shin-1さんの日記

○地元での講演はやりにくい

 一昨日の土曜日、地元双海町の上灘保育園から育児講演会を頼まれて出かけました。今年3月17日市内保育士さん対象の伊予市人権同和幼児教育でお話ししたことが保育士さんの耳にとまって、園長先生から頼まれたのです。上灘保育園といえば自宅から僅か200mしか離れておらず、ましてや若いお母さんたちとはいいながら顔見知りの人もいて、やりにくいなあと思いつつ、木になるカバンを提げて単車で保育園まで乗りつけました。

 この日は参観日や学校の行事が重なっていましたが、保護者総会らしく殆ど全員の保護者が集まっていました。聞けば園児は40人を割り込んでいてここにも少子化の波が押し寄せ、給食サービスはたった一人でこなしているそうです。顔見知りの調理員さんに出会いましたが、お話しをする時間的余裕もなく甲斐甲斐しく働いていました。

 また今年の4月の人事異動で二人の男性保育士が配属になったようで、園長先生としては女性の職場に強力な助っ人が来たと、女性進出ならぬ男性進出の職場を喜んでおられました。保育や看護は女性の職場と思っていましたが、男性保育士の後ろについて楽しそうに遊ぶ子どもたちを見て、時代の流れをしみじみ感じました。

 今時の若いお母さんたちに育児についてどんな話をすればいいのか随分悩みましたが、私にしか話せないことは限られているので、思いつくまま約1時間途切れることもなくアドリブな話をさせてもらいました。園長先生もびっくりするように若いお母さんたちは眠るでもなく終始熱心に私の話を聞いてくれました。

 その中心は親は子の、子は親の鏡であることを強調し、いい子どもを育てるためにはいい親にならなければならないとドロシー・ロー・ノルトの詩を紹介しました。

 批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる

 殴られて大きくなった子どもは 力に頼ることをおぼえる

 笑いものにされた子どもは もの言わずにいることをおぼえる

 皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる

 しかし激励を受けた子どもは 自信をおぼえる

 寛容であったこどもは 忍耐をおぼえる

 賞賛をうけた子どもは 評価することをおぼえる

 フェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる

 友情を知る子どもは 親切をおぼえる

 安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる

 可愛がられ抱きしめられた子どもは 世界中の愛情を感じることをおぼえる 


 この詩は皇太子さまが紹介した「子どもは親の鏡」の詩としてすっかり有名になりベストセラーになったものです。味わい深い詩なので皆さんに考えてもらいました。

  「地元では 話す言葉も 途切れがち 知っている顔 半信半疑で」

  「ひょっとして これが私の 素顔かも 見透かされいる 言葉の表裏」

  「言いつつも 役目を果たす 一時間 何とか話 つじつま合わせ」

  「子育ては 人それぞれの 流儀あり 自分ペースに 人の話を」

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shin-1さんの日記

○遠来の東京からのお客さん

 私の家は旧役場(市役所支所)から約500m、中学校から約200m、保育園から約200m、JR伊予上灘駅から約1K200mと、比較的便利な所にあります。少し高台にあるため海が見え、前には双海町のシンボル的存在である本尊山が借景となって、住む環境としては便利でも不便でもない丁度良い環境に恵まれているのです。

 仕事を辞めてリタイアし自由人となって既に4年が経ちましたが、かつては出会いの場所といえば役場やシーサイド公園を指定していたものの、最近はそれもできず、おのずから自宅を指定させてもらっていますが、講演依頼や出会いを求めてわが家へは、驚くほど多くの方々がやって来るのです。

 昨日は講演依頼ということでわざわざ東京からある人がやって来ました。昔ならいざ知らずインターネットや電話で瞬時に話ができる時代ですから、何も東京から講演の打ち合わせに来ることはないと思うのですが、相手は講演依頼を理由に、東京から見れば出かけることの少ない四国をこの際見てみたいと思うのは、やはりお役所仕事だと、少し冷めた感じでその人を迎えたのです。

 その人は東京~松山間を飛行機で飛び、松山空港でレンタカーを借りる周到さで、レンタカーについているカーナビで私の家の住所を入力し、時間に遅れることもなく場所を間違うこともなく、一発でわが家の庭先へ到着したのです。便利で正確なカーナビのお陰でしょうが、それにしても性格で時間も10分前に到着されました。

 今の季節は天気も気候も良く、外にしつらえた東屋風の屋外休憩所で、約1時間ばかり打ち合わせやお話をさせてもらいました。その人は東京では考えられないような静かな環境にいたく感動し、ついでに敷地内にある私設公民館煙会所や海の資料館海舟館を見学し、ついでに9K離れた人間牧場まで案内することにしたのです。

 レンタカーはわが家へ置いて人間牧場までは私の車に乗せて行きましたが、急で細い山道に驚きドアの取っ手やシートベルトをしっかりと握りしめて、緊張している姿を横目で見ながら、山道を登って行きました。ビワの袋かけしている姿や時折「ドーン」と鳴るカラス脅しのガス爆発音にも驚ろいた様子でした。

 一番驚いたのは人間牧場からの素晴らしい眺望とミツバチの巣箱に群がる蜂の群れでした。

若松進一ブログ

(この素晴らしい遠望に来客ははいつも感動します)
若松進一ブログ

(第4の巣箱の外に群がるミツバチたち)

 結局昨日は稲葉さんに貸した農地の草刈り奉仕のために草刈り機を取りに行ったので、人間牧場へは2回も足を運びました。夕方から予定があったのですが、遠来の人ゆえお別れすることもできず、妻の作った手料理で早めの夕食を食べてもらうことになりました。わが妻はこんなハプニングには慣れていて、縁もゆかりもないとはいいながら私の大切なお客さんに豆ごはん(グリーンピース)とお魚料理でもてなしてくれました。東京から来た人は感激の面持ちで、夕闇せまるわが家の裏山から夕日を見てこれまた感激、宿舎となっている松山へ帰って行きました。


 宿舎となったホテルからでしょうか、今朝私のパソコンを開くとその人から懇切丁寧なメールが入っていました。現代は便利になったものだと思いながら、いただいた名刺の住所にハガキを一枚書き、朝の散歩がてら郵便局の前のポストにそのハガキを投函して帰りました。デジタル万能な時代にあってもアナログなハガキはまた一味違ったメッセージなのです。

 人を迎える、人を送る、何でもないことですがその迎え方と送り方は一期一会と言われるように、かなり深い意味を持っています。これまではどちらかというと簡単に済ませていました。最近近所にある上灘中学校の評議員をしていることもあって、時々訪ねることがありますが、浅野祥代校長先生の校門先まで送る姿や、中予教育事務所の皆さんがエレベーターまで私のようなものまで送ってくれる姿を見て、随分考えさされました。これこそ教育の原点だとあらためて思ったのです。

 人に会い、人に教えを請うて生きていく私はこれからもいい出会いを求めたいと思っています。


  「地位もなく 肩書もない 私だが それでも人は 出会い求めて」

  「不案内 だのに一発 やって来る 東京人は 偉いものです」

  「東京人 田舎料理に 舌づつみ 妻の機転で 株が上がった」

  「松山の ホテルのロビー パソコンで 早速お礼 メールが届く」


 

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