shin-1さんの日記

○失礼だが今日はさしあたり二つ目の出会いかな?

 人間牧場や私を訪ねてくる人には大きく分けて3つのタイプがあります。一つは私そのものに会いに来る人です。私も長年地域づくりの世界でこだわりを持って生きているものですから、雑誌や新聞、それにテレビ人の口伝えに私の元を訪ねてくるのです。時には人間牧場年輪塾の第一号塾生となった浜田さんのように、私の門下生にして欲しいという物好きな人もいるのです。私は人に教えるほどの能力はありませんが、ただ自分の信ずるままに生き、実践の中から論理を学んだ自負があるので、若い人のこれからの生き方の何かヒントになるかも知れないと、請われるままに一人の人間として真摯な態度で向かい合って対話をしているのです。

 私設公民館煙会所を造ってから30年間、そして人間牧場を造ってから3年半、数え上げればきりがないほど多くの人と煙会所と人間牧場で様々な出会いを重ねてきました。また私の生き方を活字や映像にして多くの人に影響を及ぼそうと考えている人も沢山来るのです。

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 二つ目は私に遭うことが目的ではなく愛媛県に来たついで、隣町内子町に来たついで、時には双海町を通ったついでの人もいます。その都度相手のスケジュールに合わせ、むしろ私には余り期待もしないまま立ち寄るのです。したがって私にはそれほど義務もないのですが、友人や県や市町村関係の紹介や付き添いが来る場合は邪険にすることもできず、それなりに真剣な対応を心がけています。

 今日はまさしく二つ目の場合で、えひめ地域政策研究センターが昨日開いた研修会に講師として招いた農林水産省の政策企画官でしたが、この方は二つ目といいながら明らかに違った見識を持たれたご様子でした。全国各地を回っている方らしく、豊富な経験を述べられました。残念ながら私たち地域づくり人のような地べたを這う実践家ではないので、ドロドロした感じはしませんでしたが、それでも他の評論家とは少し違ったご様子で、私たちの知らない世界や情報を語られました。

 昨日からやってきた寒波の影響で人間牧場も寒い北風が吹くあいにくの天気でしたが、私は松本研究員と約束した時間より20分前に人間牧場に到着して、先日浜田さんと大掃除をして磨いておいたストーブに火を入れ、部屋を暖かくして待ちました。緒方主任や米湊さん、それにセンターの女性職員2名を伴ってやってきた企画官は、立ち話や車座の話し合いに応じ、最後は指導者論で意見を戦わせました。彼が言うとおり今までの指導者は指導者以上に成長することを嫌う風潮がありました。自分より上に成長すると指導者は自分の身が危なくなるからです。でもこれからの指導者は指導者以上の指導者を育てなければ一人前の指導者とは言えないのです。私の持論である私や私のやってきたことを否定するような人を育てなければならないのです。

 私は言い指導者ではありませんが、幸せなことに松本さんや米湊さんなど自分の先を行くような人たちが沢山育っていますし、これからも自費で造った研修施設人間牧場で自立する指導者を育てたいと思っているのです。

 

 そうそうもう一つのタイプは私を遊び相手と考えて酒を飲みに来る人です。何の目的もなくただ酒を飲みたいだけらしく、時には泊って掃除もせずに立ち去るタダ飯タダ糞の手合いです。多分私が手厚くもてなすと好かれていると勘違いして「三日泊りの下下の下の客」になるような人たちです。出来るだけその人たちとは合わないように心がけているのですが、さどい人たちなのでまるで隙間風のように入りこんで、隙間風のように去って行くのです。まあこれも仕方がないことと諦めていますが、今後もいい人と巡り合いたいと思っています。


  「松山に おいでたついで やって来た 東京人と 議論を交わす」

  「地べた這う 実践人の 私故 方言交え ありのまま言う」

  「塾生と 二人磨きし 古ぼけた 大きいストーブ 早速役立つ」

  「お互いに 次の予定が 入りていて 時計気にしつ そろそろ時間」

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○思わぬコーヒー騒動

 私は何故かコーヒーが苦手で飲めません。ゆえに最近は何処へ行っても食後にまでコーヒーが出るものですから、少し早目にいちいち相手に「私はコーヒーが飲めませんので・・・」と断りの一言を言わなければなら何のです。でないと勝手にコーヒーが出てせっかく入れてもらったコーヒーが台無しになってしまうのです。

