shin-1さんの日記

○失礼だが今日はさしあたり二つ目の出会いかな?

 人間牧場や私を訪ねてくる人には大きく分けて3つのタイプがあります。一つは私そのものに会いに来る人です。私も長年地域づくりの世界でこだわりを持って生きているものですから、雑誌や新聞、それにテレビ人の口伝えに私の元を訪ねてくるのです。時には人間牧場年輪塾の第一号塾生となった浜田さんのように、私の門下生にして欲しいという物好きな人もいるのです。私は人に教えるほどの能力はありませんが、ただ自分の信ずるままに生き、実践の中から論理を学んだ自負があるので、若い人のこれからの生き方の何かヒントになるかも知れないと、請われるままに一人の人間として真摯な態度で向かい合って対話をしているのです。

 私設公民館煙会所を造ってから30年間、そして人間牧場を造ってから3年半、数え上げればきりがないほど多くの人と煙会所と人間牧場で様々な出会いを重ねてきました。また私の生き方を活字や映像にして多くの人に影響を及ぼそうと考えている人も沢山来るのです。

若松進一ブログ

 二つ目は私に遭うことが目的ではなく愛媛県に来たついで、隣町内子町に来たついで、時には双海町を通ったついでの人もいます。その都度相手のスケジュールに合わせ、むしろ私には余り期待もしないまま立ち寄るのです。したがって私にはそれほど義務もないのですが、友人や県や市町村関係の紹介や付き添いが来る場合は邪険にすることもできず、それなりに真剣な対応を心がけています。

 今日はまさしく二つ目の場合で、えひめ地域政策研究センターが昨日開いた研修会に講師として招いた農林水産省の政策企画官でしたが、この方は二つ目といいながら明らかに違った見識を持たれたご様子でした。全国各地を回っている方らしく、豊富な経験を述べられました。残念ながら私たち地域づくり人のような地べたを這う実践家ではないので、ドロドロした感じはしませんでしたが、それでも他の評論家とは少し違ったご様子で、私たちの知らない世界や情報を語られました。

 昨日からやってきた寒波の影響で人間牧場も寒い北風が吹くあいにくの天気でしたが、私は松本研究員と約束した時間より20分前に人間牧場に到着して、先日浜田さんと大掃除をして磨いておいたストーブに火を入れ、部屋を暖かくして待ちました。緒方主任や米湊さん、それにセンターの女性職員2名を伴ってやってきた企画官は、立ち話や車座の話し合いに応じ、最後は指導者論で意見を戦わせました。彼が言うとおり今までの指導者は指導者以上に成長することを嫌う風潮がありました。自分より上に成長すると指導者は自分の身が危なくなるからです。でもこれからの指導者は指導者以上の指導者を育てなければ一人前の指導者とは言えないのです。私の持論である私や私のやってきたことを否定するような人を育てなければならないのです。

 私は言い指導者ではありませんが、幸せなことに松本さんや米湊さんなど自分の先を行くような人たちが沢山育っていますし、これからも自費で造った研修施設人間牧場で自立する指導者を育てたいと思っているのです。

 

 そうそうもう一つのタイプは私を遊び相手と考えて酒を飲みに来る人です。何の目的もなくただ酒を飲みたいだけらしく、時には泊って掃除もせずに立ち去るタダ飯タダ糞の手合いです。多分私が手厚くもてなすと好かれていると勘違いして「三日泊りの下下の下の客」になるような人たちです。出来るだけその人たちとは合わないように心がけているのですが、さどい人たちなのでまるで隙間風のように入りこんで、隙間風のように去って行くのです。まあこれも仕方がないことと諦めていますが、今後もいい人と巡り合いたいと思っています。


