shin-1さんの日記

○季節は巡りて

 6月に入ってもう3分の1が過ぎました。大森さんからいただいた卓上カレンダーの今月のとっておきの写真は、翠小学校を主会場に毎年行われるホタル祭りです。今年は今まで以上にホタルを鑑賞する機会に恵まれ、今週末には大洲市田処のホタルをエクスカーションと称し、年輪塾の皆さんと一緒に見学に行く予定です。

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 最近散歩には不向きなのですがズボンの左のポケットには携帯電話、右のポケットにはデジカメを入れて散歩しています。私の携帯電話には万歩計の機能がついているので、一日の目安である一万歩の積み重ねには携帯電話が必要なのです。朝の散歩は裏山へ通じる坂道ですが、大体2500歩くらいを稼いでいます。

 さて右のポケットのデジカメですが、実はお墓参りに落としてから不具合が続いていて、時々接触不良のため言うことを聞かなくなっています。それでも使い慣れているので使っていますが、実は父の日まで内緒にしておきたい話があります。この使い古しのデジカメがどうやらお払い箱になりそうな気配なのです。そのため酷使しても大丈夫なため、今朝もポケットに忍ばせて家を出たのです。

 カメラを持たない日に限って色々な被写体が気になるのですが、今朝は道端に6月の代表選手を見つけました。一つはホタルブクロの花です。その名前が示すとおり、昔はこの花の中に捕まえたホタルを入れて幻想的な蛍の光を楽しんだものです。2~3日前から道端に咲き始めましたが、野生の花でありながら何とも美しく優雅に咲いているのです。蜜を求めて蜜蜂も花のトンネルを散歩しているようでした。

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 もう一つ、6月の果物を見つけました。ビワです。木の上には自然のままで摘果も袋かけもしていないビワの実が、黄色く色づいていました。「ああもうそんな時期か」と感心して見ましたが、そろそろ友人からビワが届くかも知れないと淡い期待を抱きながら眺めました。ビワの木の下にはカラスの仕業でしょうか、既に味見を終えた食べ残しの実や種が無造作に落ちていました。この実も今日あたり食べられるのだろうと思い、少し惜しい感じがしました。もし私がこの実を無断で取って食べると泥棒になるのに、カラスは泥棒にならないのですから不思議な話です。

 まあそんな話はさておいて、身の回りや足元の巡る季節を楽しむのも散歩の取り得です。しかもデジカメで私のブログの愛読者に、写真を通して季節の話題を届けるのも大切な私の役目かも知れないとふと思いました。北の大地に住む人や都会の片隅に住む人にとっては、こんな四国愛媛双海の豊かな自然をブログの画面で楽しむことが出来るのですから、これからも折に触れ紹介したいと思っています。

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  「道ぶちに 見つけた初夏を デジカメで 撮って配信 愛読サービス」

  「カラス食べ 泥棒不問 私取る 警察沙汰で 何とも不思議」

  「蜜蜂が ホタルブクロの トンネルへ 見ていて飽きぬ 自然営み」

  「もうそんな 季節か我に 顧みる ホタルブクロの 花の綺麗さ」

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○私設公民館煙会所へ近大の学生が研修に来ました

 昨日の午後、市役所支所の松本さんが大阪からのお客さん7人を伴って、私設公民館「煙会所」へやって来ました。本当は人間牧場へ行きたい希望があったようなのですが、公共交通しか交通手段がないので、「煙会所」での話となってしまいました。

 お客さんは近畿大学の学生さん5人と教授・準教授合わせて7人のメンバーで、詳しいことは分かりませんがどうやらフィールドワークの一環として、夕日を地域資源にした双海町のまちづくりについて勉強したい意向でした。午前中にシーサイド公園で松本さんがレクチャーしてくれていたので、私は学生や先生の質問に答える形でお話をさせてもらいました。

 学生も先生も事前に私や双海町について、インターネットのホームページなどで随分学習を積んでいて、的を得た鋭い質問に充実した2時間余りを過ごしました。

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(熱心に議論する近大の学生たち)

