shin-1さんの日記

○薪割りは楽しい

 今日は午前中人間牧場へ薪割りに出かけました。今日はまずまずの天気で心配された寒気の影響もなく穏やかな天気に恵まれ、人間牧場からの遠望もすこぶる良くて、広島、山口の島々がまるで箱庭のように見え、周りの山の景色も晩秋から初冬へと変わる時期で、クヌギの葉っぱが鮮やかな紅葉を見せていました。この風景も北西の季節風が吹くともう見納めだと思うと名残惜しく、いつまでも見ていたいような気持なのですが、3日前に調達した薪用のクヌギの木を生木の間に割らねば割りにくくなるので、性根を据えてかかろうと思っていて、風景どころではないのです。

若松進一ブログ
(薪に割るまでのクヌギの木)

 

 親父にお願いしていたマサカリのくさびも打ちこんでいて準備万端整い、枕木を置いていざ始めました。伐採してからそれほど時間が経っていないので面白いように割れました。かまどに入れるには大き過ぎると入らないし、小さ過ぎると火持ちがしないので丁度よいほどに割らなければならないのです。その丁度が難しくて、何度もかまどに入れて計ってみたりして割り進みました。

 私が子どもの頃わが家では、かまども風呂も全て薪だったものですから、冬になるとお百姓さんから分けてもらった薪用のクヌギが車で自宅庭まで運ばれてくると、ウマと称する木でできた道具の上に乗せて鋸で小切りし、家族総出で一年分の薪を作ったものでした。この作業は主に冬の作業だったので寒い冬ながらこの作業が始まるとしっかり汗をかいたものです。漁に出たり畑仕事が忙しい父母は作業の手順を教えるだけで、薪割りや薪積みなどはもっぱら兄弟5人の子どもの仕事として位置づけられていました。

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(瀬戸内海をバックに格好いいところを見せようと自作自演し薪割りをしている私)

 遊びたいさなかの子ども心ゆえ、薪割りはしんどいばかりで余り嬉しい思い出はありませんが、それでもこの歳になってかまどを造り薪を必要とするようになると、人の手を借りることもなく薪割りができるのですから、芸ほどではないにしても、昔取った杵柄とはよく言ったものです。

 薪割りは油断をすると打ちこんだマサカリの力で薪がとんでもない方向に飛んでかなり危険なので、周りに人の気配を感じると止めなけれなりません。今日も薪の破片が足に飛んできて、涙が出るほどの傷みを覚えました。プロ野球選手がバッターボックスで自打球を足に当てて怪我をするのと同じだと思いつつ注意をして割りましたが、いくら注意しても飛んで来るものは飛んで来るので、仕方がないと諦めて我慢しながら作業を進めました。9時から始めて午後1時まで約4時間の作業で全ての薪を割りました。後は風に晒して乾燥させ年末までに収納する予定ですが、かまどの下の収納スペースへ二段に積み、残りはさてどうしようかと迷っているところです。

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(出来上がった割り木薪)

 「そうだ写真を撮ろう」と思いつき持参していたデジカメを取り出して自作自演の写真をタイマーで撮影しました。三脚を用意していなかったので石垣に割った薪を並べその上にカメラを置いてタイマーをセット、急いでマサカリを振り上げましたが、目線がカメラの方を向いていていい写真にはなりませんでしたが、まあ何とか雰囲気だけは表現できたようです。

 薪の確保も大体要領が分ってきたので、出来ればもうひと踏ん張りして宮栄公民館長さんとの約束も果たし、この冬に薪をもう少し確保しておきたいと思っています。仲間や友人から「薪を作るのであれば手伝うよ」と言ってくれる人も何人かいますが、草刈りと同じように案外口ばかり、うどん屋のはがまもいいとこなので余り当てにしないようにしています。人間牧場は「自分が自分の力で」をモットーにしているので、コツコツ楽しみながら働きたいと思っています。


  「子どもごろ 習い覚えた 薪割りで 師走半日 いい汗流す」

  「さあおいで 準備万端戸 整った 冬将軍の 寒さへっちゃら」

  「心地よい 薪割り音が 木霊する 忘れかけてた 少年の頃」

  「薪割りも 今では死語と なりにけり あなた説明 出来ますかしら」

 

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shin-1さんの日記

○久しぶりの県庁

 退職をして5年近くが経ちました。小さな田舎の役場に勤めていたころの私は暇さえあれば県庁に出かけ、様々な部課に顔を見せていました。県庁に顔の広かったと思われる私はそれぞれの部課でそれぞれの人と面識を持ち、国⇒県(本庁⇒出先地方局)⇒市町村という上下関係の要にあった県を介して幾つもの仕事をこなしてきました。晩年は国⇒市町村という県を通り越して国と直接仕事ができる時代になって、幾分県の役割は薄らぎましたが、それでも財政的にぜい弱な小さな町は、それぞれの時代に県の力を借りながら見果てぬ夢を実現してきたのです。


 退職後も県庁には知人友人が沢山いて、加えてえひめ地域づくり研究会議の代表運営委員をやっていたこともあり、全国大会の実行委員長や、沢山の委員に就任していたため県庁へはしょっちゅう顔を出していました。しかし今年の春代表運営委員を辞したのを機にどこか県庁の敷居が高くなって次第に遠のいて、最近は11月の初めに県庁へ出かけて以来1ヶ月余り顔を覗かせていなかったのです。

 昨日は私が委員に名を連ねている愛媛海区漁業調整委員会があり、いつものことながら長年通ったえひめ地域政策研究センターへ顔を出しました。久しぶりに森川所長さんと込み入った長話をして会議出席の時間がきたのでお暇をする時、森川所長さんから、市町振興課長さんが変わられてから顔を出していなの、市町振興課へ顔を出すよう勧められました。そういえばご愛顧いただいた前任の北村課長さんが古巣の東京へ帰ってから出かけていないことに気がつき、委員会終了後県庁へ行きました。

 東京から来られている市町振興課長さんは、運よく在席していて宮内補佐とご一緒に面談することができました。第一印象は若くて好感のもてる課長さんでした。取りとめもない無位無官な私の四方山話にも耳を傾けていただき感謝して市町振興課を出ました。

 久しぶりと言いながら、階段や廊下やロビーで三座真菜懐かしい人に会い立ち話をしたり、部課へ呼び込まれました。生涯学習課と県民活動推進課へは来年早々に会議や集会や予定されているため少し長めのあいさつをしましたが、後はあいさつ程度で10課も回り、あいにく午後6時からの忘年会に遅れるところでした。


 夜の会には農林水産部長さんや水産局長さん、水産課長さん以下課員の皆さん、号業関係団体長も参加されていて、これまた昔話に花を咲かせながら楽しいひと時を過ごしました。昨日は水産関係の忘年会らしく高級魚真ハタづくしのフルコースに舌鼓を打ちましたが、長年まちづくりの世界で生きてきたため、殆どの人が私の顔と名前を覚えていていただき、嬉しさと照れの交錯する中で旧交を温めました。

 年齢的にも役職的にも仕事の邪魔をするような行動は慎むべきだと思って、最近足が遠のいていた県庁でしたが、やはり訪ねて行く価値はあるなと勇気を与えてくれた一日でした。


  「久しぶり 県庁歩く 目の前で お元気ですか 声をかけられ」

  「何となく 敷居の高い 県庁も 考えひとつ 身近存在」

  「指折って この日出会った 人の数 数えて見るが 指では足らぬ」

  「一日で 五十枚もの 名刺消え あいにく恥を かくとこでした」 


 

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