうだから、土用干ししている梅干を影に入れるように」というのです。早速身支度を整え外に出ると、小さな雨粒が顔に当たりました。大変だと思いつつ大慌てで梅を干したサナを両手で抱え、東屋や地下室上の部屋にしまい込みました。親父は鼠径ヘルニアの手術をしてまだ日が浅いので、重い荷物はご法度とばかりサナを置いていたみかん箱キャリーを一緒に片付けてくれました。梅を取り込み終わると親父の注意どおり雨が降り始め、間一髪で濡らすことなく無事終わりましたが、かなりの作業だったため大汗をかきました。

 昨日に続いて今日も遠出です。合併して鬼北町となった旧広見町にある北宇和高校で、トライアル研修というのがあって、私は毎年スキルアップの講師とし招かれ、お話をするのです。今年はこの高校が金融教育の指定校に選定されているので、金融広報委員会のご支援をいただくことになりました。私は金融広報委員会のアドバイザーをしていることもあって、県内外の高校へお話をしに出かけますが、自分では若いと思っていても既に65歳、果たして私の話が高校生に受け入れられるか、いつも多少の戸惑いを感じながら出かけますが、午後12時40分からの一時間、しかも会場が和室という多少のハンディーを背負っていたものの、今日の高校生の聴く態度を見た限りでは、何らかのお役に立ったのではないかと、ホッと胸を撫で下ろしました。

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 私は今日の講演で夢を持つこと、夢の実現に向けて日々コツコツ習慣化した実践を積み重ねると、夢は必ず実現することを、私が青年の頃描いていたアメリカ行きの実話を元に話しました。他愛のない私のささやかな経験談ですが、今にして思えば夢はドリームではなくターゲットのような気がするのです。

 控え室となった航行の事務所では、高校野球愛媛県大会の決勝戦の模様がテレビで放映されていました。宇和島東と済美の試合は結局3対2で宇和島東が甲子園行きの切符を掴みましたが、どちらの高校も甲子園出場を夢見てこの一年、地とのにじむような練習をしてきたに違いありません。結果的に勝利の女神は宇和島東に微笑みましたが、負けはしましたが済美高校が得たものは、勝った宇和島東より多かったのかも知れないのです。

 北宇和高校野球部も今年は大活躍でした。甲子園へこそ行けなかったものの、失敗や挫折もまた高校生にとっては大きな将来への力になるはずだと思いました。

 夏の雨そぼ降る中を、歯長峠を越えて宇和町から高速に乗り、無料化実験事業の恩恵を受けて伊予市まで走理由方わが家へ帰ってきました。


  「五十ほど 歳の差開く 高校生 俺の話に 熱心耳を」

  「願わくば 昔の俺に 帰りたい 思ってみても 帰れないから」

  「夢持って 小さなことを 積み重ね いい人生を 送って欲しい」

  「若者にゃ 明日があるさ 明日がある 歌の文句に どこか似ている」 

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○往復370キロの日帰り講演小旅行

 片道165キロ、往復370キロを、しまなみ海道10の橋を渡って愛車を運転、広島県世羅町まで講演に出かけてきました。高速道路を使っても往復8時間以上かかる一人の運転では、講演という気を使う仕事も組み込まれ、加えて講演が終わるのが午後9時30分という時間設定では、これが限界といった感じの距離でした。その辺のこともあって主催者側から、事務局長さんの自宅へ民泊するよう手配してくれていたのですが、事務局長さんが海外旅行で体調を崩してしまい、近くのビジネスホテルを代替用意していただいていたのに、どうしても私の明くる日の日程が積んでいて、結局はホテルをキャンセルしてもらい、深夜1時過ぎに無事自宅に到着しました。

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(世羅町役場)

 深夜の走行はカーナビのお陰で迷うことなく満月の真ん丸い月とランデブーしながら、中国地方の国道に設置された温度計の温度22度~24度を観察するように走りました。深夜のしまなみ街道はさすがに車の交通量も少なく、「熟年暴走族」といわれない程度、少しスピードを上げながら注意をして走りました。

 世羅町での講演はこれが三度目ですが、三次市川西地区での講演の際も142号線を通っているし、尾道と合併した御調町へも講演に招かれているので随分安心していました。

 自治サンターの丸山さんから夜の会までに大見地区内を見て欲しいと言うので、少し早めの午後3時に世羅町役場前で待ち合わせしました。大見自治センターでは旧友の田中一裕さんが待っていてくれました。田中さんは過疎逆のメンバーで、私の自宅や人間牧場へも来ているし、アウトドアーの名手で彼の作った燻製ベーコンは一流なのです。