 学生たちは煙会所の醸す独特の雰囲気の中で私に鋭い質問をしてくれました。ある意味滅多に聞けない裏話です。特に普通成功事例を聞きたがるものですが、私の失敗経験まで聞かれました。私ももう時効なので語ってもいいであろう町名変更騒動についても、少し触れました。私にとって町を活性化するプロローグは、やはり町名変更問題だったように思うのです。まちを二分する大騒動だったのでこれまで黙して語らずを貫いてきました。多分二人の元町長への配慮と、騒動再燃を心配しての自戒だったように思うのです。

 町名変更問題は私にまちづくりの根本、つまり地方自治の何たるかを学ばせてくれました。町を二分する町長選挙や私の責任問題など、大きな迂回時代が4年近くありましたが、その充電がその後の夕日を地域資源にしたまちづくりのパワーとなって花開いたように思うのです。

 近大といえば「近大マグロ」と言われるように、すっかり有名な代名詞が付いていますし、私が尊敬する宇和島水産高校の大先輩玉井恭介さんの母校でもあるので、視察研修の話を受けずばなるまいと日程を割きましたが、熱心な学生や先生の話しに2時間余りがあっという間に終わってしまいました。

 学生は最後に、双海町の安心と気がかりについて質問しました。安心は私の後ろを振り向けば松本さんはじめ何人かの自立した仲間がいること、つまり人づくりが出来ていること、心配は合併によって双海町のまちづくりの行方が不透明なことと答えました。行政はいつも効果効率という美名のもと、不効率なものをそれが宝であっても気付かず、築いていても気付かないふりをして容赦なく捨て去るのです。

 例えば双海町の宝物であるシーサイド公園なども、民営化という名の基に捨て去るのでしょうが、私はこの際まちづくり会社を興し、シーサイド公園の運営で得た利益を地域再生につぎ込むような新しい発想を持たねばならないと、密かにその構想を練っていますが、はてさてどうなることでしょう。

 夕日を地域資源にしたまちづくりはある意味成功し、ある意味停滞して第一ラウンドを終えました。これから、いやもう始まっている第二ラウンドをどう構想しどう具現化するのか、その実力が問われそうです。おっと、私的ブログとは言いながら少し突っ込み過ぎてしまいました。このブログをいつもどおり関係者が読んでいないし、読んでも気付かないことを祈ります。

 私と座談した近大の学生さん、お疲れ様でした。あなたたちの凄い学びの感性に大きな拍手を送ります。

  「近大の 学生研修 煙会所 火のない囲炉裏 心に火つけ」

  「久方に 議論白熱 嬉しくて 思わず失敗 経験話す」

  「近大と 言えばマグロか 玉井さん 両雄負けず 劣らぬ学生」

  「振り返る 俺の後ろに 仲間いる これが何より 嬉しいことだ」

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○メンタルヘルス②

 つい最近メンタルヘルスという言葉をよく聞くようになりました。日本語に直訳すると「心の健康」というのでしょうが、モノが氾濫しほぼ成長の限界といわれる極限まできている昨今、年間自殺者数が3万人を越える異常事態となっていることからも分かるとおり、こころという目には見えない内面の問題と、私たち日本人はどう向き合えばいいのか、厄介な問題だけにその解決にはかなり時間がかかりそうです。

 私はメンタルヘルスに関しては素人なので余り詳しいことは分かりませんが、その領域や予防、治療、疾患者への福祉、人間関係、人生の幸福論など、生活の様々な分野に及ぶ裾野は想像をはるかに超える広さのようで、私のような揃うとの手に負えるものではありません。しかしメンタルヘルスは専門家にだけまかせても上手く行くものではなく、身近な場所にいる私たち市民も時にはよき理解者となって協力しなければ上手く行かないことも事実なのです。

