shin-1さんの日記

○落語のCD

 落語ならぬ落伍をやり始めて半年が経ちました。あちらこちらから引き合いがきた落伍も年度末や年度始めのためか最近は少し落ち着いてきましたが、目論見どおりの成果を上げつつ、そろそろ次のネタ本「水の書」のネタも書かなければなるまいと思っていた折しも、一昨日家内が「日本の伝統芸能・落語」というCDを買って帰り、私にプレゼントしてくれました。というのも買い物で立ち寄ったスーパーふじで棚卸商品の即売があったそで、何と400円だったそうです。金額を聞くまでは妻も粋な計らいをするものだと感心していましたが、値段を聞いた途端に興ざめで、私の落伍もこの程度に見られているのかと思うと急に悲しくなりました。それでも早速そのCDをパソコンに入れて再生してみました。勿論映像などないただのラジカセみたいなものですから、リアル性はまったくなく、妻の言うように車の中で暇つぶしに聞く程度の50分程度の2本立てなのです。噺家は春風亭柳好、演目は「付き馬」と「牛ほめ」です。でもこのCDだってプロの噺家ですから、車に持ち込んで擦り切れるまで使い、間の取り方や話の抑揚などを徹底的に学んでやろうと思いました。このCDを聞きながらふと自分の話のネタ本の金額が気になり始めました。私のネタ本はワンコインです。だのにこのプロの噺家のCDが400円ですから、幾ら安売りといっても地に落ちたもので、そこえゆくと私の話のネタ本は相当な価値があるようです。でもこのCDのように仕入れたものの売れないで棚卸商品として投売りされないような値打ちを作りたいものだと心に誓った次第です。

 落伍をするようになって半年で、随分自分の目と耳が本物の落語や落語を扱っている本棚に向くようになったのは事実です。先日も大阪へ行った折、大阪梅田駅の紀伊国屋で何冊かの落語の本を買い求めて読みましたが、それが即自分の身につくほど落語はやわいものではなく、知れば知るほど奥の深さを感じ、聞いても読んでもまるで底なし沼の底に沈んでゆくようで、多分この知識がどこかで知恵となるに違いないと信じつつ、聞き耳や読む目を養っているところです。

 さて今日からいよいよ新年度、私のリタイア人生も昨日でまるまる三年が終り、四年目に入ります。この三年間色々なことがありましたが、後半人生のスタートとしてはまずまずの三年でした。自称サンデー毎日と考えた退職後の人生はサンデー毎日どころかまるで月月火水木金金のような忙しさです。でも同じような年代の人の中には何することもなくただ日々過ぎ去るのみの人を思えば、私は素敵な生き方をしていると胸を張るのです。

 昨晩妻と二人で、これからのことを色々と話しました。もう気力も体力も下降気味の事を思えば、無理はしないで欲しいというのが妻の願いのようです。でも妻は何故か私に落語のCDをプレゼントしてくれました。

 今年は何としても落伍の腕を上げなければなりません。そしてそれと同時進行でネタ本「夕日徒然草」水の書を刊行したいと思っています。最初の予想より早く初期投資が回収できそうな勢いなのは何よりも嬉しいことで、あらためて関わってもらっているえひめ地域政策研究センター研究員の皆さんたちに感謝するのです。

 このところ、また人間牧場が急に騒がしくなってきました。転退職の季節でもあるからなのでしょうか、取材や来訪者が毎日のようにやって来ます。自分では分りませんが、私のよな生き方はどこにでもあるようなのに案外珍しいのかも知れません。最高の喜びは自分が楽しく生きることと、人に感化を与えることです。もう少し胸を張って向こうを見つめながら歩いて行こうと思っています。

