shin-1さんの日記

○桜の花の散り染めし道

 人間の目線は水平線より上を見る習性があるようで、特に桜などは昨日まで枯れ木だったような木々に花をつけるものですから、ついつい花に目を奪われるのは当然かも知れません。しかし特に桜の花びらがヒラヒラと舞い落ちる様はとても風流で大好きなのですが、残念ながらそれをカメラに収めることはなかなか出来ないものです。しかし昨日名残の桜に見とれていると、偶然にも桜の木の足元に綺麗な花びらがそれは見事に歩道一面降り積もっていて、散っている姿ではないにしても思わず写真に収めることが出来たのです。まるでピンクの花のじゅうたんのようでそれは見事でした。歩く人も自転車で通り過ぎる人もそんな花などお構いなしに踏み潰していましたが、私が写真を撮っていると、不思議そうに横目で見やりながら、バツが悪そうに隅の方を通っていました。

 私は少し目線が他の人と変わっているのでしょうか。上の花も綺麗なのですが、無造作に自然が作った造形の美にどことなく惹かれるのです。もしこれを人間が人為的に造るとなると大変な労作です。多分明日にでも雨が降ると流れ、風が吹くと飛ばされ、人に踏まれて消えて行くであろう花びらの道を、一人束の間楽しみました。今年の冬は寒かったせいでしょうか、あるいは花の咲く季節に南風や雨の日が少なかったからでしょうか、例年になく桜の花の寿命が長く、早4月も半ばだというのに桜はまだ充分楽しめるのです。

 桜の花の写真を撮った後、やがて人間牧場へ通じる山道の差し掛かりましたが、ここでも綺麗な椿の散り染めし道を見つけました。桜と同じように今年の椿も例年になく開花が遅れ、今頃になって散り始めています。椿は花が首ごとポロリと落ちるので、縁起が悪いと忌み嫌いますが、それは無粋な言い方で、散り方の潔さや落ちた姿はとても綺麗です。ここでも農作業のために先を急ぐ軽四トラックが無造作に踏み潰して通り去って行きました。

 木漏れ陽が椿の花びらについた朝露をそっと照らすのもまた趣です。「ああーいとおしい」と思わず思いました。

 田舎に暮らしていると、のんびり時が流れ、のんびりとした人にであうものですから、日頃は余り気付きませんが、時々ハッとすることがあります。それは長旅や都会へ行って帰った折に顕著です。空気水がとてつもなく美味いと思ったりするのです。しsて「俺は生きてる」と実感するのです。

 昨日大洲市田処の亀本さんに人間牧場で会いました。彼らに会っていると私の体内時計の狂いを直してくれるような感じがするのです。

 彼と別れ自宅へ帰って、昼食に帰る妻を外で待っていました。ふと見上げた本尊山の萌えるような姿に思わずハッとしました。昨日と変わらない、そしていつもと変わらない風景なのに、どこか違うのです。「お父さん、何見てるの」と妻に声を掛けられハッと我に帰りました。私「山を見よる」、妻「何を見よるの」、私「綺麗じゃろうが」、妻「そういえば綺麗じゃねえ」、二人「・・・・・・・・・・・」

 ああ、いとおしいふるさとです。

  「落ちた花 見ても綺麗と わが心 加齢のせいか 少し感傷」

  「山の色 にわかに春の 衣変え 空の青さに 一際映える」

  「ふと我に 帰りて田舎 住む意味を しみじみ思う これが幸せ」

  「ホーホケキョ 遠く近くで ウグイスが 私も真似て 口笛応う」 


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○亀本さんからいただいた豆腐が美味い

 「お父さん、最近家で夕食を食べてないね」と、妻が唐突にいいました。木になるカバンの中に入れている予定表を見ると確かにこの一週間余り、夕食からみの会議がやたらと続き、外食に依存しているのです。わが家では最近友人や近所の知人から山菜が届き、楽しみにしているのに何故かそれさえも食べられず、残念至極なのです。外食は確かに美味しいのですが、やはり高カロリーなものが多く、私のような痩せ型タイプにはどこか腹が張ったり、少し味が濃いのか喉が渇くのも大きな特徴といえましょう。そして今晩から今週は日曜日までずっと会議からみの夕食が続くようで、妻は私の体調を壊さないように心配してくれているようです。