 昨日一組の夫婦が人間牧場へやって来ました。聞けば子どもの頃からそれなりに学業も優秀で、素直な息子さんだったようですが、大学を卒業して就職活動するものの目指した会社に入れず、就職浪人しながら公務員志望の専門学校に入り頑張りましたが、ここ数年の不況のあおりでことごとく失敗し、結局は少し引きこもりになり親子両方の焦りが火に油を注ぐ格好となっているのだそうです。

 人間牧場へは両親だけが来ましたが、息子さんに何とか立ち直って欲しいと願う親の気持ちは痛いほど分かりました。多分息子さんも親の期待が大きいだけに自分お力だけでは乗り越えられない大きな壁の前で立ちすくんでいることでしょう。

 両親は公務員なので、息子は将来的に安定していると思われる公務員を、むしろ子どもの意見も聞かぬままレールを敷いてしまったようでした。「親が言うからその道に進もうとしたのに失敗した。俺が失敗したのは親の責任」という息子と、「子どもには出来るだけ安定した公務員を」と願う親の言い分は、まるで2本のレールのように何処まで行っても交じり合うことなく平行線を辿ったままの状態が続いているのです。

 「公務員が本当に安定して社会から認められた仕事なのか」、残念ながらその答えは公務員をやった私が言うのですからかなりの部分で当たっていると思うのですが、あえて「ノー」と言わざるを得ません。それは公務員をした両親が一番よくご存知のはずなのです。「世間体」や「安定」はあるのかも知れませんが、公務員は人が考えるほどいい職業ではありません。むしろ他の民間産業に比べれば封建的で、年功序列的な弊害も多くあるのです。

 むしろ通る当てのない公務員に執着するより門戸を広げて本当になりたい、やりたい仕事は何かを親子が真剣に話し合うべきだと思うのです。

 私の息子も二人就職をしたものの自分の性格に会わず、次男は学び直しをして看護師に、三男は受験をしてなりたかった警察官になりました。まあ人生色々ありますが、親子ですからお互い胸襟を開いて子どもの希望を

第一に考えるのも解決の糸口かも知れません。一人の子どもが就職で悩むだけで家庭の今までの幸せが崩れたように感じているこの夫婦の話を聞いて、人事とは思えない感じがしました。

  「就活に 失敗息子 家暗く 救いを求め 相談に来る」

  「親と子が 何処かでボタン かけ違う そんな気がする 傍から見れば」

  「公務員 ほんとにいいか 疑問です なった人しか 分からぬ苦労」

  「今だから 親子互いに 向き合って 話せる昔 色々あった」 

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○メンタルヘルス①

 最近私のところへ何故か、人生相談ともとれる悩みを持った人が訪ねて来ることが多くなってきました。私はその手の専門家ではないので一応断るのですが、それでも人間牧場へ行ってみたいと懇願しやって来るのです。

これまでにも役場に勤めていたこともあって、悩み事の相談には乗っていましたが、ヘタをすると素人の助言は逆効果になるだけに余り深入りはできないのです。「何で私の相談?」と振り返ってみると、どうやら私の呼び名の前に「人間牧場主」という、勝手に自分で名乗っているだけの肩書きがあるからなのかも知れません。

 昨日もある夫婦が人間牧場へ一組ずつ二組、それぞれが時間をずらしてやって来ました。一組目は知人を通じてある奥さんからご主人のことについて相談を受けていましたが、やって来たご主人がつい最近うつ病にかかり、公務員でありながら休職中とのこと、もう一組は息子さんが度重なる就職活動にもかかわらず全て上手く行かず、就職浪人中で家の中がいらだつ息子さんとの対立で険悪になっているという話でした。

 昨日は親父を病院に連れて、間もなく入院手術する麻酔について医師の説明を受けに、午前中病院へ行っていたので昼食を取る間もなく、最初の訪問者と午後2時に下灘コミュニティセンター前で待ち合わせて、人間牧場へ出かけました。