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(今年で閉校する大見の小学校)
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(寺本さんの農耕文化伝承館山里)

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(せらワイナリー)

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(訪れた世羅高原農場のひまわり畑)
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(もう一週間もするとこのようなひまわりの花が咲くそうです)

 自治振興会の会長である世羅幸水園の寺本稔さん、丸山さん、田中さんの案内で町内を巡回しました。小学校が今年で閉校になること、高齢化が進み限界集落もあること、世羅町の観光客が年間180万人に達したこと、広島空港までのアクセス道路が整備されつつあること、この地域が分水嶺で一方は瀬戸内海へ一方は日本海へ川が流れていること、そのためワニ(サメを食べる)文化があること、絶滅危惧種になっているブッポウソという渡り鳥の営巣活動を築をあげて取り組んで成果を挙げていること、珍しい車で走れば森の熊さんの音楽が聞こえるメロディロードのことなど、道すがらの説明にも熱が入りました。

 寺本さんは自分で農耕文化伝承間を持っており、その収集資料の多さには驚かされました。同じ世羅町に住む知人の金丸さんの資料には叶いませんが、それでも70歳を越えなおかくしゃくとした寺本さんの生き方にも強い共感を覚えました。

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(珍しいブッポウソウの剥製)

 夕方、三次市の過疎逆メンバーである和田さんや宮崎さんと落ち合い、一緒に積もる話をしながら夕食を共にしました。和田さんも宮崎さんも相変わらず元気いっぱいで、今回も大きなパワーをいただきました。和田さんも宮崎さんも私の講演会に参加していただき、この夜の講演会は参加者も多くて、いつになく賑やかな講演会となりました。

 田舎に地域づくりのエリートを育てる話で大いに盛り上がりましたが、合併して役所がだんだん遠くなった感じのする今こそ、自分たちにつながる人たちにどんなバトンを渡せばいいのか、いよいよ私たち世代のラストチャンスがやってきたようです。私もそのことに力を入れていますが、人間牧場をフィールドにしたエリート(本物)育てにもっともっと力を注ぎたいと思っています。

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(講演会に集まった参加者)

  「旅先で 懐かしき人 訪ね来る 旧交温め 話に花が」

  「こりゃ凄い 農耕道具 これでもか 集め集めて 私的に展示」

  「この地区も 今年で学校 閉校と 寂しく話す 日本の田舎」

  「ブッポウソウ 始めて見たが 瑠璃色の 羽を広げて 巣立ち表現」

 

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○牧場や夏雲湧いて草を刈る

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 今年の夏は猛暑日が続く地域や、短時間にスコールのような雨に見舞われる地域もあって、どうやら異常気象のようです。人間は勝手なもので、梅雨末期で雨が長引けばもう雨は要らないといい、一週間も天気が続いて畑が乾き始めると一雨欲しいと天に祈るのです。私などはもっと勝手で、梅干の土用干しをしている今だけでも、そしてわが家だけでも雨は欲しくないと思うのです。

 海沿いに面したわが町も、今年は少し様子が違うようで、例年だとかなりの人が詰め掛けるシーサイド公園の海水浴場も、山沿いを走る高速道路無料化実験コースを例年の2倍近くの車が走るため、何処となく人の数が少なくなったような気がするのです。有料の時は走らなかった車が無料になった途端に走り出す、これも身勝手の最たるもので、政府は無料化実験事業などと言葉を並べていますが、タダになればタダを求める人が走る原理原則は大袈裟なことをいわなくても、子どもにだって分かる理論なのです。

 はてさて、先日八幡浜日土のあらし山山荘で開いた年輪塾を終え、早朝解散だったこともあって一日スケジュールが空いていたので、「寝てないのだから止めた方がいい」と妻の止めるのも聞かず久しぶりに人間牧場へ草刈に出かけました。いつの間にか樹林から賑やかなせみの鳴き声が聞こえるようになっていました。ふと見上げるとまだ7月だというのにトンボも飛んでいました。ススキも青々とした葉を繁らせ、子どもたちの植えた芋づるもしっかりと根を張って伸びています。

 草刈機にいっぱい混合油を給油して、エンジンをいっぱい吹かせて草を刈って行きます。人間牧場の草刈は殆どが斜面なので下手をすると足元をすくわれて転びます。ゆえに気を使うため夏の草刈は、まるでサウナ風呂に入ったように汗が吹き出てきます。連続1時間が限度なので、その都度日陰を選んで冷蔵庫から取り出した冷たいお茶を、熱中症になったら大変と思い切り飲みます。その美味しいこと美味しいこと。生きているって感じで飲み干すのです。