 昨日もある知人の家へ出かけました。愛想よく迎えてくれた奥さんは早速厨房に入って、何やらガチャガチャと音を立てていることが聞こえてきました。「これはひょっとしたらコーヒーでも出すのでは」と察知したものですから、「奥さん私はコーヒーが飲めませんので」と聞こえるような声をかけました。案の定奥さんはコーヒーを入れる準備をしていたらしく、「そりゃあ残念ですね。美味しいコーヒーが手に入ったのでご馳走しようと思って」と残念がりました。一緒に行った仲間は「奥さん私はコーヒーが大好物なのでいただきます」と、私と同じような声をかけました。

 こうして私にはお茶、仲間にはコーヒーと別々のものが出てきたのですが、何とお茶うけにコーヒーゼリーが出てきました。奥さんは「あら嫌だ。私としたことがコーヒーの嫌いな若松さんにコーヒーゼリーを出すなんて」と顔を赤らめて台所へコーヒーを下げ、変わって美味しい羊羹を出してくれたのです。その折下げようとしたコーヒーを台所に落としてコーヒーカップを割ってしまい、ちょっとしたハプニングとなりました。自慢のコーヒーカップだったのでしょうに、私は自分でコーヒーカップを割ってしまったような罪の意識に駆られました。相手の奥さんも言葉にこそ出しませんでしたが、自分の粗相や恥じらいで顔を赤く染めていたようです。

 仕方がないと諦め用件を済ませて知人宅を出ましたが、後味の悪い結末でさてどうしたものか、同行の仲間に「悪かったなあ」と話しましたが、「余り気になさらない方が」と言いつつ、「私が近々コーヒーカップのいいのがあるのでお持ちしておきます」といいました。仲間はそれで株が上がりますがさて私はどうなるのだろうと考えると益々コーヒーの飲めない私は、「そうだ長男の嫁の実家が喫茶店なので美味しいコーヒーを持って行こう」と思ったのです。

 日本人の暮らしはいつの頃から洋風になったのでしょう。少なくとも私が子どもの頃は和風でした。最初にコーヒーを飲んだ時、「こんな苦いものは飲めない」と吐き捨てました。以来断った一回の経験でコーヒーが嫌いになったのですから私も相当変わり者です。コーラを飲んだ時もマヨネーズを食べた時も同じで、未だにそれらを好きになれないのです。

 魚と肉の消費量が逆転した日本、カーサンヤスメといわれるカレー、サンドイッチ、焼きめし、スープ、目玉焼きが大好きな子どもたちが増えて、ご飯に味噌汁、漬物に梅干しなどの日本食は家庭から姿を消しつつあるようです。私は日本茶が大好きで食事の後や三時のお茶うけに和菓子を食べながらお茶を飲むひと時は、何とも言えない安らぎを覚えるし、たまに抹茶を立てて飲むとこれまた詫び寂を感じます。

 コーヒーの嫌いな私の、息子がどういう因果かコーヒー屋の娘と結婚したのですから何とも可笑しな話です。私は娘の実家が経営している喫茶店ではブラックならぬホワイト、つまりミルクで通しているのです。


  「コーヒーを 駄目と断り ハプニング 俺のせいでは いや俺のせい」

  「コーヒーが 嫌いな親父 知っていて コーヒー娘 嫁ぎくるとは」

  「飯食った 後にコーヒー 飲む風潮 理解できぬが 今は常識」

  「ペッ苦い たったこれだけ 嫌いなる 俺も相当 ええ加減だな」

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○酒の呑み方を書いた一枚の看板

 パソコンのアルバムを会え入りしていたら一枚の写真を見つけました。もう前のことなので記憶は定かではありませんが、確か北東総研の清水さんとご一緒に新潟へ講演に出かけた折、途中立ち寄った新潟越後湯沢駅の高村さんのお店で見つけた看板ではないかと思うのです。高村さんとはこのことがご縁でその後、魚沼産コシヒカリを送ってもらったり、八海山酒造の蔵元講演会に招かれたりと深いご縁をいただいたのです。

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 私は残念ながら10年前に胆のう摘出手術をしてそれまで湯水のごとく呑んでいた酒が飲めなくなってしまいました。ゆえに私の体内からはもう完全にアルコールが消えたのではないかと思われますが、酒の不始末は大きいとしみじみ反省をしているところです。

