shin-1さんの日記

○節句

 こちらの地方では4月4日のことを「節句」といって、この日は仕事を休み自宅で作った弁当を持って野山にくり出して花見をする風習があります。随分廃れてきましたけど、それでもこれらの伝統行事を重んじる人は仕事を休むのです。昨日は好天気で海も凪いでいましたが、漁をする漁船は全てお休みで、あちらこちらで小さな輪が出来て花見を楽しんでいました。昔から「野良の節句働き」という言葉があるように、勤勉な人は節句に休むけれど、野良(余り仕事をしない人)に限って、人ガスごとを休む時さも忙しそうに働くのです。その点私も野良かも知れないと一人苦笑しながら、人間牧場の倉庫の掃除を少々疲れるほどしました。

 一昨日の夜仕事から帰った妻は台所で何やら料理をし始めました。かまぼこ、竹輪、ニンジン、ゴボウ、かんぴょうなどの具材を切り分けて煮炊きし、もち米の入ったご飯を作った合わせ酢であわせ、どうやら巻き寿司を巻く算段のようです。「お父さん、ご飯も冷めたのでちょっと手伝ってくれない」というので、シブシブ台所へ行って、妻の指示するまま、いわれるまま茶碗にご飯をよそうのです。妻は巻き寿司用のスノコに黒海苔を敷いて私のよそった酢飯を伸ばし、そこへ具材を入れて手際よく巻いてゆきます。20本は巻いたでしょうか、「そんなに作って誰が食べるの、残り物を食べさせられるのは沢山」といいつつ、結局最後まで手伝いました。妻はその巻き寿司をを白い半紙で丁寧に包み、もろぶたという木箱に入れて一晩寝かせたのです。

 朝6時、妻は台所に立って弁当のおかずを品揃えして重箱に盛っていました。見覚えのある重箱には巻き寿司とおかずが、まるでおせち料理のように盛られ、中々綺麗です。「さあ出来た、お父さん私は仕事なので娘と息子、それにおじいちゃんに届けといてね」と、これまた唐突な指示です。私は人間牧場の作業があると思いつつ、リタイアの悲哀と受け止め、言われるがままに車を走らせました。

 親父の所は弁当を運びましたが、親父はあいにく7キロ先の下灘診療所まで自転車で通院とかであいにく不在でした。居間のテーブルに弁当を置いて出かけました。

 道沿いの桜はもう八分咲きでしょうか、濃いピンクから淡いピンクへ、これを桜色というのでしょうか次第に衣を替えているようです。海岸線の桜は殆どソメイヨシノですが、中には大島桜もあって中々見事の咲き栄えで、間もなく海岸国道378号線沿いは桜の花のベルトが見れるのです。

 まず長男息子の家へ立ち寄りました。息子は平日なので仕事、しかも今日は金曜日なので道後公園で職場の花見というのです。息子嫁と孫希心が在宅でした。ここで証拠写真を撮りました。恥かしいので間違っても写真には撮らないでね」と、妻からきつくいわれていましたが、私はアマノジャクなのです。

(孫希心君と弁当)

 続いて道後に住む娘家族の家を訪ねました。春休みなのですが孫朋樹は居残り保育のため、既に幼稚園に出かけて留守でした。孫尚樹はハイハイでそこらじゅうを這い回って元気に遊んでいました。朋樹の発見だと「直樹君が一人で座っていた」そうです。一人で座る仕草をするのですが、母親はその確認をしていないそうです。最近は物を持って立とうとする仕草を盛んにするそうで、もう直ぐ「這えば立て」のようです。

 ここでも弁当の写真を撮らせてもらいました。ここは家族が多いので、少し大きめの重箱が用意されていたようです。

(娘の所へ届けた弁当)

 さて、やっと弁当の配達が終わったので、児童相談所へ仲間の大野さんを訪ねました。残念ながらアポも取らずに立ち寄ったので彼はあいにく留守で、手持ち無沙汰なので、久しぶりに私は松前町の元気人村へ立ち寄り風呂を楽しみました。今日は花見の日和だからでしょうか、温泉は散閑としていました。馴染みの人と雑談にふけりながらしばしの休息をしました。