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 時には日陰のあるウッドデッキに寝転んで真っ青な海や空を見ます。無の境地で海を見ると魚影が、空を見るとモクモクと入道雲が湧いています。魚も雲もまるで今の自分と同じ自由を謳歌しているように思えました。ついウトウトすることもしばしばです。時には疲れて午睡ほど浅い睡魔に襲われることだってあるのですが、誰はばかることもなく趣くままに時間を過ごせる幸せを時々感じるのです。

 「明日があるさ明日がある」、歌の文句ではありませんが半日程度の作業でも随分綺麗に草が枯れました。この日は少し頑張ったので、あと一日も刈れば草刈は終了です。このところ人間牧場を訪ねる人が多くなったこともあって、小まめに草刈をしていたため伸びてはいますが草丈も低く、全て順調です。

 この日は思い切って風呂を沸かし、一人ロケ風呂を楽しみました。いいお湯加減でした。

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  「蝉が鳴く 海は魚群が ざわついて 夏が来たぞと 俺に知らせる」

  「夏空の 蒼に映えたる 白き雲 湧き立つように モクモク高く」

  「喉干して ゴクリゴクリと お茶を飲む 力得たよに 再び草を」

  「ウトウトと ついウトウトと 転寝す 自由な暮らし 幸せ感じ」

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○三日三晩の土用干し

 今年のわが家は梅が豊作で、梅干や梅ジュースを沢山作りました。それらはまだ製造過程で、梅ジュースは地下室で、梅干は自宅裏の倉庫でそれぞれ寝かせていますが、梅干も梅ジュースも仕上げの行程に入りました。梅ジュースは砂糖がよく溶けるように地下室に入り、梅酒の瓶をよく振って手助けをしなければなりませんが、今年は地下室の床下浸水騒動でその作業を行わなくても済みそうです。でも梅干は昨日土曜丑の日を迎えたのを気に、水洗いした干しサナを持ち出して、樽からすくい上げた塩漬け梅を干さなければならないのです。

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 昨日は急な思いつきだったため、妻は仕事に出かけていて私一人で土用干し作業をやりました。朝から夏の暑い太陽が容赦なく照りつけるため、全ての作業を日陰を選んでやりましたが、もう汗びっしょりになりました。塩漬け梅用の樽の蓋を開けると、甘酸っぱい梅干独特の香りが辺りいっぱいに広がって、思わず生唾が出てきました。何せ80キロもの梅なので、干しサナも間に合わず、竹ざるまで使ってどうにか干しました。干している最中に宅配業者がやって来たり、携帯電話や家の電話が鳴ったりし、その都度塩分濃度の濃い液体がついた手を洗ったり手を拭いたりしながら、もうそれは大変でした。

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 梅雨明けして間もないころ夕立が降りましたが、その後は岐阜県多治見市で40度近くの猛暑を記録するなど天気が安定していたのに、私が梅干を干した途端に全国各地に雷注意報が発令され、にわかに空模様が気になり始めたのです。これだけの梅干の量なので、留守を預かる91歳の親父には雨が降り始めてもガレージに収納することは不可能なような気もして、不安を囲って空を見上げています。

 今朝は目が覚めると外を見ましたが、天気もよくて夜露をたっぷり吸い取った梅干は、今日も夏の熱い日差しを受けて日向ぼっこをすることでしょう。

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 今日私はしまなみ海道を渡って広島県世羅町へ行くため一日中留守をします。明日は北宇和高校、明後日はコープえひめの理事会や鳥取県琴浦町からお客さんがやって来て家を空けます。何とか今日明日だけでも天候が安定して土用干しが無事終われるよう祈っています。

 土用干しが終われば瓶や壷に入れて梅酢を加えて地下室へ入れ、塩もみした赤しそを加えて来年の春まで寝かせます。そうすると真っ赤な梅干の完成です。毎日一個は梅干を食べる食生活ですが、これまでで一番いい出来具合の梅干もはたさて今年はどんな仕上がりになるのでしょうか。楽しみです。

  「言い伝え どおり始めた 土用干し 三日三晩は 雨よ降るなと」

  「梅干を 作り親類 おすそ分け 手間はかかるが 期待されてる」

  「まろやかな 梅干作りに 欠かせない 土用干しする 香り広がり」

  「夜露降り 梅の実今日も 天日干し ひっくり返して 万遍揃え」

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