 今日は午前中大洲市柳沢田処の亀本耕三さんが他の4人とともに人間牧場へやって来ました。朝方まで残っていた雨も上がり、春霞に煙っていたものの、近くの視界は良好で、名残の桜が沢山咲き、遠望できる山々は燃えるような芽吹きの色で眩しいくらいに見えました。

 亀本さんは10年間で40回を目指し実行したフロンティア塾の強力なメンバーでした。それ以来私的な親交を深めていて、今では人間牧場の運営にはなくてはならない人なのです。人間牧場の農場を耕す耕運機も彼に無償で貰ったものだし、「命のリレー」プロジェクト事業でも、落ち葉を発酵させるために豚ぷんや牛糞をわざわざ持参してくれたのです。お陰で今日の段階で種芋は殆どが芽を出し始めていて、何とか来月の作付けに間に合いそうな雲行きのようです。亀本さんは他の4人が人間牧場の視察研修をしている間、耕運機を引っ張り出して、せっせとオイル交換をしてくれました。これで雨にさえ合わさなければ、一年間は大丈夫のようです。

 亀本さんを含めて5人の方に私の話が聞きたいというので少しお話をしました。人間牧場の理念や建設計画と運営のこと、公民館とまちづくりのこと、最近の社会情勢のこと、人生とは何かなどなど、魚梁瀬杉の高座を囲んでお話しました。亀本さんは若い頃からもう何回となく私の話を聞いているので先日提案した人間牧場の塾生名札に本人がそれを望むのであれば加えたいと思っています。

 今日は亀本さんが美味しそうな湯がいたワラビと硬い木綿豆腐を持って来てくれました。彼は私が豆腐を大好物であることをちゃんと知っているし、その上草の上でも滑らない地下足袋までプレゼントしてくれたのです。彼には以前に白い長靴をプレゼントしてもらい、12年間もの長い間シーサイド公園の掃除用に使わせてもらいました。昼には早速この豆腐を妻に切ってもらい、冷奴にして妻と二人で美味しくいただきました。私はこの頃豆腐に醤油や薬味を加えずに食べる癖が出来てきました。塩分を取り過ぎないようにしようと決めての行動ですが、お陰様で豆腐本来の味が随分分るようになってきました。

 今日は午後大学で今年の授業打ち合わせ会があり、夜は生協の人事委員会とダブルならぬトリプルで忙しい一日でした。昨日まで二日間熊野古道へ出かけていたため、少々お疲れモードですが、それでも久しぶりに充実した一日となったようです。

  「トリプルの 会議をこなし 夜遅く わが家へ帰り 『お帰り』嬉し」

  「好みまで 覚えて豆腐 手土産に 牧場訪ねし 友よありがとう」

  「一丁の 豆腐切り分け 殆どを 食べる姿に 妻呆れ顔」

  「ちょっとした 合間を縫って 手入れする 彼こそ百姓 百をこなせる」

 


  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○携帯電話の新しい活用

 私にとって携帯電話は、今や無くてはならない必需品となっていますが、その活用については「電話をかける」「電話がかかる」「電話番号簿の役割」「万歩計」くらいしか使っていませんでした。若い人たちが携帯電話でメールをしながら歩いたりする姿を見ると「格好いいなあ」と思いつつ、逆に「もっとすることがあるだろうに」と相反する考えが過ぎったりしたものでした。

 ところが2~3日前、えひめ地域づくり研究センターの清水研究員さんと出合った折、「若松さん連絡するのに形態の留守が多いので携帯にメールを入れたいので」と提案がありました。「そんな面倒臭いことは嫌」と突っぱねましたが、有無を言わさず谷本研究員さんが私の携帯にメールアドレスを「人間牧場・・・・・」と入力し、早速清水研究員さんが試してくれました。その間私はあっけに取られてただ見ているだけでどうすることも出来ませんでした。センターを出てからもそのことが気になっていたものの、「多分俺にはそんな面倒な事をする暇はない」と鷹を食っていました。