 この看板には面白い酒の呑み方が5項目にわたって書いています。まず味わう酒です。酒通といわれる方はこの呑み方をするのでしょうが、酒といっても日本酒やビール、ウイスキー、焼酎、ワインなど様々ですが、料理を食べながら呑む酒はまさに百薬の長かも知れません。晩秋から冬へと季節は変わりつつありますが、秋冬の夜長を料理と一緒に味わうようなゆとりを持ちたいものです。

 

 浸る酒はむしろ過ぎ越し人生を思い出しながら、演歌などを聞きしみじみ呑む酒です。飲み屋のカウンターに一人座って小粋な女将と差しで呑みながら先に逝った呑み友だちや浮いた話の一つでも話しながら楽しい思い出に浸るのもいいのかも知れません。
 浴びる酒、これは若いころよくやりました。人生いろいろ思うように行かず、慰めの言葉を聞きながら心の憂さを晴らし、明くる日二日酔いで頭が上がらなかったことを若気の至りと、今も思い出すのです。


 呑み込む酒は我慢の酒かも知れません。ひとり我慢に耐えて呑む酒は男涙の味がするものです。さらに呷る酒には一気飲みの仲間が呷る酒もあれば、自分自身がやけっぱちになって呷る酒もありますが、これらは慎まなければならない酒かも知れません。いずれにしても酒を断った私には縁の遠い言葉だしそんな呑み方もできず語る資格はありませんが、せめてお酒は味わう酒が一番いいのかも知れませんね。今夜あたり奥さんと向かいあっておでんでもつつきながら健康的なお酒を呑むという嗜好はいかがでしょうか。


  「呑み方は 色々あれど 酒断った 俺にゃ語れる 昔懐かし」

  「呑み方は 味わう酒が 一番と 分っていても ついつい悪呑み」

  「呑み過ぎて 呑めなくなった 私故 酒と女は 二合(号)適当」

  「今になり 酒が恋いしく 思っても 後の祭りだ もう少し早く」   

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○迷い風が吹く何気ない風景

 季節の変わり目とでもいうのでしょうか、暫くの間家を留守にして忙しく働いていたため気づきませんでしたが、風の向きが毎日のように変わるのです。私たちの町では春・夏は南寄りの風、秋は東寄りの風、冬は北西寄りの風が吹くのですが、季節の変わり目になるとどちらqに向いて吹いているのか分らないような迷い風が吹くのです。昔は11月中旬に見られる迷い風現象も、温暖化の影響でしょうか今では12月に入って吹くようです。ですからおとといは北西の風、昨日は南寄りの風、今日は北寄りの風とまさに迷い風(私が名付けた名前)の名前ピッタリの風が吹いているようです。

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 昔は九州場所が終わると冷たい北風が吹いたようですが、今は12月に入っても迷い風が吹き、山は紅葉が見ごろを迎えています。今朝起きて親父の隠居へ行く時間が少し遅れました。親父と一通り世間話をした後家の玄関に帰って向かいの山を見ると、暖かい朝日が町のシンボルである本尊山に映えて美しく輝いて見えました。仲間の一人である西条の高橋啓一さんから届くネットメールには時々、西日本最高峰である石鎚山の姿が写されていて羨ましく見ていましたが、わが町の朝日に輝く山々も見方を変えれば美しいものです。


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 ちょっと家の裏に回ると、瀬戸内の穏やかな海が一望できるのです。今朝は一昨日の強い北風も止んで海は凪ぎ、遠くで朝から出漁したり寄港する漁船のエンジンの音が長閑に聞こえていました。朝日輝く辺りの風景も忙しい私には見て楽しむ余裕するなく、時の流れが早いだとか何だかんだといいながら過ごしている自分を少し恥ました。

 昨日は親父が一週間前に家庭菜園から引き抜いて洗い、天日干しをしてくれている大根を物干し竿から降ろし、妻と二人で漬物樽に漬け込みました。真っ白な大根を軒先に干している姿も晩秋から冬にかけての絵になる光景ですが、残念ながらカメラに収めるのを忘れて漬け込んでしまいました。

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 綺麗に紅葉していた書斎前の庭のシノブもいつの間にか風に吹き飛ばされてなくなり、名残の葉っぱが4~5枚寒そうに残っています。

