shin-1さんの日記

○今日の私が一番若い

 今という一瞬はすぐに過去になって加速度的に自分の元から去って行きます。考えてみれば人間は毎日毎日歳をとる訳ですから、昨日の自分は今日の自分より若いけれども、それは過去のものであって今より若い自分とは出会うことはできないため、「今日の私が一番若い」という考えが成り立つのです。

 先日ある集会で「ひとつだけ望みをかなえてあげると言われたら、あなたは何を望みますか」と質問がありました。私は即座に「若さを下さい」と言いました。そのように人間はいつまでも若くありたいと願うものです。しかし残念かな人間は一分の遅れもなく確実に年齢を重ねていくのです。でも年齢はいくら考えてもどうしようもないものなのですが、心の持ちようで若い気持ちで生きることはできるのです。

 サムエル・ウルマンという人が「青春の詩」という名言を残しています。「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ。優れた想像力、たくましい意志、炎ゆる情熱(中略)、こういう様相を青春というのである」。この言葉を聞けば私も分相応な歳にはなっていても、青春まっただ中ではないかと思ったりするのです。

 私が代表を務めるボランティアグループ「21世紀えひめニューフロンティアグループ」は20数年前の結成時、「一年一事業」「社会への揺さぶり」「今やれる青春」という3つのテーマ掲げて活動を始めました。あれから20数年が経ちましたが、20数歳歳をとったけれども、未だに「今やれる青春」という目標はしっかりと持って活動しているのです。

 つい最近気になって仕方がないのですが、歳は若いのにやっていることやいうことが古臭い、いわば「若年寄」という人が結構目立つようです。何の目標も持たずただ生きているだけの若者からは、サムエル・ウルマンのいう優れた想像力や、たくましい意志力、炎ゆる情熱がまったく感じられないのです。

 一方で歳をとっても生き生きと輝いて生きている人を見ると、「若いなあ」と感心したりします。私の周りにはそんな生き方をしている人が沢山いて、こちらも快い刺激を受けています。

 私もこれまでと同じように「今日の私が一番若い」と思って生きてゆきたいと思っています。そのためには今日一日を大切に生きることと、今日の生き方に少し改善を加えなければなりません。脅威を大切にと思う余りに、あてもなく生きたのでは意味がないと思います。例えば若い頃一日に3人以上の人に会いたいと思って実行したように、少し工夫を加えてみるのです。一日二本のブログ書きや一日三枚のハガキ書きなどのスケジュールを考えるとこれ以上のことは自分を苦しめるだけになりそうですが、毎日楽しく生きたいと思う心をもって、もっともっと充実した「若い」人生を送りたいと思っています。

 昨日私の中学校時代の同級生に会いました。60歳でリタイアした彼は退職後何の当てまなく暮らしているようです。他の同級生から風の噂で聞いていた私の生き方を「羨ましい」とため息を漏らしていました。60歳の定年を迎えたとき、彼の妻は花束を用意して「長い間御苦労さま」と言ってくれたそうです。ところが3ヶ月が過ぎると「邪魔だからどこかへ行って欲しい」といわれ、今は奥さんも友人と旅行の方が楽しいらしく、二人の間に少し溝を感じているようでした。その奥さんが先日彼に「あなたも同級生の若松さんを見習ったら」と言われたそうです。その奥さんと私は何の関係もないのですが(笑い)奥さんには私のことをそんな目で見ているようです。