 この二日間、私は21世紀えひめニューフロンティアグループのメンバーと和歌山県の熊野古道の旅に出ました。朝早くに出発して夜遅く帰る道すがら、マイクロバスの車内では久しぶりの仲間との会話に花を咲かせていましたが、自由時間のたっぷりあるバスの中で居眠りをしながら何とはなしに携帯をいじくりました。清水研究員さんの顔を思い出しながら、携帯をいじっていると、前の席の藤本さんが「あなたの携帯電話のメールアドレスを教えて」というのです。気心の知れた仲間ですので私の携帯番号はお互い既に知っているのですが、メールアドレスは知らないのです。結局私のメールアドレスを送り、清水研究員さんについで第2号となったのです。2号なんてまるで愛人のようですが、今朝携帯のメールアドレスを見ると朝フルの大河内さんからメールが入って彼女はさしずめ私の3号となりました。

 昨日私は密かに携帯をいじくりながら、覚えたてのメールを清水研究員さんにメールを使って送ってみました。彼は昨日八幡浜の実家で農作業をしていると聞いていたので、まず「お早うございます」だけを送ったのです。するとどうでしょう、直ぐに返信メールが入りました。「うーん、まだまだ使いこなすまでには中々」と思いつつ、忙しい手を休めて清水研究員さんは3度ほど交信を繰り返してくれました。

 アナログ人間を自認する私なので携帯を使いこなすまでにはまだ少し時間がかかるようですが、小学生以下のような幼稚さながら、それでも少しづつ進化していく自分の姿を肌で感じています。それにしても使えば便利なもので、今までの知らなかった自分は一体何だったのかと思うのです。

 私にとって携帯電話は非常の際の所在の確認と連絡手段くらいにしか思っていませんでしたし、そんな使い方しかしていませんでした。多分これからも携帯で買い物をしたりするようなことはしないと思いますが、少なくともメールが出来るという情報の互換性だけは早くマスターして使いたいと思うようになりました。

 私のような古い、しかも情報メカに弱い人間は「食わず嫌い」が多いのです。その癖私が相であったように平気で人の行動を批判するのです。まあ余り深入りしないよう程ほどに使いこなせるようにだけはしたいものです。

 私の携帯電話はおじいちゃんやおばあちゃんが持っているような、カメラもついていない旧式のものです。草刈りに人間牧場へ持って行き、畑で落として傷がついたような何の変哲もないものですが、やはり文明の利器は凄い能力を持っていました。私が使いのなせなかっただけなのです。この二日間使い続けた携帯電話は昨晩充電器に乗せられ、再び新しいパワーを貯えて今日も私と行動をともにする予定です。

 清水さん、谷本さん、藤本さん、大河内さん有難う。これからも宜しくね。

  「私に 又新たなる 文明の 利器が加わり 日々が楽しく」

  「うーんまだ まだまだ修行 足りないと 頭こんがり メール送りて」

  「結局は 食わず嫌いの 批判だけ そのうち違う 側から批判」

  「あれ?またも 間違い変な 文字が出て どうしていいのか 訳が分らず」  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○わが町の桜花を愛でる②

 学校の入学式も終わりました。何年か前教育委員会で勤務していた頃は、桜を織り交ぜた告辞や祝辞をよく聞き、自らも人の書いた祝辞や告辞を子どもたちの前で読んだものです。「桜花爛漫と咲き誇る・・・・」なんて難しい言葉を使ったものですが、はてさて子どもたちにその意味は分ったかどうかは知る由もありません。しかし子どもたちの思い出の中には必ず「校庭の桜」が出てくるのです。

 双海町の学校といえば翠小学校が度々紹介されますが、海に突き出たように立派な石垣のある由並小学校も趣きがあって私は大好きです。その石垣を割るように二本の桜が咲いていました。もう老桜の域なのでしょうが、それは見事な桜です。この桜から続く桜並木が上灘駅から城の鼻まであって、昔は上灘八景に数えられ、道後温泉の桜とともに県下にその名を知られていました。桜の季節ともなるとボンボリが灯され芸者さんも出るほどの賑わいだったそうです。