 机の上には一週間前にやってきた孫が「おじいちゃんにあげる」といって持ってきた柿の実が一個置いてありますが、一週間ですっかり色づき食べごろとなってきました。今日あたり食べようと思っています。今日は東京からお客さんが取材のためにやってきます。本当は松山で開かれる研修会に参加したかったのですが、それも叶わず朝の短いひと時、何気ない風景に酔いしれました。

  「どちら向き 分らぬままの 迷い風 季節変わり目 肌で感じつ」

  「干し大根 取り入れ妻と 樽に入れ 重石を乗せて 庭の隅置く」

  「何気ない 風景いつも 気づかずに 過ごす自分の 愚かさ知りて」

  「ああこんな 季節なったか 驚いて 朝日に映える 紅葉しみじみ」

  

 

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○小さな集会

 「若松さん、小さな集会だけど来て話してくれる」と、コープえひめの理事をしている岡田さんから連絡があったのはもう2カ月も前のことです。「じゃあ11月19日にしようか」と相談がまとまったものの、相手の都合が悪くなり延期となりまし。「それじゃあせっかく日程を取ってもらっているので別の会場で」と、別の会場での集会が予定され、ひとまずその集会は盛会のうちに終わっていました。

 さて延期になっていた小さな集会が昨日コープ三津で昨日の午前中行われました。今年3月にオープンしたばかりの店舗の横に組合員さんの希望で小さな集会場が造られていましたが、会場はその小さな小さな集会場なのです。それでも佐々木さんたちの熱心な勧誘のお陰で子どもを含めると超満員の盛況でした。

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 元々この話は私が金融広報アドバイザーとして金銭教育実践校に指定されていた三津浜幼稚園で行った子育て講演会をPTA会員として聞いていた佐々木さんという女性たちが、コープの若い組合員さんにも聞かせてあげたいと言う思いで実現したのです。

 私は千人を超える大きな集会での講演もありますが、どちらかというと手の届きうるようなこんな小さな集会が好きなので喜んで岡田さんや佐々木さんの願いを聞きました。この日は連れ添った子どもが途中で泣きだしたり、天井のスピーカーからは店舗のお客さんを呼び込むマイク放送が「今日はコロッケがお買い得ですよ~」などとしょっちゅう流れ、話す側も聞く側も何だか騒々しくて、集中できない最悪の雰囲気でしたが、そんなこと何処吹く風と大きな声を張り上げて、途切れることなく90分間も話をしました。聞く方、喋る方それぞれ劣悪な環境だったにもかかわらず、反応は上々でした。


 多分昨日の集会はことし私が出かけた講演会の中で、人口密度は最高と思うほど一番小さな会場だったものの、いい集会だったと感心しているところです。手と手、顔と顔、心と心が響き合うようなこんな集会こそ今後も大切にしてゆきたいと思いました。

 さて昨日は「楽しい話」「子育ての話」を交えて話して欲しいという岡田さんや佐々木さんからの注文でしたが、果たしてその望み通りの話ができたかどうか、アドリブな話がゆえに少々心配していますが、まあ過ぎたことなので悔やんでも仕方がありません。でも自宅に帰った夕方、参加者から電話が入ったり、メールが届いたりするところを見ると、撒き餌は皆さんに喜んで食べていただいたようで、少し安心、少しホッとした感じがしています。それにしてもコープに集まる若い組合員さんの学習意欲には脱帽です。これからも一生懸命学習していいお母さんになってくださるよう祈っています。


  「子ども泣く 天井からは 放送が いやあ大変 プロはそれでも」

  「立ち見人  までいる会場 みな主役 ついついつられ 熱帯び話す」

  「楽しくて ためになるよな 話して 要求通り 話せただろか」

  「いい話 ためになったと 電話来る 嬉し反応 だから止めれぬ」

  「   

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○二カ月に一度の健康診断

 今日は二カ月に一回の健康診断の日です。「お元気ですか?」「どこが悪いの?」と会う人ごとに聞かれ、「定期健康診断です」「胆のうを取ってからずっと病院に通っています」といちいち説明しなければならない程、今日は朝から沢山の人に病院で会いました。それにしても病院で「お元気ですか?」はないものだと一人苦笑しながら懐かしい人々に出会いました。

