shin-1さんの日記

○ブレーキとアクセル

 先日私の友人がちょっとした交通事故を起こしました。交通事故といってもガードレールにぶつけた自損事故で大したことはなかったのですが、彼の話を聞く度に身体能力の衰えつつある自らの加齢を憂うのです。

 事故を起こした友人は私より三つも年齢が若いのですが、若い頃から年齢より少し老けて見えました。頭は禿げ、目は老眼をかけ、来ている衣服もどちらかというと地味で、私と飲みに行って飲み屋の女性に「どっちが年齢が上?」と聞くと、10人が10人その友人を指差し、私はその度に少し優越感を覚えたものでした。

 その友人に最近少し体の異変が起っているようです。あちらこちらにガタが来て、入退院を繰り返し、先日も出会った時、少し弱気な発言をしていて気になっていました。


 交通事故は公園の駐車場に車を止めてトイレへ行き、所要を済ませていざ発進という時に、オートマチック車のアクセルとブレーキを間違って踏んだらしいのです。車はコンクリートの偽木を突き破り偽木も車も壊れてしまいましたが、幸いそこまでで車が止まって九死に一生を得たようです。JFと保険会社に出動要請し、事故処理を終えましたが、保険申請のため警察に来てもらわなければならず、私に電話がかかったころには興奮は冷めていたものの、意気消沈といった感じでした。

 人ごととは思えないこの事故の様子を聞きながら、日ごろは足元に何の注意や疑いも持たずオートマチック車を運転していますが、その怖さを現代の世相と重ね合わせながらしみじみ考えさせられました。


 これまでの社会は高度成長よろしきを得て、全てがアクセルを目いっぱい踏み込むような社会でした。高速道路を走っていて時々気付くのですが、一般道ではスピードを60キロも出すと早く感じるのに、高速道路では100キロ出してもそれほど早いと感じず、追い越し車線をそれ以上スピードを出した車が追い抜いて行くのです。そのスピードにつられて走るととんでもない事故に遭うかも知れないのに、気が緩んで走り続けるのですが、時々ヒヤッとする場面にも出くわし、自戒のブレーキをかけるのです。

 今の社会はこうしたアクセル社会のひずみが随所に出て、あちらこちらでブレーキをかけ始めました。アクセルになれている私たちはブレーキ社会のもどかしさにイライラして、何度もアクセルを踏もうとしますが、ブレーキ社会が本当に人間が人間らしく生きる社会だと自覚するのには、まだ少し時間がかかるようです。


 何年か前オートマチック車が登場した時、それまでミッション車に慣れていた私は、片足だけでアクセルとブレーキを踏んで運転することに大きな不安を感じたものでした。でも慣れてくるとオートマチックはエンストもなくすこぶる便利になったと思い込みました。そんなこともあって、友人にすればブレーキとアクセルを踏み間違えた大変な事故でしたが、冷静に見ればよくぞ命があったと思えるのです。友人は自分の気力と身体能力のズレにやっと気付いたようですが、他人事ではなく私も気力と体力は完全にズレているのです。先日も台所の地下物置の取っ手が出ていることに気付かず、思い切り足先をぶつけて涙が出るほど痛かったし、草刈機を持ったままスッテンコロリン畑で転げたり、体中に生傷が耐えないようで、妻から教育的指導を何度も受けているのです。転ばぬ先の杖を持ちたい今日この頃です。   


  「ブレーキと アクセル違え 事故起こす 友の消沈 私教訓」

  「ブレーキを かける社会は まどろこし これが普通だ 思うと見える」

  「気力なら 若い思うが 体力は 残念ながら 歳と相応」

  「危ないと 思う回数 増えてくる 黄色信号 赤に変わりつ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○年輪塾で道歌を学ぶ

 愛媛県は正岡子規や高浜虚子の影響もあって、俳句・短歌の盛んなところです。私たちは新聞で毎日目にしているので、これが普通だと思っていますが、他所の人から見れば文芸欄に俳句や川柳が沢山掲載されるのはやはり異常と思うようです。

