shin-1さんの日記

○金は天下の回りもの

 私のようなお金に余り縁のない人間にとって、暦の下に書いてある「金は天下の回りもの」という故事ことわざはどういう意味を持っているのか、首をかしげながらブログを書いています。ひょっとしたらこの言葉はお金のない私のようなもののためにある言葉かも知れないと思うと、わが意を得たり急に力が出てくるのです。自分の懐に今はお金がないが、そんなに深刻になるな、そのうち私にもお金が転がり込んでくるかも知れないのです。妻はそういいつつ今年も当たる当てのない宝くじを買ったもののものの見事に当てが外れ、「お父さん2億円当たったらどうしよう」なんて夢みたいなことをいって、私に少しだけ期待を持たせたことも忘れて、今度こそはと意気込んでいるのです。

 しかし、「金は天下の回りもの」という言葉は本当だと思います。これは妻に内緒の話ですが(絶対に言わないようにしてください)、実は人間牧場に釜戸小屋を作る次の計画が自分の頭の中で浮かんでいます。設計をしている息子に予算をはじいてもらったわけではないのですが、総工費は30万円くらいいるのではないかと腹積もりをしています。さてこの計画を実行に移すにはまず予算の30万円を確保しないとスタートできないのです。ところが昨年の秋あるところから原稿の依頼が舞い込みました。普通原稿はタダのところもあるのですが、最近はきっちりと原稿料を払ってくれる奇特は情報誌や団体もあるのです。原稿の量は少し長めの400字詰め原稿用紙50枚ということでした。私は秋の忙しいころにその原稿を書きあげ相手の所へ送っていました。それ以来すっかりその原稿がどんな雑誌に載るのかも忘れていましたら、年末になって私の原稿が掲載された雑誌が手元に送られてきました。中々綺麗な仕上がりで原稿を書いたことを喜んでいましたが、それでも原稿料など「どうせ薄謝だろう」と気にもしていなかったのです。

 年末も押し迫ったころ私のもとに振込通知書が届き、見た私は驚きました。本来なら手紙類はまず妻がポストから取り出して仕分けをして私に渡してくれるのですが、その日に限って私が家にいたためその仕分け作業を私が行いました。ということは妻はこの振込事実を知らないのです。「しめしめこれはチャンス、人間牧場の釜戸小屋整備計画の資金になる」と、内心ドキドキしながら妻に内緒で今日を迎えているのです。まさに私の頭に「金は天下の回りもの」という言葉が渦巻き始めた一瞬でした。

 妻とは結婚して40年近くになりますが、私の嘘は必ずどこかでばれるのです。多分今回の臨時収入もつじつまが合わなくなってどこかでばれるのでしょうが、まあ春の夜の淡い夢だと思ってもう少しの間内緒にしておきたいと思っているのです。

 わが家はマイホームの新築や4人の子育て、それに教育と安月給ゆえに貧乏な暮らしを強いられてきましたが、どこかつじつまがあってどうにか今日まで経済の荒波を乗り越えることができたのも、やはり「金は天下の回りもの」という経済哲学でした。年金暮らしになったこれからは、そんな余分なお金が天下の回りものとなることは殆どないと思われますが、それでも貧乏人故そんな淡い期待を持ちながらこれからも暮らして行きたいと思っています。


  「うわ嬉し 妻に内緒の 振り込みに ハラハラドキリ 夢は果てなく」

  「金なんて 明日があるさ 明日がある 気楽なものだ 貧乏人は」

  「隠してる いつ言われるか 分からない こんな小さな 一喜一憂」

  「私にも 当たる権利が あるのだと 今年も予定 妻宝くじ」

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shin-1さんの日記

○大分へ行ってきました

 今朝は朝5時に起きてわが家を出発し、夕やけこやけラインこと国道378号をひた走り、保内町から国道197号を通ってフェリー発着場である三崎を目指しました。黎明の佐田岬半島は車の通行量も少なく、加えて少し曇り空で風もなく穏やかでした。2時間もあれば出発30分前に到着するだろうと目算を立てていましたが、1時間半ほどで到着し、しばらくの間暖房の効いた自分の車の中で仮眠を取りました。