 
(見事な由並小学校の石垣)
(石垣を割るように外に張り出した桜の老木)

 城の鼻の桜越しに見えるシーサイド公園の砂浜もこれまた綺麗です。今は直ぐ下に国道のバイパスができてこの風景を眺めるのは地元の人だけのようですが、砂浜と本尊山を望む桜は一見の価値があります。


 海岸国道沿いは千本桜といわれるように、沢山の桜が植えられています。私がまちづくり担当をしていた最初のころ、青年会議が植えた桜が今頃になって見頃を迎えているのです。

(本谷付近の桜)
(魚吉付近の桜)
(石の久保付近の桜)
(下灘駅下付近の桜、ここの桜は少し違った大島桜系の桜です)
(桜吹雪の散り染めし下灘駅下の桜)
(上浜の桜)

 今年の桜もいよいよ見納めです。いい日にいい桜の写真が撮れたので少し満足していますが、来年は海岸国道から少し奥に入った桜の名所の写真も撮ってみたいと思いました。

 追伸

 先日(4月5日消印)秋田市の石塚友寛さんから、素敵な弘前城の桜の絵葉書が届きました。それによると秋田市内の開花は4月13日とか、今頃秋田ではみんな浮き足立っていることでしょう。角館のさくらも弘前のさくらも、ゴールデンウィークには葉桜になっているかも知れません。

 「さくら切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言葉がありますが、弘前の桜はしっかりと剪定をしています。リンゴの木の剪定技術が生かされていて、樹齢も百年を超えるとか、面白い話です。

  「弘前じゃあ 桜の剪定 するという 梅も桜も 切らなきゃ損だ」

  「酒飲まず 今年も花見 見るだけで どこか寂しく 春は過ぎ去り」

  「学校の 校庭桜 お出迎え 今年は挨拶 桜を入れて」

  「俺の手で 植えた桜が 成長し 今では並木 気分一入」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○わが町の桜花を愛でる①

 「後悔先に立たず」といいますが、去年もその前の年も、桜の季節が過ぎる度にいつも思っていました。「今年は町内の桜の写真を撮らなかったが、来年こそは」と自分に言い聞かせたものです。多分今年もそうなる予定でしたが、意を決して今年は3回ほど合間を縫って写真を撮ってみました。その中で何点かを、ブログに書いて記録に留めようと思い、もう2回も紹介しました。その成果なのでしょうかブログを読んだ仲間から「若松さんのブログを読んだので双海の桜を見に行きました。綺麗でした。帰りにシーサイドのレストランで食事をしました。」と嬉しいメールが何件か届いたのです。私のブログが少なからず地域の活性化に役立った事になるのです。

 今年の桜の写真で一押しの一枚は下の写真です。潮風ふれあい公園千人塚の池の周りの桜はそれは見事に咲いていました。桜は下から見上げるものですが桜の写真はどちらかというと遠望がいいようです。海と池という水辺が入るとなお映えるようです。しかし写真技術の下手な私は、カメラの基本中の基本である水平線が画面には斜めにゆがんでいて、これは駄作になったようです。でも花の美しさに免じて許してください。

 この作品は三島神社の長い石段の上にある楼門辺りに咲く桜です。まるで阿吽の狛犬のように、違った種類の桜が二本、両脇を固めていました。この楼門は扇垂木といって垂木が扇のように広がっているのが特長です。海から一直線に医師団が伸びる姿もまた格別な趣きがあります。この神社には亀の森という地名のように、狛犬が無く狛亀なのです。桜に誘われて長い石段を登り更に奥まった本殿にお参りをしました。

 通称浄土の坂と呼ばれる場所からは上浜の桜が海に映えてとても綺麗に見えました。JR予讃線の線路が入ると一際趣が違うものです。向こうに見える豊田漁港や灯台も絵になる光景です。この桜は上浜老人クラブの人たちが草刈りなどをして大切に育てていますが、今は亡き福本一雄さんが育ててくれたことも忘れられない思い出です。


