shin-1さんの日記

○今年度最後の講演会

 昨日松山市雄郡公民館の講演会に招かれ出かけました。年度で仕事をする官公庁ですから多分平成19年度最後の講演会でした。数日前雄郡公民館の青木館長さんが何の前触れもなくわざわざわが家へやって来られました。自分では分っているつもりでも、他所からわが家を訪ねて来るのは田舎ゆえに中々分らず勇気のいることなのです。普通は「伊予市から来られる場合は海に出て4キロくらい走ると双海町の中心部に着きます。信号を左に曲がると300mくらいで旧双海町役場です。そこから500mくらいですので、着いたら電話してください。迎えに出ます。」てな調子が多いのですが、多分近所のどこかで聞いたのでしょうが、わが家を見つけての訪問です。運良く私が在宅だったので、むさ苦しいながらもわが書斎に案内しました。館長さんは長らく松山市の議会事務局にご勤務していたそで、請われて館長に就任したと自己紹介をした後、「高齢者スロープ竣工記念講演会」の講師依頼状を手渡し、海の資料館「海舟館」や「煙会所」を見学し帰って行きました。おっつけ佐伯主事さんから打ち合わせのメールが入り、また昨日は丁寧な予告の電話までいただきました。

 公民館の場所はいつも県立中央病院へ検診で行く道沿いなので知っていましたが、少し早めに行こうと出たものの日曜日とあって車の混雑もなく少しどころか大幅早めに着きそうだったので、近くのメディコ21に立ち寄り買い物を済ませて時間調節しました。

 会場に着くなり「若松さんの元気。私を覚えている?。私の顔を忘れたら駄目よ。」と高齢女性がにこやかに声を掛けてくれました。毎日毎日不特定多数の人に会うため、いちいち全ての人を覚えるほど頭がよくないのですが、このおばちゃんの名前は確か「網江さんでしょう」と答えると、「あんたはさすが凄いねえ」と褒めてくれました。このおばちゃんは双海町出身の方で、愛媛県青色申告会女性部のメンバーでもあって、色々な場所であっているのです。若しあの時「あなたは誰でしたっけ」などと答えると興ざめもいいとこで、ホッと胸を撫で下ろしました。事務所でお茶をいただきましたが、まあ入れ替わり立ち替わり見覚えのありそうな顔々がわが者顔に入ってきて、親しく話すのです。「足の怪我はどうですか」。そういえば「教育長時代にチェンソーで足を切って、退院の日に青少年健全育成の県大会があって片足で講演しましたなあ」などと古い話が持ち出され大笑いです。また「あなたの話しを楽しみに友人を誘って来ました」と嬉しい人も沢山いて、講演前から賑やかな交流となりました。

 会場は3階です。スロープは出来たものの、エレベーターがなく歩いて上がりました。会場は座布団形式で足の悪い人が後ろに椅子を出して座っての拝聴です。

 私に与えられたテーマは「公民館の活性化と地域づくり」だったのですが、顔ぶれを見て講演直前、用意したり考えていた内容では満足いくまいととっさに感じて大幅な内容変更で1時間半を話しました。途中で立ち寄ったメディコ21での買い物で見つけたサプリメントや、お年寄りがよく見るテレビ時代劇水戸黄門とセットで流れるヒアルロンサンやコラーゲン、それにハルンケアなどの宣伝を話題に織り交ぜながら、まるで落語ならぬ落伍のような楽しい話しをしました。

 せっかく家まで訪ねて来られた館長さん意思にそぐわなかったかもしれない、自責の念に駆られながら、今年度最後の講演を締めくくりました。

  「又来てね 立ち去る私に 声をかけ 別れを惜しむ 嬉しい握手」

  「覚えとる? 藪から棒の 問いかけに 一瞬戸惑い 記憶をたどる」

  「馴染み顔 手を振り顔で 会釈する 私の顔も 広いと実感」

  「お土産に あれやこれやを いただいた 講演姿 プリントしてまで」


 