7時になるとい夜が明けていつの間にか始発便に乗るであろうトラックや乗用車が2列ほど乗船を待っていました。私もその人たちに交じって切符を買い求め、少し早くに船に乗り込みました。今日の宇和海や豊後水道は冬とは思えないほど海も穏やかで佐賀関までの70分、他の客と一緒に船室に横になって仮眠を取りました。このルートは船賃も安い(往復2千40円)し時間も短く、最近私は度々利用するルートなのです。

 佐賀関の港には、大分県日田市大山町の緒方さんから依頼を受けた佐伯市上浦活性化センター「里の駅しおさいの里」営業部長の川本さんと二人の女性職員が迎えに来てくれていました。あいさつもそこそこ車に乗り込み、楽しい話をしながら大分市内に向かいましたが、上浦は岡崎さん始め知人友人も多く、初対面とは思えないような砕けた話をしました。

若松進一ブログ

 この日の集会は緒方さんが会長を務める大分県里の駅ネットワーク協議会の研修会なのです。旧大山町の緒方さんとはもう30年来の旧友で、元大山町役場に在籍していたころからの親友です。今は響の里の総支配人として存分の活躍をしているようですが、最近体調を崩しているようでした。でも今日はすっかり良くなって会場となったアイネス(大分県消費生活・男女共同参画プラザ)で元気に私を迎えてくれました。

 さて里の駅というのは大分県には30を超えるほど沢山あって、まあ私たち流に考えれば道の駅のようなものだと解釈して、約2時間弱の話をさせてもらいました。昨日緒方さんから私に携帯が入り、「演題をどうしよう」「適当につけておいて」なんてやり取りをしていましたが、緒方さんが選んだ演題は「しずむ夕日」ならぬ「昇る夕日でまちづくり」でした。さすが彼らしく私の頃を見抜いて演題をつけてくれたと喜びました。

 この日の出席者はどことなくおとなしい人が多く、物静かでしたが、その分集中して話をすることができました。講演が終わって民さんと一緒に近くの和風レストランに会場を移し楽しいおしゃべりをしながら交流を温めました。


若松進一ブログ

 今日は行き帰り送迎でお世話になった河本さんたちと色々な話をしました。私も若いころ講師の方の送迎を盛んに行い、講演では聞けない裏話を随分聞いたことを思い出しました。河本さんが営業部長を務める佐伯市上浦活性化推進協議会も、かなり厳しい経営を強いられているようで、合併後の大きくなった行政との関係や、里の駅の役割について随分意見を交わしました。河本さんはポジティブな方で、好感の持てる人でしたし、再会を約束して佐賀関港で分かれました。午後2時発のフェリーに余裕を持って乗ることができました。折から心配していた雨がポツポツ降りはじめました。フェリーに乗船して間もなく旧友である佐賀関社会福祉協議会の渡辺又計さんに携帯をかけました。本当は彼とも出会いたかったのですが、今晩は人と会う約束が、明日は大学で教授会が予定されていて先を急いだため結局は声の交流だけとなってしまいました。

 こうして行く先々で人と巡り合い、人と交友を深めながら暮らしていると、海を隔てた隣の県ながらまるで親類へ来たような親近感を持つのです。緒方さんといい、渡辺さんといい、新たにこう悠の輪が広がった河本さんといい、大分も温かい人がいっぱいいて、とても幸せな1日でした。


  「愛媛から 豊後水道 ひとまたぎ 隣の県で 日帰り仕事」

  「旧友と 呼ぶにふさわし 人ありて 今も昔も 変わらず出会う」

  「お互いに 脛に傷持つ この身にて 無理は出来ぬと 友をいたわる」

  「もうそこに 春の足音 聞こえそう 豊後の海に そんな予感を」 


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shin-1さんの日記

○正直は一生の宝

 人間は殆どの人がみんな、自分のことを正直者だと思っています。しかし他の人から見ると「あいつはタヌキだ」とか「あいつは信用ならない」などと、面と向かっては言いませんが厳しい味方をしているようです。私たちは「正直は一生の宝」だと子どもの頃から教わりました。ゆえに私たちが子どもの頃は嘘などがばれるとその日はご飯も食べさせてもらえないほど叱られ反省させられたものです。