  「弁当を 三つも作る 忙しさ 妻に頼まれ それらを配る」

  「肝心の 私の弁当 見当たらず 二人仲良く 残り物です」

  「巻き寿司に 何か忘れた かんぴょうを 妻も痴呆か 忘れるなんて」

  「今頃は 弁当広げ 食べている 多分文句の 一つもいいつつ」

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○野草を食べる

 食べられる野草といえばワラビ、ゼンマイ、ツワブキ、フキ、イタドリ、ヨモギ、ノビル、オニグイなどなど、その気になって探せば春ですから沢山取ることができます。しかしこれらの野草は料理の仕方を間違うとアクが強くて食べれるものではありません。私たちが子どもの頃、こうしたアク強い食べ物がガンになる確率が高いから食べない方がいいとか聞きました。それでも大人たちは季節になると、子どもには信じられないくらい不味い食べ物なのに、こうした物を好んで食べていました。しかしあれ程不味いと思っていた物も加齢とともに欲しくなってくるから嗜好の変化とは不思議なものです。

(少しの手入れで自然に生えた見事な人間牧場のフキ畑、これから収穫が楽しみです。でも加工が大変です)

 4月1日に赤トンボ先生が人間牧場へやって来ました。先生はわが人間牧場の畑一面に生えているフキを目敏く見つけて、私の許しを得て葉っぱを取り始めたのです。普通フキは茎の部分を食べるのであって、葉っぱなどはこれまで全て捨てていました。先生の話によるとこの葉っぱこそ美味しいのであって、茎なんかより芽生え始めた今の柔らかい葉っぱを佃煮にしたら、お茶漬けのお供に最高だというのです。半信半疑でしたが今日再び友人を誘って人間牧場へやって来て、フキの葉っぱを取って帰りました。先生はその折前回とって帰った発破を佃煮にして味見をするよう持参したのです。アクが強いものの中々美味で、これなら行けると、私は先生が帰ってから少し草刈りをして、その後葉っぱを摘んで帰りました。あいにく妻は仕事で留守、早速私は苦汁菜を炊いた時の要領で加工する事にしました。まず大きな鍋にお湯を沸かし、綺麗に洗ったフキの葉っぱを入れ湯がくのです。かなり時間を掛けて湯がくと、茶色のアク汁がいっぱい出てきます。それを捨てて冷水に晒しました。何度か水を換えきれいな水になったら絞って再び鍋に戻します。ほんの少し水を加えて煮立ったら醤油、砂糖、みりんを加えて煮詰めます。煮詰まり始めたら梅干しの種を取り出して中に入れ、更にレモンを一個絞って入れます。こうすれば保存が聞くのです。やがて水分が全て飛んだところで火を止めて冷ませば出来上がりです。

 自慢ではありませんが私は家で料理をしたことなどは殆どないため味音痴です。さて仕事から帰った妻はこの味を何と言うでしょう。多分いつもの通り褒め殺しで褒めてくれるでしょうが、そんな甘い口車に乗ろうものなら、次からやらなければならない羽目になるので、滅多なことで口車に乗ってはいけないのです。

 このフキ畑は三年前に人間牧場を開設した時、ミカンの木の根元に生えていた少しの株を草刈機で刈ることもなく大事に残し育ててきました。カズラやハズの葉を取り除き、フキだけにしたお陰で、今年は青々としたフキが当り一面を覆うほど成長しているのです。妻も私もフキの茎の部分が大好物で、もう4~5日もすれば親指程度の柔らかくて立派なフキが食べられそうです。フキは昨年も保存食として随分美味しく食べました。今年はこのフキの葉っぱを加えれば、山菜として一品増えそうです。

 今日もフキの葉っぱを佃煮にした後で思ったのですが、やはりレシピを作らねば、いつまでたっても感だけではいけないような気がしました。甘ければ醤油を入れ、辛ければ砂糖を入れるような調理方法は健康を損なう元だと思いました。糖分や塩分はやはり健康には大敵です。いくら美味しいからといっても食べ過ぎには注意をしなければなりません。

