shin-1さんの日記

○夕日徒然草・水の書原稿仕上がる

  夕日徒然草地の書を出版したのは今から一年前の11月でした。地の書はこれまで書きたかったことがいっぱいあってリストアップされたテーマの中から選ぶのに一苦労したことを覚えています。ところが次号水の書出版の目標としていた11月になっても、忙しくて全く手をつけることもできずにいました。でもマニュフェストを公言する私としては公約違反のそしりを免れないように12月に入って書き始めたのです。私は序走は遅いものの書き始めたら案外早いので、この分なら30話の完成も印刷も年内にできるだろうと鷹を喰っていました。ところが風邪をひくという思わぬ障害に合い、結局完成したのは年も明けた昨日になってしまったのです。

 水の書だから水にちなんだ話をと最初は意気込んでいましたが、落伍のネタ話も載せなければならないし、地の書を元にやった落伍ライブの席上で参加者の皆さんからいただいたそれぞれのテーマも書き加え結局は雑学になってしまいました。

 主な内容は、PTAとかけて何と解く/IQ人間とEQ人間/屋台と西洋料理/次男からは産めない/水戸黄門のテーマソング/大仏と鯨の喧嘩/知らないのに知ったふり/うどんの花が見てみたい/天国へ行ったみたい/お金の井戸と知恵の井戸/時間の長さは皆同じ/小さなやかんは直ぐたぎる/根も葉もない話/孫の存在/芋の思い出/サバはいらんかな~/金の卵/自慢話と噂話/人の前で話をするコツ/結婚披露宴の司会/アイディアの泉/病院から焼き場へ直行便/もう点くぞ/ああ定年/塾/だんだん大きくなる話/リンキャベ/産めよ増やせよ/平凡な非凡/東大の卒業証書で牛は動かぬ、などなどです。

 これからこの書き上がった原稿はCDに入れて年輪塾清水塾頭に近日中に送られ、校正を経て若者たちで作っている会社に運ばれ、製本作業となるのです。

 一冊60ページほどの小さな本ながら五年間で5冊の本を出し、出来上がれば150話を落伍で話すという話芸と高座本をセットにした初めての試みは、初期投資の資金回収を自転車操業で回すというこれまた経済の回遊も目論んでいます。とりあえず地の書は珍しさも手伝ってそれなりの成果を収めることができました。さあこれからが正念場です。これから一年水の書をひっさげて落伍ライブの話芸にも磨きをかけたいものです。さて次号はいよいよ核心部分に触れる火の書へのチャレンジです。大まかな目標を来年1月と定めて頑張らないで頑張ります。移動落伍もやりますので是非ご用命ください。


  「体調が いまいち優れぬ この身にて 書いた文章 いまいち優れず」

  「商品は 売れてなんぼの 世界にて 商魂生かし 儲け話に」

  「書き終わる 早くも次の 夢語る だから楽しく 生きていられる」

  「退職を 間近に控え ハガキ来る 晴耕雨読 誰もが書くが?」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○妻に叱られて

 昨晩、妻とちょっとした言い争いをしました。「夫婦喧嘩など犬も食わぬわ。どうぞ勝手にやって」といわれそうです。でも猿でもできる反省をちょっぴりしました。

 昨日は風邪気味のため一日家にいるよう妻に勧められましたが、農学部への出勤日でもあるし、官公庁の仕事始めでもあるので、「大学へ出勤簿を押しに行くだけ」と言って午前9時に家を出ました。妻も昨日から初仕事で、しかも夜まで続くことをいいことに、大学で仕事を続けたのです。大学の与えられている研究室はエアコンを28度に設定しているものの、温かい温度は頭の上を空回りして中々床あたりには降りて来ないのです。それでも昼食を食べることも忘れて、持ち込んだパソコンで4時ころまで仕事をしました。途中辞令交付や担当の小田先生の研究室にお邪魔したりして、結構充実した半日を過ごしたのです。

 帰り際車の中で携帯電話が鳴りました。発信を見ると妻からです。「お父さん今どこにいるの?」、「うん、今は帰る途中」で電話を切ったのです。家に帰っても妻は仕事からまだ帰っていませんでした。書斎のストーブを付けて持ち帰ったパソコンをつなぎかえ、メールの処理に追われていると妻が帰宅しました。

 妻は忙しい仕事の合間を縫って、長浜まで走り無くなった私の風邪薬を貰いにいってくれたようです。年末からこの方一向に直らない私の風邪を心配しての行動だったのでしょう。「あなたは入院して両手両足を動かないようにしないと動きまわる。お医者さんが言うように風邪は薬を飲んで寝ることが一番だから、もう少し寝てください。お父さんは自分では分らないかも知らないけど疲れが出ている。」「暇さえあれば書斎でパソコンに向かっているのも体に悪いから時間制限してください」「死んでもいいの」とまるで脅迫するように目に涙をためて迫ってくるのです。私は「金・飯・うるさい」くらいしか妻とは会話をしませんが、これほど真剣に叱られたのは初めてで、「私がこれほどあなたの体のことを心配しているのあなたは・・・」の殺し文句に、「分かった分かった」で幕引きしました。

 結局そんなことがあったものですから昨晩は早目に風呂に入り、妻の用意した風邪薬を飲んで早目に床につきましたが、生活のリズムなどそんなに変えられるはずがなく、今朝は早く目がさめ、布団から抜け出すと叱られるので布団の中で眠れぬ朝を迎えたという訳です。

 今朝妻は「くれぐれも外には出ず寝ているように」と言い残して仕事に出かけました。妻のいないことをいいことに、書斎でパソコンを打っているのです。世界中で一番私のことを気遣ってくれるのは妻です。昭和46年に結婚以来約40年近くも一緒の屋根の下で暮らしているのですから、お互いの長所や欠点も分かっていて、手の出しよう引きよう、心の動きなどまさに手に取るように分かるのです。勿論妻もそれは一緒で、だましたつもりが裏をかかれて大恥をかいたことも何度かありました。でも夫婦とはこんなものなんだと思いつつ、涙を流して叱られた嬉しさをかみしめながら、私の健康は妻の心の健康の第一歩であることも肝に銘じたのです。

 「今日は気分も随分良いのでそうだあれをしようか」と思ったのですが、妻の昨晩の顔が浮かんで「今日はじっとしていよう」と思っているのです。


  「目に涙 死んでもいいのと 叱られた 反省しきり 今日だけじっと」

  「嬉しいね こんなに俺の こと想い 隣町まで 薬を取りに」

  「結ばれて 早くも四十 年が来る まるでスルメだ 味ある夫婦」

  「嘘ばかり ついても嘘は ばれている レントゲンでも 写らぬものを」

[ この記事をシェアする ]