 しかし正直も馬鹿正直がつくと、帰って人間関係を底なてしまうことだってあるのです。人がある人の悪口を言っていることを聞いたとします。悪口を言われていることを薄々知っている人は聞いた人に遠回しに探りを入れてきます。「○○さんが私の悪口を言っていたでしょう」と聞かれたら、聞いた本人は正直者であるなら、包み隠さず聞いたことを話さなければならないのですが、フーテンの寅さんのセリフではありませんが、「それを言っちゃあお終い」になって本当のことを打ち明けた人まで悪者の見方にされてしまうのです。そこはやんわり逆のことを言って取りなすことだって世渡りには大切なことなのです。

 政治家は嘘をよくいう仕事だとよく言われます。私も何人かの政治家に出会って話を聞くたびに、できもしないことをさもできそうに話すのでついつい引き込まれてしまうのです。政治家は「この人は嫌いだ」と第一印象で思っても、嫌いなそぶりどころか握手を求めて「あなたが頼り」と迫ってくるのです。多分そのくらいのことで政治家に騙される選挙民はいないと思うのですが、選挙の前になると握手作戦によってイメージはすっかり変ってくるのですからまんざら嘘でもないようなのです。

 嘘を真顔で言えないような政治家は大物ではないとよく言われるように、政治家の話に良く良く用心をしなければなりません。巷には選挙に出るであろう候補者の顔写真がべたべた貼られ、選挙の事前運動が何のおとがめもなくやられています。

 「町を綺麗に」とか「クリーンなまちづくり」というキャッチコピーが印刷された候補者ポスターくらい街の美観を損ねているものはないと思うのですが、美しいまちづくりはあくまでも理想であって、わが身の当選の方が大事なのです。これもやはり嘘でしょう。


 私は親から教わった「正直は一生の宝」という言葉をある意味信じています。お互いがお互いの言葉や行動を信じられなくなったら、社会は成り立たなくなるのです。そのための道具として人の心を心地よくしてあげれる笑顔と言葉を持ちたいものです。笑顔は世の中を明るくしてくれます。不景気な世の中だというのに笑えるかといわれるかも知れませんが、笑顔で日々を暮らしたいものです。また人に不快の念を与えないような言葉遣いも心がけたいものです。

 「今日は大寒だそうで寒いですね」「お互い風邪をひかないように頑張りましょう」だと隣近所の会話はいいのですが、「今日は大寒だそうで寒いですね」「冬は寒いものと決まっとる!」なんて紋切り型の言葉が返ってくると、石でも投げてやりたいような気持になります。正直は一生の宝ですが、その宝ものも磨かないとダイヤモンドどころかただの石ころです。共磨きで正直といういい宝ものをお互い持ちたいものです。

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shin-1さんの日記

○愛媛大学法文学部総合政策学科・今年度最後の授業

 一年とは早いものであっという間に今年の授業も終わり、昨日は最後の授業となってしまいました。私はこれまで5年間主に夜間主の学生に夕方から授業をしていましたが、今年から昼間主に変わり、しかも時間帯が毎週月曜日の4時限目なので14時40分からの授業となっていました。月曜日はややこしく、時には振り替え休日などもあって自分のペースを掴むまでに時間がかかってしまいました。それでも私のゼミに与えられた学生は2回生19人で丁度いいまとまりです。春先のガイダンスで私のレクチャーを聞いた学生が面白そうだと私を選んでくれたのですから喜ばなければなりません。私に与えられた年間講義時間すは60時間4単位です。大学は面白いところで、学生への連絡も授業の組み立ても、勿論授業の準備も全て自分一人でやらなければなりません。この年齢では忙しい方の私なので、授業と他の仕事がバッティングしないように月曜日にまず年間全てを○をつけておきました。お陰さまで何の問題もなく消化できました。

 私の授業のテーマは「地域振興とまちづくり」なのでフィールドワークを中心に組み立てました。半分が講義、後の半分をさらに半分にして県内の視察研修と、グループワークにしました。今年のテーマは「合併後のまちづくり」でしたので、視察研修も旧中島町、旧中山町、旧長浜町、旧双海町を選びました。そして「住みたいまちの条件」と「訪ねたいまちの条件」という青い鳥を探すのです。