 妻はまだ外出先から帰ってきません。帰宅が待ち遠しい4月4日の午後8時です。

  「食べるとこ 茎ばかりかと 思いきや 葉っぱを食べる フキも色々」

  「料理など 殆どしない 俺だけど フキにツワブキ ワカメに魚」

  「いやあいける 煮詰めつ味見 する私 最後は甘いか 辛い分らず」

  「こんなこと 三度三度と する妻は 偉いもんだと ついつい感心」  

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○土木業者の嘆き節

 新年度が始まると、どこか「やるぞ」という空気がみなぎるものなのですが、この頃から土木業者は「何か仕事はないか」と、細々とした仕事で食いつなぐ日々が続くようです。私の町には多い時は中小16もの土木業者がひしめいて、繁華に仕事をしていました。その殆どは公共工事で、町道、林道、農道、災害復旧、圃場整備、用地拡張などの工事を、談合と言われながらも表向きは一定のルールに則って受注していました。町内にもA・B・Cランク分けした業者がいて、お互いが連帯保証しながらこれも表向き仲良くやっていたようです。ところが小泉さんが首相をしたころから公共工事が減り始め、合併した途端に激減し特に小さい土木業者仕事が立ち入っていかなくなり、倒産や自己破産、ひどいのは自殺や夜逃げなど、様々な辛酸をなめて現在は6業者に激減しているのです。元々土木業者が多かったといえばそれまでですが、地すべり地帯の多いわが町では、何年かに一度、台風や大雨が災害をもたらし、皮肉にもその災害が公共工事を生んでいくという循環が出来上がっていたのです。そのころの土木業者は羽振りがよく、33ナンバーの高級車を乗り回し、日曜日にはゴルフに講じたり、社員旅行と称して海外まで出かけていました。また社会保険にも加入していたのでみんな安心して働いていたようです。

 土木業は機械業といわれるように、何千万円もするような重機類を持たなければならず、競争に負けるとあってみんな競って高価な重機を持ちました。またパソコンが仕事をするようになって、そのリース料やオペレーターの雇用なども次第に重荷となって経営を苦しめました。追い討ちをかけるように談合事件、行政を巻き込んだ贈収賄事件など相次ぐ不祥事が明るみに出て、公共工事への社会の風当たりが強くなって、入札制度、工事費の見直、市町村の合併が最後の止めを刺したのです。

 しかし、10人に一人が何らかの土木業に関わらざるを得ない田舎で、土木業の不振は土木業者のみに留まらず、住民の暮しへの影響がすこぶる大きく、田舎に住んで土木業で生計を立てながら日曜日には兼業で農漁業をやるといったパターンが崩れ、過疎助長、限界集落出現の大きな原因となっているようです。

 昨日、馴染みの小土木業の若い社長がわが家にやって来て、「何か仕事はないか」というのです。近所で小さなよう壁工事を行っているため、立ち寄ったらしいのですが、この工事が終われば当分休みらしく、空を見上げて空しくため息を漏らす姿に寂しさすら感じましたが、残念ながら私にはどうすることもできず、その嘆き節を聞くのみでした。

(ウッドデッキの下の切り取り斜面、ここを石積みにします)
(車の回転場付近の斜面まで15メートルの工事です)

 ふと、何とか少しでも助けて揚げれないかと思い、人間牧場の石積みを思い立ちました。「小さな工事だがお願いできないか」と頼むと、早速見に行こうということになって、社長の汚れた車に乗り込み世間話をしながら走りました。高さ×長さの理論で、アバウトな見積を現場で図に描き、15万円から20万程度というのです。誰でも安い方がいいので、じゃあ15万円でお願いしますと、あっさり口頭で契約してしまいました。リタイアの身ゆえ大蔵大臣の妻に相談すればよかったのかも知れませんが、まあ何とかなるだろうと思ったのです。

 人間牧場のウッドデッキのすぐ下は切り取り工事だけで終わっていて、少し心配していた場所なので、この工事が終われば万全と思っています。工事は僅か15メートルほどなので3~4日で終わる予定だそうです。

 屁のツッパリにもならない土木工事ですが、少しだけでも痛みを分かち合ったつもりの一日でした。

  「春なのに 沈む心の 土木業 昔の夢など 既に遠くへ」

  「お世辞にも 社長の車? 言えません お家の事情 厳し経営」

  「工事して 直ぐに見積り 高いのか 訳も分らず 即決頼む」

  「大蔵の 許可も受けずに 発注す これが最後と 何度いったか」  

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○大学生に話す

 小学生は40分、中学生は50分、高校生は60分、大学生は90分というのが、話しを聞いてもらえる長さだと意識して、小・中・高・大それぞれの年齢階層に応じた話をしていますが、今日は大学生に90分の話しをして欲しいと娘婿に頼まれ、ふたみ潮風ふれあいの館へ行きました。昨日から愛媛大学法文学部の学生が合宿研修をしており、その一環としての話です。相手は一回生とニ回生ですが、新入一回生は4日前まで高校生だった若者ですから、さてどんな話にしようかと思いつつ話しをしました。

 感想からいえば少々気になるくらい非常に真面目で、熱心に聞き入り、そして質問や意見もテキパキとして感心してしまいました。

 今日は高知大学大学院に在籍している双海町出身の堀川奈津さんについて少しお話しました。堀川さんは次号の「舞たうん」にも書いていますが、大学のインターンシップで高知県奈半利町へ派遣されました。そして若者らしい感性で奈半利のまちづくりに深く関わり、地域の人から絶大な信頼を得た女性です。彼女の卒論を読ませてもらいましたが、地域に関われば関わるほど地域の他力本願的なものが目に付いて、地域の自立について考えさせられたそうです。結局地域は彼女に何を求めたのか結論を得ぬままでしたが、彼女の発した地域づくりへのシグナルは大きなインパクトを与えたようです。