(浄土公園の桜も見事でした)

 日本で一番海に近い下灘駅から見る日喰の桜も見事です。寅さんもやって来た有名な駅は、今も人知れず人気があって多くの若者が訪ねてきています。この日も青春18切符のポスターで三度紹介されたことを思い出した中年の旅人に出会いましたが、桜の美しさに感動していました。




 時折通るマッチ箱のような一両編成のジーゼルカーに注意しながら日喰の桜を見に狭い道を登って行きました。ここの桜は下灘でも古い方の部類ですが、艶やかに咲いていました。

  「どこへ行く 当ても無いまま 桜花 巡りて出会う 懐かし景色」

  「名所では ないが名所の この桜 知らぬが仏 一人楽しむ」

  「今年こそ そんな思いが 駆り立てる 記録収めて 記憶に残す」

  「ひい・ふう・みい 数えられるる 乗客を 乗せて長閑に 列車は走る」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○いつの間にか

 先週までは「朝晩はまだ寒いねえ」と朝夕の挨拶を交わしていたのに、いつの間にか季節は進み、「いい季節になりましたね」と会話を交わすようになりました。近くの畑からは忙しげな草刈機の音が聞こえ、昼間はもう初夏のような陽気で、屋外の駐車場に止めていて車内に入ると熱気ムンムン、思い切って窓を開けて走ったり、冷房をかけないと汗だくで走れないような時さえあるのです。

 寒ければ夏を思い、暑ければ冬を懐かしむのは世の常ですが、冬にトマトを食べ、夏にみかんを食べるなど暮しに季節感のメリハリが無くなったのも事実です。そんな時代だからこそ旬のものが食べれる今は、嬉しい季節かも知れません。近所からは筍やワラビ、フキが沢山届き、妻は手先をアクで染めないように薄いビニール手袋をはめてせっせとあく抜きに追われています。というのも妻は近所の歯科医院にパートといいながら勤めているので、手先を汚すわけにはいかないのです。最近は近所の人もそんな台所事情を知って知らずでか、筍もワラビも茹でて灰汁抜きをしたものを持って来てくれ大助かりだと妻を喜ばせています。

 昨日は立ち寄り程度人間牧場へ行ったので、牧場内に生えているツワブキを一束収穫して帰りました。最近は私の性格が優しくなったのか、若い頃だったら考えられないような行動をします。このツワブキの皮を剥ぐ作業を一人でしました。台所の台の上に新聞紙を広げ小さなバケツに水を張って皮を剥いだものを入れて行くのです。普通だと中々剥げない皮が、昨日はどういう訳かスムースに剥げて、20分程度で終わって、昼食に帰った妻を喜ばせました。

 「お父さん、今晩はこのツワブキを魚と一緒に煮付けて、貰ったワラビ、筍、シイタケ、それに北海道の船木さんから貰ったホタテの貝柱干物を入れて山菜御飯にしようかね」と言うのです。私は子どもの頃から炊き込みご飯やカレーのような交ぜたご飯が大嫌いでしたが、結婚以来四十年近くが経つと、妻の嗜好に飼い慣らされたのか、お陰様でいつの間にか何でも食べるようになりました。

 昨夕は午後6時から双海町の少年少女おもしろ教室の実行委員会が支所で開催されるため、妻は一人だけの寂しい食事のようでしたが、その会合が一時間ほどで早く終わったので食事に間に合い、具沢山な山菜御飯を二人で食べました。食卓には一昨日大洲の亀本耕三さんが持参してくれたタラの芽の天ぷらも出て、田舎では当たり前の食卓ですが、都会だと豪勢で贅沢な料理に二人舌鼓を打ちました。



 いつの間にか近所の畑ではもう緑色の麦の穂が出揃い、低く飛ぶツバメの姿も見えるようになってきました。麦の穂を見る度に亡き母親の姿が思い出されます。私の育った戦後は食料難でどの家もサツマイモや麦を貴重な食糧として段々畑に植えていました。冬の寒さの中で麦踏をさせられました。伸びようとする麦を靴で踏んで行くのですが、これが子どもの私にはどう考えても理解できませんでした。「麦はこうして踏みつけると足腰が強くなって倒れない丈夫な麦が育つのだ」といわれても・・・・・・。今は機会で踏み潰すのだそうですが、青麦には母への思いが募ります。もう来月には麦秋へと変化するのでしょうが、いつの間にか季節は猫の目ほど少しずつ動いているようです。