 そんな中で私たちに馴染みが薄いものに、道歌というのがあります。「どうか」と読むのだそうですが、道歌とは芸術文芸である短歌と違って、仏教や道徳的な教えを分かり易く読み込んだ和歌なのです。私も道歌に似た笑売短歌なる五七五七七の三十一文字で、毎日朝四首夜四首合計八首の言葉遊びをしています。道歌のような仏教や道徳の教えではないものの、一年に一つや二つは道歌に似た秀作があるかも知れないと思っていますが、その評価は未だ誰にもされていないのです。

 道歌でよく知られている戯言に、「目鼻口 手足は人の並なれど 心一つで 廃る体で」というのがあり、読んで字のごときものです。道歌は日ごろの暮らしでは余り目にしたり聞いたりすることはありませんが、年輪塾のテーマを二宮尊徳にしてから、学習の過程や資料の中に道歌が沢山出てきて、その考えさせられる表現に頷いたりしながら学んでいるのです。

 二宮尊徳翁の道歌に、「父母も そのちちははも わが身なり 我を愛せよ われを敬せよ」というのがあります。人間は突如としてこの世に生まれてきますが、その命の営みは父と母、そしてその父母にも父母と連綿とルーツは遡るのです。一人の人間のルーツを十代辿れば千二十四人の先祖がいることになるのですから驚くという他はないのです。

 あの有名な智将山本五十六の言葉に「して見せて 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ」というのがあり、リーダーの心得として物の例えによく使われますが、実はこの言葉も「目で見せて 耳で聞かせて して見せて やらせて褒めにゃ 事ならぬなり」という道歌をそっくり真似たものなのです。調べてみればなるほどと思う道歌も沢山あって、奥の深さを感じるのですが、私もこれからは少し道歌を勉強してみたいと思うようになっている今日この頃です。

 しかし仏教や道徳となるとこれまた奥が深く私の手に負えるものではありませんが、毎日八首も作っているのですから努力のし甲斐はあるかも知れません。いずれにせよ道歌なるものの存在を知っただけでも、年輪塾で二宮尊徳翁夜話を学んでいる学びが役に立った訳ですから、これからもその学びを深めたいと思っています。 

  「ホロホロと 鳴く山鳥の 声聞けば 逝きし母声 枕辺聞こゆ」

  「ジュウヤクの 白き花見て 母思う 刈り取り日陰 干せし姿を」

  「ふと気付く 小さくなった 親父の背 我の気苦労 一身背負い」

  「子を持ちて 初めて知りし 親の恩 わが子もいつか 気付く時来る」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○公民館新任職員ネットワークセミナー

 先日6月11日、愛媛県公民館連合会から新任職員ネットワークセミナーの講師を頼まれ、旧県立中央青年の家だったえひめ青少年ふれあいセンターへ出かけました。50人を越える新任職員を前に、何を話そうか迷いましたが、「生涯学習・社会教育と公民館活動」という、新任職員には少し混同しそうなテーマだけに思い切って、先日全公連から依頼があって執筆原稿を校了したものの冒頭に書いた言葉から入ることにしました。

若松進一ブログ

 もし公民館に勤めているあなたが、日ごろ目にする次のような出来事に出くわしたら、あなたはどのようなことを考え行動するでしょうか。

 ●海や川が汚れ街が汚い

 ●学校が統廃合される

 ●限界集落が増えてきた

 ●青少年による犯罪が起る

 ●青年団や婦人会がなくなる

 ●村祭りが消える

 ●農地が荒れる

 ●人間関係がギクシャクする

 ●自然が破壊される

 ●バスや列車が廃線になる

 これらは私たちの身の回りで最近起きている社会の変化のほんの一例ですが、公民館に勤める殆どの職員は、このことに気付きもせず、よしんば気がついても気がつかないふりをして、目と耳と口と鼻をふさぎ、考えたり行動したりもしないのです。そしてそれらの出来事は、海や川の汚染であれば生活環境課の、限界集落であれば総務課の、また農地が荒れれば産業課の食味の範疇だからとそっぽを向き、青年団や婦人会がなくなるという存亡に関わる問題さえ、さも関係ないといわんばかりに何の手立ても考えずやり過ごしているのです。