 これまでだと大学生は学ぶ存在ですから、ある意味で地域づくりの蚊帳の外でした。いつかは役に立つだろうという安易な考えで大学も地域づくりの学習をさせますが、最近はフィールドワークやインターンシップなどの導入によって随分学生に地位へのかかわり方が変わってきました。できれば大学生もアルバイトや遊びに熱中することも大事ですが、在学中から地域に深く関わって欲しいと思うのです。

 大学も最近は少しずつ変化をしていて、地域づくりのコースが出来たり、これまでのペーパー受験から、自分の考えを試験官の前でプレゼンテーションする提案型へ移行している所もあるようです。自分の偏差値だけで行ける大学を選び、将来何になり何をしたいのか分らぬまま大学に入って、就職すらできない人たちもいるのです。私の話はそんな願いを込めて熱っぽく話したつもりですが、心の扉を開くことは出来ないまでも、心のどこかに共鳴して欲しいと願っています。

 このところ大学生や青年が私の所へやって来る人と機会が増えてきました。多分混迷社会を反映したり、人間は何のために生きるのかといった疑問が若者の間に芽生えているからかも知れません。またスピード化したり事件犯罪が続発するする社会に疑問を投げかけ、スローライフな生き方を既に模索している若者すらいるのです。

 私たちから見ると羨ましくなるような知識とエネルギー、それに行動力を持った若者たちが、国や社会のためとまでは言わなくても、住んでいるまちに思いを寄せて生きるような地域づくりをこれからも目指したいと思っています。反面教師ではありませんが、若い人に出会う度に、自分の生き方を問い直せることはとても素晴らしく、今後も出来る限り若者と接したいと思いました。

  「若者に 話すのだから 胸を張り 伝えたいこと しっかり伝う」

  「もう少し 若さ欲しいと 六十を 越えた私が 声高喋る」

  「否定する 意見が欲しい 思いつつ 喧嘩売るよな 話したけど」

  「優等生 ばかり揃えた 大学は 面白くなし もっと喚けよ」

 

 

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○キャベツが大豊作

 ふとしたことから知り合った伊予市の水口マリ子さんから昨秋キャベツの苗を沢山貰いました。わが家は上灘川に沿った谷筋にあるため、家庭菜園も冬日当たりが悪く、冬の作物は大根以外は余り出来ません。タマネギなどは作付してからもう半年がくるというのに植えた時とそんなに変わらない大きさなのです。でも春の訪れとともに日増しに日当たりがよくなって、日々の成長は目を見張るようです。キャベツの苗もタマネギと同じだろうと思っていましたら、今年の寒さはことの他厳しかったせいか、キャベツはしっかりと太って、大きな玉を実らせているのです。

 私はキャベツが大好きで、三度三度の食事にキャベツが出ても文句を言わないほどの大好物なのです。特にリンゴと組み合わせたリンキャベはある雑誌に紹介されるほど知る人ぞ知る私の健康食なのです。と真もそれを承知で毎朝キャベツの千切りを欠かさず食卓に出してくれるのです。しかしキャベツは冬の野菜のためキャベツを自宅で年中無農薬で栽培することは不可能に近く、素人の私にはこの春先しかキャベツは作れないのです。したがって年中キャベツを食べていますが、それは出身地も分らないようなものでした。しかしつい最近は生産地表示が義務付けられ、○○産と書かれるようになったので、出来るだけ愛媛県産を買い求めるようにしているのです。私は中四国、それに九州くらいは自家用車で移動しますので、移動の度に地方の特産品センターなどを訪問して、買い物の苦手なくせにキャベツだけは目利きが出来て買い求めて帰るのです。キャベツは比較的安くどの特産品センターにも年中出回っているので大助かりです。しかしキャベツは他の野菜と違い生で食べることが多いので、綺麗なキャベツを見ると「これ大丈夫かな」と消毒の詮索をしてしまい、結局は虫穴の開いた2級品に目と手が行くのです。二級品の方が安くて安全というのは野菜の定説なのですが、最近は少し変わってきているようです。

 さて大豊作のキャベツですが、春キャベツといわれるように甘くて柔らかくて美味しくてと三拍子そろっているのですが、ここのところの陽気に誘われてキャベツに異変が起こり始めました。キャベツが成長し過ぎて上の部分が破れ始めたのです。商品として売るのではないので、別に破れても食べるのには影響しませんが、多分この破れはキャベツが花をつけようとする主保存の原則であるということを意味します。つまりこのまま放っておくとキャベツの真ん中からトウが立って花が咲くのです。さらに心配なのはこの破れた部分に雨が入ると腐ったりもするのです。そうかといって毎日毎食牛のようにキャベツばかりを食べるわけにも行かず、最近は近所に配って喜ばれているのです。