  「いつの間に 麦穂出揃い 青々と 季節巡りて 風景変わる」

  「山菜の 焚きたてご飯 二人して 美味しい連発 感謝をしつつ」

  「オニグイの 苦味舌合う 年齢に なった二人に 老域近し」

  「わが家では 只今山菜 花盛り 指折り数えりゃ 十指ほどなる」

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○私を桜見学に連れてって

 「私をスキーに連れてって」ではありませんが、妻から内子町石畳弓削神社の枝垂れ桜を見に連れていって欲しいとせがまれていましたが、昨日夕方雨が止んだので妻の仕事が終わって帰宅した4時から出かける事にしました。内子は南予、双海は中予ながら、昔石畳は旧下灘村だっただけに山道を縫えば僅か30分足らずで行けるのです。海岸国道378号から串・内子線を走るのですが、夕闇迫る県道沿線には桜がいっぱい咲いて、その度に妻の感嘆の声を聞きながらスピードを緩め、また時々車を止めてしばし呆然桜の美しさに見とれていました。

(奥西井窪さん宅下の桜)
(奥西井窪さん宅下の桜)

 余りの美しさに奥西の井窪さん宅の下で車を止め、妻をモデルに撮影会です。仕事から帰って親父の夕食の準備をしてから、とるものもとらず出発したものですから、「こんな服装では撮りたくない」と渋る妻を桜の前に立たせて写真を撮りました。私が一目惚れして結婚を決意した一品ですから、服装など問題外で素敵ですが、残念ながらシャッターチャンスが悪くあいにく目をつぶっているようです。

 「お父さんそれにしても車に会わないね。この道で大丈夫」と、迫る夕暮れの静けさと人気のなさに少し不安になった妻は心配しきりです。峠を下るとそのうち人家が見え出し、第一村人発見です。「おじさん、弓削神社の桜を見に行きたいのですが」と窓を開けておじさんに聞きました。そうじゃなあ、郵便局の前を左に折れて、右に折れて端を渡り、何ぼもカーブを曲がって行きよったら着きます。桜はもう散っているかも知れん。」と教えてくれました。「有難うございます」といったものの「お父さん、あの説明で分る?」と妻が聞き返しました。峠辺りから曲がりくねった道で車に酔った妻に運転を変わらせていたので、私がカーナビになって左、右と指示をしてどうにか弓削へたどり着いたのは午後5時前でした。弓削神社の前に車を止めると内子町の有線放送から5時のチャイムが鳴っていました。早速屋根つき橋を渡ってお参りです。





 後で気がついたのですが、この頃からカメラの反射の具合が変なのです。多分雨のしずくがカメラのレンズに付着して、ストロボが乱反射していたようです。お陰で妻の見事な容姿と桜の風景も多少台無しなったようですが、これもご愛嬌だと思って諦めました。

 弓削神社の入口にも少し小ぶりな枝垂れ桜が今を盛りと咲いていました。多分昨夜来の雨で多少は散ったでしょうが、まだまだ満開に近いようでした。先ほどやり過ごして通ったカメラマンが撮影真っ最中の道の上の桜こそよく紹介されている桜に違いないと車をUターンさせて降りて行きました。

 「若松さんでしょう?」「はいそうですが?」「私はテレビ局の○○です」「ああそうですか」「あなたのことはよく存じ上げていまして、いつもお世話になっています」などと、矢継ぎ早な会話を尻目に妻はどんどん坂道を登って行きました。沿道には沢山の草花花木が植えられ、今を盛りと咲いていて、まるで桃源郷を思わせる美しさで、妻はひとしきり感心していました。