 ご主人は一見どこも悪くはない普通の人に見えますが、昨日の人間牧場からの眺めは時折雨のぱらつくあいにくの天気で海も空も少し淀んで見えました。「まるで主人や私の今の心境のようだ」と奥さんは評されましたが、ご主人は眼下に見下ろす瀬戸内海の海や空を見て心が晴れたのか、「いやあいい所です。久しぶりに心の曇りが取れました」と言って色々な話をし始めました。私はただ聞いて頷いたり同調したりしながら、心に刺さった棘の原因を探しました。専門の医者から「うつ病」と診断されて薬も処方されているようなので、むしろご主人を取り巻いて日々暮らしている奥さんの話に耳を傾けました。


 奥さんの話では職場の人間関係や仕事のことが原因のようなので、ご主人が黙して余り語りがらないため原因を飲み込めておらず、出世の遅れや世間体を気にしているように聞こえました。ご主人の病気もさることながら、むしろ奥さんの気の焦りがご主人を追い込んでいるようなのです。「出世」と「世間体」、これは大きな問題なのです。幸い私は自由人になって「出世」や「世間体」とまったく無縁なだけに、「出世」と「世間体」の呪縛を取り払う術を知っているのです。いわば開き直りでもう「出世」や「世間体」という世界から足を洗うことなのです。

 ご主人のような真面目に人生を考えるタイプは心の病気になる確率が高く、奥さんのプライドがそれに拍車をかけていることをお話し、少し外に出て太陽の下で汗をかくことを勧めました。自分が病気だと思い込み窓と壁で仕切られた狭い部屋の中でのみ過ごしていると、私だって病気になるような気がするのです。

 「数日後にまた来たい」「出来たら農作業を手伝わせて欲しい」と言い残して帰って行きました。私のそんなに暇ではありませんが、乗りかかった船です。何とか元気になって欲しいと思い、再会を約束しました。


  「うつ病に なったご主人 妻が連れ 人間牧場 私訪ねて」

  「出世とか 世間体など 気にしてる 奥さん原因 心の病」

  「牧場の 眼下眺望 深呼吸 これが一番 病気の薬」

  「変なこと 言へば病気が 重くなる 素人ゆえに 手出しはしない」 

 

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○タマネギの簾も田舎のインテリア

 昨日は朝から降るでもなし降らぬでもなしのジメジメした、梅雨入り間近を予感をさせる一日でした。天気予報がこのような天気を予想していたため、前日の朝タマネギを収穫するため引き抜いたまま畑に天日干しにしていましたが、前日外出先から帰ってみると、親父はそのタマネギを雨に濡れないように東屋に移動させていたようです。かなりの量のため体力の限界を感じたのか、半分ほどで作業を中断していました。私は作業着に着替え残りのタマネギを東屋に移動させました。昨日は朝から小降りの雨だったので、親父の的確な判断で雨に濡らすこともなく取り入れ、昔の人の知恵に脱帽しました。

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 私が原稿締め切り間近な原稿を書いていると、書斎の掃き出し窓から親父が「タマネギを吊るしてくれ」と呼びに来ました。行って見ると親父は昨日取り込んだタマネギの古い皮を剥いて10個くらいを一束にしてビニール紐で束ねていました。

 脚立に乗ってそれを竿にくくりつけて行くのです。気の遠くなるようなこんな地道な作業をたった一人で毎年やってくれるのです。お陰様でこのタマネギがわが家の一年分の貯蔵食料として食卓を支えてくれるのです。タマネギは11月に植え付け、6月始めに収穫するという長い日数をかけて作る作物です。ゆえに風通しのよい軒下に吊り下げると来年の春まで持つのです。

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 私設公民館煙会所と海の資料館海舟館との間の風通しのよい軒先に、まるで簾のようにタマネギの吊り下げられた姿は、まるで田舎の風物詩のようです。人間牧場の軒下にうず高く積み上げられた薪も、何処となく田舎の匂いを感じさせてくれますが、こんな長閑な風景をみて田舎を感じる私も相当古い時代の人間となってしまいました。昭和は遠くなりにけりです。

