○私にもできるエコ
「エコなんて難しいし面倒臭い」と思っている人は案外多いのではないでしょうか。私自身も便利な暮しに慣れているものですから、ついつい後戻りが出来ないような錯覚にとらわれて、頭では分っていても実際行動に移すとなると「まあいいか」「私一人ぐらい」とついつい思ってしまい、エコ実践は案外出来にくいものなのです。
私は頼まれて学識もないのに生協の学識理事に就任して早1年9ヶ月が経ちました。月に一度の理事会に出席する程度の、そんな状態ですからまだ生協のほんの入り口一部しか見えていないのに、確実に私のエコに関する意識は洗脳されたように大きく変革していることに気付くのです。それは生協運動が安心や安全、自然と共生などといった人間が本来やらねばならない事をさりげなくやっていること、経済第一主義や、便利第一主義に走ってやらなかった事による自然や社会への負荷がどんどん蓄積していること、このままだと人間も地球も危ないという危機感が感じられること等などからの自分自身への危機感シグナルでもあるのです。
もし私が生まれ変われば、理事会に出席して生き生きと輝いて生きている理事さんたちと恋をし結ばれたいと思うほどの女性群が私にさりげなくエコに対する考えと行動をいざなってくれるのです。
私は男ゆえ、女性の理事さんのように日々の生活を暮しという視点で捉えるには少々難点があり、ズレていることは確かですが、「いいことは即する」「悪いことは即止める」という、ただこれだけの行動でもエコに関して随分違った生き方が出来るようになりました。
一昨日の理事会に私は「マイ箸」を忘れて行きました。最初は格好いいと思う程度で始めた「マイ箸」運動でしたが、仕事で訪れた群馬県上野村で斧折れという木で作った軽い箸と箸箱をプレゼントという形で手に入れ、木になるカバンに忍ばせて持ち歩き、どこここかまわず使いまくっています。ところがまだまだ「マイ箸」は巷に普及していないことから、私の「マイ箸」は話題になってあちらこちらへ普及し始めたのです。嬉しくなって「お前遅れているぞ」といわんばかりに得意になって話したお陰で、私の仲間も随分持ってくれるようになりました。生協運動の基本は自分が変化することとそれを広めることです。私は多分指折り数えただけでも20指に余る人に影響を与えた事になるのです。そんな私がこともあろうか「マイ箸」を忘れたのですから洒落にもならず、自責の念に駆られ、こっそり割り箸をいただいて昼食を食べました。
またナイロンのレジ袋も出来るだけ買い物袋を提げて買い物に行き、レジ袋を断るようにしています。買い物機会の少ない私ですから、まだそんなに数沢山のノーレジ袋にはなっていないと思いますが、長男から譲り受けた買い物袋を常時車に積んでいるため、手軽でいい雰囲気です。私の周りの男どもは、これも「エー、女性みたい」と多少差別発言ともとれる拒否反応な言葉を発しているものの、確実に2人の友人を洗脳してしまいました。
私は毎朝、風呂の残り湯に入って髭を剃る習慣があります。最近妻は窓から蛇腹のホースをこの中に突っ込んで、風呂の残り湯で洗濯をしています。以前と今とどう水道代が違うのか、そこまでは追跡調査していないところに妻の甘さがあるのですが、これも妻にとってはエコなのです。
大家族だったりお客様が多かった昔の経験から、わが家の妻の料理はいつも多目に作ります。したがって残飯が二人の家族にしては少しい多いのではないかと思っていて、残り湯を使うことを実践し始めたのを機会に、暮しの在り方を縮小すべく妻と話すようになりました。
身近な所で始まったささやかなエコ運動、それでも集めれば大きな数字になると、これからも努力して行きたいと思っています。
「マイ箸を 忘れて心 動揺す まだまだ修行 足りぬ反省」
「買い物の 袋を提げて スーパーへ レジの姉ちゃん 変なお目々で」
「妻だって 風呂の残り湯 洗濯に さすが俺妻 感心しきり」
「まず自分 次に周りへ 波及する それが出来たら 活動家かも」