 これ以上書いた記事を紹介すると寄稿した雑誌に悪いので、以下は省略しますが、日本全国の公民館はある意味存続の危機に瀕していることも事実なのです。行政は「金がない」「合理化」という名の基に公民館を容赦なく弱体化させ、指定管理者制度や委託を平気で行い、ひどい地域ではコミュニティ行政と称して、公民館をなくしようとする動きまであるのです。

 そのような行政の横暴に教育委員会や公民館関係者はただ見てみぬふりをしているようにも思えます。しかし一番問題なのは公民館の恩恵に預かっている私たち住民が何の文句も言わずやり過ごしていることかも知れないのです。国県市町村と縦の組織を持っているし、公民館が日本の国づくりに重要な役割を果たしてきたことは紛れもない事実ですから、遅きに失した感もありますが、今一度公民館の役割とは何か、真剣に考えないと行政が教育にまで足を踏み込んでしまう危険性すらあるのです。公民館で飯を食い、今でも公民館を恩人と思う私の老婆心は最早古いのでしょうか。


  「今年も 新任職員 やって来た どんな思いで 望んでいるか」

  「左遷だと 思う職員 何人か いるかも知れぬ 早く去れ」

  「公民館 地域づくりの 要だと 思う私は 古いでしょうか」

  「公民館 いつの時代も 変わらずは 人の良し悪し 活動決める」


 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ハッピーな二人だけの日曜日デイト

 久しぶりに孫たちがやって来ない日曜日、寂しいのやらホッとするのやら分からない微妙な静けさです。朝からかなり激しい雨が降って、テレビでは四国地方が前日の九州に続いて、入梅したと保持て納得しながら雨音を聞いていました。今年の入梅は41年ぶりの遅さのようで11日も遅いそうです。降ったら降ったで、降らなければ降らないで、異常気象だと勘ぐる日本人の悪い癖がありますが、自然現象ゆえこんな年もあるのだと思えば納得もするのです。

 それにしても前日の田処でのエクスカーションはラッキーでした。たった一日のことながら天気に助けられた感じで、晴れ男、晴れ女などと自分に都合のいい役割を演じたと自認する人たちから、お礼のメールが沢山届いて、エクスカーションを仕組んだ側として喜んでいます。

 昨日の朝は突然、大阪に住む叔母と従兄弟二人がわが家を訪ねてきました。親父にとって12人兄弟の9番目の妹で、唯一県外に住んでいて年齢は75歳になっているようです。今治に住んでいる子どもの所へ来たついでに足を伸ばしたそうなのですが、思わぬ妹の来訪に親父は大層喜んで短い束の間ながら積もる話をして2時間余りで帰って行きました。

 天気がよければ前日に引き続き昨日は家庭菜園でジャガイモの収穫をする予定でしたが、雨で出来なくなったので、妻とドライブがてら八幡浜の実家を訪問することにしました。妻は勤めているため日曜だけが自由時間で、相変わらずの忙しさゆえ、孫の来ない日曜日は拍子抜けしたような感じがするらしく、八幡浜で兄嫁が勤めている店でショッピングを楽しんだり、夫婦水入らずで外食昼食を食べ、帰りには嵯峨野という大洲の温浴私設でお風呂まで楽しむハッピーな一日となりました。

 私は結婚前は青年団、結婚後は仕事で公民館活動やまちづくり、退職後は講演や地域づくりなどで土日とはまったくと言っていいほど休日とは無縁の人生を過ごしてきました。昨日のように朝から予定が入らない日曜日は退職したといえど殆どないのです。ゆえに二人でゆっくり出かけることもなく、気短な私は妻のショッピングに付き合うと少々イライラする性格なので、妻も私に対して余り期待していません。それでもレストランでバイキング形式の少し遅めの昼食をあれやこれや言いながら取り合って食べるのが何処か新鮮で、「まるでデイトみたい」と妻は喜んでいました。

 親父の夕食の準備もあるので午後4時過ぎに自宅へ帰りましたが、入梅した雨は早くも梅雨の中休みなのか午後には上がり、今日も多少曇りながら雨のない一日となりそうです。これからは今までの妻への不義理を改め、できるだけ感謝を表したいと殊勝なことを思って朝を迎えています。