 昨日は自分たちで考え描いた「住みたいまちの条件」と「訪ねたいまちの条件」をグループごとに発表しました。抽選で決めた順番に沿って一班15分ずつの持ち時間で発表し5分の質問を受けたのち、学生自らが、①図表の美しさ、②内容の充実度、③発表の仕方、④グループの団結度をそれぞれ5点満点で採点し投票するのです。自分のグループには投票できない仕組みになっているのでこれまた冷静に他のグループの発表が聞けるのです。教官である私も審査に加わりましたが、驚いたことに私の採点と学生の採点がほとんど同じだったのです。

 学生たちは冬休みの間にグループワークをして図表や発表の手順をしっかりと学習していました。その成果は発表にも現れ、まさに素晴らしい発表でした。

若松進一ブログ (3班の図表)
若松進一ブログ (3班の発表)
若松進一ブログ (発表を聞く学生たち
若松進一ブログ (4班の図表)
若松進一ブログ (4班の発表)
若松進一ブログ (1班の図表)
若松進一ブログ (1班の発表
若松進一ブログ (2班の図表)
若松進一ブログ (2班の発表)

 そして発表の後の投票集計で見事グランプリに輝いたのは4班でした。4班には私のポケットマネーで1万円を出し賞金を渡しました。本当は甲乙つけがたく皆さんにも同じように賞金を渡してやりたかったのですが、懐の具合と相談しての表彰となりました。何はともあれ、学生にとってはまちづくりや地域振興という聞き慣れない話を聞き、県内各地へ出向いて直接見聞きしたことは大きな収穫だったようで、提出されたレポートにもそのことが随所に記されていました。
若松進一ブログ

  「発表を 聞いて採点 投票す 火花散らして 成果を競う」

  「なけなしの 財布はたいて 賞金を 学生贈る 粋な教官」

  「賞金の 一万円を 元金に 一位の班は 早速街へ」

  「ああそうか 今日で終わりか 寂しいね いつもながらの 別れ寂しく」    

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shin-1さんの日記

○急いては事をし損じる

 「明日の朝までに原稿を送ってください」というメールが入って、出張先から帰った疲れた体で、眠い目をこすりながら原稿を書き上げました。依頼された原稿は2千字ほどですから、「400字詰原稿用紙に直すと5枚程度か」と頭で考え、とにかく1時間ほどで仕上げ、昨夜のうちに殆ど確認もしないまま原稿をメールで送ったのです。

 朝起きてメールを開けると、送った相手先から「お疲れのところありがとうございます。助かりました」と感謝のメールが届いていました。食事がすんで送った文章を画面に呼び出して読んでみると、変換ミスが3ヶ所も見つかり、私は大慌てで相手に訂正してもらうようメールを送ったのです。ところが相手も余ほど急いでいたのかその文章を確認もしないまま、早速朝一番のサイトに載せて配信した後でした。原稿の間の間違いは私の責任ですが、一旦相手のサイトで公開された文章は相手のミスになるのです。すったもんだの末、相手がいち早く手直しをしてくれて事なきを得ましたが、情報が独り歩きする時代だからこそ確認する大切さを改めて意識させられました。

 私は血液型がB型ですからどちらかというと、早とちりな性格です。(B型の人には失礼)ゆえにこんな失敗は何度も経験しています。たった一人で10年間に240号もの広報を出した若いころには、原稿用紙と鉛筆と消しゴムの3点セットで嫌というほど原稿を書きました。役場職員の人事異動の原稿を書いた折、「人事異動」と確かに描いたのに帰ってきたゲラには人事移動となっていたのです。読み合わせでも「じんじいどう」と読むものですから、その文字を見誤り、初校で終わる印刷屋も見過ごしてしまいました。刷り上がった広報を見て血の気が引く思いでした。「原稿で私は異動と書いている」といえば印刷屋も「校正したのに赤(訂正)が入っていなかった」とお互いの非を認めることなく平行線となってしまいました。結果は「移動」の文字を2千部も「異動」とボールペンで訂正し発想しました。まあこれくらいならまだしも、おめでたとお悔やみの欄で、死んだ人がおめでた欄に生き返ったりして、お詫びに出かけたり、訂正記事を書かなければならない苦痛を覚えたり、「急いては事をし損じる」ことが山ほど思い出されるのです。