 わが家ではキャベツ料理がふんだんに作られ、ロールキャベツなどは妻の最も得意とするところで、妻の料理の腕に満足し「褒め殺し」のような言葉を掛けています。

 キャベツ大豊作の秘密はどうやら「苗」の品質があるようです。根の張った丈夫な苗だったため、しっかりと地中に根を張りました。またキャベツは沢山の品種があるようですが、何の品種か分らずもこの土地にあった品種だったのではないかと思うのです。また草引きなど丹念に育ててくれた親父の世話も見逃すことは出来ません。早速苗を沢山いただいた水口マリ子さんにお礼のハガキを出そうと思って、キャベツ畑の様子をデジカメで撮りました。水口さん宅は稲の苗を育てて販売する大農家です。私たちのような家庭菜園などを趣味で楽しむ人など相手にすることはできない忙しさなのでしょうが、時々トマトが出来た、キューリが出来た、枝豆が出来たと旬の季節を届けてくれるのです。有り難いと思いつつ今日も水口マリ子さんのことを思いつつキャベツを食べています。

  「菜園の キャベツ丸々 豊作だ まな板の音 今朝も目覚まし」

  「昨晩の ロールキャベツの 美味なこと 妻の手料理 褒めていただく」

  「キャベツ取り 隣近所へ おすそ分け 美味いといわれ ブロッコリー添え」

  「キャベツ食べ お陰で胃腸 快調だ これから先も リンキャベ食べる」  


 

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shin-1さんの日記

○剪定枝木の焼却

 先日から人間牧場のそこここに植わっている杉の木の剪定を行なっています。この杉の木は元々みかん畑だったころの防風垣だったもので、一度は芯をを止められたものなので、杉といえば連想する二等辺三角形とは全く異なり、いびつな形をしています。人間牧場を始めた時、全て切ろうと思っていたのですが、切るのはいつでも切れると、眺望を遮りから切った方がいいという友人のアドバイスにも耳を貸さず残しておいたものなのです。緑とは有り難いもので、その後周辺の雑木を取り除いたため、杉に木に日が当たるようになり、すっかり様になっているのです。しかし散髪もしないのではそれこそみっともないと、下枝を剪定しているのです。

 今日は無風で穏やかな天候だったので、孫を連れて人間牧場へ行き剪定した枝葉を焼却処分することにしました。うず高く積まれた枝葉をまだ植え付けしていない芋畑へ積み上げ、周りに類焼しないように気を配って下から火をつけました。杉葉は勢いよく燃え始めました。火力が強くなった所へ、3年前に開墾した時潅木を薪用に畑の隅へ積んでいたのを寄せ集めて焼却です。火力は益々強くなり、午前中で殆ど終りました。

(煙も火も珍しい孫は有頂天です)
(孫に撮って貰った私の記念写真)

 孫も5歳なので足手まといながらそこそこ手伝いの力になって、枝葉を運んできては火の中へ面白そうに投げ込んでは楽しんでいました。近頃の子どもにとって焚き火を見るのも、自分で火の中へ薪を入れるのも、ましてや火の熱い勢いやパチパチと音を立てるのも初めてとあって、かなりテンションが上がっていました。

 やがて昼の音楽サイレンが鳴り、例によって妻の作ってくれたお弁当を広げ、二人で楽しい昼食を食べました。そして孫と2階のロフトに上がって、畳一畳ほどの場長室に入って一時間余り午睡をしました。

 午後は草刈りですが、年代物の草刈機なので、始動の度にエンジンがかかるかどうか心配するのですが、今日も絶好調です。ただし草刈機の刃が切れなくなっていて、そろそろ替刃に変えねばと思っています。今はまだ草丈も低いので、石などにぶつけて刃を駄目にすることが多いので、もう少し使ってから替えたいと思っています。春になると人間牧場も仕事が山ほどあって、孫の面倒を見る余裕は余りないのですが、それでもこの時期しか孫とのふれあいもないだろうと、無理をして相棒の面倒を見ています。

 今日は水平線の家の玄関に踏み石を一つ置く作業もしました。穴を掘り、そこに切り石を置くのですが、これまた孫が手伝うといってチョロチョロするのです。危ないといっても聞かず、孫の仕事を作ってやって、砂利を運ぶ作業をさせました。やっと終わると「おじいちゃん、僕が手伝ったから早くできた」と大威張りです。