 相変わらず田舎のオープンカーはご主人様を乗せて今日も風を切り、桜の咲き始めた野山を元気で走り回っています。

  「プレゼント されたCD 四百円 俺より安い 落語あるのか」

  「間違いと 再々指摘の 落伍かな いえいえ落語 これが間違い」

  「早いもの 落語始めて 半年が さらに修行を 目指せ真打」

  「真打か いえいえ私 進一だ 一文字違う だけで幸せ」

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shin-1さんの日記

○孫万歳

 一昨日の日曜日、松山市に住んでいる長男家族が夕飯を食べにわが家へやって来ました。ことさらな長男としての教育をした訳ではありませんが、30歳を越えたころから傍目で見ても分るように長男は長男としての気遣いが立ち居振る舞いなどの随所に見えて、嬉しい限りです。私も長男に生まれ、家を出ることもなく三世代同居をしてきた妻から比べると、大したことではないのですが、それなりに気を使ったつもりで今日まで生きてきました。息子も多分母と嫁の少しだけの軋轢を感じながら生きているのでしょうか、一ヶ月に一度程度の時折嫁を伴って言い訳程度にわが家へ帰って来るのです。

 昨年の8月31日に生まれた孫希心も来る度に随分大きくなって、今でははいはいを始めた娘の子ども孫尚樹に100グラム差まで近づいてきました。生まれた時は3ヵ月半も先に生まれているため比較のしようがなく、これが同級生になるのかと心配しましたが、この分だと食べっぷりからして先輩尚樹を抜く勢いのようです。

 孫は可愛いもので泣いても笑っても絵になるもので、孫がわが家に来ただけでどこか家の中に勢いのようなものを感じるから不思議です。

(離乳にも移行しよく食べるので、ウンチも人並みです)
(2ヶ月前の写真です)

(後発に抜かれそうになった長女の次男孫尚樹)
(この子は寝返りが不得意で、うつ伏せに寝かせると寝返るのに、上向きだと寝返りができないのです。まあ「寝返る」ことのない方がいいかも知れませんね)
(お座りは出来るようになりましたが、まだ転げます)
(見て下さい。爺、婆の嬉しそうな姿を・・・・)

 最近長男夫婦と今後の暮しについて話すようになって来ました。長男はもうそろそろわが家へ帰って私たちと同居したいようです。多分彼の給料から家賃を払うことが重荷になっているからかも知れませんが、少し家を改造して住みたいようです。わが家は四人の子どもが独立して家を出ているためニ階は総空きですし、明日からでも住めないことはないのですが、息子の家族が帰るとなると、台所事情も考えなければならないので、設計の仕事をしている長男ですから、その辺を考えて二世代住宅へ改造したいといっていますが、先立つものは資金だし、多分そんな余力も持っていないだろうから、私たちの懐を当てにしていると妻は多少の出費を覚悟しているようです。いずれにしても私たち夫婦の加齢の事を考えると、妻にもう少しの間私たちだけの自由な時間を与えてやった方がいいのではないかと思っているし、嫁も口では同居を望んでいる口ぶりでもその方を望んでいるようです。
 せっかくいい親子関係でここまで来ているのですから、お互い腹を割って話し合い、納得のいく形で2世代同居を始めたいとタイミングを計っているところなのです。

 ご飯を食べて息子家族が帰って行きました。孫希心は初節句です。長男は自分の時のような大きな鯉幟をわが家に立てたいと主張しましたが、妻はわが子の鯉幟を立てたり降ろしたりの作業が大変だったことから、自分に再びそんな重労働が回ってくるのを避けようと、内幟にしようと提案し、そのような納得で嫁の実家に話しているようです。日本の伝統といいながら、初節句の出費を出来るだけ少なくするよう、長男に伝えました。こうして何かにつけ親との軋轢や制約があるのも長男の悲しさでしょうか。

 長男は嫌だといいつつ、わが妻は何の因果か長男を産んでしまい、その長男の嫁も長男を産んでしまいました。因果応報とでもいうべきでしょうか。

  「俺長男 長男家族 やって来て  親父長男 長男だらけ」

  「孫が来る 孫が帰るの 繰り返し 喜び寂し これ繰り返し」

  「寝返った ほら座ったと その度に カメラ向けられ えらい迷惑」

  「先輩の 孫追い抜くか 百グラム いつの間にやら おない歳顔」

 

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