shin-1さんの日記

○歌は世につれ世は歌につれ

 私たちの世代は一体どんな時代だったのかと振り返ってみる手段は、やはり流行った歌を思い出すのが一番かも知れません。しかし私のような純日本的な人間には、ビートルズもベンチャーズも、またジャズやロックも縁遠く、フォークソングのようなものくらいしかレパートリーがないのです。

 それでも人は人自分は自分ですから、自分の生きざまの中に流行った歌をダブらせながら思い出してみるのです。私が知っている歌は懐メロです。藤山一郎や東海林太郎、春日八郎、三橋美智也、村田英雄、三波春夫、フランク永井、舟木一夫、小林旭、石原裕次郎、橋幸夫、北島三郎、南こうせつなどの男性歌手が浮かんできます。一方女性歌手では美空ひばり、都はるみ、青江三奈、坂本冬美、森昌子、桜田純子、水前寺清子、イルカ、川中美幸などが浮かびます。いずれも懐かしい人でもう記憶の中から消えている人が殆どで歌手さえも思い出せないのです。

 私は双海町という役場で村おこしやまちづくり、それに広報や観光を担当したていたこともあって、仕事がら有名な人に沢山出会ってきました。特に思い出に残る出会いはフーテンの寅さんこと渥美清さんと川中美幸さんです。フーテンの寅さんは私が町の広報を担当していた時、日本で一番海に近い下灘駅でご存じ寅さんシリーズ「寅次郎と殿様」のロケがありました。私は山田洋次監督の許しを得て寅さんに歩いている姿やロケ風景を写真に収めました。その時寅さんと交わした言葉は「やあ」だけでしたが、私の心の中には寅さんの歩いたりロケをしている姿が今もセピア色の写真のように残っているのです。

 星野哲郎さんが作詞し、山本直純さんが作曲したご存じ「男はつらいよ」は記憶に残る歌です。

 〈セリフ〉私生まれも育ちも葛飾柴又です

      帝釈天で産湯を使い姓は車名は寅次郎と発します

  ♭俺がいたんじゃ お嫁にゆけぬ

   わかっちゃいるんだ 妹よ

   いつかおまえの喜ぶような

   偉い兄貴になりたくて

   奮闘努力の甲斐もなく

   今日は涙の

   今日は涙の日が落ちる

   日が落ちる

 もう一人忘れてならない歌手は川中美幸さんです。川中美幸さんとは南海放送のスタジオでお目にかかりました。ご存じ雲海酒造提供の「川中美幸人・歌・心」というラジオ番組に私はゲストとして出演しました。「あんた本当に公務員?」と流暢な私の話しぶりにすっかり魅了された川中美幸さんは放送収録が終わって私に聞き返しました。「はい公務員ではなく夢を好む好夢員です」といったら大爆笑となりました。素敵な川中美幸さんの笑顔が印象的で、今も忘れられない思い出です。あの時私がリクエストしたんは並木路子さんの「リンゴの唄」でした。以来単純細胞の私は川中美幸の隠れファンなって二輪草という歌を口ずさんでいるのです。

  あなた おまえ

  呼んで呼ばれて 寄り添って

  やさしく私を いたわって

  好きで一緒に なった仲

  喧嘩したって

  背中合わせの ぬくもりが

  かようふたりは ふたりは二輪草


  「寅さんと 美幸の歌は 忘れない 下手だが今日も ハーモニカ吹く」

  「流行歌 それしか知らぬ 浅い俺 でも何となく 自分重ねて」

  「世に連れて 歌は社会を 写し出す 鏡のように どこか寂しく」

  「ああ俺も 古くなったな 浜崎や 宇多田の歌が 歌えないです」

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shin-1さんの日記

○農林年金受給者連盟の研修会に招かれて

 農協に勤める旧友から頼まれて、農林年金受給者連盟の研修会に3日連続で招かれました。愛媛県内といっても、東予、中予、南予と3つのブロックは土地柄も考えも違うため、西条市、松山市、西予市の会場を渡り歩きながら、色々な話をさせてもらいました。先日もこのことについては「終わりの時間を守る」というタイトルで書きましたが、やはり3日間とも同じような時間配分に戸惑ってしまいました。

 私への講演依頼文書には解除こそ違え3日間とも14時15分から15時15分という1時間の講演時間が記されていました。私は必ず30分前には会場入りするように気配りをしているため、遠方の会場でもあるため少し早目に出かけ40分以上も前に会場入りしました。私の出番時間が来ても、主催者は私の存在を無視して喋り続けるのです。私の気持ちが少しイライラしました。自分の講演がこの研修会の最後ですから、私の話が長引くと結局研修会の終わりの時間が延びて、その責任は全て私が負わなければならないのです。

若松進一ブログ(東予会場のJA西条)
若松進一ブログ(中予会場の松山市コミュニティセンター)
若松進一ブログ(南予会場の西予市文化会館)

 もし私が参加者だったら多分、案内状に書かれた終わりの時間が延びたら、この寒空にと必ずブーイングを起こすでしょう。最初の日は講演時間を何処まで話していいのか主催者からは何の指示もなく、私は少し不機嫌ぶって「決められた時間には終わりますので」と前置きして話をはじめ、会議が伸びたのは私の責任ではないとアピールし、尾張の時間を守って短めの講演を終えて、参加者から「もっと聞きたかった」「時間通りに終わって嬉しい」などの嬉しい感想が寄せられました。

 ところが私の損な抗議行動に気づいたのか主催者は二日目に、「時間が長引いても1時間は話して下さい」といわれましたが、二日目も三日目も相変わらず変化のない会議の運営にうんざりし、抵抗する形で早めに終わらせました。三日間の連続講演会を終わってホッとはしましたが、何となく後味の悪い研修会となってしまいました。しかし、主催者たるものもう少しはそこら辺の工夫が欲しかったし、会場の雰囲気を読み取る知恵が欲しかったと、思うのです。帰ってから私に感想のメールが届きました。嬉しいことに私の話への反応です。「参加して終わりの時間を守ろうと努力した若松さんに大きな拍手を送ります」でした。

 私はもう現職ではなく、年金に依存して生きなければならないリタイア組です。ゆえにリタイア組の置かれている立場はよく分かるつもりです。増えない年金、増える不安、そんなことを考えると日々の暮らしがとても暗くなるのです。そんな人たちが何故こんな寒空研修会に集まるのか、それは安心と安全を手に入れるためなのです。国家や年金を出す側の台所事情など聞きに来ているのでうはなく、どうしたら簡単に年金が効率よく受けれるかなのです。残念ながら説明はそこら辺の迫力に欠けていました。

 私の話は簡単です。いくら悩んでも年金は増えないのだから、貰う年金でいかに楽しい人生を送るようにするかだけなのです。「私を見てください。こんなに元気に夢を持って田舎で楽しく生きています」と胸を張って自分の人生を見せびらかしてあげました。そうです。もっと楽しく生きようではありませんか。私の夢のような話がお気に召さなかったら、どうか文句を言いに来て下さい。待ってま~す。


  「俺のせい? みたいに見える 伸び時間 誰の責任? 俺ではないぞ」

  「芸がない 同じ失敗 繰り返し ご苦労さんで あっさり幕を」

  「私なら こうするだろう 抵抗し それも気づかぬ 不思議な会議」

  「よくやった メールで褒めて くれました 気持ちは同じ 参加者意識」 

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