shin-1さんの日記

○大学での昼休み

 大学の私の一室にパソコンがやっと用意されました。私はパソコンに疎いので、メールの発信と受信、それに文章が打てたらいいと思っています。というのもパソコンは個人情報やウイルスなど私の知らない部分が余りにも多いので、余り深入りすると人に迷惑をかけたり、大変なことになるのでその程度にとどめておきたいのです。

 さて今日は大学への出勤日です。午前中新居浜の角田さんがわが家にを訪れ、2月の講演の打ち合わせをしてから出かけました。打ち合わせの途中にも沢山の電話やメールが入り、いよいよ今年も始まったなあという感じです。大学までは家から約25キロ約50分の道のりです。大学に着くと事務局に顔を出し出勤簿に押印するのですが、この歳になっても何となく昔の管理社会から抜けきれないもどかしさも感じています。でも役場はタイムカードでしたが、大学は押印なので時間管理の裁量余地があって随分助かるのです。

 出勤して直ぐに担当の小田先生の所へ行き、これまでの作業の報告文書を手渡し簡単な打ち合わせをしました。運よく森賀先生に会い産業景観について書いたという雑誌のコピーをいただきました。森賀先生は元新居浜市役所の職員でしたが、私と同じ観光カリスマで、今は客員教授として活動されています。愛媛新聞の四季碌に執筆している記事を何度か読んだことがありますが、鋭いタッチで書いている文章を感心しながら読んでいます。

 やがてお昼になりました。弁当も持たず、昼休みというのがあるのかないのかも分からず昼休みのつもりで、パソコンをいじりました。するとアメーバブログのトップページが現れ、遊び半分のつもりで文字を打ち始めました。この記事は私が愛媛大学農学部の一室でお昼の休憩中に打った初めての文章なのです。おっと午後1時になりました。昼休みも終わりのようですので一応ブログ画面を閉じたいと思います。それではまた夕方・・・・。

 午後は松山市上野にある愛媛県生涯学習センターで県公連の専門委員会があり出かけました。出がけに今治の井出サツミさんからシイタケを差し上げると予約が入っていて、見事なシイタケを沢山いただきました。

 夕方からえひめ地域政策研究センターの清水さんと近々出版予定の「夕日徒然草・水の書」の原稿を持参して打ち合わせを行い、これでやっと年末からの肩の荷が降りましたが、さてどんなものに仕上がるか楽しみです。

 帰りに娘のマンションへ立ち寄り今年始めて孫の顔を見ました。年末年始は大阪の娘婿の実家に帰省していたため出会うこともなく少し寂しい感じがしていましたが、週末にはこの豆台風がわが家にやってくるようです。

 しかし世の中は便利になったものです。大学で昼休みに書き始めた原稿に、家に帰ってこうして書き続けることができるのですから、驚くほかはありません。


  「昼休み 遊ぶつもりで ブログ書く 続きは家で 何と便利に」

  「大学は 全てのことが 霧の中 だからいいのだ 霧の向こうに」

  「ハンコ押し 確認作業 週二回 底冷え部屋で 我慢の仕事」

  「大学の 名刺を作る 準備する いよいよ俺も 評論家?かも」

  

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shin-1さんの日記

○故事ことわざへの挑戦

 昨年末に息子が会社から沢山のカレンダーを貰って帰ってくれました。その中から妻が好みのを選んでどの部屋にもやたらとカレンダーがぶら下げています。余ったものは残念ながら処分するしかなく、新年早々畑の隅のドラム缶を切って作った家庭用焼却場で焼却処分をしたのです。そんな中で少し大きめの日めくりカレンダーを見つけました。毎年使う大きい日めくりはもう既に台所にかけてもう7日分もめくられているのです。

 この日めくりの中には驚くほどの旧暦を中心とした歳時記が書かれていて、畑仕事や仏事・祝い事などに結構重宝なのです。一番下には「故事ことわざ」というのが載っていて、これが結構いいことを書いているのです。ちなみに1日・一年の計は元旦にあり/2日・柔よく剛を制す/3日・早起きは三文の徳/4日・急がば回れ/5日・残り物には福がある/6日・実を見て木を知れ/7日・一寸の虫にも五分の魂などと書かれています。

若松進一ブログ

 さて1月8日は?とめくってみると今日の故事ことわざは「山椒は小粒でもピリリと辛い」でした。よく聞く言葉なのですがさて本当の意味はとなるとかなり奥が深いようです。毎日書いている私のブログも3年余りが経ったので、捨てる運命にあったカレンダーの中からせっかく命拾いをして私の手元にきたので、これ幸いと受け止めて故事ことわざに少しふれてみようと思った次第です。

 山椒は七味トウガラシやワサビとともに日本独特の香辛料です。七味やワサビに比べ普通料理には余り使わないものの緑の葉っぱは澄まし汁や山菜の木の芽あえなどの料理に使われてその存在感を発揮します。一方山椒の実は粉にして七味と同じような小瓶に入れられていますが、土用丑の日に食べるウナギのかば焼きにはなくてなならない香辛料なのです。私は今まで山椒を辛いと思ったことは一度もありません。ゆえに山椒が「ピリリと辛い」という表現は首をかしげたくなるのです。そこへ行くと鷹の爪の種などは歯でかむとピリリと辛いという表現ぴったりなのです。