 今年わが家のタマネギは、昨年の不作と打って変わってかなり出来が良かったようです。殆どが大玉でラッキョウのような小さなのは数えるくらいでした。毎年の繰り返しですが来年もまた親父も私も元気でタマネギの簾ができることを祈っています。


  「タマネギの 軒先吊るす 簾見て 田舎感じる 私は古い」

  「親子とも 今年も元気 タマネギの 豊作嬉し 来年もまた」

  「アリ仕事 親父黙々 ただ一人 俺にはできぬ 感心しきり」

  「生で食べ 似て食べ油 炒め食べ タマネギ料理 毎日食卓」

 

 

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○大きな鯛の調理をしました

 わが家は親父も私も元漁師ですが、残念ながら長男の私が若い頃、病気が元で転職をしたため漁家でなくなりました。しかしわが家の親類には漁師さんが多いため、何かにつけて魚が届くのです。昨日も家庭菜園でできたタマネギをダンボールに入れて届けると、鯛やチヌの冷凍したものをいただいて帰りました。自宅に戻ってしばらくすると、父方の叔母から電話が入り、鯛を取りに来るように言うのです。田舎のオープンカーを走らせて下灘の港近くの家に立ち寄ると、まあトロ箱からはみ出すようなでっかい鯛が用意されていました。

 キロ数は分かりませんが有に8キロはあるような雄の鯛でした。雌鯛は桜色で綺麗ですが、雄鯛は黒味を帯びてどちらかというと頭がでっかくてグロテスクです。

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 妻の用意した出刃包丁で私が荒切り調理をすることになりました。退職するまでは殆ど包丁など握ったこともない私でしたが、退職後の今は自戒の念に駆られて魚の荒切り料理だけはすることにしています。

 調理の前にデジカメをセットして滅多にない大きな鯛を手に持って自動シャッターで記念撮影しました。まな板の上に乗せ、特性のウロコ引きでまずウロコを外して行きましたが、これだけの大物なのでウロコの大きさも数も半端ではなく、そこらへんに無数の大きなウロコが飛び散りました。腹や頭のウロコも丹念にとって水洗いをして、さあ出刃包丁で格闘となりました。昼ごろまで海の中で泳ぎ、網にかかって捕らえられ、午後4時まで船の生簀で泳いでいた生きのいい鯛は包丁を入れる度にピクピクと動いていました。

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 三枚におろし、背骨はぶつ切りにしました。頭は兜煮にするため半分に割るのですが、これがまた硬くてまるで石でも切っているような頑固さで、中々骨が折れましたが、どうにか処理をすることができました。身の部分は腹身を切り落とし、真ん中から断ち割りました。それらを部分ごとにタッパとボールに入れ分けラップをして冷蔵庫に入れました。3人家族では食べきれないので、半分は近くの友人のところへ差し上げ喜んでもらいました。

 夕方仕事から帰った妻が刺身を作ってくれました。昨日家庭菜園で取れたばかりのタマネギを薄くスライスして水でさらし刺身の添えにして食べましたが、ほっぺたが落ちるとはこのことかも知れないと、二人で堪能しました。こんな美味しいものを腹いっぱい食べられるのですから田舎暮らしは楽しくて仕方がありません。昨日私が人間牧場から取ってきて皮を剥いた3回目の蕗も間もなく灰汁抜きが終わって佃煮風に仕上がろうとしています。肉を殆ど食べない私の日本食主体の食事は、これからも季節の彩を添えて楽しいものになりそうです。


  「鯛届く 太い包丁 取り出して 荒切り調理 私の役目」

  「夕餉膳 鯛の刺身が 贅沢に 田舎ならでは 美味い連発」

  「今日の夜 鯛の兜煮 想像す 元気源 鯛にいただく」

  「タマネギが 鯛に変身 いいもんだ 次はジャガイモ 何に変身」 


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○腕白盛りの孫たち

 子どもの世界は流行に敏感です。私たち大人の知らないことを何処でどう教えてもらったのか、親さえも知らないことを不思議なくらい知っています。現代の子どもは主にテレビと友達から情報を得ます。ゆえに幼稚園や小学校になると、言葉遣いが急に荒くなり、遊び道具や遊び方ももろそれが出てくるのです。