 この桜はエドヒガンザクラの変種で樹高6メートル、目通り3,6メートル、樹齢360年という知る人ぞ知る銘木銘花です。昭和26年頃までは樹高20メートルもあったそうですが、台風で折れたり、枯死寸前になったり、遍歴があったと銘文が書かれていました。それにしても聞きしに勝る見事な容姿です。

 妻は「お父さん、私は今日はいい目の正月をさせてもらった。近くにこんな立派なものがありながら、遠いものに憧れているが、もっと足元を見るべきね」と、殊勝な言葉に自分が褒められてような錯覚です。

 夕暮れ時の僅かな時間をせかされるようにかけ抜けた石畳の枝垂れ桜でしたが、雨上がりで人もいない独り占めの見学は、中山町永木を通って国道55号線に出て伊予市経由と道を変え、7時半にはわが家へ着きました。

  「自慢する だけのことある この桜 それにも増して 沿線綺麗」

  「雨上がり しかも夕暮れ 誰も来ず 夫婦だけ見る あでやか桜」

  「樹齢聞き 凄いもんだと 感心し 裏から表 全て観察」

  「無人市 わらびを四束 買いました 春の舌味 期待しつつも」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○毎年桜が散ってから思うのですが、「もっと桜を見ておけば良かった」「せめてあの桜を写真に収めておきたかった」「もっと桜の咲く季節に桜前線とともに全国を旅したかった」と・・・・・・。こうした「~かった。~かった」と反省するばかりで、一向に進歩しない自分の行動を恥じながら、それでも今年は忙しい合間を縫い自分の町の桜を追ってみました。

 桜=道後や野福峠の桜などと県内に知れた桜の名所を思い浮かべ、人の行きそうな場所へ花見に行くものなのですが、桜ほど身近なあちらこちらの場所に人知れず咲く花はありません。道端に、あるいは学校の校庭にと、桜の国日本を象徴するようどこにでも桜は咲いているのです。通りすがりにふと「えっ、こんな所にこんな桜が咲いている」と、驚いて見上げたことは切りがないのです。そんな時に限ってカメラを持っていなかったり、次々と見える桜に目を奪われ忘れてしまうのです。そしていつしか「花の命は短くて・・・・」で雨と風に散らされてしまうのです。

 一昨日直ぐ目と鼻の先である上灘の海岸線を単車で走ってみました。花冷えのする、そして曇ったあいにくの天気でしたが、この日「4月9日」が双海町の今年の桜満開宣言日だと思いました。まず旧役場裏の本覚寺周辺へ行って見ました。桜は風景を入れる絵になるようで、お寺の山門の銅版緑青が桜の薄ピンク色に映えていい感じでした。

 駐車場広場からこの桜を反対向きにアングルを変えるとまた違った趣きです。最近は無造作にゴミストッカーが出来て風景が一変していますが、この桜は「商工会発足記念○○年植樹」と書いた石柱が建っている桜です。

 海岸に出て松山方面へ少し走ると海岸線に桜の固まりが沢山目に映りました。小網の桜です。小網は双海町でも唯一坂に居並ぶ漁村集落で桜が家並みや海によくマッチしています。

 青の同門を髣髴させる小網トンネル付近の桜も今が満開でした。残念かなここでも無造作に行政の建てた看板が桜の美しさを台無しにしているようです。桜の咲いた頃を思い浮かべて看板を立てるような環境配慮の役場職員が私を含めていなかったのですから、残念なるかなで、自責の念にかられました。

 桜の鑑賞をしていると、突然無粋な電話の着信音がズボンのポケットから鳴り始めました。仲間からです。会議の都合があるので急いで日程表を見て欲しいというのです。仕方がないかと思い、単車をUターンさせてました。それでも見飽きぬ桜をちょっとだけ撮りながら引き返したのです。

(小網入口の桜)
(城の下の桜)
(共栄網加工場屋上から見える予讃線沿線に咲く灘町5丁目の桜)

 残念なるかな僅か10分の桜散策となってしまいました。それでも少しだけ満足した気分になりました。本当はゆっくりと桜の木の下を歩き、上から下から眺めればまた違った趣きがあるのでしょうが、明日から二日間熊野古道への旅が始まるので今日が見納めになるかも知れないと、密かに天候の回復と、日程の空きを見ています。「午前中は来客、午後は人間牧場へ来客、夜は松山で集会か。あー」ため息が漏れそうです。