(孫と一緒に作業し完成た飛び石)

 人間牧場界隈は今やぶ椿が見ごろです。桜もそこここ咲いて、人の目は桜に移っていますが、この頃のやぶ椿の花も趣きがあって、私は大好きです。まったく人の手の入らない自然のままのやぶ椿の花が、これほど美しいと感じたことはないほど、今年は特に美しく咲いていました。どうです。この見事な姿。思わずうっとりしてしまいました。今はメジロやウグイスが椿の蜜を吸いに沢山やって来て、時には直ぐ側でホーホケキョと鳴いてくれるのです。「おじいちゃん、キジが鳴いている」。人間牧場常連の孫は、「ケーン、ケーン」と鳴くかん高いキジの鳴き声を聞き分けれるようになったのです。孫のリクエストに答え、団子虫を10匹ほど捕まえて家に持ち帰りました。妻の土産にとツワブキまで収穫して帰りました。


(今が満開、見事なわが人間牧場のやぶ椿の花)

  「春休み 私本当は 骨休み したいけれども 孫が重荷で」

  「春椿 見事に咲いて メジロ来る 桜もいいが 名残椿も」

  「切石を 据える作業に 手足出し 足手まといの 孫と二人で」

  「火や煙 珍しいのか 近寄って まるで雲だと 追いかけ蒸せる」

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shin-1さんの日記

○赤トンボ先生も目出度くご退職

 団塊の世代とでも言うべきでしょうか、今年は小中学校の校長先生が随分退職され、松山管内は例年にない校長先生の大異動となりました。短いながら市町合併までの2年間、教育長を勤めたこともあって、馴染みの顔が沢山辞められ、一つの時代の終りを感じつつ退任のお便りや挨拶をいただいています。

 その校長先生の中に早くも「前」という漢字をつけなければならない、前松山市立久谷中学校長だった窪田先生がいます。先生は中央青年の家や県教委社会教育課などで青年教育にもかかわりましたし、双海町立上灘中学校の校長先生として勤務され、5人ながら町内校長会長として、楽しくも充実した教育活動をともにやり、肝胆相照らす仲だったのです。特に「双海の子育て10の約束」や「合併後の双海町公民館活動の在り方(諮問・答申)」にも、深く関わり、双海町の社会教育についても恩人なのです。

 窪田先生は私が赤トンボ先生と名付けたように、在任中竹を使って赤トンボを沢山作ってこられました。特に印象に残っているのは、双海町下灘で開かれた松山管内の同和教育研究大会を開いた折、参加した全員に赤トンボを配りたいという私の無謀無茶とも思える企画案に賛同して、教育委員会の職員とともに500個もの赤トンボを期日までに作り、会場を飾った後参加者に差し上げ、大きな反響と深い感動をいただいたのです。その後私の退職と同時に久谷中学校へ異動し今回の退職となったのです。

 異動後も私は先生と私的な交友を続け、先生に赤トンボをいただいて全国各地へその赤トンボとともに旅を続けていたのです。

 私には先生の作った赤トンボを世に出したいという思いがこの3年間離れたことはありません。そのくらい素晴らしいまるで生きているような手乗りの赤トンボを製作出来るのです。聞けば先生は退職後当分は別な仕事に就く予定もないそうなので、退職した明くる日の昨日、思い切って人間牧場へお誘いしました。先生と午前10時にシーサイド公園で待ち合わせして、私の田舎のオープンカーで人間牧場へ行きました。先生が人間牧場へ来たのはもう2年半前、つまりまだ人間牧場に水平線の家しかない草創期でした。先生はその後の人間牧場の充実ぶりに驚いたようでしたが、それから2時間赤トンボ談義に花を咲かせました。

 赤トンボを普及させるため二人でステップアップの仕方について色々な事を考えました。ステップアップ①、まず赤トンボを作るためには竹が必要です。真竹、孟宗竹は里山の荒廃で今はその気になればタダで手に入ります。孟宗竹は人間牧場に隣接している竹藪に手配済みですし、知人友人を訪ねれば真竹も当てはあり、何の問題もありません。田舎のオープンカーも利用出来ます。ステップアップ②、赤トンボを作る場所ですが、先生の自宅と人間牧場に造った倉庫を整理し赤トンボの家として活用することが可能です。既に工具類も今日を見越して購入済みで、赤トンボの家になるべき倉庫に眠っています。ステップアップ③、作る技術は先生が伝授できます。多分先生が関わらなければこの部分が伝承できないほど高度な技術なのです。ステップアップ④、この技術を普及する活動です。これは少年少女おもしろ教室や夏の間シーサイド公園で教室を開くことが可能だと思うのです。勿論出張指導も行えます。出来れば3月と9月の春分・秋分の日を赤トンボの日と定めてイベントを開くことも可能です。ステップアップ⑤、これは経済です。この赤トンボを地域の特産品としてシーサイド公園特産品センターで委託販売することです。ステップアップ⑥、夕日のミュージアムの一角に赤トンボコーナーを設置して赤トンボを文化として情報発信することです。ステップアップ⑦、インターネットでキットを販売したり情報発信すれば面白くなります。