 人それぞれ、人生は世界に一つだけの花なのです。少しだけ嬉しくなりました。(バカ野郎)。

  「エッ今日が 一番若いって 本当なの? そうです今日が 一番若い」

  「いつの間に 禿や白髪に なったのか 同級生も みんな歳とり」

  「歳なんて 関係ないよ 心だよ 俺を見てくれ 今が青春」

  「あの奥さん 俺をそんな目 見てたのか 泣かせる話 俺は感激」

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shin-1さんの日記

○昨日の敵は今日の友

 私はこれまで生きてきた64年の半生を振り返ってみれば、様々な人に巡り会っていますが、その人たちをあえて敵(マイナス)と味方(プラス)、それに中立(ゼロ)に分類すると、殆どの人が敵でも味方でもない中立に位置づけされるようです。子どものころ、青年期、それに熟年の今はむしろ味方のような人がどんどん増えて、敵と呼ぶような人は皆無に近くなりました。 何故このような変化が起こるのか、それはリタイアして利害関係の仕事から遠ざかったためで、今はマイナスな人だと思えば遠ざかればそれで事が済むのです。

 仕事をしていた頃はたとえそれが反対の人であっても、そこから逃れることができず、中には歩み寄るどころか敵と公言をしてその人と対峙しながら様々な反対行動を起こしました。人間は自分を基準に相手を好きか嫌いか、損か得かで判断します。嫌いな人、損のをする人は確実に自分に対してマイナスグループに追いやってしまうのです。しかしそれはあくまでもその時点での判断であり、今になってその人のことを思い浮かべながら、果たして今もその人は敵か味方か判断したら、まあ殆どのマイナスな人は中立化味方になっていて、もう私の周りには敵と呼ぶような人は皆無に等しくなっていることに気づくのです。

 「昨日の敵は今日の友」という言葉があります。この言葉を聞く度に忘れられない出来事があります。私が役場に勤めていた頃、特に夕日によるまちづくりを推進し始めの頃は「夕日なんて何処にでもあるものでまちづくりができるか」と散々言われました。多分最初は100人中99人が反対でした。勿論妻も町長さんも反対のエリアの中でした。それでも夕焼けコンサートを皮切りに様々な努力が実って少しずつみ方が増えて行きました。でもそのように雪解けになればなるほど雪の中から強烈なパワーを持った敵が現れ、目に見えない威圧となって私を悩ませました。シーサイド公園の建設時じは「赤字になったら、人が来なかったらどうするのか」と迫られ、「赤字になったら黒いボールペンで書きます」といって、決定的な敵対関係を作ってしまったことは余りにも有名ですが、あれから20数年の時が過ぎると、その人はむしろ最も自分を理解してくれる人、つまり大好きな味方になっているのですから不思議な話です。勿論妻も町長さんも一番の味方になって、荒波や向かい風から守ってくれた大恩人になっているのです。


 私はそんな経緯もあった半生を越えて今を生きていますが、64歳になった今では沢山の味方に囲まれて幸せな暮らしを営んでいるのです。しかしこれからはそのことに甘んじてばかりでは生きている意味がなく、むしろ味方になっている人々に何かの役に立つようなお返しをしなければならないのです。

 人間牧場を使った様々な活動もその一つで、今では多くの人たちとともに楽しい活動をしています。先日毛虫と呼ぶにふさわしい私と敵対関係にあった人が人間牧場にやってきました。私が畑作業をしていると突然奥さんと二人で何の前触れもなく来たものですから一瞬驚きましたが、彼は私の分まで持参した弁当を広げ、赤々と燃えるストーブの前で言い訳ともとれる様々な話をしてくれました。そしてこれからは仲良くしようと握手をして別れました。蟠りなどなかったといえば嘘になりますが、私にとっても長年の霧が晴れた感じでいい出会いとなりました。

 世の中には肌の合わない嫌いなタイプは必ずいるものです。しかし自分というファインダーを通して見るからそのように感じられるだけなのですから、私の持論である「嫌いな人は好きになる」ことを心がければ「昨日の敵は今日の友」になるかも知れません。


  「敵だった 人も今では 大味方 仲良くなりで 穏やかな日々」

  「大変な 仕事が故に 敵多く 悩まされたな あの人の顔」

  「蟠り 溶けて味方の 握手する 自分の未熟 恥つつ手出す」

  「敵などと 思う人なき 歳になり 丸くなったと 自分を感ず」

 

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