○わが家の農地を作る人ができました
人間牧場から500mほど下がった所に私の家の農地があります。私は4年前退職を機にこの農地を含めて人間牧場構想を考えていました。当時は体力も暇もあるだろうと鷹を喰って、放任園となっていたこの農地の草刈りなどをして準備をしていました。ところが私の仕事が予想をはるかに超えて入り、この農地はその後手を入れないまま再び放任されてしまったのです。今後のこともあってどうしたものか思案していましたが、私の友人で車屋さんを営む稲葉さんという砥部在住の方が、農地を探していることを知って、使ってみないかと提案しました。稲葉さんは砥部町や伊予市などで適当な農地を物色していて、私も何度か相談に乗って誘われるまま候補地を一緒に見てあげたりしていたのです。結果的には度の農地も上手くいかず、私の農地を貸すことにしたのです。
先日私と二人でその農地を見ましたが気に入って、その日のうちに話がまとまりました。一昨日稲葉さんから電話が入り、今度の日曜日に草刈りをするからと連絡がありました。私は予定を変更して今日の午前中草刈り機を持参して手伝いに出かけました。
稲葉さんは同じ車屋仲間の友人を助っ人に放任園の草刈りに挑んだのです。私も自分の農地といいながら手助けのため思う存分働きいい汗をかきました。私が子どもの頃わが家の食料となる麦や芋を母親が育てていた畑は、真ん中に共同利用のモノレールが入っていますが草を刈ってみると中々広い農地です。
畑からは人間牧場と同じ位置にあるために下灘豊田漁港が一望できる絶景の場所にあって、稲葉さんもこのロケーションに惚れ込んだようです。稲葉さんは釣りも趣味なので下灘漁港などは格好の釣り場だけに海幸・山幸が同時に楽しめるかも知れないと大変喜んでいます。
稲葉さんの友人である助っ人の人の働きは、何世の農村出身というだけあって抜群で、草刈り機を休む間もなく回し続け、午前中に半分くらいを刈りこみました。私は午後から所用があってご一緒できませんでしたが、夕方稲葉さんが仕事が終わった挨拶に立ち寄られました。稲葉さんはこの農地で自分の夢を実現したいと様々なことを話していましたが、私の結論は「飯を食わなければならない農業はしんどいが、遊びがてらの農業は実に楽しい」ということです。はてさて稲葉さんのこれからの人生にとってこの農地を利用した農業が成り立つかどうか、見守りたいものです。
田舎ではあちらこちらに放任された農地が目立ってきました。しかし農家は農地を財産と思っているのか、相変わらず貸すくらいだったら荒らした方がましと貸そうとせず、朽ち果てようとしているのです。私はそのことを心得て稲葉さんに無償で貸すことにしました。幸い私の人間牧場もすぐ傍だし、よき相談相手ができたと喜んでいます。稲葉さんは4年前水平線の家の完成時、大掃除を手伝ってくれたり、囲炉裏の灰を砥部焼の窯元さんから貰ってくれたりして、多少の恩を感じていただけに、少しばかり恩返しが出来たと喜んでいます。
「わが農地 借る人ありて 草を刈る 眼下に漁港 くっきり見える」
「その昔 母が作りし この畑 今は不義理の 雑草覆い」
「助っ人の 草刈り凄い スピードで 俺の手伝い 役に立たずに」
「もう俺の 役目終わりし 農地にて 好きに使って 生きてください」