 ざっと考えた私のステップアップ7つの戦略を推進するチーム作りをこれから始めなければなりません。多分5人ぐらいは必要でしょう。私と窪田さんは既に決まりです。これに地域づくりに関わっているえひめ地域政策研究センターの松本さんや、市役所の武田さんを加えてゆけば、作戦会議はもう明日にでも開けるかも知れません。

 考えただけでも面白くなりそうですね。要はこの考えを私的ネットワークで実践に移すことです。

  「赤トンボ 先生退職 さて何を すべきか話す 牧場の春」

  「校長も 辞めればただの 人となり 俺と同じ サンデー毎日」

  「昨日今日 沢山人が 訪ね来て 牧場忙中 閑もなく」

  「悪だくみ いやいやこれは 人助け トンボで町を 起こすのですよ」

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shin-1さんの日記

○落語のCD

 落語ならぬ落伍をやり始めて半年が経ちました。あちらこちらから引き合いがきた落伍も年度末や年度始めのためか最近は少し落ち着いてきましたが、目論見どおりの成果を上げつつ、そろそろ次のネタ本「水の書」のネタも書かなければなるまいと思っていた折しも、一昨日家内が「日本の伝統芸能・落語」というCDを買って帰り、私にプレゼントしてくれました。というのも買い物で立ち寄ったスーパーふじで棚卸商品の即売があったそで、何と400円だったそうです。金額を聞くまでは妻も粋な計らいをするものだと感心していましたが、値段を聞いた途端に興ざめで、私の落伍もこの程度に見られているのかと思うと急に悲しくなりました。それでも早速そのCDをパソコンに入れて再生してみました。勿論映像などないただのラジカセみたいなものですから、リアル性はまったくなく、妻の言うように車の中で暇つぶしに聞く程度の50分程度の2本立てなのです。噺家は春風亭柳好、演目は「付き馬」と「牛ほめ」です。でもこのCDだってプロの噺家ですから、車に持ち込んで擦り切れるまで使い、間の取り方や話の抑揚などを徹底的に学んでやろうと思いました。このCDを聞きながらふと自分の話のネタ本の金額が気になり始めました。私のネタ本はワンコインです。だのにこのプロの噺家のCDが400円ですから、幾ら安売りといっても地に落ちたもので、そこえゆくと私の話のネタ本は相当な価値があるようです。でもこのCDのように仕入れたものの売れないで棚卸商品として投売りされないような値打ちを作りたいものだと心に誓った次第です。

 落伍をするようになって半年で、随分自分の目と耳が本物の落語や落語を扱っている本棚に向くようになったのは事実です。先日も大阪へ行った折、大阪梅田駅の紀伊国屋で何冊かの落語の本を買い求めて読みましたが、それが即自分の身につくほど落語はやわいものではなく、知れば知るほど奥の深さを感じ、聞いても読んでもまるで底なし沼の底に沈んでゆくようで、多分この知識がどこかで知恵となるに違いないと信じつつ、聞き耳や読む目を養っているところです。

 さて今日からいよいよ新年度、私のリタイア人生も昨日でまるまる三年が終り、四年目に入ります。この三年間色々なことがありましたが、後半人生のスタートとしてはまずまずの三年でした。自称サンデー毎日と考えた退職後の人生はサンデー毎日どころかまるで月月火水木金金のような忙しさです。でも同じような年代の人の中には何することもなくただ日々過ぎ去るのみの人を思えば、私は素敵な生き方をしていると胸を張るのです。

 昨晩妻と二人で、これからのことを色々と話しました。もう気力も体力も下降気味の事を思えば、無理はしないで欲しいというのが妻の願いのようです。でも妻は何故か私に落語のCDをプレゼントしてくれました。

 今年は何としても落伍の腕を上げなければなりません。そしてそれと同時進行でネタ本「夕日徒然草」水の書を刊行したいと思っています。最初の予想より早く初期投資が回収できそうな勢いなのは何よりも嬉しいことで、あらためて関わってもらっているえひめ地域政策研究センター研究員の皆さんたちに感謝するのです。