 「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」はけだし名言な交通安全の標語です。急いでいるとロクなことはないとしみじみ思いながら暮らしていますが、この歳になってもし損じることがいっぱいあるのです。車に乗って運転しながら携帯電話で話をするのは道路交通法でご法度です。私のように車で移動すると、運転中に電話がよくかかってきます。運転中なのでと出なかったり断っていますが、高速道路を除けば路側帯に寄せて停車して電話を取るくらいな余裕を持たなければなりません。警察が見ていないからなんてことはもう過去の話です。苦い失敗経験はやはり転ばぬ先の杖にしたいものです。

 さて今日も、忙しい1週間の幕が開きました。今日は大学の農学部で仕事をして午後は法文学部に移って今年度最後の授業である発表会を行います。学生たちに「急いては事をし損じる」と今日の格言ことばを話してやりたいと思っています。


  「急き過ぎて 毎日暮らす この身にて 一旦停止 左右確認」

  「そういえば 何でないよな ことなのに 確認もせず 大恥かいた」

  「治らない B型特有 直ぐ発車 歳相応の 行動すべし」

  「携帯も 時計も忘れ 行く先も 忘れて俺は 一体どこに」

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shin-1さんの日記

○初春水仙祭り

 炬燵の恋しい寒い冬にイベントをするのは馬鹿げていると思われるかも知れませんが、冬だからこそ他所の町がまねできないとばかりに、私の町では早くも春のイベント第一弾として「初春水仙祭り」を昨日までの土日に行いました。土曜日はまずまずの天気、日曜日はあいにく午後から小雨が降りましたが、それでも大勢の人が水仙の清楚な姿と香りを愛でに集まってきました。

 このイベントを主催したのは「ふたみ花の会」のおばちゃんたちです。シーサイド公園の駐車場にテントを張り、自分たちが育てた水仙の切り花や鉢植えを売るのです。最近は水仙も和洋種がいっぱい栽培されていますが双海町の水仙は日本水仙という花びらの中に金冠のある自生種で、香りのいい品種なのです。昔から花を売るのは花売り娘と決まっていますが、考えてみればおばちゃんたちも昔は娘だったのですから、「水仙のお花はいかがですか」と売る姿は厚化粧ながら愛想がいいものです。

 私が役場に務めていた頃始めたイベントなので、私もこの日が来るとソワソワと気になって仕方がなく、案内を受けていたものですから友人のお母さんが亡くなった葬儀に行く途中、立ち寄ってみました。花の会も結成以来14年が経ちましたが、みんなそれぞれ元気で、花の即売を盛り上げようとぜんざいやから揚げ、水仙まんじゅうなどを販売し、農協は美味しいみかんを格安で売っていました。

 私はシーサイド公園の所長さんの勧めで伊予三島からやって来た似顔絵書きの人に似顔絵を描いていただきました。わずか100円とあって、この似顔絵は人気が高く、列をなして書いてもらっていました。昨年は「夕日亭大根心さん」として書いていただきましたが、今年は「夕日を金にした男」なんてきざな言葉をリクエストしました。私はどちらかというと藤田まこと的に顔が長いのが特徴です。似顔絵は一瞬にしてその人の特徴をとらえてあっという間に書いてしまうのです。自分の似顔絵の遍歴を見ながら、人の目からとらえた自分の姿はこんなものと諦めたり感心したりしながら見ました。

若松進一ブログ(右が昨年の作品、左は少し男前があがった今年の作品) 

 水仙祭りのメインはやはり下灘の豊田漁港を一望できる水仙畑です。シーサイド公園で水仙畑の場所を聞いた人たちは約7キロ離れた場所へ出かけるのです。急峻な地形を縫うように急な坂道が続いていて、車になれた人は中々行けないのです。それでも坂を息せき切って登ると眼下に伊予灘の海や芸予諸島が一望できる山肌に一面真っ白い水仙が咲き誇る様は何とも圧巻です。今年も金山泰森さんの遺志を継いだ息子さんのお世話で万階の水仙が艶やかに咲いているようです。