 でも今年の桜は確実に3日だけ短い時間ながら見ることが出来ました。

  「今年こそ 毎年思う 情けなさ 今年も既に 桜散り初め」 

  「花曇り 写真に写る 花々も どこか寂しい 露出足りなさ」

  「見るだけで ただ何となく 満ち足りた 気持ちにさせる 桜咲く春」

  「綺麗だね 会う人毎に 桜褒め 会話交わして そそくさ去りぬ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○懐かしい写真が届く

 2006年10月7日、島根県隠岐西ノ島で牧畑シンポジウムが開かれました。主催したのは守る会の角市正人さんたちで、私はそのシンポジウムの講演に招かれたのです。そのことはこの日のブログで詳しく書いているので省略しますが、隠岐といえば新婚旅行に出かけた思い出の土地なので、隠岐本島と西の島へこのシンポジウム以外で相次いで招かれた時、もう一度新婚旅行に行った隠岐の島へ行きたいという妻を同伴しました。仕事で行くのに不謹慎と言われるかも知れませんが、隠岐では斉藤博さん、西ノ島では角市正人さんの熱烈な歓迎を受けて、妻の記憶には隠岐、西ノ島の思い出とともに斉藤さん、角市さんは忘れられない人となったのです。特に西ノ島町の町議会議員をしている角市さんからは度々メールが入るし、時折自分で摘んだ岩海苔や海に潜って獲った貝類が送られてきて、何かにつけて思い出が蘇って夫婦の会話の中に度々出てくるのです。

 そんな角市さんから一昨日メールに沿えて写真が送られてきました。日々の忙しい暮しに忙殺されてもう忘れていた思い出の写真です。私に比べれば殆ど外に出ない妻にとって、西ノ島の思い出が鮮やかに蘇えるのは当然のことで、妻に見せると懐かしそうに見入っていました。そして言うのです。「まあ懐かしい。あの頃は私も若かったのね」?だそうです。僅か3年くらいしか経っていないのに「若かった」もないもんだと呆れましたが、女性にとっては若く見られたいと思う本心の言葉かも知れないと一人笑ってしまいました。

 私は見かけによらず昔人間で照れ屋ですから、妻といえども肩に手を回したり手を組んだりすることは殆どありません。ですから新婚旅行に行きながら二人で撮影した写真が一枚もないのです。でもこの写真はどういう訳か何の恥じらいもなく角市さんのカメラに向かってこんな格好をしているのです。あー恥かしいですね。

 このツーショットは朝早くレインボーという境港へ向う高速船に乗るため桟橋に着いた時のスナップですが、相変わらず木になるカバンを提げているようです。

 人にはそれぞれ思い出があり、それが写真に写っていると見る度に思い出が蘇ってくるものです。カメラが庶民の間にそれほど普及していなかった私たちの子ども時代は、思い出の写真など学校の記念写真くらいで、数えるくらいしか残っていません。それが簡易カメラが普及し、また最近ではデジカメが普及して、自宅で簡単にプリントできる便利な時代になりました。またそれらの写真はデジタルデーター化されて劣化することもなく保存されるようになりました。しかしその写真はいつでも取り出せる半面、自分の個人情報でしかなく、他人には見れないものとなり、家族でさえもその存在に気付くことは殆どないのです。私がこの3年で撮り続けている写真の枚数はそれこそ驚くべき枚数なのです。

 便利さは反面を裏返せば不便です。でも角市さんから思わぬ写真の送付をしてもらい、夫婦で旅した思い出を蘇えらせてくれたのは嬉しい限りです。

  「送られた メールに添付 思い出の 夫婦の写真 嬉し恥かし」

  「さりげなく 肩に手をやる 姿見て 昔はこんな ことせぬ自分」

  「思い出も 記憶の彼方 失せている 思い出したる あの日あの時」

  「若かった 冗談じゃあない まだ三年 今も変わらず 若いんですよ」



[ この記事をシェアする ]