 最近はインフルエンザの影響でしょうかマスクをしている人が多く、「若松さん」と声をかけられて顔を見ても、目元だけでは誰だか分らず、ましてやマスク越しの声も中々聞きづらくて、その人だと気づくまでには少々時間がかかってしまいました。

 家を7時過ぎに出て県立中央病院に到着したのは8時でした、機械受付を済ませて指示通り採決の窓口へ向かいましたが、もうすでに長い行列が出来ていて、受付でいただいた私の番号は50番でした。ロビーの椅子に腰をかけ持参した雑誌を読みながら待っていると、「50番までお入りください」と呼び込みがありました。

 私は注射が大の苦手です。ゆえに4つの採血台で作業している看護士さんの中でも、優しそうな看護士さんに当たるよう祈って待っていたにもかかわらず、よりにもよってただ一人しかいないいかめしい男の看護士さんに当たってしまいました。指示通り袖をめくって腕を出し、その腕にゴム管が撒かれました。観念して目をそらせるとその看護士さんは「注射がお嫌いのようですね」と声をかけてくれ、「痛かったら言ってください」と言いながら作業を進めました。この看護士さんは注射の上手い方でチクリとした程度の傷みで、「終わりましたよ」という言葉に目を開けてみると、私の血管から採血したであろう真っ赤な血液が注射管の中に一杯入っていました。

 その後外来受付を済ませて10観内科で待っていると、「若松様」と丁寧な言葉で呼ばれて診察室へ入りました。二宮先生は私の顔を見ずにパソコン画面に映し出された私のデーターを見ながら、今日は数値がいいようです」と前回数値と比較しながら説明してくれました。ベッドに横になってください」といわれ、血圧計で血圧を測りながら、疲労感はないか、食欲はあるかなどと雑談めいた話をしながら体調を聞いてくれました。

 「次回は2月12日にしますか」と私の予定を確認しパソコンにその日を入力して今日の検診を終えました。胆のう摘出手術をしてからもう10年間、途中主治医が開業するため変わったものの、変わらぬ診察をしてもらっていますが、多分これからもこのようなやり取りが続くものと思いながら、会計でお金を払い病院を出ました。

 「次回までの二ヶ月間は寿命は保障する」と冗談を飛ばした先生とのやり取りの言葉を思い出しながら、わが見の健康や家族の健康などについて思いを巡らせました。酒も飲まず、タバコもやらず、まして昔のような肉体的や精神的にハードな仕事も遠のいて、自由気ままな日々が暮せることを幸せに思うのです。ひょっとしたら私は23歳の時に描いた85歳まで生きるという目標を、達成できるかもしれないと思いました。


  「二カ月に 一度診断 受ける度 苦手な注射 針を刺されて」

  「何故だろう あれほど忙し 日々過ごす だのに数値は 低くなりけり」

  「二ヶ月は 命保障と 冗談を 言うほど医者と 心許して」

  「ひょっとして 目標通り 生きるかも そんな気がする 健康な日々」


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○久しぶりの四万十市

 久しぶりといっても先月中旬にお邪魔しただけなのですが、昨日四万十市を訪ねました。例によって途中にある旧西土佐村口屋内にある民宿舟母を訪ね家族の皆さんと雑談し、昼時だったのでお寿司までご馳走になりました。西土佐には知人友人も多く、前回もお米やアユを沢山いただいて帰ったので、妻の気配りで民宿のご主人夫婦が大好きなビールを差し入れしたのです。

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 昨日は小春日和で最後の清流四万十川も川底が見えるほど澄んでいて、四万十川の名物沈下橋が見える風景は何とも言えない風情でした。

 高幡地区の社会教育関係者への講演を頼まれていたのですが、約束の午後3時までには少し時間があったので急いで中村城とも思える高台にそびえる郷土資料館辺りを訪ねました。この山は目にするだけで登っていなかったのでいいチャンスとなりました。急峻で細い道を登って行くと、樹間から旧中村市街の町並みや河口付近の四万十川が一望でき、深まる秋を思わせるモミジの紅葉が鮮やかで、訪れる人もいない城山公園を独り占めして散策を楽しみました。

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 山頂付近で幸徳秋水の辞世の句が刻まれている句碑を見つけました。詳しいことは看板を読んだ程度で分りませんが、秋水が中村出身であるとは知りませんでしたし、戦争に反対した罪で東京拘置所で処刑されたことや辞世の句まで残していたことを目の当たりにして、城山に登ったことを嬉しく思いました。

