shin-1さんの日記

○忙中閑あり福井街中散策

 確か福井県へ行くのは今回が5回目ですが、薄れゆく思い出と新しい発見が交錯して、今回も新鮮な福井県を満喫することができました。特急サンダーバードで京都から福井までは約2時間弱なので、旅の緊張もあってあっという間に到着しました。駅の構内にある駅前周辺の地図で、谷口さんからのメールに書いてあったホテルの位置を確認し、不案内ながら歩いてホテルへ向かいました。これも民俗学者宮本常一の父善十郎が常一に教えた、「村でも町でも新しく尋ねて行ったところは必ず高いところへ登ってみよ。そして方向を知り、目立つものを見よ。〈中略〉高いところで見ておいたら道に迷うことはほとんどない」という言葉を信じての行動なのですが、今回も道に迷うことなくホテルへ到着することができました。

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 チェックインして部屋に入り荷物を置くと直ぐに暮れなずむ街を散策するため外に出ました。ホテルのすぐ横に中央公園があって、北国特有の雪吊りした樹木に交じって今が盛りの紅葉が目にも鮮やかな彩りを添えていました。そこには岡倉天心の銅像と説明文が書かれていました。岡倉天心という歴史上著名な名前は知っていましたが、まさかここにあるとは意外な発見でした。

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 その後公園を横切って福井県庁の裏に出ました。福井県庁は城址内にあるのです。文化財的見地から言うと完全なミスマッチのようにも思えましたが、よそ者のたわごとと思っていただきたいものです。

 濠も橋も立派ですが、残念ながら本丸などの見るべきものはほとんど残っておらず、僅かに看板に焼き付けられた写真にその面影が残っていました。

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 少し残念だったのは本丸跡に立った時、西の彼方に福井の夕日が沈むのを見たときでした。後5分早ければと少々悔やみましたが後の祭りでした。

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 県庁の入口には橋がかかっていて、県庁職員は朝な夕なまるでお城に登城するような気持ちになるのではと思ったりしました。

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 お城から近い位置にアーケードの高い中央商店街がありましたが、夕方5時過ぎだと言うのに写真に写っているような散閑とした雰囲気で、いずこも同じ秋の夕暮れの感は否めませんでした。

 師走間近なこの時期ながら本当に暖かな福井の夕暮れでした。この日は移動日なのでのんびりゆっくり街中を歩いたりお店に立ち寄ったりしながら忙中閑ありを楽しみました。

  「五度目にて 前を忘れて 殊更に 新鮮に見え ぶらりぶらりと」

  「ああ残念 福井の夕日 見損なう 心残りは 次の機会に」

  「城跡に でんと座りし 県庁は 外から見れば 少し可笑しい」

  「ご多分に もれず街中 人まばら ディスプレどこか むなしく見えて」

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shin-1さんの日記

○越前とかけて何と解く・その心は

 先日講演を頼まれ福井県を尋ねました。福井県といえば東尋坊や永平寺を思い出しますが、四国に住む私たちにとってみればやはり大阪より向こうの地ゆえ、少し縁遠い地であることは否めません。そんな人もいるだろうと思うのでしょうか、平成の大合併による市町村名に越前という名前をつけているところが、越前市、越前町、南越前町と3つもあって、私のような不案内な人間にはむしろ余計混乱してしまうのです。これは何も福井県だけではなく、お隣の高知県だって四万十市と四万十町が隣接してあるのですから別に珍しいことではないのです。

 花の好きな私が越前といって思い出すのは越前海岸に咲く水仙の花です。越前の水仙は私の町に自生するものと同じ日本水仙で、金冠のある清楚な花は正月ころの花として愛されていますが、地球温暖化の影響でしょうか、越前では早くも花が咲き始めたそうで、地元新聞にそのことが載っていました。

 自然に咲く水仙は温度管理が難しいため、自然のわがままな気候に翻弄されます。越前のように出荷を目的に栽培している所では、正月用の花として希少価値があるのですが、こう暖かいと正月までに咲き終わって、せっかくの商品価値が台無しになるのだそうです。

 越前といえば越前ガニも有名で、手なのか足なのか分りませんが皮をむいて食べる味は冬の味覚として日本人に愛されているのです。私は皮をむく面倒くささから余りカニが好きではありませんが、講演の前日に福井入りしたため、担当した谷口さんの案内であるこじんまりした寿司屋の暖簾をくぐり、日本海の味覚を思う存分いただきました。その中には勿論カニもあって、その味は格別でした。とくにセイコガニという小ぶりのカニのカニみそなどは絶品で、他のお寿司とともに忘れられない福井の夜の思い出となったのです。

 カウンターの向こうで推すぉ握っていた大将と土地の言葉を交えながらお話をさせてもらいましたが、「越前という言葉で困ったものが一つあるのですが、何だと思いますか?」と質問されました。私は水産高校出身ですからとっさに「越前クラゲ」と返したら、「お客さんは通ですね」と持ち上げられました。

 私もテレビや新聞程度しか見たことはありませんが、越前クラゲといえば日本海側の漁師を悩ます厄介ものなのです。成長すると傘の直径が②メートルにもなる巨大クラゲで、帯状うは最大で200キロといいますからまるで小錦のような大きさです。大正時代にこのクラゲに名前を付けたのは東京帝国大学の岸上鎌吉教授だそうですが、標本が取れたのが昔越前の国だっただけのことなのですが、地球温暖化の影響で今は日本海どころか津軽海峡を超えて三陸など太平洋沿岸にまで南下しているのです。6月末に長崎県対馬沖に現れ10月には静岡、11月には愛知や三重にまで現れたお言うから恐るべき発生量です。

 越前クラゲの触手には毒があって網の中に入った魚は刺されて傷んでしまうため商品価値もなく、また大量の越前クラゲが網を破るなどの被害が出ているようです。

 東大の先生が何気なくつけた越前クラゲという名前は、越前という名前こそ宣伝してくれているものの、余りいい名前ではないと関係者は冷ややかな反応です。

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