 先月3歳の誕生日を迎えた孫尚樹は誕生日のプレゼントに、仮面ライダーパワーベルトというのが欲しいと要求し、おばあちゃんであるわが妻も何のことだか分からぬまま連れ立ってデパートに出かけ、買ってやったようです。

 さあその日から孫尚樹は朝起きるとパワーベルトの存在を確認し、幼稚園から帰るとパワーベルトを腰に巻きつけて、何やら音のする変身のための呪文を唱えてヒーローになりきって遊んでいるのです。

 一昨日は輪が家へ泊まりに来るのに買ってもらったおばあちゃんに見せるために持ってきました。ところが同じような歳格好で3ヶ月遅れて生まれた長男の息子希心にとっても、このパワーベルトは憧れの品物なので、ちょっと目を放した隙に拝借して遊んでいました。これを見つけた孫尚樹と、孫希心との取っ組み合いの喧嘩となってしまいました。「棒kのパワーベルト~」「僕も欲しい~」などと泣き叫び、最後は止めに入る一幕となりました。

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(希心君にパワーベルトを貸してやり、少々不満顔の尚樹君)

 結局はおばあちゃんが中へ入って仲裁したようですが、取られたくない孫尚樹と、どうしても欲しい孫希心の険悪な関係は当分続きましたが、「お兄ちゃんだから」の一言で孫尚樹は優越感を取り戻し、前にも増して仲良くなりました。

 昨日は久しぶりに長男の運転する車で人間牧場へ水平線の家の掃除をするため、孫たちを誘って出かけました。小学校2年生の孫朋樹は、人間牧場で飼っているカブトムシの幼虫がどんなになっているか心配なようで、虫かご持参となりました。ポリバケツの中にいるはずのカブトムシの幼虫は腐葉土の下に潜り込んであいにく確認することはできませんでしたが、早くも草むらでコクワガタを一匹見つけ、得意になっていました。

 子どもの目線はこうして成長とともに変わるものなのです。パワーベルトを欲しがる孫にも、自然の遊びをしっかり教えてやろうと思いました。

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  「孫たちも 日増し成長 目を細め 一緒に遊ぶ ちょっかい出して」

  「爺や婆 知らないことを 知っている 孫の言葉も 理解半分」

  「四人とも 男孫ゆえ じいちゃんは 教育係 大事な任務」

  「じいちゃんも  今はすっかり 板につき 孫と遊びを 共有しつつ」

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○一斉清掃に私も参加しました

 昨日は私が住んでいる双海町灘町地区の一斉清掃の日でした。私の住居は25組で12戸あります。したがって12年に一度は組長という役割が回ってくるのです。私は役場を退職して間もなく2年間、灘町地区の区長という自治会長もやりました。加えて順番でやって来る組長は3回ばかり経験しましたが、その都度上からの指示を下に伝える役目や、自治会と組の独創的な活動を主催してきました。

 組長の役目で最も重要なのは葬儀です。これまでにも私の母を含め組内の何人かが亡くなりましたが、その都度組内の取り組みに従って葬式の手助けをしてきました。最近は葬式事情も一変し葬祭センターですることが殆どになって、組長の役割も随分減りましたが、それでも自分が組長の時に争議が出ないように願うのは誰も偽らざる気持ちのようです。


 組長になると組長会に出席して地区の運営に参加します。盆踊りや秋祭りのお神輿運行、月々の集金など、昔のように税金まで集めることは個人情報の観点からなくなりましたが、それでもあれやこれや煩わしいことがいっぱいあって、正直な話誰も組長の仕事をやりたくないと漏らすのです。でもボランティアの原点であるこれらコミュニティ活動の役割は、誰かがやらなければならないことなので、割り切っているようです。