  「この歳で デイトなどとは 戯言か 犬も食わぬわ 大見栄きって」

  「ノコノコと 妻の買い物 付き合うは 性に合わぬと 今日できっぱり」

  「よく見れば 妻もそれなり 歳をとる 今日が一番 若いはずだと」

  「バイキング 私好みの 食べ物を 妻が取り寄せ 仲良く食事」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○大洲市田処ホタルと夜神楽エクスカーション②

 外が暗くなった頃、私たちエクスカーションの一行は、600メートルほど離れた熊野神社へ夜神楽を見に出かけました。ひなびた田処山村の街中をゆっくりと歩きながら、小学生の頃遠足で急な峠道を歩いて越え来た当時のことを思い出していました。夜の帳が降り始めた県道の沿線には手作りの行灯に灯が入れられ、その行灯を道しるべにしながら熊野神社の灯篭をくぐって石段を上りました。

 夜神楽は既に始まっていて、かがり火の焚かれた境内も神社の拝殿も人が沢山集まって、神楽の舞いに見入っていました。境内には樹齢400年を越える県指定天然記念物のカヤの木や、二抱えもあるような杉の大木が繁り、雰囲気は最高でした。

若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ
若松進一ブログ

 聞けばこの藤縄神楽は今年愛媛県の無形文化財に指定されたそうで、知人もそのメンバーとして活躍しているので再会を楽しみにしていましたが、奥さんにはお会いしたものの神楽の裏方が忙しく、声をかけることは出来ませんでした。

 神楽の舞には色々な演目があるようですが、素人の私たちには中身がまったく分からず、めくりがめくられて演目が変わるたびに神楽面が変わったり、道具が変わった様子を人の頭越しに見る程度でした。やがて拝殿から私の名前が呼びあげられました。驚いた私は何事か飲み込めないまま拝殿に上がりました。どうやら両手に円盤投げの円盤に似た道具を持って踊れと言うのです。烏帽子を被った神官がその前に踊った踊りを真似をして踊るのですが、大太鼓小太鼓、鐘のリズミカルな拍子に合わせて、両手に持った三日月とお日様を書いてある円盤を落とさないよう体をぐるぐる回すのです。普通は目が回るのですが、この円盤を見ながら回転すると不思議なことに目が回らず、鳴り止まぬ大きな拍手大喝采をいただき、多少有頂天になって踊りました。神様の前で悪ふざけをしたことを今は悔やんでいます。踊り終わるとお礼にお持ちをいただきましたが、境内の観衆めがけて撒いてあげました。

 
若松進一ブログ

 夜神楽の宴もたけなわでしたが、私たちはホタルの飛び始める8時になったので神社を後にして元来た道を引き返し麓川沿いに学校まで帰りました。そして学校に架かる橋を渡っていつの間にか満車になっている運動場の横を通ってプールの近くまで行き、ホタルの乱舞を見学しました。田処のホタルは乱舞という言葉がぴったりで無数のホタルが光を発しながら飛び交っていました。「まあ綺麗」「来て良かったね」と口々に暗闇の中で言葉を交わしながら、しばらくの間過ごしました。

 やがて9時近くになったので、子ども参加したり今治や西条からの参加者もいることから、皆さんにお礼を言ってお暇をしました。西田和子さんや亀本幸三さん、それに沢山のボランティアの人たちに随分迷惑をかけてしまいましたが、田舎の山里で夜神楽やホタルなどで久しぶりに、心を癒していただきました。


 追伸

 えひめ地域政策研究センターのアシスト事業で助成をした「いこい」という手作りの集会施設が、その後活動の拠点として立派に運営されている姿をまのあたりにすることができました。審査に加わった一人としてこんなに嬉しいことはありませんでした。

若松進一ブログ
(西田さんが自慢げに話す集会私設「いこい)



