shin-1さんの日記

○長野県からはるばるお客様

 私の町には年間を通じて沢山の人が視察に見えられます。普通は役所を通して連絡が入るのですが、土日や夕日が見たい時間外になると役所は勤務時間外で煩わしいため、都合が悪いと断るようです。それでも視察がしたいという人は知人友人のつてを頼りに、今ではすっかり自由人になった私に連絡が入り、「それじゃあ受けましょうか」という段取りになるのです。それでも私にはパンフレット類の資料などもなく会議室も借り上げなければならないため、これまた役所の担当者に連絡を取り、極力迷惑のかからない方法で受け入れるのです。

 今日のお客様は長野県南牧村から議員さんたち8人がやってきました。議会事務局長さんと懇意なこともあって、是非人間牧場も案内してほしいと頼まれました。しかし大型バスは入らないため中型バスに変更してもらったり、事前の打ち合わせが大変でした。

 一行は道後に前泊して9時にホテルを出発し10時にシーサイド公園で待ち合わせましたが、私が時間にうるさいことを知っている議会事務局長さんは10分前に現場に到着です。普通双海町を行政視察する場合、町内を視察する場所はそんなに多くはありません。今日はシーサイド公園と現役木造校舎県内最古の翠小学校、それにわが家にある煙会所と海の資料館海舟館を計画していましたが、あいにく海舟館が工事中なのでキャンセルさせてもらいました。シーサイドで道の駅の話や合併後のまちづくりについて立ち話のような形で案内した後、翠小学校へ向かいました。いつも思うことですが翠小学校は和田校長先生以下教職員がいつも温かく迎えてくれるのです。偶然出会う子どもたちもごく自然に振る舞い、嬉しい限りです。今日は和田校長先生がパワーポイントで学校のあれこれを説明いただき、予想もしない楽しい教育談義となり、南牧村の議員さんたちも和気あいあいの視察ができたようです。みんなの姿が見えなくなるまで送っていただいた気配りは皆さんの心に深く残ったようです。

若松進一ブログ (和室での研修会)
若松進一ブログ (和田校長先生の説明)

 私たち一行は、シーサイド公園のレストランが休みのため魚吉さんまで行って昼食をしました。この日はフグのコースの美味しい料理に舌づつみを打ちました。

 やがて瀬戸内の中型バスなので恐る恐る山道を登り人間牧場を目指しました。今日は昨日までの荒れた天気も回復し、まずまずの天気に恵まれホッとしました。市道でバスを降り人間牧場まで歩いてもらいましたが、議員さんたちは山の人らしく足腰も丈夫で助かりました。

 海のない長野県南牧村の人たちにとって、人間牧場からの眺望はどのように映ったでしょうか。それから落伍形式の話を1時間余りさせてもらいましたが、いずれの議員さんも終始熱心で、むしろ私が押され気味のような感じで議論を深めました。久しぶりにいい視察研修ができたと喜んでいます。

 今夜のお宿は道後温泉らしく、酒と日本最古の道後温泉が楽しみですね。

若松進一ブログ (定数8人の南牧村村議会議員の皆さん)

  「牛年に 長野はるばる 善光寺 議員さんたち 牧場集う」

  「海のない 村から海の ある町へ 海の景色は 如何でしょうか」

  「ミュージアム 屋上眺め この地球 丸いと実感 感心しきり」

  「日本一 美味い野菜の できる村 毎年届く 自慢の野菜」

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shin-1さんの日記

○限界集落という言葉は嫌というけれど

 早いもので役場をリタイアしてから3年9ヶ月が経ちました。その間自分が勤めていた頃の役場と、退職後の市役所を比較しながらその落差の余りの大きさに戸惑っているのが正直なところです。役所の中から見るのと一般市民として見るのとでは違うのが当たり前なのでしょうが、それでもどこかに当時の幻影を追い求めながら、言わなくてもいいことを言って煙たがられるのですから、余程お節介に生まれてきているのでしょう。

 昨日は夜、富岡という戸数この集落へ限界集落の勉強会に出かけました。普通こうした勉強会は行政が仕掛けるのでしょうが、これも私たちのお節介で、限界集落の勉強会と称してもう6回目となっているのです。最初は机上のデーターを分析し、限界集落とは一体何かから始めましたが、限界集落のことが限界集落で考えようと、最近は進んで限界集落と称する場所へ出かけ、地元の人の話を聞いているのです。

 伊予市4人、双海町5人の計9人で富岡へ出かけました。今回は双海町が当番なので、私が富岡に住んでいる久保進さんに問題提起のお話をしてもらうようお願いしました。久保さんはかつて町議会議員や町農業委員会会長も務められた博学な方で、奥さんの栄子さんもご一緒に、限界集落に住んで感じることを様々な切り口から話してくれました。


 富岡集落は最盛期24戸もありました。しかし木材、木炭、蚕、かんきつ、養豚と基幹産業が変化する中で時代の流れに翻弄されながら、主流になることもなく昭和45年の台風災害を境に、過疎と高齢化、それに少子化なども追い打ちをかけ、8戸にまで人口が減少し今日を迎えているのです。久保さんの話は要約すると車に乗れる今はいいが、5年後、10年後になったとき、果たして飲料水や道路といったライフラインなどの集落機能が維持できるのか、とても不安だと話されました。

 限界集落という言葉は行政用語であまり好きではないと誰もが言います。しかしそれに代わるいい表現の言葉も見つからないままに、限界集落はさらに厳しい条件を背負って斜陽化の道を転げ落ちているのです。富岡集落では驚くような高齢化率で、最早救う手立ては見つからないというのが正しいのかも知れません。多分行政はそのことすら目と口をふさいで見て見ぬふりをしているのです。

 私たち市民にも今のところ妙案はありませんが、それでもどうにかしたいと思って話し合いや勉強会を持っているのです。


 昨日は久しぶりにいい話が聞けました。やはり現場の声は迫力があります。富岡集落では既に圃場整備も終り、海岸から2キロ余りの川の道沿いには桜や扶養、アジサイ、藤、水仙などが地域の人の手で大事に育てられています。今は水仙が圃場整備の終わった田んぼの斜面にそれは美しく咲いていました。春になるとまるで桃源郷のような美しさを見せてくれるのです。昨日集まった人のほとんどはそのことを知らず、始めて富岡集落を訪ねた人が多かったようですが、春になったら是非みんなで訪ねたいと誘いあいました。

 地域通貨の話や下灘地区に5つもあるお寺をめぐる下灘四国でも開いたらと尽きない夢を大いに語り合いましたが、さて誰がするかとなると思わず口をつぐんでしまうのです。さあ、口を出したのであれば今度は手を出す番です。勿論私も及ばずながらそのお手伝いをしたいと、心を温かくして帰ってきました

  「今八戸 五年十年 先なると 不安が募る 限界集落」

  「気がつくと 諦めよりも 夢語る 姿びっくり 嬉しい話」

  「行政は 当てには出来ぬが 少しでも 話くらいは 聞いてお願い」

  「何故俺が 限界集落 語るのか お節介だと 叱られようが」 

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