shin-1さんの日記

○熊本大学文学部徳野貞雄先生の講演会に参加

 昨日は松山市樽味の愛媛大学農学部で特別講演会があり出かけて行きました。「そういえば今日は土曜日か」とサンデー毎日的な生き方をしている私は、曜日の感覚も少しずつ消えようとしていることを実感しながら車を走らせました。昨日は大洲市では夏日を記録するなど気温がぐんぐん上がって、車内はクーラーを入れなければ暑く、クーラーの嫌いな私は窓をいっぱい開けて社外のさわやかな初夏の風を一杯入れながら走りました。

 午後1時からの入場なので、少し早目に出て娘のマンションに牛乳を届けに立ち寄りました。わが家では親父が一本私たち夫婦がそれぞれ1本の計3本牛乳を取っていますが、私たち夫婦の分はついつい冷蔵庫に溜まりがちで、昨日もクーラーバックに入れ孫たちのために持って行きました。

 土曜日なので娘婿も小学生の孫も休みのようで、久しぶりに家族揃っていました。まもなく2歳になる孫尚樹はとにかく元気で柔らかいボールをサッカーだといいながら室内で盛んに蹴って遊んでいました。この春1年生になった孫朋樹はやっと自転車に乗れるようになったようで、私にその姿を見せたいと可愛らしいヘルメット被りマンション近くの路上で早速お披露目です。まだ多少ぎこちない所もあありますが、スピードも出るしブレーキ操作も申し分ないのです。私と二人で特訓した成果でしょうが、孫は嬉しくて仕方がないようで、空地をぐるぐる回ったり八の字走行を練習しましたが、近所の道を一周して帰るなどもう自信満々のようでした。

若松進一ブログ

 農学部の授業は既に始まっていて、第一回目の授業は4月25日に実習林で開かれたため、農学部のキャンバスに顔を出すのは一ヵ月ぶりなのです。大講義室には学生やマネジメントスキルアップの社会人や先生たちなど100人以上の人が集まっていました。

 この日の講師は熊本大学文学部の徳野貞雄先生です。先生とはもう長い付き合いでわが町にも講演に来てもらっていますし、人間牧場オープン記念の逆手塾の折にも人間牧場へ来てもらっているので、馴染みが深いのです。昨日は農山漁村の地域再生を目指して、「農村(ムラ)の幸せ、都会(マチ)の幸せ」という演題で、T型集落点検による農山村の地域づくりについて持論を聞きました。徳野先生の過激とも思える毒舌は有名で歯に衣を着せぬ語り口で1時間半の講演予定は延々3時間にも及びました。

 私などは先生のことを知っているので何ともありませんが、初めて聞いた方は度肝を抜かれたようで、次の予定のある方はそろり引き揚げる場面も見られたようです。

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(研究会での徳野先生)

 講演に続いて会場をにぎたつ会館に移し第2回農山漁村再生人材育成研究会が持たれました。徳野先生を囲んだ座談会で、ここでも一人一人の自己紹介について少し長めのコメントをいただきながら持論を聞きました。林学部長さんや泉副学長さんんも同席した重厚な会議でしたが、泉先生が総括したように徳野先生の提唱実践しているT型集落点検という手法は、学生が農家や現地で活動するのに最適な手法ではないかと実感しました。

 大幅に時間を押した講演会と研究会を終え会費による懇親の場が持たれましたが、私は午後8時に妻や次男と待ち合わせしていたので、先生と再会を約束して早々にお暇しました。

 めし茶碗一杯は約60グラム、米の原価は約12円、めしになると20円、おにぎりにしてコンビニで買うと105円、レストランでライスとして皿に盛られると250円、それにしても同じ米なのに農家の手取りは僅か米60キロが1万2千円です。これでは農家は生き残れないのが本当であるという話は印象に残りました。先生の話は会場で聞いた人だけの話にしないと意味がないので、あえてコメントはしませんので悪しからずご容赦ください。

