shin-1さんの日記

○鉄は熱いうちに打て

 子どものころ町の真ん中に宮内という加治屋さんがありました。仕事場には大きな炉があって、炭が赤々と燃えていました。そこの大将は周蔵さんという人で、真冬でも半袖で炉の前に立って鉄を打っていました。ベルトで回る鉄打ち機の下に火の中から取り出した真っ赤な鉄を置くと、容赦なく鉄打ち機のハンマーが打ち続けるのです。火花が飛び散りながらも鉄はまるで飴のように伸ばされ、やがて形状が整うと水の中に「ジューン」と音を立てて入れられ、焼きハガネが完成するのです。私はその姿が好きで、時々学校の帰りにその光景を見に行ったものです。ある日のことすっかり顔なじみとなった周蔵さんが「坊もやってみるか」といわれ、重い重いハンマーで真っ赤な鉄を打たせてもらいました。数日後周蔵さんから「学校から帰りに立ち寄るよう」連絡があり、行ってみると私の打った鉄が小刀になっていて、周蔵さんはその小刀を私にプレゼントしてくれたのです。家に帰ってその小刀を見せると親父は黙って木を削り木製の柄をつけてくれたのです。私はその小刀を小学生の間自分の宝ものとして持ち歩き、遊び道具をたくさん作りました。そしてその小刀の柄に「下灘住人宮内周蔵作」と鉛筆で書き、彫刻刀でそれをなぞって、まるで刀の柄に堀り込んである銘のような気分になっていました。その小刀の行方もいつの間にか分からなくなりましたが、今でも赤々と燃える炉の前に立って鉄を打つ周蔵さんの姿が目に焼き付いているのです。

 その時周蔵さんは私に「鉄は熱いうちに打て」という話をしてくれました。鉄は冷めていると硬くていくら打っても形にはならないので、炭で熱して柔らかくして細工をするのだと仕事の手を休めぬまま得意になって私に話してくれました。その時は「鉄は熱いうちに打て」という言葉が人間にも通用する言葉だとは思いませんでした。しかし何年かしてオトナの話す言葉の中に同じような言葉を聞いた時、その意味が何となく分かったような気がしたのです。私が水産高校へ行く時も、青年の船でアメリカへ行く時も、はたまた海外派遣で青年たちを海外へ送り出す時も、同じようなことを言われ、自分自身の過去を振り返ってみた時も、やはり熱い志を持った若い時ゆえに多くの感化を受けたと思うのです。

 昔の人は様々な言葉を体に染みついた仕事の中から話してくれました。無名に等しい加治屋の周蔵さんがとてつもない教えを幼い私にさりげなく話してくれたのですから、これはもう凄いとしかいいようがありません。


 私は鉄を例にとると、たとえ火の中へ放り込んでも熱くならない歳になりました。自分の考えがしっかりしているといえばそうかも知れませんが、自分の考えがたとえ間違っていてもそれを変えることをかたくなに拒むのです。

「ああ歳だなあ」と思いつつ、これまた歳のせいか熱かった若いころを懐かしむのです。

 私たちはもう熱くはならないのであれば、周蔵さんのように、熱いと思われる若い人を探し出し、熱したりハンマーで打ったりしながら鍛える方に回らなければいけないのです。はてさて今の自分はそんなことをしているかどうか考えた時、少しばかり疑問符?がつくのです。人間の世界は太古の昔から40年(昔の人の寿命)から100年(今の人の寿命)の周期で世代交代が繰り返されています。前人は後人を育てつつ歴史を刻んでいるのですから、少なくとも私にできる「鉄は熱いうちに打て」という言葉をかみしめて、これからも生きて行きたいと思っています。