 国道の看板に誘われもう一ヶ所と欲張って、トンボ公園へ足をのばしました。一度だけ来たことがあるのですがその時も昨日も残念ながら時間がないので外回りだけでゆっくり見学できず残念でした。それでもかなり広大なビオトープを有する園内の沼にはメダカや川ニナなどの小動物が見られ、トンボこそシーズンオフで見れなかったもののそこここに、トンボ公園の主張を見ることができました。園内では散策道路の工事が行われていてビオトープは多少傷んだように見えましたが、これも春草や夏草が茂るとすっかり野生に戻るものと思われました。
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 急いで記憶にある中央公民館まで引き返し、幸運にも一台だけ空いた駐車スペースに車を止めて中に入りました。この公民館でも何度か講演をしたことがあるので、勝手知ったる気持ちで会場となる部屋の扉を開けました。教育事務所の松下先生から10人そこそこの小さな集会なのでと、前もってお断りをされていたのですが、はてさて何を話そうかと思いつつ、社会教育職員の心構えとでも言うべきわが人生を話しましたが、5時のチャイムに気づき90分の講演時間はあっという間に終わってしまいました。

 私は元々青年団活動や公民館活動などから出発しているだけに、社会教育への思い入れは相当大きいものがあって、日ごろ感じている社会教育の右肩下がりへの要らぬ危惧まで話してしまうので、現職の方々には心頭に触る言葉がたたあったと思われますが、まあそれも、社会教育を愛するが故の戯言と見ずに流して欲しいと思っています。

 片道150キロ、往復300キロの短くもあり長くもある四国小旅行を、愛車のお陰でいとも簡単に終え、元来た道を引き返し9時にはわが家へ到着しました。昨日の新聞で双海町の海岸国道で死亡交通事故があった旨の記事を読んでいたので、どうしても肱川を下って海岸国道に出ることをどこか心の隅でためらっていたようです。


  「久しぶり などといいつつ 四万十の 川街訪ね 新た発見」

  「ちょっとだけ 欲張りすれば 少しだけ 知らないものが 頭持ち上げ」

  「要らぬこと 言ってしまって 後悔す 愛するが故 水に流して」

  「今日もまた 300キロの 道のりを わが人生の 道程加え」

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○学校の変化

 双海町内には小学校3校、中学校2校の計5つの学校があります。いずれの学校も少子化の影響で児童生徒数が減り続け、このままでは学校の存続もおぼつかない所もあるのです。既に私の母校である下灘中学校は残念ながら、今年度いっぱいで閉校することが決まっていて、上灘中学校と統合して双海中学校となるようで、老朽化した上灘中学校の校舎は耐震上の理由から取り壊されつつあり、来年度からは新しい校舎でスタートするのです。閉校となる下灘中学校の体育館はまだ新しく、建築の時統合間近を察知して、当時の議会で随分議論があったことを覚えていますが、背に腹は変えれないと建築した経緯があるのです。さて統合した後の学校活用については、まだ何の音沙汰もないようですが、出来ることなら地域の活性化のために行かせるような妙案を考えて欲しいと願っているところです。

 もう一つわが町の学校に変化が起こっています。築70数年を超える愛媛県内の現役校舎では最も古い翠小学校が環境省のエコ改修の指定を受けて改修工事が行われているのです。この学校も児童数が30人そこそこの小規模校で、将来存続するのかどうか心配されていますが、それでも20数年間住民によるホタル保護活動やグリーンツーリズム活動が認められて、多額の費用が投じられ改修工事が進められているのです。多分この学校は児童生徒が少なくなっても文化的な価値が高いので残ったり何かに活用されるでしょうが、盤石と思われた鉄筋コンクリートの下灘中学校の校舎は翠小学校に比べれば新しいのにもかかわらず価値が見いだせず、当時は危険校舎だ時代遅れだと思われた木造校舎が逆転して残るのですから何ともおかしな話です。

 こうした教育上の変化はわが町にとって有史以来の大変革で、多分合併していなかったらこんな大きな変革を同時に行う財政的余裕はなく、合併したがゆえに成し得た成果ではないかと一人思うのです。