 時々「あの坂道は何とかならないか」と都会派の人に質問されるのですが、私はこんな便利な社会だからこそ不便な場所もあっていいのではないかと答えるようにしています。時折「滑って転げてけがをした。どうしてくれる」と居直る都会人もいますが、「自己責任」と軽くいなして今日まできましたが、田舎が都会に迎合する時代は終わりました。これからは田舎が主張する時代だと思います。この水仙畑こそ大きいことはいいことの都会がまねのできない自慢できる田舎だと思うのです。万歳田舎!。


  「この花は 私が推薦 する花と 自慢たらたら 水仙愛でる」

  「すってんと 転んで怪我の 人曰く どうしてくれる どうにでもして」

  「似顔絵に 書くとまんざら 俺の顔 自分が自分 褒めてやらねば」

  「花いかが 花売りおばさん 厚化粧 花もびっくり 香水効いて」 

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shin-1さんの日記

○人の口には戸は立てられれぬ

 田舎が嫌だという人に、「何故」と理由を聞くと殆どの人が「煩わしい」というのです。確かに田舎は親類縁者も多くて何かにつけて嫌だと思っても隣近所と付き合わなければならず、冠婚葬祭などは簡素になったとはいえかなり家計を圧迫するのです。「煩わしい」と答えた人に「どんなことが煩わしいか」尋ねれば、「うわさ話や陰口が多い」と実感するそうです。「なるほどな」とうなずきながら蔭口の火元を探してみました。驚くことにその火元は同じ人や場所だったりするのです。昔から風呂屋と散髪屋とお医者さんは人が良く集まる場所で、そこへは沢山の情報が持ち込まれます。あの人が病気で入院した。あの夫婦は仲が悪い、あの家では財産分けでもめている。あの人はあの人と不倫関係にあるらしいなどなど、まるで田舎の三面記事や週刊誌のように、よく話題が集まるのです。風呂屋や散髪屋や病院は守秘義務があって滅多のことは言えませんのでそこが火元ではなく、そこに集まった人がまるでインフルエンザの病原菌をまき散らすように言いふらすのです。言いふらす人は大体顔ぶれが決まっていて、「誰から聞いたか」芋づるの基を辿っていけばその人に出会うのです。

 その人に出会うと「あんた知っとるかな」とまず声をかけてきます。「何ですか」と尋ねたら「実は人から聞いた話だが」と出所を隠して話が始まるのです。そして自分の注釈を加えながら話をだんだん太くしてゆくのです。

 実は数年前私もその餌食に遭いました。健康診断で胆のうにポリープが見つかり、入院して摘出手術をしました。癒着していて少し手間取り回復が大幅に遅れたばかりか13キロも体重が減ったのです。「若松の進ちゃんはこないだ入院して胃の手術をしたそうだが、どうも余り良くないらしい。体重も減ってどうも私が思うに胃がんではないかと思われる。長くないかも知れない」という話が村中を駆け巡りました。退院してからしばらくすると、近所の人の目が少しおかしいように思えました。「胃だのは少々取ったところでまた回復しますから」とか、「気長に養生しなしよ」と、胆のうが胃になり、長野わずらいになっているのです。

 ある日のこと私はシーサイド公園に行きました。それまでは毎朝5時から3時間も掃除をしていた人間が、急に見えなくなり、見えた姿は体重の減った青瓢箪のような姿ですから、ある人が「若松さん、あんたガンの手術したそうですがその後どうですか」というのです。「私はがんの手術などしていません。胆のうを取ったのです。誰がガンだと言いましたか」と問い返すと、「みんなが言いよる」とお茶を濁しましたが、どうも火元はこの人に間違いないと思いました。私はその人に「本人にあんたガンだそうですねと聞くものではありませんよ」と釘を刺すと「すみません。ところであんたどこのガンですか?」と問い返してきたので、「はいきんガンで、まっすぐ死んでもいがんで死にます」とおどけて見せたら、すごすご退散しました。

 私はこの人のお陰で胃ガンにさせられ長くはないと言いふらされました。その私もまだ胃ガンになることもなく真っ直ぐ生きているのですから「人の口には戸は立てられる」としみじみ思いました。人の不幸がたまらなくうれしい人もいます。また隣に蔵が建ったら腹が立つ人もいます。せめて正しい情報を流したり、美徳を褒めあうような人になってほしいものです。