  「夜神楽に 呼ばれ飛び入り 舞を舞う 神を冒涜 したかも知れぬ」

  「学校が 消えてなくなる 予定だと 寂しく語る 山里訪ね」

  「同級生 この山里に 嫁いでる 久方ぶりの 再会嬉し」

  「山菜を ふんだん使った 手作りの 弁当美味い 味は忘れじ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○田処エクスカーションは楽しかったです①

 昨晩は私が塾長を努めている年輪塾の塾生に家族が加わり、大洲市田処の矢落川にホタルを見に行くエクスカーションが開かれ、私も日ごろ不義理をしている妻を誘って参加しました。午後5時に双海町下灘コミュニティセンターへ集合と決めていましたが、早い人遅い人のばらつきがあって、出発は30分ほど遅れてしまいました。双海~内子線は県道ですが急峻な山ゆえ九十九折の道のため、迷子になったら大変と私が先導、松本・清水さんがしんがりを固め、6台の車を連ねての行脚です。朝ヶ峠を越え、平家の落人集落法師を過ぎて田処へ入りました。私の車には妻に加え晴美さんと浜田さんが乗り、楽しいおしゃべりをしながらののんびり旅でした。

若松進一ブログ

(このテーブルは21世紀えひめニューフロンティアグループが差し上げたものです)

 会場となる活性化センターは小学校と併設されていて、運動場広場に車を顔見知りの誘導者の言うがまま駐車して中へ入りました。この会場へは講演やホタル祭りなどで何度も来ているため知人友人も多く、早速世間話に花を咲かせました。

 この日は私たち20人ほどの一行のために昼からボランティアの皆さんが丹精真心を込めて手料理を作って待っていてくれました。地産品をふんだんに使った料理が並べられているのは、21世紀えひめニューフロンティアグループが10年間で40回のフロンティア塾をやった折、塾に使っていた手作りのテーブルを譲ったものなのです。重くて大きいテーブルも活性化センターのホールでは小さく感じるほどでしたが、程よく収まり花を添えているようでした。

若松進一ブログ
(美味しかった手作り料理の数々)

 大杉塾の代表である西田和子さんと事務局の亀本幸三さんのコンビネーションもすこぶるよく、ホタルの生態に関するスライドショーや二宮金次郎の歌の唱和など、ついつい田処流の地域づくりに引き込まれながら、押ししいい料理に舌鼓を打ちました。天ぷらも筍の煮付けも、お寿司も、そしてソーメンも全て美味しく、私は完食して終いました。私たちのために昼から田舎料理を作ってくれたボランティアスタッフの方々にお礼を言いたいと思います。ボランティアスタッフの中には中学校時代の同級生中野貞子さんもいて、ご主人ともども久しぶりに旧交をお温めました。中野貞子さんと松本さんの母親も同級生で奇遇を難じました。

若松進一ブログ

(スタッフの皆さん)

 スタッフメンバーの中に徳田糸江さんもいました。糸江さんも双海町出身で、ご主人が経営する建設会社が私が役場産業課で水産を担当していた頃、下灘漁協の荷捌き所を作った折落札して施工をしてもらい、その後筆まめな糸江さんと筆不精な私のはがきのやり取りが何度かありました。春先にも先日建設業協会女性部での講演会後も心温まる絵手紙を届けてくれました。嬉しい限りです。これからも皆さんとは仲良く付き合って行きたいものです。

若松進一ブログ
(今年の春4月19日、徳田糸江さんから届いた春を告げるイタドリの素敵な絵手紙です)



  「一山を 背中合わせに 住む人の 懐かし顔に 会えて嬉しい」

  「手作りの 山里料理 舌鼓み 全て平らげ 幸せでした」

  「10年も 使い古した 思い出の テーブル囲み 過ぎし日思う」

  「お互いに おじさんおばさん なったけど 心は若く あの頃同じ」


  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○鳥にも情はあるのでしょうか

 つい最近わが家の周りで悲しいことがありました。3日前親父の隠居に小鳥が飛び込んできました。これまでにも何度かハクビシンや小鳥が飛び込んで、その都度親父は鳥かごに入れて餌をやり、元気になると自然に帰していましたが、今度の小鳥もまだ巣立ち間もないとあって、大空を飛ぶことが出来ないようでした。餌を少し食べるので庭の隅の木陰に鳥かごを置いて少し様子を伺いました。

