shin-1さんの日記

○熊野古道寄り道③

 那智勝浦での夜は美味い物を食べようと小粋な郷土料理の居酒屋に繰り出しました。那智勝浦といえばマグロといわれるようにマグロの水揚げの多い港町です。その夜の料理は刺身を始め満足のいく海鮮皿鉢料理に舌鼓を打ちました。特に大きなアワビの刺身やカツオの刺身は絶品で、旅先の寄り道にしては何とも嬉しい誤算でした。


 14人の一行のうち女性を含めると6人までがウーロン茶組とあって多少盛り上がりに欠けるかと思いきや、お店の人まで巻き込んで楽しい宴会となりました。28年もグループを続けていると思い出話も尽きることはなく、和歌山の友人森さんが加わっていたこともあって話が弾みました。





 早朝5時半、私たちは思い思いにそっとホテルを抜け出し、目と鼻の先にある勝浦漁港の魚市場へ散歩のつもりで出かけました。東の空が明るくなる頃には殆どのメンバーが姿を見せ、魚市場に次々と水揚げされるマグロに圧倒されながら市場内を歩きました。ここへ上がるマグロは近海物が多く少し小ぶりなビンナガマグロが多いようでしたが中には100キロを越えるキハダマグロやカジキも水揚げされていて、既に品定めする仲買人がいいマグロを求めていました。



 次々と水揚げされるマグロを見ながらふと私は、愛媛県立宇和島水産高校の練習船愛媛丸で遠洋航海に出た若き日のことを思い出しました。私は18歳の時愛媛丸に乗ってオーストラリアの近くにある珊瑚海までマグロ延縄実習に出かけているのです。その時の漁獲物は全て基地である神奈川県三浦三崎漁港に水揚げしました。この日と同じような時間にマグロを水揚げしたのです。勝浦漁港には数隻のマグロ延縄漁船が入港していましたが、若い船員の殆どは東南アジア系の人で、たどたどしい日本語で会話しながらマグロを水揚げしていました。


 早朝の足湯をしたり、市場内に出しているお店で買い物したりしながらゆったりと時を過ごし、ホテルで簡単なサービス朝食を取りました。昨夜の料理が美味過ぎて多少食べ過ぎていたためこのくらいで十分な量でした。

 普通だと、対岸に見えるホテル浦島のような大きなホテルに泊まるのでしょうが、温泉地に来ながら安いビジネスホテルを選ぶのも旅の面白さです。市場で5枚千円のスルメイカの一夜干しを買い求め、店のおばちゃんの七輪で焼いてもらって食べている風景はまさに旅行ではなく旅のようでした。少し時間があれば8時まで待ってマグロを買い求め宅配便で送ることも考えましたが、魚所の双海町ですからそんな必要もなく、市場近くのホテルを後にしました。

  「国訛り 聞きつつ箸を 運ぶのも 旅の思い出 居酒屋暖簾」

  「水揚げの マグロ居並ぶ 漁港にて 若き思い出 昨日のように」

  「安上がり 旅ゆえホテル 遠望で 行った気にさせ 早立ち先へ」

  「どちらから 四国愛媛と 名乗りあい 見知らぬ相手 まるで友だと」

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shin-1さんの日記

○熊野古道を歩く②

 熊野古道が世界遺産になったこと以外何も知らない人間ばかりが、熊野古道を歩こうとすること自体おかしな話です。それは私自身四国八十八ヵ所の聖地に住みながら、全てのお寺を巡る1400キロの道を歩き遍路していないことが物語っているのです。でもそんな神仏を冒涜するような無神経な私が憧れるほど熊野古道に魅力を感じ、一度は歩いてみたいと思うのは世界遺産という看板かも知れないのです。

 平安時代から鎌倉時代にかけ、上皇・法皇たちは浄土の地である熊野を詣でました。この熊野御幸により聖地熊野は日本中の人々に知られ、上下貴賎男女を問わず大勢が列をなして熊野本宮大社、熊野那智大社を目指したのです。熊野詣でには幾つかのルートがあって、大阪と熊野を結ぶ紀伊路、異説熊野を結ぶ伊勢路、高野山から南下して伯母子岳や果無山脈を越える小経路、吉野から大峰山脈を縦走する行者道の大峰奥駈道などがありますが、中でも現在中辺路と呼ばれる紀伊路は上皇・法皇たちが歩いた唯一の道として知られています。私たちはその中辺路辺りをほんのお触り程度歩くだけなのです。

(バス停口の熊野古道入口)

 和歌山県庁前でナビゲーターを依頼した顔馴染みの森さんを乗せ、和歌山ICから高速道路を走って南紀田辺に着きました。その後川に沿って山道を縫うように走り、大坂本王子~近露王子間にある、道の駅熊野古道中辺路にバスを止め歩き始めました。牛馬童子口バス停からの古道はかなり整備されていて道幅も広く、杉木立の中は春の木漏れ陽がさわやかで、僅か1キロ弱で最初の目的地牛馬童子像に到着です。

(一町毎に建っている一里塚)
(古道をゆっくり歩くメンバー)
(供養塔と牛馬童子石仏の位置を示す看板)
(牛と馬の上に童子が乗った姿の珍しい石仏)
(牛馬童子の説明版板)
(宝経院塔)
(メンバーの記念写真)

 普通であればここから先を目指して歩くのですが、観光バスでないため再び同じ道を歩いてバスを駐車させている元の場所まで引き返しました。道の駅には沢山の観光バスが駐車して、トイレは列が出来るほどの大賑わいでした。

 近露王子・比曽原王子・継桜王子・中川王子・小広王子・熊瀬川王子・岩神王子・湯川王子・発心門王子・猪鼻王子・水呑王子・伏拝王子・祓所王子など、幾つもの関門の看板を横目で見ながら次の目的地である熊野本宮大社に着きました。

(熊野本宮大社の大鳥居)
(熊野本宮大社の参道)
(熊野本宮大社の山門)
(熊野本宮大社の境内)


 この熊野本宮大社は元々大鳥居だけが今も残る別の場所にあったようですが、度重なる水害に見舞われ今の場所に遷宮されたらしく、杉木立も神社もどこか初々しい感じがしました。

 私たち一行はその日の古道めぐりをここで打ち切り、宿泊先である紀伊勝浦まで走りました。新宮からは高規格道路も出来ていて午後6時に勝浦のホテルシャルモントに入りました。

 「勝浦のホテルに泊まる」とだけしか伝えていなかった弟忠行夫婦が既に訪ねてきていて、嬉しい再会でした。弟は既に昨秋定年退職し温暖な串本古座の地を永住の地と定めて、好きな釣り三昧な暮らしをしているようです。

  「長年の 願望だった 熊野路を ほんの少しだけ この足歩く」

  「道すがら 王子王子と 古道古道 こんがらがって どこを走るか」

  「どことなく 南予に似たり 海岸線 風の匂いに ふるさと思う」

  「それぞれに 生き場所求め たどり着く 紀州路遥か 弟暮す」 

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