shin-1さんの日記

○クリスマスイベント「サンタが空からやって来る」

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 今朝の愛媛新聞朝刊8面地方版に昨日行われたクリスマスイベントの記事が載っていました。かつて私がシーサイド公園の運営に携わっていたころ始めたイベントですが、今も多くの方々の協力のもとしっかりと根付いて続けられているのです。昨日は前日までの北西の風も治まって絶好のコンディションだと思いきや南寄りの風が強くて、結局は技術力の高い高木さんのパラグライダーだけが飛んで何とかその役目を果たしたようです。

 私も浜田さんを上灘駅まで見送って立ち寄ったシーサイド公園で、「いい所へ来た。手伝って」と声をかけられ、ダイガラ餅つきの手臼をやることになりました。町内の催しにはそれぞれ職場は違っても米湊さん、松本さん、大森さん、それに時々私が顔を連ねて、何気なくさりげなくボランティアとして協力しているのです。米湊さんと松本さんと大森さんはその常連で彼らの惜しみない協力にはいつも頭が下がるのです。

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 この日はシーサイド公園の広場にダイガラを持ち出して餅つきのデモンストレーションを行いました。日本人は餅つきの大好きです。この日もダイガラの回りには沢山のギャラリーが詰めかけ、ワンパック350円のつきたての餅があっという間に売り切れてしましました。遠巻きに見ていた子どもたちも餅つきが体験できるとあって、サンタクロースの動向を気にしながらも、入れ替わり立ち替わり挑戦して和気あいあいでした。
 3日前の土曜日に6臼もの手臼をやった手のヒリヒリ感がまだ治っていないので、多少つく餅が熱く感じられましたが、まあ何とか4臼の手臼を感謝されながら終わることができました。つきたての餅をお礼に1パックいただき帰るころには駐車場は満車で、入りきらない車が長い列を作っていました。

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 海岸に目をやると何時の間には砂浜には親子連れの長蛇の列ができていました。これもすっかりシーサイド公園クリスマスの風物となっていますが、今年も好天に恵まれささやかながら親子に夢を与えているようです。わが家の孫たちも毎年参加していたのですが、今年は直前になって親子がインフルエンザにかかってあえなくダウン、参加できなくなりました。

 子どもたちに夢を与えることは素晴らしいことです。「地元以外の子どもに何でそんなに」という意見もありますが、まあ余り目くじらを立てず、仕分け作業などによる分類をして欲しくないと思っています。


  「いの一に 仕分け作業で やり玉か 目くじら立てず 子どもに夢を」

  「ペッタンコ 餅つく音に 合わせこね 遠巻きギャラリー 相槌拍子」

  「面白い サンタ空から やって来る 長蛇の列が 見上げる空に」

  「わが孫は インフルエンザ 参加せず 少し寂しき 冬の夕暮れ」


 

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○人生には上り坂・下り坂・そしてまさかの3つの坂がある

 愛媛新聞に掲載された記事を読んで、人間牧場に入門したいと4年前に門を叩いた人がいます。まだどんなことをするのか分らぬままの船出だったので、送られてきた入門申請を見ながら思案六方し、保留の連絡をしていました。その後浜田さんが大の読書家で民俗学者宮本常一の研究をしていることもあって、人間牧場で開塾した年輪塾の第一号塾生として名前を連ねることにしました。

 その後浜田さんは折に触れ人間牧場へ足繁く通うようになって来ました。車に乗れる身でありながら休みの日には早起きしてJR海岸周りの列車に乗って下灘駅で下車、そこから山道を歩いて人間牧場までたどり着くという修行を今も続けているのです。車で上がれば何のこともない距離なのですが、あえて山道を歩くことにこだわっている浜田さんの修行に、塾長の私はいつも教えるどころか教えられることが多くあるのです。この2年間、年輪塾が宮本常一という人間像に迫る学習ができたのも、浜田さんの功績だとしみじみ感謝しているのです。

 先日浜田さんから、「今度の23日は祭日なので今年最後の修行に出かけます」と連絡がありました。私も午前通は時間が空くのでご一緒の修行をしようと、9時51分着の列車で来るというので、冬の寒さ厳しい折なので、駅まで迎えに行きました。下灘駅から見渡す伊予灘の海は、先日までの荒れた天気が全く嘘のように凪いでいました。プラットホームから山の端辺りに人間牧場の建物が見えました。列車を待つ間日喰老人会が作成したと思われる駅構内の掲示板に目をやりながら、列車待ちしている青年と雑談を交わしました。やがて列車が到着し浜田さんが降りてきました。助手席に乗ってもらい人間牧場を目指しました。

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 水平線の家の神棚に三井酒店で買った一合瓶のお酒を二本供え、今日の作業の安全を祈りました。

 さてこの日の修行と称する作業は、先日私が割って乾燥しつつあるクヌギの木を片づけ、作業小屋の板壁面に積み上げるのです。まず家から持参した電線を二本切って結び、両横にタル木を立てて薪を積んで行くのです。私が積み手となり浜田さんは離れた場所から手箕で薪を運んで来るのです。世間話をしながら積み上げるのですが、前もって寸法通りに切り割りしているので、造作なく積み上げることができました。薪を積んだ小屋は何時になく田舎の風景を演出してくれたようです。今年の冬はもう少し薪を確保してこの板壁面全てを薪で囲いたいと思っています。

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 その後、先日のかまど開きに使ったはがまの掃除や、ビニールシートの吹き掃除、そして作業小屋のかなりの部分を占拠しているプラスチックキャリーを壊して米袋に詰め、ゴミとして処分する作業を二人で行いました。正月が近づいているので花芝を切って山を下り、国道沿いのラーメン店で餃子と味噌ラーメンを食べて遅い昼を終えました。浜田さんを上灘駅まで送りましたが、月一回程度やって来ては水平線の家のワックス掛けなどの修行と称する奉仕作業で人間牧場もすっかり片付き、いい雰囲気で今年の作業を終えました。

 「第一の山を登れば第二の山がある。第二の山を登れば第三の山がある。第三第四山は続く。何処まで続くか山、山、山。偉人とは最後まで上り詰めた人なり」とは菊田一夫言葉です。人生には山も川も谷も峠もあることでしょう。また人生には上り坂も下り坂もあるのです。上り坂と下り坂のほかにもう一つ「まさか(真坂)」というのがあるようです。人は予期せぬまさかに必ず出会うものです。いいまさかもあれば悪いまさかだっていっぱいあるのですが、まさかを乗り越える強い心を日ごろの修行によって培っておきたいものです。


  「上り坂 登って私下り坂 いつか分からぬ まさかあるかも」

  「修行しつ 人生機微を あれこれと 二人で語る 手を休めずに」

  「割りし薪 整然並べ 積み上げる たったこれだけ 田舎演出」

  「母使う キャリーも老化 ゴミとなる 思い出重ね 壊し袋へ」 

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