 すると何処からともなく親鳥と思われる鳥が、子どもを捜しているような鳴き声で巣かごに近づいてきました。そして付近に何度も何度もやって来るのです。可哀想なので巣かごの飛べない小鳥を放してやりました。小鳥はしばらくそこら辺をよちよち歩きしていましたが、そのうち見えなくなっていました。

若松進一ブログ

(子どの姿を求めて屋根の鬼瓦に止まって鳴く親鳥)

 昼休みで自宅に帰った妻が玄関先のメダカを買っている壷の中のメダカに餌をやろうとして、何やら異変に気がつきました。多分放してやった小鳥だと思うのですが、可哀想に壷の中で死んで浮いていました。私はその小鳥を取り上げ家庭菜園の隅に穴を掘って埋めてやりました。それからというものは親鳥は高く低く飛び交い、家の屋根や庭先で泣き叫んでいました。

 あの小さな小鳥の何処に子を思う愛情があるのでしょうか。卵を産み、その卵を抱きかかえて温め、羽化すれば餌を運んだであろう子育ての期間を思うと、心情察するに余りあるのです。昨今の児童虐待など鳥以下だと優しい小鳥の泣き声も聞きながら思いました。

若松進一ブログ
若松進一ブログ
(愛を語り合っているのでしょうか2羽の鳥)

 わが家は自然が豊かで野鳥の宝庫のように沢山の小鳥がやって来ます。今朝もカワセミに似た小鳥が2羽、わが書斎の前にやって来て、まるで愛を語るように鳴き合うのです。窓を開ける音にも、私の気配にも動じず、しばらくの間さえずりあっていました。

 私はカメラを持ち出し写真撮影を試みました。先日の小鳥の埋葬などにまるでお礼を言うようにしばらくの優雅に間羽根を広げたりして、その美しい姿を存分に見せ何処かへ飛び去ってゆきました。


  「亡くなりし わが子探して 鳴く鳥の 声ぞ悲しく 谷にこだます」

  「鳥でさえ 親子情愛 深いのに 子ども虐待 世の中乱れ」

  「庭に来て 愛を語るか  二羽の鳥 私仲人 縁を結びて」

  「もし俺に 鳥の言葉が 喋れたら そんな思いで 鳥に接する」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○馬路村から魚簗瀬杉の輪切りが届きました

 家の玄関でチャイムが鳴り出てみると、「今日は。高知県馬路村から荷物が届いています。受け取りにサインをお願いします」と、宅配のお兄ちゃんの元気な声が聞こえてきました。荷送り主は馬路村役場の木下彰二課長さんからでした。段ボールで包んだ丸い荷物はまるで車のタイヤが入って入るようにも見えました。「よいしょ」と声をかけなければぎっくり腰にでもなりそうな重さで、やっとのことで抱え揚げて私設公民館煙会所の横にある東屋の机の上まで運びました。傍で畑仕事をしていた親父も「何が送られてきたのか」と覗きにやって来ました。

若松進一ブログ

 早速荷解きにかかりました。ガムテープをバリバリ剥がして行くと中から暖衝材に包まれた一抱えもある木の輪切りが出てきました。まだ乾燥していない生のままの輪切りとともに中から手紙が出てきました。封筒に入っている私宛の手紙は旅の道中が長かったため木の水分を吸って吸って、まるで汗をかいたようにべっとりしていました。封を切って手紙を取り出すと、相変わらず特徴ある墨文字で「年輪塾長さま。こんなんでえいろ~か?」とチェンソーで輪切りしている漫画まで描いていました。

若松進一ブログ

 私が彼に付けたあだ名は山猿、彼が私に付けたあだ名は海猿でお互いがそう呼び合っています。記憶は定かではありませんが、彼と初めて出合ったのは確かえひめ地域政策研究センター研究員だった清水さんの仲立ちで、馬路村農協の東谷さんと座談するため、朝日新聞の砂場記者、徳島県上勝の横石さん、内子の森本さんとともに、馬路村温泉を訪ねた時だったと記憶しているのです。以来急速に交友が深まり、遠方にもかかわらず行ったり来たりのの深い深い交友が家族ぐるみで続いているのです。彼はその後若くして役場の課長になり、私は逆に教育長を最後に退職しましたが、今もその深い関係は変わっていません。