  「あんたガン いきなり言われ ひょっとして 自分疑う 半信半疑」

  「人の口 戸は立てられぬ だからこそ 日頃行い 行儀良くして」

  「火元誰 探して行けば 同じ人 やっぱりそうか 顔が浮かんで」

  「人のこと 気にする田舎 だから好き そう思わねば 生きては行けぬ」

 

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shin-1さんの日記

○腐葉土作りの準備作業

 昨日は冬にしてま珍しい穏やかな日でした。風邪で崩していた体調も随分復活して、年末年始を部屋の中で過ごさざるをえなかったうっぷんを晴らすため、人間牧場の冬作業の遅れを取り戻そうと、思い切って戸外へ出ました。それでも冬ですから体を動かさなければ底冷えがして、これで風邪をひいたら反対された妻に申し開きができないので、少し厚着をして出かけました。

 昨日の作業は田舎のオープンカーの荷台にベニヤ板で囲いを作りお目当ての枯葉を集める作業です。人間牧場へ通じる狭い山道には枯れ葉が吹き溜まりのようになっていて、すごい量が確保できるのです。山道ゆえ車の往来もなく、未知の真中へ車を止めてテミで集めて車の荷台に積み込むのですが面白いように集まりました。昨年は息子が手伝ってくれ随分助かったため、今朝手伝いを依頼しましたが、残念ながら孫が嘔吐下痢症とかで一人での作業となりました。それでも2時間ほどでトラック2台分の落ち葉を積み込み、昨年作って大活躍をした腐葉土集積場へ運びました。私の軽四トラックは4WDなのでスリップすることもなく畑の中に入って作業ができるため随分助かりました。

若松進一ブログ (トラックの荷台に積んだ落ち葉)

 私は茶目っ気があるのか、一度やりたかったことがあって、車の荷台に積んだ落ち葉の上に体ごと寝てみたいと思っていたので、恥も外聞もなく思い切って落ち葉のベットの上に横になりました。ふわふわの落ち葉は気持ちがよく、大の字になって寝転がりましたが、いやあ気持ちがいいものです。青い冬空を雲が西から東へ流れて行く姿を見ながら、ついウトウトしそうでした。

 遊び心もこれまでで、車の荷台から鍬で腐葉土づくりの箱の中へかき込みました。箱いっぱいの落ち葉を足で踏みこみ、前もって近所の人に米ぬかを2俵、園芸店で油粕を1俵購入していたので、それを表面にばらまきました。そして2年間寝かせている大洲市田処の亀本さんからいただいていた牛糞と、牛糞ペレットをばら撒き、その上に水をかけて作業を終えました。何日かすると発酵が始まるので、ビニールを被せて温度を取るようにすれば、いい腐葉土ができる計画です。ベニヤ板で囲っているだけの簡単な施設なので、2年くらいが限度のような気がするのです。これで遅れていた作業も一気に進んで、3月初旬には種芋を伏せれるようです。

若松進一ブログ(腐葉土置き場へ落ち葉を踏み込む)

 作業をしていると、人間牧場に水を貰っている西嶋さんのご主人がやってきました。昨年の春お父さんが亡くなっており、今日は一周忌の法要があるのでお墓の掃除に来られたとのことでした。時の立つのは早いもので一年があっという間に過ぎ去りました。この一年私は何をしてきたのだろうとふと思いました。

 西嶋さんのご主人は私より一つ年上です。聞けば年末にぎっくり腰になって一ヵ月も通院して仕事にならなかったようです。私の長引いた風邪といい確かに私たち年代ももう若くはないなと笑いながら話しましたが、忍び寄る高齢化の波も人事ではないようです。

 作業中もひっきりなしにズボンのポケットの携帯電話が鳴って、その都度作業の手を休めては対応しましたが、こんな僻地にいても便利な世の中になったものです。今年は人間牧場も2月には岩手から講師を招いて年輪塾ネットのオープンセミナーを開く予定だし、8月には愛媛大学農学部のカレッジを開く予定など、目白押しの予定が組まれています。さて今年も人間牧場にまた新しい出会いと進化が待ち構えていることでしょう。今年最初の作業を終えて、ホッと一息、咲き始めた梅や水仙の香りを楽しみながら家路を急ぎました。