  「松山に おいでたついで やって来た 東京人と 議論を交わす」

  「地べた這う 実践人の 私故 方言交え ありのまま言う」

  「塾生と 二人磨きし 古ぼけた 大きいストーブ 早速役立つ」

  「お互いに 次の予定が 入りていて 時計気にしつ そろそろ時間」

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shin-1さんの日記

○思わぬコーヒー騒動

 私は何故かコーヒーが苦手で飲めません。ゆえに最近は何処へ行っても食後にまでコーヒーが出るものですから、少し早目にいちいち相手に「私はコーヒーが飲めませんので・・・」と断りの一言を言わなければなら何のです。でないと勝手にコーヒーが出てせっかく入れてもらったコーヒーが台無しになってしまうのです。

 昨日もある知人の家へ出かけました。愛想よく迎えてくれた奥さんは早速厨房に入って、何やらガチャガチャと音を立てていることが聞こえてきました。「これはひょっとしたらコーヒーでも出すのでは」と察知したものですから、「奥さん私はコーヒーが飲めませんので」と聞こえるような声をかけました。案の定奥さんはコーヒーを入れる準備をしていたらしく、「そりゃあ残念ですね。美味しいコーヒーが手に入ったのでご馳走しようと思って」と残念がりました。一緒に行った仲間は「奥さん私はコーヒーが大好物なのでいただきます」と、私と同じような声をかけました。

 こうして私にはお茶、仲間にはコーヒーと別々のものが出てきたのですが、何とお茶うけにコーヒーゼリーが出てきました。奥さんは「あら嫌だ。私としたことがコーヒーの嫌いな若松さんにコーヒーゼリーを出すなんて」と顔を赤らめて台所へコーヒーを下げ、変わって美味しい羊羹を出してくれたのです。その折下げようとしたコーヒーを台所に落としてコーヒーカップを割ってしまい、ちょっとしたハプニングとなりました。自慢のコーヒーカップだったのでしょうに、私は自分でコーヒーカップを割ってしまったような罪の意識に駆られました。相手の奥さんも言葉にこそ出しませんでしたが、自分の粗相や恥じらいで顔を赤く染めていたようです。

 仕方がないと諦め用件を済ませて知人宅を出ましたが、後味の悪い結末でさてどうしたものか、同行の仲間に「悪かったなあ」と話しましたが、「余り気になさらない方が」と言いつつ、「私が近々コーヒーカップのいいのがあるのでお持ちしておきます」といいました。仲間はそれで株が上がりますがさて私はどうなるのだろうと考えると益々コーヒーの飲めない私は、「そうだ長男の嫁の実家が喫茶店なので美味しいコーヒーを持って行こう」と思ったのです。

 日本人の暮らしはいつの頃から洋風になったのでしょう。少なくとも私が子どもの頃は和風でした。最初にコーヒーを飲んだ時、「こんな苦いものは飲めない」と吐き捨てました。以来断った一回の経験でコーヒーが嫌いになったのですから私も相当変わり者です。コーラを飲んだ時もマヨネーズを食べた時も同じで、未だにそれらを好きになれないのです。

 魚と肉の消費量が逆転した日本、カーサンヤスメといわれるカレー、サンドイッチ、焼きめし、スープ、目玉焼きが大好きな子どもたちが増えて、ご飯に味噌汁、漬物に梅干しなどの日本食は家庭から姿を消しつつあるようです。私は日本茶が大好きで食事の後や三時のお茶うけに和菓子を食べながらお茶を飲むひと時は、何とも言えない安らぎを覚えるし、たまに抹茶を立てて飲むとこれまた詫び寂を感じます。

 コーヒーの嫌いな私の、息子がどういう因果かコーヒー屋の娘と結婚したのですから何とも可笑しな話です。私は娘の実家が経営している喫茶店ではブラックならぬホワイト、つまりミルクで通しているのです。


  「コーヒーを 駄目と断り ハプニング 俺のせいでは いや俺のせい」

  「コーヒーが 嫌いな親父 知っていて コーヒー娘 嫁ぎくるとは」

  「飯食った 後にコーヒー 飲む風潮 理解できぬが 今は常識」

  「ペッ苦い たったこれだけ 嫌いなる 俺も相当 ええ加減だな」

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