若松進一ブログ

 送られてきた杉丸太の輪切りは、樹齢50年は有に越えている馬路村産魚簗瀬杉です。3年前人間牧場で開塾した年輪塾は年年歳歳高まっていますが、来月には清水塾頭が八幡浜日土に持っている「あらしやま山荘」で移動塾を開く計画で、その際この杉丸太は分家塾の看板として使う計画なのです。私設公民館煙会所も全国に17もの分家がありますが、年輪塾分家はまだ始まったばかりで、その行方が注目されています。

 本家ともいえる人間牧場水平線の家には、樹齢150年の年輪を刻んだ魚簗瀬杉の切り株が鎮座していて、私はこの丸太の上で落伍を演じているのです。早速周りの皮を剥ぎ割れを最小限にするため電線で周りを縛り、日陰乾燥をするため倉庫へ入れました。乾燥すれば松本小番頭の計らいで看板文字を書く予定です。


  「宅配で 杉の輪切りが 玄関に 早速解き 手紙とともに」

  「汗をかく 手紙ほのぼの 漫画入り 山猿らしい 思わずニヤリ」

  「年輪は 有に五十を 越えている 清水塾頭 何歳だっけ」

  「この輪切り 年輪塾の 看板に 分家一号 来月誕生」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○井戸用ポンプは故障していなかった

 一昨日わが家の庭にある井戸のポンプが故障してしまいました。30年も前に掘った井戸ですが、その後地底に水道(みずみち)が出来たのか水量は豊富で、今まで主に家庭菜園の潅水や庭木などの散水に威力を発揮してきました。親父はその井戸から自分でエスロンパイプを買い求めて配管し、菜園や家のあらゆる場所から水が採れるようにしているのです。

 季節が巡ってもう初夏です。今年の梅雨は例年より遅れていて、このところのお天気続きで少し湿り気が欲しいので、親父はせっせと水やりをしていたのです。ところがポンプの思わぬハプニングに親父の心配の種がまた一つ増えたのです。

若松進一ブログ

(故障が直った庭の隅の井戸のポンプ)

 親父は昨日の朝自宅から2キロもある水道屋さんに自転車で出かけ、「ポンプが古くなって故障したので新しいのを買いたい」といきなり注文をして帰りました。30年も使っていてポンプが老朽化したことを一番知っていて、そろそろ買い替え時と思ったのでしょう。

 私も親父が馴染みの水道屋へ行ったことなど知らなかったので単車で出かけて社長と話し、ポンプ購入の話をしました。工事は午後から、購入費用は9万円程度などを聞いて帰りました。ところが気の早い親父はもうポンプを取り外し少し腐りの見える下台製作に取り掛かっていました。

 午後3時頃水道屋さんがやって来ました。聞けばポンプの在庫がないのでとりあえず修理をしてみるというのです。取り外したポンプをもう一度据え付け直し、給水と排水のパイプを繋いで機械の上の呼び水タンクに水を入れてスイッチを入れました。しばらくすると水は勢いよく出始めました。何のことはありません。故障だと思っていたのはリセットボタンが何かの拍子で降りていただけのことだったのです。

 もし水道屋さんにポンプの在庫があったら多分このポンプはお払い箱になっていただろうと、何か得したような気持ちに親子ともども苦笑いしました。

若松進一ブログ

(勢いよく出る散水)

 昨日はポンプが故障したので庭の隅に置いているブルーベリーの鉢植えに水をやるのは自然流水をバケツに汲み取り根元にたっぷりやりました。ブルーベリーは早くも実が熟して早いものは食べごろになってきました。目敏くカワセミのような野鳥が沢山突きに来ています。昨日は鉄筋を打ち込んで細いテグスを張りました。昨年はこれで野鳥の食害からブルーベリーのみを守った実績があるので、多分大丈夫だと思っています。