  「毒舌も 愛嬌のある 容姿にて 笑いに変える これも人徳」

  「心ある 人は休みを 返上し 学びの場所に 顔出し学ぶ」

  「時間など 気にせず話す 人はいい 聞いてる人は 時計気になり」

  「ネクタイと 背広で出かけ 見てみたら 講師はラフな 普段着姿」

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shin-1さんの日記

○歳をとったら親父のように生きたい

 私たちの町では過疎化が進んで商店街がなくなり、生活に必要なものを地元でそろえることが年々難しくなってきています。特に食料品などは「近所のお店で買うもの」とばかり思っていましたが、つい最近はそのジンクスが破れて、まとめ買いは隣町のスーパー、ちょい買いは道の駅などで開かれている産直市に立ち寄って買うなど、随分変化してきました。それでも車に乗れる私たちはそんな消費行動ができるのですが、車に乗れなくなったお年寄りたちは、生活のバリエーションが年々狭められ将来への不安を抱えて暮らしているのが実態のようです。

 91歳になる親父は日曜大工のようなことが趣味で、家の庭には親父が日曜大工で作ったものが随所に見られるのですが、大工道具などは手入れをして使っているものの、釘やノコの替え刃といった小物類は時折私や息子が車の乗せて隣町のホームセンターへ連れて行き、一カ月に一回くらいショッピングをさせているのです。それでも必要なものは近所の金物屋さんに行って、「品数も少ないし少し高いようだ」とブツブツ文句を言いながら買い求めて用を足しているのです。

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 最近親父の住んでいる隠居の庭に飛びきり上等な選択干し場がお目見えしました。私に前もって相談はするのですが、相談といっても一方的な告知で、「洗濯物干し場がないので雨の日などは困るので、大工さんに頼んで作ってもらう」というのです。「そんな金の要ることはせず、今のままわが家の選択干し場を使ったらどうか」と勧めたのですが、「もう大工さんに頼んでしまった」と事後報告なのです。

 近所と言ってもわが家から5キロくらい離れた場所にその大工さんは住んでいますが、時点所に乗ってさっさと工事のお願いに行って、大工さんは私の了解と立ち会いのもと工事を始めたのです。その大工さんは人間牧場の家を建て、隠居も建てた馴染の大工さんなので見積もりもそんなに高くはない良心的な方で、技術もしっかりしているため、親父のお気に入りの大工さんなのです。やがて工事が始まってびっくりしました。まるで床柱のような丸太柱を使っているのです。さすがの親父も上出来と目を細めていたようですが、「隠居の家の立派さにはこれくらい使わないと申し訳ない」と思ったようでした。

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 たかが選択干し場と鷹を喰っていましたが、出来上がってみるとその立派さにびっくりしてしまいました。大きな声では言えませんが、いずれ私たちが利用するであろう隠居家ですし、しっかりとした造りをしてくれるのは有難く感謝しているものの、91歳になってもなお老いて益々盛んな親父にはただただ脱帽するばかりなのです。

 母亡き後ひっそりと隠居で年金で暮らしている親父の楽しみはそんなに多くはなく、家庭菜園で作った野菜を近所や親類に配って喜ばれたり、好きな盆栽や庭木の手入れ、それに倉庫まで改造して展示室を設けている骨董が趣味くらいで、それを思えば目くじらたてることもなく、むしろ元気で日々を暮らしていることを感謝するのです。

 規則正しい親父の日課を目の当たりにしながら、わが身に忍び寄る老いの影を考える今日この頃なのです。


  「買い物も 出来ぬ田舎の 不便さを しのぎ何とか 今日も暮らして」

  「物干し場 まるで床の間 柱風 出来てびっくり 何を干すのか」

  「忍び寄る 老いの姿を 見てるよう 親父私は そんなに生きれぬ」

  「足腰が 痛い死ななきゃ 治らない 言いつつ今日も ごぞごぞ元気」 

  

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