  「遅れてた 作業一気に はかどって ホッと一息 これで安心」

  「ふわふわの 落ち葉ベットに 寝転んで 冬空行きし 雲の行方を」

  「牛の糞 二年経っても 腐らずに 役割ちゃんと 枯葉腐らす」

  「もう春が そこまで来てる 梅の花 水仙までも ほのか香りて」


 

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shin-1さんの日記

○歌は世につれ世は歌につれ

 私たちの世代は一体どんな時代だったのかと振り返ってみる手段は、やはり流行った歌を思い出すのが一番かも知れません。しかし私のような純日本的な人間には、ビートルズもベンチャーズも、またジャズやロックも縁遠く、フォークソングのようなものくらいしかレパートリーがないのです。

 それでも人は人自分は自分ですから、自分の生きざまの中に流行った歌をダブらせながら思い出してみるのです。私が知っている歌は懐メロです。藤山一郎や東海林太郎、春日八郎、三橋美智也、村田英雄、三波春夫、フランク永井、舟木一夫、小林旭、石原裕次郎、橋幸夫、北島三郎、南こうせつなどの男性歌手が浮かんできます。一方女性歌手では美空ひばり、都はるみ、青江三奈、坂本冬美、森昌子、桜田純子、水前寺清子、イルカ、川中美幸などが浮かびます。いずれも懐かしい人でもう記憶の中から消えている人が殆どで歌手さえも思い出せないのです。

 私は双海町という役場で村おこしやまちづくり、それに広報や観光を担当したていたこともあって、仕事がら有名な人に沢山出会ってきました。特に思い出に残る出会いはフーテンの寅さんこと渥美清さんと川中美幸さんです。フーテンの寅さんは私が町の広報を担当していた時、日本で一番海に近い下灘駅でご存じ寅さんシリーズ「寅次郎と殿様」のロケがありました。私は山田洋次監督の許しを得て寅さんに歩いている姿やロケ風景を写真に収めました。その時寅さんと交わした言葉は「やあ」だけでしたが、私の心の中には寅さんの歩いたりロケをしている姿が今もセピア色の写真のように残っているのです。

 星野哲郎さんが作詞し、山本直純さんが作曲したご存じ「男はつらいよ」は記憶に残る歌です。

 〈セリフ〉私生まれも育ちも葛飾柴又です

      帝釈天で産湯を使い姓は車名は寅次郎と発します

  ♭俺がいたんじゃ お嫁にゆけぬ

   わかっちゃいるんだ 妹よ

   いつかおまえの喜ぶような

   偉い兄貴になりたくて

   奮闘努力の甲斐もなく

   今日は涙の

   今日は涙の日が落ちる

   日が落ちる

 もう一人忘れてならない歌手は川中美幸さんです。川中美幸さんとは南海放送のスタジオでお目にかかりました。ご存じ雲海酒造提供の「川中美幸人・歌・心」というラジオ番組に私はゲストとして出演しました。「あんた本当に公務員?」と流暢な私の話しぶりにすっかり魅了された川中美幸さんは放送収録が終わって私に聞き返しました。「はい公務員ではなく夢を好む好夢員です」といったら大爆笑となりました。素敵な川中美幸さんの笑顔が印象的で、今も忘れられない思い出です。あの時私がリクエストしたんは並木路子さんの「リンゴの唄」でした。以来単純細胞の私は川中美幸の隠れファンなって二輪草という歌を口ずさんでいるのです。

  あなた おまえ

  呼んで呼ばれて 寄り添って

  やさしく私を いたわって

  好きで一緒に なった仲

  喧嘩したって

  背中合わせの ぬくもりが

  かようふたりは ふたりは二輪草


  「寅さんと 美幸の歌は 忘れない 下手だが今日も ハーモニカ吹く」

  「流行歌 それしか知らぬ 浅い俺 でも何となく 自分重ねて」

  「世に連れて 歌は社会を 写し出す 鏡のように どこか寂しく」

  「ああ俺も 古くなったな 浜崎や 宇多田の歌が 歌えないです」

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