 ポンプの故障騒動であらためて井戸水の大切さや親父の苦労を垣間見た思いがしました。

若松進一ブログ
(井戸水散水のお陰ですっかり成長したブルーベリーの鉢植え)

  「故障だと 思ったポンプ 動き出す 親父同様 もう少し働く」

  「故障して 初めて分かる 有難さ  井戸水地下を 巡り汲み上げ」

  「九万円 要らずに済んだ 何となく 得した気分 親父ホクホク」

  「井戸水が 庭や菜園 潤して 今年の夏も 植物元気」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○自然は薬草や食べれる野草がいっぱい

 野山には薬草や食べれる植物がいっぱいあって、それらの知識さえあればある意味「宝の山」だと、既に亡くなっている地元出身の大学の先生が、公民館の講座の講演をした時話していたのをあらためて思い出しました。医食同源という言葉があります。病気を治療するのも日常に食事をするのも、ともに生命を養い健康を保つために欠かすことの出来ないもので、源は同じだと言う考えです。古くから中国にある、体によい食材を日常的に食べて健康を保てば、特に薬など必要ないという教えは、ある意味食生活の乱れた現代人への警鐘ともとれる言葉のようです。

 その中国の影響を受けて日本でも、昔から薬草が人々の暮らしの中に根付いていました。漢方薬という自然の中から採取した薬草を調合して飲むことで健康になるのだそうですが、風邪を引いて咳が出る時に飲むと効果があるカリン酒や、胃腸の具合が悪い時に飲む梅酒は今でもわが家では自家製で、それなりの効果を実証しているのです。

 祖母や母が存命中は、初夏の頃になると野山に薬草を取りに出かけていたことを覚えています。その最たるものはジュウヤクで、白い可憐な花が咲く頃日陰に群生しているジュウヤクを刈り取って帰り、日陰干しをして茶葉のように仕上げ、煎じてお茶代わりにして飲んでいました。ジュウヤクは学名はドクダミというのでしょうが、刈り取るときその匂いが手につくといつまでもその苦味のある匂いが取れないほど強烈で、ゆえに余り好きではない飲み物でしたが、「良薬口に苦し」ということわざを話しながら飲まされたものでした。

若松進一ブログ

(可憐な白い花を咲かせているジュウヤク)

 散歩の途中今が満開のジュウヤクの花を見つけました。純白の白い花はとても清楚で、これがあの強烈な匂いを発するドクダミだとはとても思えないのです。ふと辺りを見渡すともうジュウヤクなどを刈り取る人もいないため、一面に群生していて、祖母や母が生きていたら喜ぶのにと思いました。

 遊んでいて傷をしたら蓬につばを吐きかけて手で揉み、患部に当てておくと自然に治ったり、出来物が出来るとオオバコの葉を取ってきて火にあぶり手で門で患部に張ると膿ごと吸い出してくれたり、高い薬など買えなかった昔は、自然の中にいっぱい薬となる薬草があったような気がするのです。

若松進一ブログ

(大きくなったミツバの葉っぱ)

 私は最近野生のミツバに凝っています。田舎ですからミツバなど自然の中にいっぱい生えていて、いくらでも採れるのです。ミツバは新タマネギと一緒にかき揚げ天ぷらにすると美味しいし、また先日大きな鯛を貰ったときは刺身を漬けにして、宇和島風鯛めしにして食べた折薬味に刻んで乗せたり、鯛の澄し汁に浮かせ美味しくいただきました。

 夏になるとそうめんの季節です。いりこと大豆とシイタケで取っただし汁に、ミツバやミョウガを刻んで薬味にすると、これまた食欲をそそるのです。そういえばヨモギの葉っぱの天ぷらも美味しいです。


  「ミツバ摘み 薬味天ぷら など使う 香りいっぱい 食欲そそる」

  「ジュウヤクの 花咲く見れば 祖母と母 笑顔登場 今頃何処に」

  「自販機で 買うお茶ドクダミ 入り表示 信じ難いが どこか体に」

  「気がつけば わが家の茶葉も ドクダミの ブレンド茶葉と 表示してます」

[ この記事をシェアする ]