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shin-1さんの日記

○ああ定年退職

 私の最も親しい友人が今年の春三月で4人定年退職します。大分県佐賀関町の渡部さん、三崎町の塩崎さん、明浜町の原田さん、宇和町の薬師寺さんです。四人はそれぞれの町の役場職員として採用されましたが、渡部さんは大分市に、塩崎さんは伊方町に、原田さんと薬師寺さんは出身役場こそ違え、西予市という合併した役所にそれぞれ移籍して、課長職を最後にしての退職です。

 佐賀関の渡部さんとは海を挟んだ遠隔の土地柄もあって、会った回数は数階程度ですが、講演依頼やデジタルでのメールのやり取りなどを含めると、最近では最も心を許した友人と言うべき人なのです。ダンディボーイの彼は全てに一流で、カメラはアマチュアの域を超えていますし、私のブログをデータ処理化するなど熱烈な愛読者の一人なのです。関サバですっかり有名になった佐賀関ですが、半島ゆえの閉塞感もあって大分市という県庁所在地との合併は九州ならぬ吸収合併で、合併協議の事務局長として奔走しました。

 三崎の塩崎さんは青年団時代からですから多分私の最も古い友人です。私が愛媛県の青年団連合会の会長をしていた時、彼は西宇和郡の連合青年団長でした。その後交遊が途絶えた時もありましたが、今は夢工房やお互いが地域づくり研究会議の代表運営委員としてまちづくりに深く関わっています。彼の凄さは地元井ノ浦の人たちと青石文化を守る地道な活動を続けたり、ツーリズムの仕事を通して、半島の地域活性化に心血を注いだことです。多分今までも今も、これからも佐田岬を最も愛している人だと思います。

 明浜の原田さんは、小説や絵を描く等飄々とした性格ですが、役場人生の殆どが企画の仕事と長く、そのご縁で知り合いました。夢工房のメンバーとして酒を愛しながらともに語らいました。明浜は革新的な風土が強く、県内のどこにもない独特の文化と新しい発想は随分参考にさせてもらいました。最後は丘に上がった河童の如く、最も遠い高知県境の野村町に異動して福祉の仕事をこなしましたが、辞める直前まで若い職員と限界集落の勉強会を主宰するなどして、自分の想いを人々に伝えようと努力した人なのです。

 宇和の薬師寺さんは、公民館主事だった頃からの知り合いで、当時は宇和といえば公民館活動のメッカで、酒を飲み何度か自宅にも泊めていただきましたが、仕事をしながら通信教育で大学を卒業した頑張り屋の変わり者です。お母さんが自宅で焼く栗饅頭は絶品で何度かいただき賞味させてもらいましたし、観音水の佐藤さんなどと出会うきっかけとなった人です。晩年は福祉の仕事が多く、出会いの数は少なくなっていましたが、それでも南予へ行く途中には三好誠子女史と同じようにに必ず彼を訪ねたものです。

 この四人に共通するのは①ふるさとを愛したこと、②自分の独特の生き方を持っていること、③情熱家で実践家だったこと、④世渡りが不器用なこと、⑤家族思いなことなどです。④の世渡りが不器用なこと以外は私と殆ど同じですが、この④については私を見習って欲しかった思いです。世渡りとは上や周りにおへつをかくことと勘違いされそうですが、決してそうではなく、自分の存在と時代の流れをしっかりと見つめて生きることです。多分私以上に広い知識を持っている四人なのですが、知識を知恵に変えて生きる術は私の方がしたたかなのではないかと思うのです。ただし世渡りが不器用なのも裏を返せば四人の共通した魅力であり、見習わなければならないと思います。

 私は常々彼ら四人に「定年退職してから退職後を考えるな、退職前に何をしたいか、何ができるか考えて生きて欲しい」とゲキを飛ばしていました。残念ながら世渡りが不器用なため、大した近い将来への豊富も未だ聞こえて来ないようです。でもこれからは不自由な自由の中で交友を温めながら、ともに短くも長い人生を楽しみながら生きて欲しいと願っています。

  「相次いで 四人リタイア 自由人 仲間が増えて 俺は楽しい」

  「不器用な 四人リタイア 何するの 答えは未だ 解読不能」

  「リタイアを しても首輪が 残る人 給料権限 潜水艦だ(並以下)」

  「羨まし 誰もが俺の 生き方を 言うてくれるが 真似る人なし」

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