 さて昨日は灘町地区の一斉清掃日でした。数日前から地区の有線放送で清掃日の周知と参加について放送されているし、毎年6月第一日曜日は一斉清掃の日と定められているので、田舎のことゆえ早い人は朝6時から鍬や鎌を持って自宅周辺の素地に取り掛かりました。日ごろは疎遠になっている人も、一戸に一人は必ず参加するので、久しぶりに顔を見る人が殆どで、清掃もさることながら世間話に花を咲かせました。


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 主な作業は下水の掃除ですが、私の住んでいる所はまだ田圃がかなり残っていて、先月から田植えのために通水した水路と下水が一部混在しているところもあって、綺麗な水が流れていて余り作業はなく、一時間余りで終わってしまいました。取り出した雑草や落ち葉などをゴミ袋に入れてごみ収集場に置いておくと、地区の役員さんが集め、掃除の終わった下水には消毒液を散布しに来てくれるのです。それでも身の回りがすっかり綺麗になりました。

 今年は入梅が例年より少し遅れているようですが、間もなくうっとうしくジメジメした雨の季節を迎えます。一斉清掃で清潔にして、清々しい気持ちで梅雨を乗り切るためにいいひと時を過ごすことができました。私は一斉清掃のついでに、わが家の敷地内の下水の掃除も念入りに行いました。わが家は山を背にしているためこれまでに、何度か土砂崩壊の災害にも遭いました。またその片づけをしている最中にチェンソーで、足を切るという大怪我まで下ことがあります。転ばぬ先の杖、雨の備えをしっかりとして今年も梅雨を乗り切りたいものです。

  「組内の 一斉清掃 参加する 久方ぶりに 消息確認」

  「梅雨前に 下水掃除や 草を刈る お陰すっきり 綺麗になりて」

  「ボランティア 活動参加 気持ちよく 汗を流して ホッと一息」

  「田舎ゆえ 水路と下水 区別なく 少し疑問の 田圃を見つつ」  

 

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○ホタル祭りに参加しました

 前日から泊まりに来ていた娘の家族に、長男が仕事の都合で来れないため列車でやって来た長男の家族が加わり、まあ昨日は賑やかな一日となりました。仕事で留守にする妻から面倒を見るようきつく言われていたため、昨日は一日中孫のお守につき合わされました。日ごろは妻と親父の穏やかなトーンが、いきなり何オクターブも高いトーンになったため、まるで動物園にいるような賑やかさで、朝から晩まで神経的に多少疲れを覚えました。それでも孫はいいもので、「おじいちゃん、おじいちゃん」とすり寄って来て嬉しいやらうるさいやらの気分です。おしっこやうんこ、まんま、転げる、おもちゃの取り合い喧嘩、おやつ、まあ忙しい。

 夕方式典を終えて帰った私と、仕事を終えて帰った妻を待ちかねたように2台の車でホタル祭りに出かけました。道は県道に片側駐車、一方通行となっていましたが、私たちが訪ねたのは午後5時頃だったのに、早くも駐車の列は大橋を越えていました。

 6時からの福撒きにはまだ間があるので、ピザ釜でピザつくり体験をすることにしました。大人4人子ども4人のメンバーで、生地を約15分間こね、少し発酵させてトマトケチャップを塗り、チーズや様々な具材をトッピングし、ピザ釜で焼いてもらいました。その間用意してもらった甘夏みかんや伊予みかんを半分に切った果実をジュース絞り機で絞ってジュースを作りました。熱々のピザをカッターで切り分けたりみんなで試食しましたが、味は格別で楽しい時間を過ごすことができ、孫たちも大満足でした。

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 ホタル祭りは翠小学校の校庭にこれほど人が来るのかと感心するほど人が沢山集まっていました。顔馴染みも多く、ホタル市も盛会のようで、松本さんは年輪を重ねるバームクーヘンの手作り体験コーナーで孤軍奮闘していました。試食しましたが中々の出来で、ひょっとしたら面白いことになるかも知れない予感がしました。