 昨日高知県へ行く途中、山周りのコースを選んだため少し早く出て、対岸の子ど海丘に登って翠小学校の改築風景を撮影しました。黙って撮影するのも何だか気が引け久しぶりに学校へ顔を出しましたが、昨日は遠足だそうであいにく子どもも校長先生も留守でしたが、連なる山々のクヌギの木々が紅葉し、天候が良かったこともあって長閑な山村の風景を垣間見ることができました。

 ビフォアーとアフターではありませんが、昔の写真と対比すれば屋根の形などが随分違っていて、史実に基づいて昔の形に再現されるのだそうです。いずれ真新しい改築風景の写真も新たに加わるのでしょうが、歴史の生き証人として工事中の写真も欲しかっただけにいい記念になりました。

 願わくば上灘中学校も下灘中学校も近々撮影したいと思っています。私にとっては下灘中学校は母校だけに複雑な思いもあるのです。

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(ビフォアー)

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(アフター)

  「学校の 変化写真に 残そうと ついで立ち寄り 一枚確保」

  「合併の メリットなのか あちこちで 建設工事 槌音聞こえ」

  「一時代 終わり始まる この時期を この目焼き付け おきたい気持ち」

  「嬉しくも 寂しい気する 変革を 老兵私 時の流れと」 

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○観光と落語の前座

 昨日は愛媛県東予地方局のニューツーリズム研究会最後の検討委員会があって、高速道路に乗ってに少し早目に出かけて行きました。前もって國元室長さんから連絡があり、部長さんや局長さんと面談させてもらいました。役場を退職して5年近くが経つというのに、部長さんや局長さんは私の顔を覚えていてくれて、懐かし話などに花を咲かせました。特に局長さんとは久しぶりのお出会いで、人間牧場への来牧を約束してお暇しました。

 昼は國元室長さんの配慮で近くの蕎麦屋に行き新蕎麦を食べましたが、昨日は小春日和のような天気で、遠くに石鎚の山々が連なって見え、蕎麦良し眺望良しと私にとっては気の休まる昼下がりでした。

 会議は2時間弱で終わりましたが、これまで何度か共同作業で作り上げたモデル10コースはどれもこの地域の特徴を生かした素敵なものでした。多分担当の井下係長はこのプログラムをまとめるのに國元室長とともに相当な苦労をしたのだろうと、そのひたむきな努力に敬意を払いました。このコースの中から5コースを選んでファイルにして売り込みを図る計画のようですが、旅行会社に受け入れてもらうためには手直しや紆余曲折を経るものと思われます。でもお役所仕事といわれながらも少しずつグレードを上げて行く作戦を、今後も応援して行きたいと思っています。

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(見事な石鎚山の遠望)

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(瓶ヶ森かも)

 昨日の愛媛新聞に瀬戸内海に浮かぶ四阪島をクルージングした話が載っていました。地方局職員の発案でと記されていましたが、銅の精練所のあったこの島のことも随分話題になりました。近代化遺産とでもいえるこの島も観光資源として使いたいものの、大企業のベールに包まれていて、かつては4千人以上も住んでいたこの島は百人を下回る通いの従業員で創業されていて、危険を理由に上陸さえも叶わないようです。いずれ陽が当たることもあるのでしょうが、九州長崎の高島のような活用の仕方をすると、廃墟は一転観光の島になるかも知れないと淡い期待を持ちました。

 地方局を出てあちらこちらで時間をつぶしました。というのもこの日の夕方から直ぐ近くの丹原公民館で講演を頼まれていたのです。この日の講演は一部が私の講演、二部が桂三若さんの落語です。したがって私は桂三若さんの前座ということになるのです。

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(丹原公民館での講演会)

 講演会には80人ほどが集まっていました。午後7時きっかり、旧友の近藤誠係長さんの司会で講演は始まりました。私の約1時間の話はあくまでも前座なので、用意した難しい話は止めにして、前座に徹しようと思い、出来るだけ笑いを誘うような話にしました。本当は演題の後ろに用意した高座の座布団の上に上がって得意の落語ならぬ夕日亭大根心の落伍を聞かせたかったのですが、私の落伍など戯言で、桂三若三には失礼と思い、演台での講演となりました。

 会場には兼頭一司さんのお父さんや、かつての旧友渡部さんも駆けつけてくれて、楽屋で久しぶりに旧交を温めることができました。行く先々で請われるままに話をする流転の日々を過ごしていますが、「私は呼ばれたら刑務所以外何処へでも行きます」と前降りをして話していたのに、講演の直前こともあろうか高知刑務所からオファーがかかり、12月21日に講演に行く手筈が整ったのです。いやあ驚きました。流転の日々はまだまだ続くようです。