  「千年の 釘を打ちたる 人の汗 何を語るか 鉄に向かいて」

  「幼な頃 鉄を打つかと 誘われて 重きハンマー 今も忘れず」

  「先人は 日々の仕事の その中で 生きる教えを ちゃんと伝えて」

  「嗚呼俺は 熱きうち打つ 人なのに 打ちもしないで ただただ生きる」

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shin-1さんの日記

○地域づくり人養成講座で高座に上がり落伍をしました

 昨日はコムズという松山市の社会福祉施設で地域づくり人養成講座があり、発表会のコメンテーターとその後の講演を行いました。えひめ地域政策研究センターでは県の委託事業として、地域づくり人養成講座を毎年開講していますが、昨日は今年度最後の発表会がありました。受講生30人はそれぞれテーマを掲げてレーポートを提出していて、そのレポートに基づいて1人10分ずつの発表をリレー方式でするのです。一人一人の発表に導師となった前田講師がコメントを話し、総括的に私が講評を行いました。

 このような催しは毎年行っているのですが、今年の発表も力作ぞろいで熱のこもった発表会となりました。人の前でたとえ10分といえども発表するのですから大変な緊張で、かつて私が若いころに味わったような初々しい姿が印象的でした。中には講演などで話慣れてる受講生もいて層の厚い感じがしました。私もコメンテーターとして発表者一人一人の発表を聞いての感想を、参加者に配慮し務めて平等に話をしました。

若松進一ブログ (講座の発表会)
若松進一ブログ (トップバッターの大内さん)

 発表と閉講式も無事終わり、いよいよ私の出番です。前もって私のプロモーションビデオが上映され、出囃子の軽快な音楽に乗って私が登場しました。会場は既に作り変えられていて、半円状の観客席の向こうに私の席が用意され、私を紹介する「夕日亭大根心」のめくりもちゃんと掲げられていました。

 この日の演目は「ハガキを書いたら幸せになれる」という話です。カバンの中から半田さんの本とはがき数枚を取り出しての熱演です。話の折々には笑いも出て盛りあがりました。

若松進一ブログ (半円状に作られた客席)
若松進一ブログ (熱演する私)

 少し長めの話が終わり、落伍ライブです。この日のために私の「昇る夕日でまちづくり」「今やれる青春」という私の自著本を2冊あらかじめ読んでいる受講生から、一人2問の質問が前もって寄せられていて、その質問を高座の担当者である清水研究員が代表して私にぶつけるのです。私は前もってその資料を見てはいますが、即興なのでその資料を見る時間などはないのです。質問は時には鋭く、時には楽しく様々でしたが、できるだけ短く、できるだけ楽しくお返しをしました。

若松進一ブログ (清水研究員の質問に一問一答です)

 最後はこれまで地域づくり人養成講座に参加した先輩から意見があり、大河内結子さんが朝フルの活動を紹介してくれました。大河内さんとはこの講座で知り合いましたが、最近ではメル友や年輪塾塾生として深い付き合いをしているのです。大河内さんは私と同い年だそうで、私も若いつもりでいますが、やはり女性の特権でしょうか大河内さんの若さには叶わないようです。

若松進一ブログ (朝フルの活動を紹介してくれた大河内さん)

 落伍ライブは無事終わりました。今年は私の本を前もって読んで参加するという手法を取ったため、読書+講演でいつになく腹入りのするものとなりました。普通だと講演で終わりでしょうが、手間暇かけた学習会はやはり一味違っていました。読むこと、書くこと、聞くこと、話すこと、見ることを全て体験した受講生に残されているのは実践することです。県内各地で行われるであろうこれからの活動に期待したいものです。


 追伸

 オフライン交流会には酒も飲めない私もウーロン茶で参加しました。いつも下支えをしてくれている土井田女史と芝女史に慰労の意味を込めてビールを沢山ついであげました。何のことはありません。二人に囲まれて幸せそうなスリーショットの写真が撮りたかっただけなのです。下心は鼻の下を長くして崩れた私の顔に表れているようです。若い女性に囲まれ幸せ幸せな一夜でした。

若松進一ブログ (左は土井田女史、右は芝女史です)

  「発表を 聞きつ昔を 振り返る 今時の人 しっかりしてる」

  「自著本を 読んで参加の 妙案が ズバリ当たりて 凄い深まり」

  「読む聞くや 見たり書いたり 喋ったり 後は実践 するのみですよ」

  「飲むほどに ウーロン茶でも 酔ったふり 若い女性と ばっちり写真」

  

 

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