 孫たちはそれぞれ、大人もそれぞれお目当ての買い物をして福撒きに参加し、夕闇迫る頃早めに会場を引き上げ、前日ホタル見学に出かけた家の近くの上灘川沿いに出かけ、ホタルを鑑賞し楽しみました。

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 追伸

  ホタル祭りのオープニングを飾るのは長浜白滝に住む友人玉井良幸さんの田植え踊りです。私と青年団時代一緒に活動した好でホタル祭りの呼び物になっています。ホタル祭りに毎年呼んでいますが、今年も元気な姿を見せてくれました。嬉しい限りです。


  「孫たちと ホタル祭りの 会場へ 年年歳歳 盛会なりて」

  「ピザ釜で ピザを体験 こりゃいける みんな満足 うまいうまいと」

  「懐かしき 人に出会うも イベントの お陰とばかり 交流深め」

  「変わらぬは 案山子踊りを する友の おもしろ可笑しき 所作の数々」

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○一周遅れのトップランナー

 昨日はエコ改修なった翠小学校を主会場に第24回目のふたみホタル祭りが開かれました。24年前私たちが始めたささやかな地元の祭りですが、四半世紀も続く祭りになろうとは私を含めて誰も想像しませんでした。ホタル保存会長だった北川完三郎先生や河野喜由さん、それにホタルの名物男だった福岡親一郎さんもすでに亡くなり、翠小学校正面玄関上に吊り下げられてすっかりシンボルだったホタルのモニュメントも姿を消しています。

でも学校はエコ改修によって見違えるようになり、工事のため主会場を変更して行った昨年から、再び翠小学校に帰って、元の賑わいを取り戻しているようでした。

 昨日はホタル祭りに先立ちエコ改修事業の完成記念式典が、午後3時からコミュニティホールでありました。新築落成でもないのに、環境省の審議官や県知事さんも見えられ、エコ改修といういかにも意味ありな事業の完成を祝いました。こんな小さな学校なのに知事さんは、これまでにも私が教育長時代もこの学校を訪ねていて、「現役木造校舎県内最古」というお墨付きがものをいっているようです。私も招待者の末席に名を加えられて案内があり参列しましたが、子どもが主役の式典は吹き渡る爽やかな風のようにとても爽やかでした。

 オープニングを飾った子どもたち20人のソーラン踊り、県知事さんの挨拶、翠小学校児童の自慢話は中々洒落たストーリーでした。この日は翠小学校の里帰りの日のようで、何人もの元校長先生や元職員も招待されて駆けつけ、役場に勤めていたりホタル保存活動やホタル祭りの関係で親しかった昔を懐かしみ、思い出話に花を咲かせました。

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 人数こそ少ないものの元気な翠小学校ですが、やはり気になるのは子どもの数がどんどん減少し、今では20人程度に落ち込んでいるのです。私の持論である小学校は6人おればいいし、小学校は歩いていける距離のことを考えればまだまだ大丈夫と思いますが、はてさて今後どうなって行くのか、人数規模で学校の統廃合を決める世間一般の風潮の中で少し気がかりなところです。

 かつては危険校舎の烙印が押され、地元も鉄筋校舎にして欲しいと何度も陳情書が教育委員会に届けられましたが、ホタル保存活動という隠し味を巧みに使ったお陰でこの学校は一蹴遅れのトップランナーになることができました。そうした裏話を知っている人もだんだん少なくなってきましたが、まあ色々あっても学校が残ったことに感謝しながら、運動に関わった24年を振り返りながら来賓席の末席で感慨深げなひと時を過ごしました。


  「歴代の 校長元気に 顔見せて 昔話に 花を咲かせる」

  「この学校 危険校舎の 烙印を 押されていたが 見事復活」

  「一周は 遅れていても オンリーワン 今じゃトップを さっそう走る」

  「川べりで カワセミ羽を 休めてる 翠の起源 知ることなしに」

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