 このところ、また人間牧場が急に騒がしくなってきました。転退職の季節でもあるからなのでしょうか、取材や来訪者が毎日のようにやって来ます。自分では分りませんが、私のよな生き方はどこにでもあるようなのに案外珍しいのかも知れません。最高の喜びは自分が楽しく生きることと、人に感化を与えることです。もう少し胸を張って向こうを見つめながら歩いて行こうと思っています。

 相変わらず田舎のオープンカーはご主人様を乗せて今日も風を切り、桜の咲き始めた野山を元気で走り回っています。

  「プレゼント されたCD 四百円 俺より安い 落語あるのか」

  「間違いと 再々指摘の 落伍かな いえいえ落語 これが間違い」

  「早いもの 落語始めて 半年が さらに修行を 目指せ真打」

  「真打か いえいえ私 進一だ 一文字違う だけで幸せ」

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○孫万歳

 一昨日の日曜日、松山市に住んでいる長男家族が夕飯を食べにわが家へやって来ました。ことさらな長男としての教育をした訳ではありませんが、30歳を越えたころから傍目で見ても分るように長男は長男としての気遣いが立ち居振る舞いなどの随所に見えて、嬉しい限りです。私も長男に生まれ、家を出ることもなく三世代同居をしてきた妻から比べると、大したことではないのですが、それなりに気を使ったつもりで今日まで生きてきました。息子も多分母と嫁の少しだけの軋轢を感じながら生きているのでしょうか、一ヶ月に一度程度の時折嫁を伴って言い訳程度にわが家へ帰って来るのです。

 昨年の8月31日に生まれた孫希心も来る度に随分大きくなって、今でははいはいを始めた娘の子ども孫尚樹に100グラム差まで近づいてきました。生まれた時は3ヵ月半も先に生まれているため比較のしようがなく、これが同級生になるのかと心配しましたが、この分だと食べっぷりからして先輩尚樹を抜く勢いのようです。

 孫は可愛いもので泣いても笑っても絵になるもので、孫がわが家に来ただけでどこか家の中に勢いのようなものを感じるから不思議です。

(離乳にも移行しよく食べるので、ウンチも人並みです)
(2ヶ月前の写真です)

(後発に抜かれそうになった長女の次男孫尚樹)
(この子は寝返りが不得意で、うつ伏せに寝かせると寝返るのに、上向きだと寝返りができないのです。まあ「寝返る」ことのない方がいいかも知れませんね)
(お座りは出来るようになりましたが、まだ転げます)
(見て下さい。爺、婆の嬉しそうな姿を・・・・)

 最近長男夫婦と今後の暮しについて話すようになって来ました。長男はもうそろそろわが家へ帰って私たちと同居したいようです。多分彼の給料から家賃を払うことが重荷になっているからかも知れませんが、少し家を改造して住みたいようです。わが家は四人の子どもが独立して家を出ているためニ階は総空きですし、明日からでも住めないことはないのですが、息子の家族が帰るとなると、台所事情も考えなければならないので、設計の仕事をしている長男ですから、その辺を考えて二世代住宅へ改造したいといっていますが、先立つものは資金だし、多分そんな余力も持っていないだろうから、私たちの懐を当てにしていると妻は多少の出費を覚悟しているようです。いずれにしても私たち夫婦の加齢の事を考えると、妻にもう少しの間私たちだけの自由な時間を与えてやった方がいいのではないかと思っているし、嫁も口では同居を望んでいる口ぶりでもその方を望んでいるようです。
 せっかくいい親子関係でここまで来ているのですから、お互い腹を割って話し合い、納得のいく形で2世代同居を始めたいとタイミングを計っているところなのです。

 ご飯を食べて息子家族が帰って行きました。孫希心は初節句です。長男は自分の時のような大きな鯉幟をわが家に立てたいと主張しましたが、妻はわが子の鯉幟を立てたり降ろしたりの作業が大変だったことから、自分に再びそんな重労働が回ってくるのを避けようと、内幟にしようと提案し、そのような納得で嫁の実家に話しているようです。日本の伝統といいながら、初節句の出費を出来るだけ少なくするよう、長男に伝えました。こうして何かにつけ親との軋轢や制約があるのも長男の悲しさでしょうか。

 長男は嫌だといいつつ、わが妻は何の因果か長男を産んでしまい、その長男の嫁も長男を産んでしまいました。因果応報とでもいうべきでしょうか。

  「俺長男 長男家族 やって来て  親父長男 長男だらけ」

  「孫が来る 孫が帰るの 繰り返し 喜び寂し これ繰り返し」

  「寝返った ほら座ったと その度に カメラ向けられ えらい迷惑」

  「先輩の 孫追い抜くか 百グラム いつの間にやら おない歳顔」

 

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