shin-1さんの日記

○成人式に招かれて

 今日は全国的に成人式の多い一日だったようです。昔は成人式は1月15日と決まっていたため殆どの市町村で成人式が行われていましたが、今は振替休日などという訳のわからぬ成人の日ができて、本当は明日が成人の日らしいのです。それでも日曜日の方が参加する側もいいという理由で今日式典を行う市町村もかなり多いと報道されていました。

 年末に久万高原町から電話が入り同町の成人式の記念講演を頼まれました。昔は成人式に記念講演はつきものでしたが、成人式がこころない若者に乗っ取られて、酒は飲むわ、爆竹は鳴らすわのばか騒ぎ会場となったため、主催者側が参加者側の意見を聴いて来賓の祝辞や講演を廃止したため、随分簡素な成人式となったようです。

 私は自分の車で三坂峠を越えて参加しようと思いましたが、前夜からの寒気の影響であちこちに雪が残り凍結の恐れがあるということで、砥部町役場まで行き、迎えに来てもらった教育委員会職員さんの車で会場に到着しました。女性の振り袖姿に加え男性も羽織・袴で参加している人も沢山いて会場は丸でファッションショーのような華やいだ雰囲気でした。若者に聞けば男性の羽織・袴も貸衣装屋で借りると何と10万円もするのだそうで驚いてしまいました。

 久万高原町の成人式対象者は約100名のようでしたが、殆どの方が参加し、来賓の方々も一緒になって私の記念講演を1時間あまり熱心に聴いていただきました。

 今日の話は駆け足で新成人たちが生きてきた平成の時代を振り返りました。平成元年/昭和天皇崩御平成スタート、平成2年/南宇和高校サッカー日本一、平成3年/湾岸戦争ぼっ発、平成4年/自衛隊初のPKO派遣、平成5年/さっかーJリーグ開幕・皇太子ご成婚、平成6年/関西国際空港開港、平成7年/阪神淡路大震災死者5500人、平成8年/若田さんエンデバーで宇宙へ、平成9年/河野兵市市北極踏破、平成10年/長野冬季オリンピック、平成11年/しまなみ海道開通、平成12年/四国縦貫自動車道Xハイウェー開通、平成13年/宇和島水産高校実習船えひめ丸沈没・小泉政権発足、平成14年/完全学校週五日制、平成15年/イラクフセイン大統領拘束、平成16年/新潟中越地震、平成17年/JR福知山線脱線事故、平成18年/北朝鮮核実験・松坂岩村米大リーグへ、平成19年/阿部首相突然退任などが主なニュースですが、平成の大合併による久万高原町の誕生が

何よりも大きな出来事でした。

 要約すると私の話は3つです。ひとつは人間の4つの願望、二つ目は4つの願望を勝ち得るには青年時代に5つの鍵「仲間・ふるさと・主張・感動する心・生き方の計画」を手に入れることだと話しました。そして3つ目は自分の潜在能力を大きくすることと大きくなった潜在能力を顕在化することだと締めくくりました。

 私たち人間はおおよそ21年刻みの日時計を持っています。最初の21年間は育ててもらう青少年期です。2つ目の21年間は成人期で一生懸命量の仕事をこなします。男の厄年42歳はもうこれで折り返しなのです。3つ目の21年間は実年期で仕事の仕上げをしなければなりません。そして私が入口に入った最後の21年間は高齢期、まさに人生の仕上げを楽しく愉快に過ごさなければならないのです。

 20歳という人生の通過点を何の迷いもなく通過する人もいますが、私がそうであったように20歳を次の成人期だと思って生きるとこれまた楽しくも充実した人生が過ごせるのです。

 久万高原町の新成人の皆さんの人生がいい人生でありますように心から祈っています。


  「嬉しいね 私の話を じっと聞き メモ取る人まで いるのですから」

  「平成の 生まれの人が 成人に 歳をとるはず 昭和はむ・か・し」

  「紋付に 袴を揃え 殿様の ような顔して 式に出席」

  「雪が舞う 久万高原の 成人式 真剣な顔 嬉しいですね」

  

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shin-1さんの日記

○仏の顔も三度

 私の知人に賭けごとが原因で離婚しかけた夫婦がいます。原因がはっきりしているので原因を取り除けば復縁は可能とばかり、奥さんが実家へ帰る度にかつて仲人をした人や友人が奥さんを迎えに行ったようですが、4回目ともなるとさすがに敷居が高いのか、私に奥さんの実家へ行ってくれと本人から申し出がありました。私も忙しい身なので時間的余裕もないのに時間を作って本人からこれまでのいきさつを聞き出し、もう二度と賭けごとはしないという約束を取り付けて、県外の奥さんの実家まで行きました。聞けばご両親と奥さんはもう見切りをつけているらしく、私の話で復縁するなどというレベルではありませんでした。

 奥さんのお父さんが私の顔を立てて面談してくれましたが、聞けば「毎回同じような詫び方で、絶対しないと言いながら賭けごとは今になっても止まっていない」といい、「痩せは治っても癖は直らない」ときっぱり断られました。しかし「二人の孫の将来を考えると、不憫でなりません。遠いところを娘のために来ていただいたあなたの顔を立てて、もう一度騙されたと思い娘を元の鞘に納めますのでよろしくお願いします。ただし仏の顔も三度です。これが最後の仏の顔だと思ってください」と、逆に頭を下げられてしまいました。

 本にはその言葉が余程堪えたのか、その後好きだったパチンコや競輪をスッパリ止めて仕事に励んでいるのです。年末のある日わが家へその親父さんがやってきました。聞けば娘の所へ来たそうで、その後娘が幸せな暮らしができているのはあなたのおかげです」と持ち上げられ、お歳暮にとお酒までいただき恐縮した次第です。

 私はその日のうちに本人の家庭へおすそ分けとして野菜や魚を持って行ってやりました。子どもはもう大きくなって高校生と大学生になっているようで、奥さんも私が奥さんの実家に迎えに行って貰ったことをバツが悪そうに話しました。多分忘れているだろうと思いつつ、ご主人に「仏の顔も三度」という言葉を覚えているか」といったら、「若松さん若気の至りで面目もありません。あの時妻の親父に据えられた「仏の顔も三度」というお灸は今も私の頭から離れません」と照れながらいいました。傍で聞いていた高校生の娘さんが「お母さん、「仏の顔も三度って何のこと?」と聞き返しました。奥さんは「もう少し大きくなったら話してあげるからね」と顔を赤らめていました。

 人生いろいろです。確かに今考えると愚かなことでも若いころには過ちを犯すものです。多分私も忘れたような顔をしていますが、妻が時々思い出したように話す失態の数々を「もう昔のこと、過ぎたこと」とお茶を濁しています。問題はそうした出来事を二度と起こさない不退転の決意が大事だと思うのです。

 妻の顔も今は仏様のような顔をしています(お世辞)が、若い頃は何度も衝突し「鬼嫁」と思ったことが何度かありました。多分妻も私を「許せない」ような思いをしたこともあったんだろうと思います。私の誓いは「女は妻一人。賭けごとはしない。選挙には出ない」です。(笑い)仏の顔が鬼にならないよう、せいぜい努力したいものです。女は優しいが怖い。これが妻と40年連れ添ってみての本音です。(笑い)


  「昔鬼 今は仏の 連れ添いに あんなこんなが あったと今頃」

  「幸せに 見える家庭も 波風の 一つや二つ あるからいいの」

  「賭けごとと 私とどっち 迫る人 今は寄り切り 奥さんの勝ち」

  「おっかねえ 仏の顔も 三度とは 四度目鬼に 変身怖い」

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