  「石鎚の 連山遠く 見渡せり 新蕎麦馳走 舌鼓打つ」

  「あれこれと 批判はするが いざ自分 中々できぬ 成果に拍手」

  「本職の 落語家前に 前座する 笑い誘って 面白可笑し」

  「会場に 知人ちらほら 顔見えて 進化もしない 話恥ずかし」

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○尾道そしてしまなみ海道

 4日間家を空けて鳥取、福井、広島を旅し、最後の目的地である広島県尾道市で午前中の仕事を無事打ち上げたので、最後の日が日曜日ということもあって、妻がわざわざ尾道まで車を運転して迎えに来てくれました。会場となった向島から待ち合わせ場所の尾道駅前までPTA会長さんに送ってもらい、久しぶりに妻と再開しました。今は便利な世の中で携帯電話で「今どこ」「ほらここにいる」なんて会話を交わせるので、探さなくてもOKなのです。ところが妻の横には何やら見慣れた3人の顔がくっついていて驚きました。娘と孫二人です。不案内な不安を解消しようと妻が娘たちを誘ったようです。

 「おじいちゃん」と孫二人が歩み寄ってきました。聞けば一行は朝10時には尾道に着き、ロープウェーに乗って尾道観光名所の一つである千光寺にお参りして海と並行した商店街を散策し終わっていました。ロープウェー近くに車を車していたため、私の荷物を皆で分散して持ちながら長閑に商店街を散歩をしました。

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(大道芸人が孫朋樹に紙芝居をしてくれました)

 この日は日曜日、加えて高速道路千円の恩恵なのかいつもより多くの観光客がぶらり旅を楽しんでいました。娘は尾道へ何度も来ているようで、「尾道ラーメン」を楽しみにしていて、評判の一軒のラーメン屋へ行きました。お昼時を少し過ぎていたとはいえ、その店先には50人ばかりの長い行列ができていました。私は少し疲れているので並んでまでラーメンを食べる気にはなりませんが、多数決の原理に押し切られて列の最後尾に並ぶことになりました。順番が来るまでに急いで荷物を車まで運び、車の中で背広から妻の用意したカジュアルな服に着替えて列に戻りました。ラーメンは回転がいいのか思ったより早く列が進み、20分くらいで店内へ入りました。

 店内は次々と来る客でごった返していました。ラーメンとギョーザを注文し長いカウンターに並んで座り、やがて出てきたラーメンを食べ始めました。孫たちもラーメン屋餃子は大好きで、「美味しい」といいながらペロリ平らげました。しょうゆ味、牛の背油出汁のこってり味で、少々味が辛めで私の舌には不満足でした。それでも腹がふとって何やら落ち着いた雰囲気になりました。

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(三連吊り橋をバックに今治のサービスエリアで記念写真を撮りました)

 しまなみ海道沿いの山並みは島並みはどこも紅葉が目の覚めるように美しく、心配された雨もどうにか持っていい家族旅行となりました。少し早いので「空と森」という温泉まで足を延ばして皆で入浴を楽しみ、孫のリクエストに応えて美味しいという回転寿司屋で夕食をしました。子どもだと見くびっていましたが、男の子の食べっぷりは大人顔負けで、大丈夫かな?と思うほどお皿を積み重ねて食べていました。

 家に帰りまだ起きていた親父に北区の挨拶をして長い旅を締めくくりました。やはりわが家は落ち着きます。早速書斎でパソコンにスイッチを入れGメールを呼び出すと、凄い数のメールです。連絡待ちのメールも何本かあって処理するのに時間がかかってしまい、その日のノルマであるブログに短めの記事を二本書き終わったころには12時近くになっていました。「疲れているのだから早く寝ないと」と勧める妻の布団に潜り込みながらいつしか夢心地でした。

  「お迎えの 妻の向こうに 孫がいる 驚き嬉し 言葉を交わす」

  「蜂の巣を つついたような 賑やかさ 疲れ忘れて 孫とたわむる」

  「しまなみの 沿線紅葉 鮮やかに 熟れて長閑に 我を迎えぬ」

  「爺と婆 孫同伴で 目じり下げ 財布緩めて 土産手を出す」 

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