shin-1さんの日記

○妻の料理は美味しゅうございます

 わが家の食事はどちらかというと日本食中心の献立です。ごはんにお味噌汁、魚や煮物、野菜が中心です。子どもが小さい頃は成長に必要な肉類が多かったのですが、10年前に私が胆のう摘出手術をしてから肉や天ぷらが余り食べられなくなったため、それに高齢な親父の口に合うものが自然と好まれるようになって、食事には必ず魚が一品はつくほど魚党になってしましたのです。それでも朝だけはリンゴとキャベツを組み合わせたリンキャベに黒酢と牛乳で済ませているし、昼も残りもののようなものを食べるので、まあ言ってみれば夕食が本格的な日本料理なのです。今日は大学の授業や松山工業高校の100周年記念事業の打ち合わせが長引いて夕方帰ると、妻が私のために色々な料理の真っ最中でした。


 新玉ねぎのスライスとほうれん草のおひたし、トマトスライス、カボチャの煮物、ハヤシライスのルー、それにしめサバの刺身なのです。どれも大好物なのですが、炊きたてのアツアツごはんにそれらをおかずにすれば、それはもうどんな高価な料理店の料理よりもおご馳走なのです。今晩は久しぶりにご飯のお代りをしてしまい、少し食べ過ぎた感じがするほど食べました。

 私の妻は若いころ私が役場で水産を担当していたことや、家が漁師の家だったこともあって、「おさかなママさん」という講習を受けて各地に指導に行くなど、魚食普及に取り組んでくれました。そのお陰で魚料理はかなり腕に自信があるのです。

 取り立てて高価な食材を使っているわけでもないのに、甘過ぎも辛過ぎもない丁度良い舌味は長年慣れ親しんだ味であり、何故か心がホッとするのです。体の栄養もさることながら料理の持つ独特の香りや心許して食べる食卓はやはり心の栄養とでも言うべき意味を持っているのでしょう。

 食事が終わって飲むお茶も美味しくてお代わりしました。最近は食後のコーヒーなどとコーヒーがもてはやされていますが、コーヒーの苦手な私は日本茶が大好物で、早くも香りのよい今年の一番茶が出回って心なごませてくれるのです。

 私たちが子どもの頃は「食事の遅い人間は出世しない」などと、ひたすら早く食べることを教わりましたが、今は食事を楽しむことを第一にするような豊かな時代となったのです。

 私は最近妻と二人の食事が多くなったために、リタイアしたこともあって食事はできるだけゆっくりとるよう心がけています。そうしないとお酒を飲まなくなったためあっという間に食事を終ってしまうのです。そして私のこころがけの大変変わった部分は、ニュージランドへ行ってホームステーをした折、ご主人が後片付けをしている姿を見てショックを受け、帰ってから自分の食べたものだけは流しへ持って行くことだけでもしようと心に誓って実行しているのです。今の若者からすれば、洗い物をするわけでもなくそんなこと自慢にならないと言われそうですが、厨房に入らない男子と言われる私にとってこれが精一杯の努力なので、妻も昔の私を知っているので、そのことは

大変有り難がっているのです。 まあ食事の後に「ああ美味しかった」と褒め言葉を言うこともすっかり馴れて、妻と私は良好な夫婦関係を保っているのです

  「美味かった たった一言 言うだけで 妻の腕前 随分上がる」

  「魚減り 肉が増えたと 白書いう 成人病の 多き納得」

  「食べたもの 片付けるしか 能のない 俺だが妻は 満足してる」

  「新茶入れ 夫婦四方山 話する 長閑わが家の 食後の会話」

 

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shin-1さんの日記

○孫出産・祝いのメッセージが届く

 「shin-1さんの日記」を愛読していただいている方々から、孫誕生の記事に対し温かいメッセージをいただきました。私たち夫婦にとって4番目となる孫ですが全て男の子です。孫の健やかな成長を心から願ってのメッセージに心打たれました。

 昨晩は上灘中学校の学校評議員会があって午後7時から出かけていました。午後9時に会議が終わって帰ってみると、息子が孫と二人でわが家に来ていました。普通は松山のマンションで親子3人で暮らしているのですが、前日からの母親の出産騒動で孫は何が何だか分からぬままに、母親の実家に前夜は一泊し、昨晩からは母親が退院するまでの間わが家に寝泊まりするのです。

 昨晩は妻が産院へ見舞いに出かけて9時過ぎに帰ったため、普通8時半に就寝するはずの孫は起きて私たちの帰りを待っていました。既にお風呂に入ってパジャマに着替えていましたが、眠い目をこすりながらお気に入りのアンパンマンのボールを持って眠ると離しませんでした。やがて私と妻の間に入って川の字になってスヤスヤと夢の世界です。孫の寝顔、孫の匂いはいいものです。

 昨晩は孫も一度も起きることなくぐっすりと眠ってくれましたが、妻は相変わらず布団の外に出よう出ようとする孫を何度となく布団の中に引っ張り込んでいました。私が日課の4時過ぎに起床してそっと抜け出し書斎で本を読んでいると、5時過ぎにはもう起きて私を探しに書斎へやって来ました。2歳未満とはいいながら13キロもある

ので抱き続けると腰を傷めそうなので、ほどほどにしなければならないのです。それでも岡さんを探しているようでした。2階に寝ている息子も前日前夜のお産に立ち会ったり仕事をしたり、相次ぐ親類のお見舞い、子どもの保育園へのお迎えなどとにかく心労が重なっていたようなので6時まで起こしませんでした。

 降って湧いた嫁のお産騒動はわが家にとってはまるで台風が来たような感じです。みんながそれぞれ甲斐甲斐しく働くのに、こんな場合の亭主たる私は何の役にも立たないのです。妻からは「あれをしてこれをして」といわれるのですが、やることなすこと後回りなことばかりで、昨日も風呂のお湯を出しっぱなしにして相撲に夢中になってしまい、「もっと緊張感を持ってください」と言われてしまいました。

 今朝は保育園に行く孫と仕事に行く息子が7時40分に出てホッと一息つきました。今日は私も愛媛大学法文学部の授業日で準備をしてそろそろ出かけなければなりません。また午後は松山工業高校の100周年記念事業の準備委員会が予定されて相変わらず忙しい一日になりそうですですが、帰りに病院の嫁と孫を見舞いたいと思っています。

 息子が昨晩生まれた子供の名前について色々と話をしていました。私の子どもは私の名前の一字「一」を取って一子、一心、一生、一公と名前を付けています。妻も家族も大反対だった名付けでしたが、息子もそれを見習ったのか自分の名前の一字「心」を取って長男には「希心」と付けました。最初は奇異な感じもしましたが、最近はなれて中々いい名前だと思っています。どうやら息子は第二子にも「心」をと考えているようです。親父の私が変わりものですからこうなるのだと、妻からは言われていますが、自分の子どもの名前は一生使うので慎重にと助言をしてやりました。

  「台風が まるで来たよな お産です 孫の一日 までも翻弄」

  「いい名前 つけろと助言 する私 真似はするなと 妻も助言す」

  「川の字に 孫を挟んで 眠る夜 久しぶりだと 心浮き浮き」

  「おめでとう 言われる度に ありがとう 孫の出産 私も嬉し」

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