 まあ山椒を人間に例えた言葉なので、小さくても存在感のあるような人間でありたちという意味は分かるのです。私は仕事がら色々な場所で色々な人に出会います。地域づくりの世界は名刺や肩書きが比較的物を言わない世界なのですが、それでも財力や権力にまかせた人を見るとうんざりするのです。そこへゆくと意外な場所で存在感のある無名ながら意外な人に出会うのです。まさに山椒は小粒でもピリリと辛い存在の人なのです。私もそんな人になりたいと思いますが残念ながらその道は険しくて遠いようです。

 昨年新潟湯沢の駅構内にあるポンシュ館の高村秀夫さんにお会いしました。ほくとう総研の清水研究員さんの仲介で偶然にも出会いましたが、どうやらこの方もピリリと辛い存在のようです。偶然でしょうか、ここまで文章を書いた時私の携帯が鳴りました。何と高村さんからなのです。新潟に八海山という銘酒の蔵元があるのですが、そこへ話に来ないかというお誘いでした。「えーっ、こんなことって本当にあるんだ!」と「驚き桃の木山椒の木」でした。登れない例えとして「山椒の木に登る」という言葉も思い出しました。「山椒大夫」という悲しい物語を思い出しつつ、さて明日はどんな故事ことわざに出会えるやら・・・・・。今から楽しみです。


  「ゴミの中 命拾った 日めくりの 故事ことわざに 挑んでみたい」

  「山椒を ピリリ辛いと 思わない それでも俺も そんな男に」

  「世の中は 不思議なものだ 名前書く すると携帯 嘘?か本当?か」

  「スタンドの 社長に感謝 油入れ 実はしかじか 窓越し話す」

  

  

 

 

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shin-1さんの日記

○これが私の初夢か?

 今朝浅い眠りの中で夢を見ました。布団の中で見る夢はいつもつじつまが合わないもののようです。歴史上の人物と友人が一緒に出てきたり、まるで架空の物語のようでした。夢から覚めて思い出そうとするのですが、これがまた中々思い出せないのです。

 結論からいえば「お前は何をしに生まれてきたのか」という問いかけでした。人間は愚かな動物でできもしない見果てぬ夢を見ながら生きています。何度か挑戦するも夢破れ、夢はだんだん小さいくしぼんでより現実的なものとなって生きて行くのです。

 

 私の子どもの頃にはテレビがありませんでした。ゆえに憧れの人は坂本竜馬だのといった歴史上の人物だったりしました。それは本とてふんだんに買えなかった貧乏な私が、小学校の図書室で片っぱしから伝記物を読んだ影響によるものなのです。日本の歴上の人物から外国の歴史上の人物に移って行く中で、私は背表紙もなくなり薄汚れた一冊の本に出会いました。それが「ジョン・万次郎の生涯」という本でした。私は漁師の長男に生まれやがて漁師として生きる宿命みたいなものを感じていましたが、その本を読むうちに漁師でも太平洋を渡ってアメリカへ行けたら・・・なんて淡い夢を頭の中に描いていました。何度も借りて読む私の姿を目敏く悟った担任の先生は私の誕生日に、「ジョン・万次郎の生涯」という真新しい一冊の新聞紙に包んで私にプレゼントしてくれたのです。

 もし私にこの本を先生がプレゼントしてくれなかったら、私の人生はこれほどドラマチックに生きれなかっただろうと思うと、今は亡き恩師に感謝せずにはおれないのです。ジョン・万次郎に憧れ、30歳で建国200年のアメリカへも青年の船で行くことができ、私の人生観を大きく変えてくれました。

 今朝夢に出てきたジョン・万次郎が「お前は何をしに生まれてきたのか」という問いかけは、今日中に結論が出るものではありませんが、風邪で伏せっていた年末年始ずっと考え続けていたことでもあり、どうやらそのあたりが今年の自分の生き方の大きなテーマになりそうです。

 いくら大きな夢を抱いてもこの年齢になるとやれることはたがだかしれています。しかしそれを言い訳に自分の夢を小さくする必要は全然ないのです。社会に漂う不況感や閉塞感を思うと、現実を生きて行くのがやっとで、夢など持ちようがないように思われます。でも歴史はいつの時代にもこのようにその時々の大きな悩みがまるで大きなうねりのように襲いかかってくるのです。ひるむことはなく新しい夢に向かって考えをチェンジしチャレンジすればチャンスは必ずやってきます。他人任せ流れ任せでいい人生もいい社会もないのです。

 私は今朝の夢を初夢ととらえたいと思いました。

  「何をしに 生まれてきたの?と 夢枕 ジョン・万俺に ささやき消える」

  「ああこれが 初夢なのか 思い出す フイルム途切れ 思い出せずに」

  「年末と 年始にかけて 伏せながら 枯野巡りた 意味が分かりて」

  「よし俺も 今日から夢に チャレンジだ 歳など不問 動くあるのみ」 

  

  

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