shin-1さんの日記

○人生の岐路

 このところ毎日忙しく全国を飛び回って講演活動などをしていると、自分自身を振り返ることができなくなっている自分にハッとしたりするのです。今後の自分はどう生きればいいのか、そろそろこうした忙しさの中だからこそ自分を見失うことなく、身の振り方も考えなければならない時期にきていると思うのです。

 先日旅先へ一本の電話がかかってきました。大学の学部長さんという偉い肩書の人からです。その方とはそんなに仕事を一緒にした記憶はないのに、もう長い付き合いなのです。記憶をたどってみると最初の出会いは、先生の息子さんを無人島キャンプに連れていった折、先生が開会式の会場まで息子さんを連れて来られていました。その方が大学の先生などとは努々思っていなかったものですから、私は例によって子どもにも親にもそれなりの話をしていたようです。その後何年かしてある会合で再開し、またフェリーの中で偶然にも再会しと繰り返していくうちに、先生のやっているお仕事のことを深く知るようになりました。

 

 その後先生は学部長という偉い肩書になり、私は役所を退職して一介の市民になったのです。その後別の学部で大学の非常勤講師をしている私に、先生から新しい構想を聞かされました。今の地方大学は人材育成とはいいながら都会予備軍を作って需要のある都会へ送り込むだけで、有能な人材が地方に残らない現状を何とかしたいと思っていたようです。私もその持論には大賛成で、手伝うことがあったらよろしくという程度で分かれていたのです。

 先生からの電話はそのことへの確認の電話でした。私は大学の仕組みのことが分からず時々迷ってしまいますが、先生の話に乗るには今の非常勤講師の仕事との関係が気になっていました。昨晩大学からメールが入り学部長さんからの電話連絡どおり客員教授への就任依頼でした。外出先から帰った頃を見計らって大学の事務局からメールの趣と必要書類の提出を要請されたのです。

 急いでメールを開くと添付書類は履歴書と研究業務等目録でした。履歴書には学歴欄が書かれていて、ここからつまずきが始まりました。日ごろ何処を出ているかより何をしてきたのかが問われると話している私ですから、高卒をいささかも卑下するつもりはありません。多分この履歴書を見て学内の審査委員会では必ずここが問題にされるに違いないと思うのです。妻も同感で学歴を書かなければならないのだったら最初から断った方がいいとも助言をしてくれました。まあそれは相手が考えることだからと割り切って、色々悩んだ挙句大学の言うがまま資料を出すことに決めました。

 しかしもうひとつ研究業績等目録でまたつまづきそうです。研究業績等そんなにないと思いましたが、これまでかかわったことであれば五万とあるのでそれを書いて欲しいと言われ少し安堵しているところです。

 まるであぶくのように降って湧いたこの話、さて私の人生の岐路になるかどうか、性根を据えて考えてみたいと思っています。


  「何とまあ 私にしては 重過ぎる 仕事舞い込み 戸惑うばかり」

  「学歴は? そこから先に 進めない 研究業績 そこから先も」

  「多分ダメ やめた方が いいのでは 妻の助言に 逆らいながら」

  「前向きに 考え行動 今までも これから先も 変わらず生きる」

  

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shin-1さんの日記

○不思議な形の壷

 先日骨董を営む友人の家を訪ねました。四国遍路88か所の一つに数えられるお寺の門前にあるその店は、おおよそ骨董屋と呼ばれるような店構えをしていなくて、まさに古道具置き場といったほうがぴったりなのです。店主夫婦と出会ったのはもう20数年も前で、その頃は木の木製おもちゃを作ってはどこかのイベントに出展していましたが、下灘のみなと祭りに参加させてほしいと要請があり、「夏祭りのことであり売れるかどうか分かりませんが」と断って参加してもらいました。結果的にはまあまあ売れて、まあまあの収益をあげていたようでしたが、その後お互いがすっかりご無沙汰となったのです。

 ところがある中学校のPTA講演会に招かれて行ったところ、参加者の中にその奥さんを発見しました。奥さんは私が来ることを知っていたらしく、何が何でもとさんかをしてくれたようで、講演の終了後校長室で懐かしい再会となったのです。奥さんの話に乗ってすぐ近くだから立ち寄って主人にも会って欲しいと懇願され、帰る途中にその店に立ち寄りました。家は学校のすぐ傍だし、札所の門前にあるためよく通る道筋なのですぐに分かりましたが、個性的な家を作られ、外も家の中も骨董コレクションがまあまあの数置かれていました。骨董には目のない私ですから、そこら辺の中から安そうなものをみつくろって2~3点あいさつ代わりに買い求めてその場を去りました。

 それ以来、近くの生涯学習センターや青年の家に講演に行く度に立ち寄るのですが、彼ら夫婦は出張販売が多いのか、3回に一度くらいしか在宅がなく立ち寄ることもできず帰ったのです。そんなことを繰り返しているうち、この骨董屋は古道具置き場のようになって、座ってゆっくり目利きするような雰囲気ではなくなってしまったのです。骨董屋には売れそうなものだけを整然と並べて商売する店もあれば、古道具屋のように雑然と埃をかぶっている店もあります。田舎の骨董屋は後者が多いのですが、私はどちらかというと校舎の店が好きなのです。好きというよりは掘り出し物が多いし、値段的に手入れをしていないので安く買えるのです。

 先日もその骨董屋を訪ねましたがあいにく留守でした。家の玄関に連絡先の携帯電話番号が書かれていたので電話をしてみると、外出先から帰る途中なので待っていて欲しいと言われ、私は20分間ほど近くの札所にお参りに行きました。やがて二人は帰っててきましたが、まあ家の中へ入ると凄い量の骨董で埋まっていました。夫婦がその商品を少しだけ片付け座布団に座って出されたお茶を飲みながら近況を話し合いました。聞けば京都や九州へも足を運んで骨董市に参加しているようで、その出展のための準備をしているとのことでした。私も来たついでにと珍しい欅造りの火鉢を買いました。

 帰り際店の入口に置いてある壷が目に入りました。大谷焼の大きな壷です。長年欲しいと思っていたものなので値段を聞くとまあまあの最低価格を提示されたので、車が乗用車のため即売約済みにして帰ったのです。気になっていて、青年の船の班長会に使ったフィルムをライブラリーに返すついでにトラックで行き、割れないよう荷台にくくりつけ持ち帰りました。置き場を考えずにトラックから降ろし玄関先に置いておきましたが、そのうち親父が置き場を確保してくれたので、昨日転がしたり歩かせたりしながらその場所へ運び何とか一件落着です。

気に入ったいい壷が手に入り嬉しさいっぱいです。さてこの壷はだれがどんな目的で造り何処で何に使ったのでしょう。考えただけでも道具考はミステリーじみています。楽しいものです。

  「気にいった 大谷焼の 壷購入 庭の隅っこ 置かれ存在」

  「お父さん わが家骨董 店のよう 妻の言葉が 当たっているよう」

  「また買った 言われる度に 嘘をつく 貰ったものと 弁解するも」

  「壷を拭き 化粧施し 眺めると 古き道具が 来歴語る」

 

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